ウクライナ大統領府 軍事侵攻・緊迫の72時間

NHK
2023年3月30日 午後0:45 公開

(2023年2月26日の放送内容を基にしています)

ゼレンスキー大統領「私たちはここにいます。私たちの軍隊もここにいます。市民もここにいます。みんながわが国の独立を守っています。これからもそうあり続けます」

この歴史的瞬間に、大統領を囲んでいた側近たち。陥落の危機にあった72時間に何があったのか、舞台裏を語りました。

世界に混乱と分断を引き起こしたこの戦争。その原点となった72時間に迫ります。

軍事侵攻が始まったときのゼレンスキー大統領。その様子を間近で見ていた、オレーナ・ゼレンスカ大統領夫人。

オレーナ・ゼレンスカ/ウクライナ大統領夫人「聞き慣れない音で目が覚めました。朝5時です。夫の姿が見えなかったので隣の部屋に行くと、彼は『始まった』と言いました。彼はこの上なく落ち着き、そしてこの上なく緊張していました。彼がスーツを着ているのを見たのは、それが最後でした」

2022年2月24日未明。

100発以上のミサイルが、ウクライナ各地に撃ち込まれ、地上からは最大で19万とも言われる部隊が、ウクライナへの侵攻を始めました。

ウラジミール・プーチン/ロシア大統領「私は特別軍事作戦を開始することを決めました。その目標は、キーウ政権によって8年間、大量虐殺にさらされてきた人々を保護することです」

プーチン大統領の作戦開始の宣言から25分後。ウクライナの政権幹部が、大統領府に駆けつけました。

ゼレンスキー大統領の右腕、イエルマク長官。アメリカのCIA=中央情報局から、「侵攻開始は時間の問題」と聞いていましたが、この日だという確証はありませんでした。

アンドリー・イエルマク/大統領府長官「大統領からの連絡を受け、5時15分に執務室に行くと、大統領はもういました。私が2番目。その後、首相、軍幹部、閣僚、議長などが入ってきました」

作戦開始宣言から2時間後、ゼレンスキー大統領は国民に平静を呼びかけました。

ボロディミル・ゼレンスキー/ウクライナ大統領「プーチン大統領は“特別軍事作戦”を宣言しました。不安にならず、家にいてください。ウクライナの軍や治安機関、防衛部門全体は機能しています」

<“あり得ない”ベラルーシからの侵攻>

しかし、この時、想定外の事態に直面していました。およそ1000キロもの国境を接する、隣国ベラルーシからの攻撃でした。

実は侵攻の2日前、レズニコフ国防相はベラルーシのフレニン国防相と電話で話をしていました。

オレクシー・レズニコフ/国防相「ベラルーシ共和国の国防相は、『ベラルーシ側から、ウクライナを脅かすものは何もない』と私に誓っただけでなく、『軍人として約束する』と言いました。『ベラルーシ側からの侵略はありえない』と」

脅威と感じていた動きがありました。2月10日から、ロシアとベラルーシの合同軍事演習が、ウクライナの国境近くで行われていたのです。当初10日間の予定が、その期間を過ぎても撤収の動きはありませんでした。

しかし、ベラルーシの国防相からの確約もあったため、ウクライナ軍は主力部隊を、東部や南部に送っていたのです。

オレクシー・レズニコフ/国防相「ウクライナ軍の司令部が考えていた最大の脅威は、東部からの侵攻でした。それは論理的な予測でした。ベラルーシからの脅威は、われわれの部隊を東部に移動させないための、あくまでも揺さぶりだろうと」

ベラルーシ国境からキーウの大統領府までは、直線距離で90キロ。突如、キーウは、陥落の危機に直面したのです。

プーチン大統領が侵攻開始を宣言してから2時間15分、キーウに最初の空襲警報が鳴り響きました。

オレクシー・レズニコフ/国防相「72時間でロシアはキーウを占領できると考えていました。彼らは侵攻開始12時間以内に、大統領府周辺を制圧するよう指示されていました。まさにいま、私たちがいるこの場所です」

