お祭り復活元年 〜にっぽん再生への道~

NHK
2023年5月23日 午後2:00 公開

(2023年5月14日の放送内容を基にしています)

コロナ禍で日本中から、祭りが姿を消しました。全国規模で2年間も休止となったのは、太平洋戦争のさなかでも、なかったことなんです。それが、復活を遂げようとしています。見に行かないわけには参りません!今回、お祭り復活の現場に足を運んだのですが、そこでは、聞きなれない言葉が飛び交っていました。「火まつりがメタバースになる」とか、「馬が踊ってSNSがバズった」とか、「祭りを救うのはダイバーシティとインバウンド」とか・・・。

これは「祭り」の話です。でも、祭りだけの話でもありません。そこには日本を元気にするヒントが、たくさんつまっています。一緒に見ていきませんか?お祭り復活元年! 

<若者×SNS×祭り 初午祭>

やって来ました。鹿児島。室町時代から続く祭りが、衰退の危機にあるというんです。その祭りを、大学生が救おうとしているそうなんです。古い祭りの救世主が“若者”だなんて、あまり想像がつかないんですけれど・・・、行ってみましょう!

小川智大さん「鹿児島大学の小川智大と申します」

田原茉奈さん「鹿児島県立短期大学の田原茉奈と申します」

小川さん「僕たちは『舞空キャンパス』という“デジタルで街づくりをしよう”というコミュニティに参加しています」

「舞空キャンパス」は、全国の学生3000人がリモートで集まるオンラインコミュニティです。コロナ禍でなかなか大学に通えなかった学生たちが、就職活動にも役立つデジタル技術を学んでいます。熱心に取り組んでいるのは、“SNS”を活用した「地域おこし」です。小川さんと田原さんは、ある地元の祭りに目をとめました。

小川さん「『馬が踊る』という、なかなか聞かないお祭りがあるんです」

馬が踊る?? 

霧島市で470年前から続いてきた「初午祭」です。馬が主役となり、五穀豊穣(じょう)を祈ります。人間たちも、馬のように鼻筋を白くぬり「人馬一体の舞」を踊りながら、神社の参道を練り歩きます。

何しろ馬が踊るんですから、その姿を一目見ようと、里帰りした人たちや観光客が大挙して霧島にやってきました。昭和の時代には20万人の観客を集めた祭りですが、平成には10万人を割りこむようになりました。そして令和には、コロナによる2年間の休止。ふるさとのシンボルは、存続の危機に立たされました。

祭りの馬は、祭りのためだけに飼育されています。エサ代だけでも年間30万円かかります。負担が重く、昔は100人近くいた馬主さんも、今では7人になりました。馬も減って、わずか16頭に。

馬主 溝口寛さん「この大変な仕事は誰もができんよ。雨が降っても雪が降ってもでしょ。大変ですよ」

その苦労も、祭りがあってのこと。待ちに待った再開です。

馬主 菊野久美さん「みんな、喜んでくれる。それが楽しみ。みんなに見せたいね。踊りをね」

願うのは、ただの復活ではありません。「参道をお客さんで埋め尽くし、初午祭でふるさとに活気を取り戻す」。祭りの実行委員会は、まったく新しいPRプロジェクトをスタートさせました。例えばポスター。デザインを一新しました。新しいポスターには、QRコードがついているのがミソ。読み取ると、初午祭の魅力を伝えるホームページやSNSに誘導されます。

ここから先が、学生たちの出番です。

12月(2022年)。初午祭の説明会で、馬主さんを前に、学生たちが“あるお願い”をしました。「かわいい馬のショート動画を撮って下さい。それをSNSにあげてください」というものです。

小川さん「(使うのは)インスタグラムというアプリで、(ポスターの)QRコードを読み取ってもらって…、そこから詳細についてはご覧ください。2019年以降の携帯電話は、カメラのボタンを押せばできるので、よろしくお願いします」

