(2023年2月18日の放送内容を基にしています)
ウクライナ政府のウェブサイト「CHILDREN OF WAR」。そのカウンターは日々数字を刻み続けている。死亡した子どもは461人。行方不明になった子ども344人。そして1万6千人以上の子どもが家を失い、故郷を離れた(2月16日時点)。戦争の最大の犠牲者は子どもである。これからの人生そして国の未来をも奪う。
私たちは、激戦地から逃れてきた子どもが数多く転校してくる、首都キーウのある公立学校にカメラを据えた。長引く戦争は、子どもたちの心に憎しみを植え付けている。戦時下を生きる子どもたちに、どう向き合えばいいのか。教師たちも答えは見つからない。これはキーウのある公立学校の4か月間の記録。戦場だけが戦争ではない。
取材を始めたのは、2022年9月1日。キーウへの攻撃が鳴りを潜め、半年以上閉鎖されていた学校がこの日から再開された。
教師「子どもたちがついに学校に戻ってきました。みんな心待ちにしていました」
ここは6歳から17歳までの子どもが通う、キーウの公立学校。
校長 「1年生の皆さん、このすばらしい学校へようこそ」
校長「全校生徒のおよそ半分の278人が登校しました。そしてウクライナの各地から転校生がやってきました」
転校生イェルセイ君の故郷・ハルキウは、ロシア国境近くの都市だ。戦争開始直後からロシア軍の激しい攻撃を受けた最激戦地だった。
父親「とても大変でした。ハルキウの家から逃げてきたんです。この学校に通って、息子には新しい友達を作ってほしいです」
この学校には、戦地から転校してきた子どもが32人いる。
サーシャ先生「3年生の担任をしています。私のクラスにはハルキウやブチャ、イルピンなど、戦地からの転校生が多いんです。とても怖い思いをしてきたのでしょう。特にイェルセイが心配です。精神的なサポートが難しいのです。新しいことを教えようとしてもうまくいきません。学校で初めて空襲警報を聞いたときは、泣き出してしまいました」
学校再開から1か月後。キーウは、再びロシアからの攻撃にさらされるようになった。
この日、学校から4キロの地点にも着弾。死傷者は20名以上にのぼった。
「みんな急いで」
「シェルターに行かなきゃ」
教師「毛布も準備して、どんな事態にも対処できるようにしています」
教師「ここで子どもたちの安全と命を守るのです」
放課後、イェルセイ君の両親が心配になって迎えに来た。
サーシャ先生「今日はシェルターで昼食を食べました。イェルセイはまた泣き出してしまいました。気持ちがあふれたんだと思います」
父親「ストレスがたまっているんでしょう。弟は平気だけど、イェルセイは敏感だから」
母親「イェルセイはとても繊細な子です。怖くても、男らしく振る舞おうとしているんですけどね」
父親「子どもはスポンジのようなものです。周りにある喜びも憎しみも吸収してしまうのです。息子には暗い気持ちにならないように、ポジティブな感情だけを与えようと心がけてきました。戦争のことを思い出すのは子どもの心によくないですからね」
高学年の子どもも、学校ではほとんど戦争のことを話題にしていなかった。
高学年男子「戦争の話は、ほとんどしませんね。この生活にみんな慣れてきています。冗談を言って、あえて遠ざけている感じかな」
高学年女子「どうでしょう、しないかな。たまにはそういう話もしなきゃって思うけど」
教師たちは子どもたちを戦争から遠ざけるばかりでいいのか、迷い始めていた。
教師「私たち教師もできれば学校で戦争の話をしたくありません。でも、普通の授業だけでよいとも思えません。子どもたちの心を成長させなくてはいけないし、魂に何かを残してあげなくてはいけないから」
今こそ学校が果たすべき役割があるのではないか。子どもたちが心の中に抱えているものを言葉にし、みんなで分かち合う場が作れないか。
教師たちは意を決して、戦争について語り合う授業を始めようとしていた。
サーシャ先生「私のクラスでは戦争で失われる自然をテーマに、授業をしようと思っています。戦場の写真とかは小さい子どもたちにショックが大きすぎるので」
スヴィトラーナ先生「私のクラスには親が戦地に行っている子がいます。彼らは今とてもつらい心境にあります。その気持ちを話してもらえないかと思っています。少し心配ですが」
戦争に巻き込まれているのは、教師も同じである。
サーシャ先生「父は今、戦車部隊として戦っています。心配でノイローゼになりそうです。本当は誰一人、こんなこと経験すべきではないのです」
3年生のクラスを受け持つサーシャ先生の「失われる自然」をテーマにした授業が始まった。
サーシャ先生「今日の授業のテーマはとっても大きな『自然』についてです!『自然』って何のことかわかる?」
子ども「キノコ!」
子ども「動物と木!」
サーシャ先生「そうした自然は今、大きな問題に巻き込まれていますね。どんな問題かわかりますか?」
子ども「火です。今は全部燃えちゃって、とても大変です」