<首都陥落の危機>

「ほら見てくれ、もう数え切れないくらい」「ウクライナの国章がついていない!ロシア軍に間違いない!」

侵攻開始からおよそ6時間後、ベラルーシから、およそ40機のロシア軍のヘリコプターが奇襲攻撃をかけてきました。

大統領府からおよそ30キロ、首都防衛の重要拠点、アントノフ空港。ここを奪われれば、空から部隊を次々と送り込まれ、キーウの防衛は絶望的になります。

オレクシー・レズニコフ/国防相「彼らは飛行場を制圧し、強力な拠点を築こうとしていました。そこにロシア軍は次々と増援部隊を送り込むのです」

不意を突かれたウクライナ軍。この時、空港を守っていたのは、経験の浅い兵士ばかりでした。

アントノフ空港の防衛部隊/司令官「2月24日の時点でウクライナ軍の大半は東部に入っていました。私の部隊は主に徴集兵から成っていました。あっという間の出来事でした。経験のない兵士ばかりで、自分たちの任務をよく理解できていませんでした。部下に『なぜ撃たない?』と聞くと、『弾薬を使い果たしました』と」

一方、空港を奇襲したのはロシア軍の精鋭、空てい部隊でした。彼らは空港の構造を把握していて、真っ先に管制塔を占拠しました。侵攻開始から、11時間後。アメリカのテレビ局の取材班が到着。このときすでに、アントノフ空港はロシア軍の支配下に置かれていました。

CNN中継「アントノフ空港に着きました。ここにいるのは、ロシア軍の空てい部隊です。ロシア軍が空港を占拠しています!」

その後アントノフ空港は、ロシア軍が35日間にわたって支配しました。

<チョルノービリの悪夢>

同じ頃、想定外の場所に攻撃を受け、シュミハリ首相は緊急の記者会見を行いました。

デニス・シュミハリ/首相「チョルノービリ原子力発電所が、ロシア軍に占拠されました」

37年前に爆発事故を起こし、大惨事となったチョルノービリ原発。いまも放射性物質の飛散を防ぐため、周囲を鋼鉄製のシェルターで覆われ、厳重な管理下に置かれています。

チョルノービリ原発にも、重武装したロシア兵、およそ550人が攻め込んできました。このとき、大統領府で報告を受けた、ポドリャク顧問。

ミハイロ・ポドリャク/大統領府顧問「この施設は危険なのです。ウクライナだけでなく、東ヨーロッパ全体の危機なのです。この時点で明らかだったのは、ロシア軍には失礼ですが、完全に異常な集団だということです」

アンドリー・イエルマク/大統領府長官「本当に不穏な空気でした。すぐにバイデン米大統領、ジョンソン英首相、ミシェルEU大統領など、世界の指導者たちと電話で話しました。大変な夜でした」

チョルノービリ原発の安全管理の責任者は、ロシア軍は「原発をテロから守るために来た」と、占拠を正当化したといいます。

チョルノービリ原発/安全管理責任者「彼らは『ウクライナの過激派が、テロ行為を行う可能性があるため、原発を警備下に置くよう命令を受けた』と言いました。私はロシア兵に『自分たちこそ、核テロを行っている認識はあるか』と尋ねると、ロシア兵はただニヤニヤしていました」

ロシア兵は、原発の周辺に塹壕(ざんごう)を掘り始めました。そこは「赤い森」と呼ばれるエリア。今も放射性物質に汚染されています。

チョルノービリ原発/安全管理責任者「赤い森に掘った塹壕の数から見て、守りを固めたかったのでしょう。彼らは塹壕を掘って、汚染された服を着たまま、食べて飲んで寝ていたわけです。分かりますか?高レベルの放射線量です」