馬主さんたちの反応は・・・。

年配の馬主さんたちは、カタカナのデジタル用語をかなり苦手にしていらっしゃいました。

でも、諦めません。

小川さんと田原さんは、SNSについてもっと知ってもらおうと、後日、馬主の菊野さんの自宅を訪ねました。

小川さん「今日は、インターネットをうまく使った初午祭の盛り上げ方について」

菊野さん「ようわからん」

小川さん「インスタグラムは、主に画像とか動画をあげるアプリで…アプリじゃないや、部屋です。(若者が)見る機会を増やすんですよ。選挙ポスターとか貼っていると、名前を覚えるじゃないですか。そんな感じで『最近、初午祭を見るな』という人を増やすと、おのずとバズっていって・・・バズるじゃないや、広まっていって」

菊野さん「うんうん」

小川さん「これからは地元に発信というより、全国に発信できる。初午祭の変わり目になる」

菊野さん「全国にね。いいことや」

菊野さんが少しその気になってくれたところで、自慢の馬、サクラの踊りを見せてもらいました。ステップは軽やか。祭りでも注目の踊り子です。

小川さん「すごいステップですね」

菊野さん「農耕馬。昔はね」

小川さん「へー!」

もともとは農耕馬の田おこしのステップだとも言われています。

小川さん「踊れるのは馬も楽しみなんですね。今年は、たくさんお客さんを呼びますので、楽しみにしておいてください」

SNSで新しいお客さんを呼び込みたい。小川さんは15秒の動画をポップに編集し、さらに、今どきの音楽を合わせました。

相棒の田原さんが作った動画は、変化球です。新人・はっちゃんの未熟な踊りが、かえってウケる!?「ステップがダメダメなはっちゃんを一緒に応援していこう」。そんな動画を、次々とアップしていきました。

また、SNSのフォロワー数にはこだわりました。1500人は集めないと、観客を増やすことはできません。

小川さん「12月から2月で1500人、この初午祭のファンが増えました!」

田原さん「1500人の中で、はっちゃんに興味を持った方が451人もいます」

馬主 溝口さん「おっ!すごいね。あっちこっちから『おじちゃんのところの馬でしょ。見たよ』とか、20人くらいは聞いている。自分はガラケーだから、全然気にしていなかったけれど、すばらしいなって思う」

田原さん「おーー!良かったです」

学生たちが思い描くのは、新しいファンが集まる、新しい初午祭です。

2023年2月12日。3年ぶりの初午祭が始まりました。果たして、どれくらいの観客を集めるのか。

参道は、大いににぎわっています。

観客は、コロナ前の人出を大きく超え、15万人に達しました。

小川さん「この人だかりを見ているだけで、頑張ってよかったなという感じがします」

SNSを見て、大勢の人が来ていました。

SNSを見た観光客「インスタの雰囲気も楽しそうだったし、馬の練習動画も出ていたので、楽しみにしていました」

SNSを見た観光客「(馬の踊りが)リズミカルだなと思いました」

今年3月。若者たちとの新しい絆は、地域をさらに変えていました。学生たちが、馬主さんのところに手伝いに来ています。

溝口さん「皆さんに協力いただいて、寝床をきれいにしいてるところです」

小川さん「今までお世話になったのもありますし、馬主さんの現状も学んだので、お返しできるところがあればなと」

そして馬主さんにも変化が!若者に勧められて、スマホカメラマンとしてデビューしていました。

お年寄りと若者が、同じ目線で“SNS”を楽しむ。そんな霧島には「未来がある」と感じました。

<担い手不足×新たな人材 「日和佐ちょうさ」>

次に注目したのは、どこでも悩んでいる祭りの「担い手不足」です。でも本当にいないのか?探せていないだけじゃないか?そんなことに気づかせてくれた町があります。

徳島県の美波町は太平洋を臨む漁師町です。ここに230年以上続く、勇壮な祭りがあります。「日和佐ちょうさ」です。「ちょうさ」と呼ばれる大きな太鼓屋台を地区ごとに担いで練り歩き、1年の豊漁・豊作を祈ります。

コロナ禍による中止を経て、3年ぶりに復活することになったこのお祭りは、「担い手不足」に直面。8つある地区のひとつ、本町の責任者・野口雅史さんは、悩んでいました。

野口雅史さん「いちばん不安なのは人数でしょうね。過疎の町なんで、人口が急激に増えることはない」

重さ1トンのちょうさを担ぐには、最低50人は必要ですが、担げる若い男性は地区に10人しかいません。

野口さん「各地区の責任者は、通常は33歳〜35歳くらいがやるんですけれど、僕は49歳。異例なんですよ」

担ぎ手が少ないと、大事な“見せ場”も作れません。それは、屋台を担いで海に入るクライマックスです。

人数不足では危ないので、“海入り”は、今回はいったん断念となっていました。

でも、諦めきれない祭りの面々が、話を蒸し返します。

やっぱり“海入り”をしたい。海入り無しでは祭りにならない。

東町の責任者「アラートも下がって、(祭りに)参加してくれる人も増えると思う。『海に行くな』というルールを作る必要がない」

中村町の責任者「なんでそれを、今言うんかな。9月30日の会議で『海には出ない』と決まった」

担ぎ手が10人しかいない野口さんも、諦めきれません。

野口さん「(海に)入りたきゃ入ればいいじゃん。入って(ちょうさを)落としたら、自分たちの地区がかっこ悪いだけ。行けるんだったら行けばいい」

中村町の責任者「そうなると、もともとの話がズレてくる。今でこそ人が多いんで行けるかもって言っているけど」

野口さん「入れんところは入らん。人数が足らんから上がらん。浜に行けん」

結局、問題は人手不足です。

でも、実は町に若い男性はもっといるんです。「サテライトオフィス」で働く、都会の人たちです。町の古民家を改装したサテライトオフィスは、コロナ禍で注目された働き方です。大都市の本社から離れ、テレワークで業務に当ります。

徳島県はネット環境を整え、その誘致にいち早く乗り出しました。美波町には、県内最多の28社がサテライトオフィスを構えます。業務はITやコンサルティング関係が多く、地元との関わりはあまりありません。

このサテライトオフィスの人々を、祭りに引っ張り込めないか。そこで頼りになるのが、地元出身の吉田基晴さんです。

吉田基晴さん「物心ついたときから祭りに関わって、祭りの太鼓のリズムが自分の中に刻まれています。未来に残していきたい」

もともと東京でIT企業を経営していた吉田さんは、ふるさと・美波町にサテライトオフィスを作りました。「都会の人を祭りに引き込むのは自分の役割だ」と、他のサテライトオフィスにも参加を呼びかけています。

吉田さん「今回はコロナ下での祭りの再開。自粛ムードもあるかもしれないですし、祭りの担い手がどれだけ集まるのか・・・」

昔は地元の若い男性だけで、担ぎ手をまかなえました。でも今は、そこにとらわれていると、話は前に進みません。

野口さん「市立高校の女の子がいるじゃないですか。『お祭りで担いで』と言ったら、オッケーになりますか?」

「(女性が)担いでいいんですか?」

「女性が担ぐことは、八幡神社に先に言うとかんでええの?」

思いもよらないアイデアでした。

生駒佳也さん「あの発言はすごいことですよ。200年以上なかったこと」

屋台を担ぐのは男だけ。それが、祭りの伝統でした。

生駒さん「(伝統にない女性の参加を認めるか)全国の神社や寺が抱える悩み。徐々に変わっていくのが伝統だと思うんですけれど、それをコロナが後押しした。一気に加速した」