そして、突然、使用済み核燃料を冷やすのに必要な送電線を切断し始めたのです。チョルノービリ原発は、放射能漏れの危機に直面しました。

職員たちは、このままではヨーロッパだけではなく、ロシアにも“死の灰”が降りかかると、ロシア兵を必死に説得。電源を復旧させ、最悪の事態を防いだのです。

ミハイロ・ポドリャク/大統領府顧問「原発でのロシア兵たちのふるまいは、この施設が何であるかさえ理解していないものでした」

ロシア軍は、36日間占拠した後、パソコンなど、めぼしいものを奪って去っていきました。

<武器を求めるウクライナ、そして、ロシアを刺激したくない欧米>

侵攻が始まってから12時間40分。

ゼレンスキー大統領は、初めてカーキ色のTシャツを着て現れました。そして、国際社会に対する憤りを露わにしました。

ゼレンスキー大統領「ヨーロッパ、そして自由世界の指導者のみなさん。いま私たちを強力に支援してくれなければ、明日、戦争があなたのドアをノックすることになるでしょう」

9年前(2014年)、ロシアはウクライナの領土の一部である、クリミア半島を一方的に併合。脅威に直面したウクライナは、アメリカやヨーロッパの国々に軍事面での支援を繰り返し求めてきました。しかし、いつも大きな壁が立ちはだかりました。

オレクシー・レズニコフ/国防相「私はワシントンで、携帯型の地対空ミサイルの提供を依頼しました。返事は『不可能』でした。欧米は『武器供与はロシアを刺激し、侵攻を招く』と」

軍事侵攻が始まっても、その姿勢は変わらなかったといいます。

ミハイロ・ポドリャク/大統領府顧問「欧米のパートナーは、3日か4日で、私たちがいなくなると考えていました。『同情し、涙します。でも、とりあえず見守ります、待ちます』と。すでに私たちが攻撃を受けている時点でも、欧米のパートナーたちの態度が大きく変わることはありませんでした。『ロシアが怖いので、ウクライナを諦めた』と言っているのに等しいのです」

侵攻初日、ロシアは、戦略的に重要な拠点を次々と攻略し、首都キーウに迫っていました。

<大統領府 地下壕の決断>

侵攻開始から29時間、キーウにロシアの戦闘車両が入ってきました。大統領府から9キロ、キーウの北部の住宅地に、ベラルーシから侵入してきた部隊が到達したのです。

<暗殺計画>

ゼレンスキー大統領の命も狙われていました。ロシアによる暗殺計画が進行していたのです。

ゼレンスキー大統領「私たちが持っている情報によれば、敵は私を第1の標的、私の家族を第2の標的に指定しました。国の指導者を排除することで、ウクライナ国家を破壊しようとしています」

オレクシー・ダニロフ/国家安全保障・国防会議書記「これがレッドフォルダーで『極秘』と書かれています。1日に2回、朝と夜に起きたすべての出来事が記録され、私の机に置かれます」

暗殺の危機を察知したのは、侵攻2日前のことだったといいます。

オレクシー・ダニロフ/国家安全保障・国防会議書記「2月22日、レッドフォルダーが届いたとき、私はすぐにゼレンスキー大統領に電話しました。『あなたの命が狙われています』と」

24日に軍事侵攻が始まると、キーウ市内に潜伏していたロシアの工作員たちが、一斉に蜂起しました。

撮影していた住民「見てくれ、屋上で誰かが何か描いているぞ」

無数に出現した印。工作員が攻撃目標を示したものとみられています。

オレクシー・ダニロフ/国家安全保障・国防会議書記「さまざまな印がありました。身近にいる人の誰が工作員かわからないのです。常に緊張状態にありました」

大統領暗殺の試みは、わかっているだけでも13回あったといいます。

ミハイロ・ポドリャク/大統領府顧問「キーウには大勢の工作員が潜伏していて、ウクライナ保安庁の特殊部隊などは、大統領府周辺での破壊工作を制圧するのに必死でした。自動車に爆弾が仕掛けられ、破壊工作が行われていました」

オレクシー・アレストビッチ/大統領府顧問(当時)「大統領府につながる地下通路に、工作員が入るという情報もありました。私たちは常に大統領府で攻撃の恐怖にさらされていました」

ゼレンスキー大統領は、政権の幹部やスタッフら、およそ100人とともに大統領府の地下壕に避難することになりました。

オレクシー・アレストビッチ/大統領府顧問(当時)「大統領が死んだら、士気の背骨が折れることは明らかでした。彼個人への同情だけでなく、国の士気に大きなダメージを与えます。銃や防弾チョッキ、弾薬などが配られました。最悪の場合、大統領府の全員が、殺されると考えていました」

オレクシー・レズニコフ/国防相「機関銃やヘルメット、防弾チョッキを手元に置いて寝るのが日常になりました」

<地下壕での決断>

迫り来るロシア軍の恐怖。この2日間で、10万を超える市民が国外への脱出を試みました。混乱の中、ゼレンスキー大統領はすでに国外に逃げた、という噂も広がっていました。

侵攻開始から32時間後、レズニコフ国防相の電話が鳴りました。相手は再び、ベラルーシのフレニン国防相だったといいます。

オレクシー・レズニコフ/国防相「フレニン国防相は私に、『自分は仲介役であって、自分の考えではない』と前置きして、ロシアのショイグ国防相に代わって伝えてきたのです。『抵抗しても、誰の利益にもならない』『ウクライナが降伏文書に署名さえすれば、ロシアの侵攻を止めることができる』と」

イエルマク長官には、ロシアのコザク大統領府副長官から、降伏を促す電話があったといいます。

アンドリー・イエルマク/大統領府長官「彼は『必要なことがひとつある』と言いました。『それは降伏することだ』と。私は丁重に断り、われわれのやりとりは終わりました」

さらに、プーチン大統領が揺さぶりをかけてきました。ゼレンスキー政権が抵抗しているから、市民に犠牲が出ているとして、ウクライナ軍に「クーデターを起こせ」と呼びかけたのです。

プーチン大統領「私はウクライナの軍人に訴えます。ネオナチにあなたの子供や妻、そして高齢者を人間の盾として使わせないでください。あなた自身の手で権力を掌握してください。あなた方と合意する方が簡単だと思われます。キーウに居座り、ウクライナの人びとを人質にする麻薬中毒者でネオナチのならず者よりも」

一方、欧米諸国は、「ゼレンスキー大統領は、キーウから脱出すべきだ」と、提案してきたといいます。この時、ゼレンスキー大統領と共に地下壕に避難していた、与党幹部のアラハミア氏です。

ダビド・アラハミア/与党「国民の奉仕者」幹部「欧米のパートナーたちは『ここにヘリコプターがあります、さあどうぞ』と、とても積極的でした。30分おきに『街は包囲されている、すぐに脱出すべきだ』というのです。欧米は亡命政府を準備していました。ロシア人に国を乗っ取られたら、私たちは西部リビウかポーランドに行き、そこで『侵略に反対、非難する』と言うことになるはずでした」

ダーシャ・ザリブナ/大統領府報道官「いろんな人がここに来て『諦めよう、その方がいい』と言ってきました。それは欧米のパートナーだけではありませんでした。さまざまな人がいろいろな話をしましたが、本質は同じで『諦めろ』でした」

オレクシー・アレストビッチ/大統領府顧問(当時)「私は脱出を提案したひとりです。このまま死んでしまうか、国の象徴であり総司令官として、別の場所から防衛を指揮し続けるか、どちらかでした」

抵抗をやめ、ロシアの支配を受け入れるのか。それとも、市民の犠牲を伴う、抵抗の道を選ぶのか。ゼレンスキー大統領は、地下壕に避難していた100人全員を呼び集めました。

ダビド・アラハミア/与党「国民の奉仕者」幹部「大統領は次のように述べました。『20~30人だけ残します。そうすれば60~70日間は食料がもつでしょう』『ここに長く籠城できることになるのです』と。『国民にメッセージを伝え続けられるよう、衛星回線を手配してほしい』と頼んだのです」