230年続く歴史は、変わることになるのでしょうか。  

2022年10月8日。いよいよ3年ぶりの「日和佐ちょうさ」が始まりました。初日は、ちょうさがにぎやかに町を練り歩き、家々の厄を落とします。

女性の担ぎ手はというと・・・神社との話し合いの結果、今回は見送りになったそうです。でも別の役割で、初めての女性参加が実現しました。

東町の責任者「島凛夏ちゃんに、(拍子木を)たたいてもらおうと思っています」

拍子木をたたいてリズムを統率するのは、これまでは男性の役割でした。その大役に、女性で初めて島さんが挑みます。

島 凜夏さん「すごいプレッシャーです。(女性の)第1号が私でいいのか」

新しい祭りのカタチです。

島さん「初めてだったんで前半は楽しめんかったけど、後半は楽しめた。初めてにしては、できた方なんじゃないかな。明日めいっぱい楽しんで、来年に生かせることがあったら」

女性が、祭りの風景を変えるのでしょうか。

2日目、いよいよ本祭りです。

ちょうさの担ぎ手が10人しかいなかった本町の野口さん。50人を集めて、伝統の“海入り”はできるのでしょうか。

サテライトオフィスの人たちが、ちょうさの組み立てから手伝っていました。東京のオフィスからわざわざ駆けつけた人もいました。

武下雄一さん(東京在住)「あまり戦力になっていない気がするんですけれど、教えてくださる方も優しくて、とてもありがたいです」

駆けつけたサテライトオフィス関連の人は、全体で30人以上になりました。

天気はあいにくの雨と風。でもなんとか、野口さんは担ぎ手50人をクリアしました。念願の海入りができます。

野口さん「行くぞー!」

サテライトオフィスだけではなく、声をかけた近隣の高校や大学、自治体から、たくさんの助っ人が駆けつけました。地元の男性ばかりだった祭りが、多様な人材が集う祭りに変わっています。

ちょうさが、海に向かいます。

さまざまな色の法被(はっぴ)をまとった人たちが担ぐ「ちょうさ」。波にあらわれても、ゆるぎません。外の人と住民が、力を合わせて支えています。この祭りを見て「新しい担い手は、探せば実はたくさんいる」と知りました。多様性と、それを受け入れる柔軟な心こそが、地域の力になるんですね。

野口さん「手探りの状況でやったにしては、最高の祭りができた。伝統と革新を両立させて、いい祭りに発展させていけたらと思います」

<800年の歴史×インバウンド×女性 「高千穂の夜神楽」>

宮崎県北部、九州山地の真ん中にある高千穂町です。「天から神々が降り立った地」と伝えられる、神話の里です。ここで800年続く高千穂の夜神楽は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。夜通し舞って五穀豊穣(じょう)を祈願する祭りです。観光客向けの舞台もありましたが、コロナ禍でお客さんは激減し、続けられなくなりました。

藤崎康隆さん「赤字になるんです・・・お祭りをすれば。それで神楽が途絶えていっているんです」

それを救ったのが、高千穂の夜神楽に加わった初めての女性、日髙葵さんです。

日髙葵さん「初めて(夜神楽を)夜通し見たときに衝撃を受けました。『こんなにすごい祭りが日本に残っているんだ』と感銘を受けて、絶対に次世代に残さないといけないと思いました」

日髙さんは国際派。ラオスで働いたあと、宮崎市でインバウンド観光に携わっていました。そして、3年前に高千穂にやってきました。最初の大仕事が「夜神楽オンライン中継」。コロナ下でも舞台を続けるために、配信を提案しました。初穂料(参観費)は一人5400円でしたが、即完売。これには地元の人もびっくりしたそうです。

そして、世界に向けた取り組みを本格スタートしました。

日髙さん「『インバウンド』を切り口にして、地元の方のつながりや農業のシステムを、ディープな形でツアーに組み込んでいきたい」

「インバウンド」と聞いて、「またか」とお思いですか?でもこのツアーには、一味も二味も違う“新しさ”があると言うんです。北米からきた観光客が参加する「夜神楽体験ツアー」を見てみましょう。