そして、ゼレンスキー大統領は側近たちにも、「ここに残るかどうか、自分で決断してほしい」と、迫りました。

ダビド・アラハミア/与党「国民の奉仕者」幹部「正直なところ、『私はちょっと時間が欲しい』と言いました。『自分だけでは決められない』と。妻に電話をして、『こんな状況なんだけど、ここを離れるつもりはない』と言いました」

オレクシー・アレストビッチ/大統領府顧問(当時)「私はプロの軍人です。私はもう終わりなんだと思っていました。われわれは勝てないと」

軍事侵攻開始の宣言から37時間あまり。ゼレンスキー大統領は4人の側近とともに、地下壕を出ました。「自分たちは逃げない、ロシアには屈しない」という決意を、世界に示すことにしたのです。

オレクシー・アレストビッチ/大統領府顧問(当時)「機銃掃射の煙がまだ空に見えていました。警護の担当者は慌てましたが、それでも彼らは出て行き、撮影したのです」

ゼレンスキー大統領「与党幹部、大統領府長官、首相、大統領府顧問、大統領もここにいます。私たちはここにいます。私たちの軍隊もここにいます。市民もここにいます。みんながわが国の独立を守っています。これからもずっとそうあり続けます。ウクライナを守る人たちに栄光あれ。ウクライナに栄光あれ」

ウクライナにとって、大きな転機となったこの決断。国際社会の向き合い方も問われていくことになります。

<ロシア軍の侵攻速度低下>

侵攻開始から3日目、ロシア軍は降伏しないウクライナを力でねじ伏せようと攻撃を激化させ、ウクライナ各地の町や村は、次々と制圧されていきました。

ところが、侵攻開始から57時間、ロシア軍の異変を伝える一報が飛び込んできました。

アメリカABC放送「ロシア軍は現在多くの場所で前進していますが、非常に強力なウクライナの防衛によって減速しています」

ロシア軍の侵攻の速度が、著しく低下しているというのです。その理由のひとつに、ウクライナ軍が秘密裏に進めていた作戦がありました。

侵攻初日のロシア軍のミサイル攻撃。ウクライナの防空システムを破壊し、制空権を奪うことを最優先に考えていました。

しかし、1か月ほど前から、ウクライナ軍は、戦闘機や防空ミサイルなどの兵器を、通常の配備地点から移動させていました。防衛に不可欠な兵器を守り抜いたウクライナ軍は、反撃に転じることができました。

オレクシー・ダニロフ/国家安全保障・国防会議書記「最初の頃、敵は狂ったようにミサイル攻撃を行い、彼らはとどめを刺せたと信じていました。しかし、敵は重要ではない場所にミサイルを発射していただけなのです」

オレクシー・レズニコフ/国防相「私たちは、さまざまな場所で戦略的に演習を行っていました。わが軍の部隊はウクライナ各地を常に移動していたので、攻撃を受けずに済みました」

ダビド・アラハミア/与党「国民の奉仕者」幹部「1か月の間に、情報を漏らさないように非常に限られたグループで作業し、私たちの武器・弾薬を分散させました。そのおかげで助かったのです。振り返ってみると、最も賢明な判断だったかもしれません」

<ロシアの誤算、甘かった想定>

世界第2位の軍事力を持つとされる、ロシアの誤算。

数日でキーウを占領、親ロシア派の政権を樹立し、夏ごろまでにウクライナを併合する計画だったとみられています。

しかし、精鋭部隊をのぞく兵士の多くは、戦う理由を十分に理解しておらず、士気が低いこともわかってきています。

(ウクライナ保安庁が傍受したロシア兵と妻の通話より)