日髙さん「これから民家で行われる夜神楽を見に行きます。八百万(やおよろず)の神と地元の人々が集うオールナイトフェスティバルを楽しみましょう」

ツアーの特色を簡単に言うと、“ストーリー性”です。神様と交流する神楽の世界観を体験します。和紙で作ったお手製のちょうちんを手に、あえてほの暗い道を歩き、神秘の世界へいざないます。

神楽の前に、食膳を囲みます。地元の食材を使った郷土料理です。

おもしろいのが「かっぽ酒」です。青竹の筒からお酒を注ぐと、「カポカポカポカポ・・・」と音が響きます。

いよいよ夜神楽の始まりです。でも、その前に・・・

日髙さん「楽しんでもらうために、神楽のストーリーを書いておきました」

神様が大活躍する物語を、頭に入れてもらいます。

さらに、

日髙「電気を全部落とします。100年前(の夜神楽には)電気がないので」

和ろうそくの薄明りの中、神話の世界が広がります。 

神々の物語に没入して、深い感動を味わってもらいます。

ゲスト「圧倒されました。なんて特別な経験なんでしょう」

ゲスト「感動して涙が出てきました」

ゲスト「愛情たっぷりのローカルフードを楽しんだり、みなさんとお話しできたり、すごい体験です」

ゲスト「期待していた以上の旅です。全て美しいわ。日本は初めてですけれど、最高ですね!」

藤崎さん「『昔から伝わる文化を安売りしてはダメですよ』と言われたんです。日髙さんがそれを気づかせてくれた。目からうろこですね」

日髙さん、次は棚田での農業体験や座禅体験など、高千穂の文化や暮らしの物語を、ツアーにする予定なんだそうです。

考えてみれば、祭りは“よそ者”が集まりますよね。知恵あるよそ者を大事にすれば、地域の新しい宝物が見つかるかもしれません。

<最後の祭り×メタバース 「古志の火まつり」>

復活する祭りを見てきた今回の旅。最後は、実は今年で終わる祭りです。でも、ただでは終わりません。その祭りを、「インターネット上の仮想空間『メタバース』の中に残す」という、突拍子もないことをやろうとしているんです。

3月ですが、2メートルの雪。ここはかつて、山古志村と呼ばれていました。斜面には美しい棚田が広がり、泳ぐ宝石・錦鯉(にしきごい)や牛の角突きが有名な地です。ところが19年前、新潟県中越地震が村を襲い、全村避難。その後、人口は回復せず、合併で山古志村はなくなりました。人口は、地震前の約2100から約800にまで減り、そしてその半分は高齢者という「限界集落」です。

最後を迎えたのは、地域の誇りだった「古志の火まつり」です。巨大な「さいの神」に火を入れるのがクライマックスです。

高さ日本一とも言われる さいの神は、直径10m高さ25m。茅葺(かやぶき)の建造物です。芯柱の杉も、さいの神をすっぽり覆う茅(かや)も、住民が自分たちで集めて組み上げます。

中に、家に飾っていた熊手やダルマ、お札を入れてたき上げます。

スケールの大きい祭り、手間も人手もかけて続けてきたのですが、限界になりました。

この火祭りを、「メタバース」に残します。

中心となるのは、竹内春華さん。中越地震のあと、被災者の生活支援相談員として山古志にやってきた、という方です。

メタバース上のさいの神は、本物をスキャンして作りました。メタバースには、“アバター”という自分の分身を使って入ります。インターネット上で完全再現しようということなんです。

実は、竹内さんのチームは「仮想山古志村プロジェクト」という取り組みを、2021年から始めていました。最初がこちらの「NFT」(下画像)。高度な技術で価値が保障された「デジタルアート」です。特産の錦鯉(にしきごい)をいろいろなアートに変え、売り出しました。

買ってくれた人は、デジタル上の“村民”に登録されます。売り上げの3割は、デジタル村民と住民が話し合って、地域の活性化に使われます。

こうして始まったのが、棚田や牛の角突きなど、大事な風景をメタバースに残すプロジェクトです。日本だけではなく海外からも支持され、デジタル村民が増えています。

竹内春華さん「デジタル村民と呼ばせていただいている『山古志を応援したい』という方が、いま1080人いらっしゃって、数字上は、実際の人口800人を超えているんです」

その延長線上に「最後の火まつりをメタバースに」があるわけですが、竹内さんにはさらに夢があります。

竹内さん「デジタル村民の力を集結して、(いつかリアルでの火まつりを)復活させたい」

そこで、「山古志に来て、古志の火まつりをまぶたに焼き付けてほしい」と、デジタル村民に呼びかけました。

竹内さん「リアルで最後の祭りに来ていただくと、終わるんだけれど、また新たに始まるというのが伝わるかなと思う」

こちらは、メタバース「火まつり」制作の中心、こーじぃさんです。「デジタル村民も、最後の火まつりに実際に足を運んでほしい」という竹内さんの呼びかけは、響きませんでした。

こーじぃさん「山古志に行くのは、シンプルに大変。同じ新潟に住んでいるけれど、めっちゃ遠いなって思うので、県外の人ならなおさらそれは思うと思います」

デジタル空間には、移動の面倒もありません。現地に行かなくても、メタバースで十分祭りを味わえます。

こーじぃさん「今回は、メタバースの作業があるので、(現地には行かなくて)いいかな」

こーじぃさんには、メタバース上で、さいの神に火をつける大役がありました。

古志の火まつりは、最後とあって過去最多、全国から3000人もの人が足を運びました。

さいの神への点火には、山古志出身の青年6人が、名乗りをあげました。たいまつを手に、火まつりに別れを告げます。

青年「私は山古志が大好きです。錦鯉(にしきごい)を愛し、闘牛を愛し、これからも山古志を愛して生きていきます。ありがとう!古志の火まつり」

そして、意外な若者が会場にやってきました。デジタル空間で十分だ、と考えていたはずのこーじぃさんです。

こーじぃさん「家でメタバースのさいの神に点火するつもりだったんですけれど、急きょ来ちゃいました。車で2時間かけて。さいの神を制作していくことで、いろいろ調べたりもして、どんどん愛着が湧いてきて。古志の火まつりをリアルで見ないともったいないと思って」

いよいよクライマックスです。

青年「点火、おう!」

観客「おーーー」「熱い熱い。すごい熱気」「さいの神が燃えていく」

こーじぃさんも、デジタルさいの神に火をつけます。

こーじぃさん「(リアルのさいの神は)そんなに早く燃える?すごい。生じゃないと、匂いやビジュアルを感じられない」

さいの神はあっという間に燃え尽き、祭りは終わりました。

こーじぃさんは、燃えるさいの神が竜になって復活する姿を、メタバースに残しました。

デジタルには人間味がないという人もいます。でも、祭りもデジタルも「人のつながりを作る」という点では同じ。そう思いました。

「デジタル村民と住民が協力して、いつか祭りを復活させたい」。そんな話も盛り上がっていました。

@yagiさん「(さいの神を作るには)秋に茅(かや)を刈って置いておくんです。それを刈る人が高齢化でいなくなっている。例えば今年の11月に3連休があるので、デジタル村民のみなさんを中心に集まってもらって、茅(かや)を刈っておけば、また祭りができるんじゃないかと思っています」

デジタル空間の住民、若者、よそから来た知恵者。地域には味方がたくさんいる。そうした味方とつながれば、祭りだけじゃなく、地域そのものが変わっていく。そんな胎動が、日本各地に生まれ始めていました。