兵士「なんで俺らがここ(ウクライナ)にいるのか意味がわからない。上官たちは頭が空っぽで、何もわかってない」

妻「彼らは何て言ったの?」

兵士「何も。何も教えてくれない。何にも。悪夢だ」

さらに、ウクライナ人が抵抗することはほとんどなく、むしろ、「花束を持って、出迎えるだろう」と、楽観視していたといいます。

オレクシー・レズニコフ/国防相「次のような報告がロシア大統領府に上がっていたことをつかんでいます。2014年のクリミア併合のときと同じように、ウクライナ人の30%が街頭で花束を持ってロシア人を出迎え、60%はこの侵略に無関心で、どんな政府でも受け入れる。そして、ロシアに抵抗するのは10%だけだと」

勝利を祝うパレードの準備をして来たロシアの部隊もありました。

オレクシー・アレストビッチ/大統領府顧問(当時)「パレード用の軍服を着て遠足気分だったようです、こいつらは。侵攻直前、レストランに予約の電話をかけていたのです。店員に名前を聞かれ、『ウリヤノフスクの第31旅団です』と返事をしているのです」

そのロシア兵が侵攻直前に予約したというウクライナの伝統料理のレストラン。予約を受けた店員は、当時の会話をよく覚えていました。

予約を受けた店員「電話をかけてきたのはこの番号です。+7はロシアの番号です。予約は200人でした」

予約を受けた店員「予約している時点で、ロシア兵であることはわかっていました。武器や戦車を置く場所をどうするか、など話していたからです。彼は『ルーブル、ロシアのお金で払えるか?』と聞いてきました。私は『No』と答えると、彼は 『そうか、でもすぐにルーブルを使うことになるだろう』と言いました。冗談かと思いました」

<市民の抵抗に怯むロシア軍>

ウクライナ市民の激しい抵抗は、ロシアにとっては想定外のことでした。

「男の人が戦車の上に登っている。ロシア兵にやめてくれとお願いしている」(SNS動画より)

歓迎されるとすら思っていたロシア兵は戸惑いました。

「何しに来た。ここから立ち去れ。私に銃を向けてみなさい」「私たちの国から出ていきなさい」「帰れ、帰れ」「ここはウクライナだ」(SNS動画より)

市民「いったい何をやっている?」

ロシア兵「議論するつもりはありません」

市民「あなたは侵略者だ、ファシストだ。私たちの土地で銃をもって何をしているの?このひまわりの種をポケットに入れなさい。あなたが死んだら、せめて花が咲くように」(SNS動画より)

ダビド・アラハミア/与党「国民の奉仕者」幹部「ロシア人は、私たちの社会の仕組みを理解していません。彼らはウクライナをロシアの一部だと思い込んでいるのです。私たちがなぜ戦っているのか、何のために戦っているのかを分かっていないのです」

ミハイロ・ポドリャク/大統領府顧問「侵攻当初、こうした多くの人たちがいなければ、ウクライナは決して立ちゆかなかったでしょう。職業や立場に関係なく、自ら行動する人々が現れたことで、ウクライナは抵抗できる、というわずかな希望は確信に変わりました」

アンドリー・イエルマク/大統領府長官「私たちは身を守り、勝つために全力を尽くすことができる。それを世界に示せたときに、私たちは武器の支援を受け始めたのです」

侵攻開始から3日目、欧米各国は、ウクライナへの軍事支援を相次いで表明しました。

<2月27日 長く厳しい戦いの始まり>

軍事侵攻開始から、72時間が経過しました。

ゼレンスキー大統領「ウクライナ人は、自分たちの国を守るために立ち上がりました。私たちの生命と自由、未来の世代のための戦いほど、大切なものはないのです。そして、私たちを助けてくれる人たちがいます。これはもう現実なのです。ウクライナの皆さん、私たちは何を守っているのか、はっきりと分かっています。私たちは必ず勝利します。兵士のひとりひとりに栄光あれ。ウクライナに栄光あれ」

72時間、ロシアに屈しなかった、ウクライナ。しかしそれは、長く厳しい戦いの始まりでもありました。

侵攻開始から1年。毎日 数多くの命が失われている。

この戦いはいつまで続くのか。

どう終わらせるのか。