サーシャ先生「なんで燃えているの?」
子ども「戦争だから」
サーシャ先生「みなさんのことについても話しましょう。外国に避難した子もいたよね」
子ども「僕は戦争が始まった次の日の夜中に脱出しました」
子ども「私は犬とハムスターと猫を連れて逃げたわ」
子ども「私はブチャの話がしたい。ブチャにおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいて大変だったの。ミサイルが命中して2人の家は壊されてしまったの。もう1回あの家に行きたかった」
みんなの話を聞いていたイェルセイ君も、手を挙げた。
イェルセイ「ハルキウにいたときミサイルが飛んできて、地下に隠れたんだ。でも僕は吐いてしまったんだ」
サーシャ先生「体が反応しちゃうこともあるよね」
イェルセイ「そのときパパとママは、おばあちゃんの家に行くと言い出したの。家に犬と猫を残していくしかなかったんだ」
サーシャ先生「大変だったわね。自分の命がいちばん大切だからね。みんなありがとう。よく頑張ったね。えらかったよ」
サーシャ先生「こうして話し合うことは大切だと感じました。みんな自分が経験したことを本当は語りたいのです。話すことで、自分だけがこうじゃないんだ、みんな同じ船に乗っているんだとわかるのです。自分には罪はないのだと」
激戦地に住んでいた子どもすべてが逃れたわけではない。そこには、いまだ数多くの子どもたちが取り残されている。親が故郷を離れる決断ができないでいるのだ。電気も水道もない、野宿同然の生活を送っている。避難を勧めるNGOの説得にも、親たちは応じようとしない。
救出活動 NGOスタッフ「キーウに行きましょう」
母親「わかっているけど、行けないわよ」
多くの子どもが、もう1年近く学校に通っていない。
「弟の勉強は、おじいちゃんとおばあちゃんが手伝ってくれています。学校にこんなに行けないと怖くなりますね。勉強しないと字も下手になってしまう」
この日、ひと家族がNGOの説得に応じ避難を決めた。5人の子どもを抱え、もう限界を感じていた。
リリャ「キーウに行きます」
しかし、祖父母はここに残る決断をした。今さら都会のキーウで暮らせないと言う。
NGOスタッフ「子どもたちはあんなところに残っていてはいけない。勉強に向き合えるちゃんとした環境が必要なんです」
リリャ「また学校に行って、工作や勉強をしたいです」
12月。キーウには、連日氷点下となる本格的な冬が訪れていた。
激戦地から避難してきたばかりの少女がいた。
ヴェロニカ「マリウポリからこの学校に来ました。生き延びるためにとにかく必死でした。この現実を受け入れるしかないんです」
転校してきて3か月。ヴェロニカさんはいつも、感情をなくしたかのような無表情だった。故郷・マリウポリは、ロシア軍に包囲され多くの住民が殺された。ヴェロニカさん一家は1か月以上、地下室で身を潜めていたという。
父親「私は、あのアゾフスターリ製鉄所で働いていました。マリウポリはまさに地獄でした。ヴェロニカと妻には、地下室から一歩も出るなと言っていました」
ヴェロニカ「私が覚えているのは凍える寒さと銃声。外はミサイルが飛び交っていたので、様子を見に出たパパが心配で怖かったです」
半年前、命からがら逃げ出してきた。今はキーウの親戚のアパートに身を寄せている。
ヴェロニカ「マリウポリで地下に閉じ込められたときに書き始めた日記です。何が起こったのかを、後世に伝えたいと思い書いたんです」
「『朝、窓から炎が見えて、耳をつんざく音が聞こえ、恐怖にかられた。どうしたらいいのか頭が回らなかった』(3月4日)
『飛行機がミサイルと爆弾を次々と落としてくる。恐怖と不安におびえる日々になってしまった』(3月12日)
『以前よりも安全な地下室に移動した。この街には廃虚と灰しか残らないに違いない』(3月21日)
この続きが、大切なんです。
『感情を捨てよう。感情を捨てて、ネズミのように地下で暮らせばいいんだ』(3月21日)
『だんだん悲しみや怒りを感じなくなってきた。爆撃の音も、もう気にならなくなった』(3月21日)」
ヴェロニカさんが無表情となったのは、自分を守るためだった。
父親「昔の写真をお見せしましょう」
ヴェロニカ「この写真を見ると少し悲しくなるわ。遠い昔に感じる。今となっては悲しい思い出だわ」
父親「『死んだロシア人』というホームページがあります。私は毎晩、寝る前に、そのページを見ないと眠れなくなりました。精神がおかしくなっているのは認めます」
母親「私たちは暴力的になってしまったの。ロシア人が死ぬニュースが流れると、私たちは喜びを感じてしまいます」
12月半ば。ロシア軍の攻撃は、発電所などのインフラ施設に集中し始めた。氷点下の寒さのなか、しばしば電力を絶たれ、学校も追い詰められていた。
サーシャ先生「暗闇を怖がる子どもも多いから、みんな緊張しています。これでは勉強も全くできません」
校長「この生活がいつまで続くのかと落ち込みます。私たちの体力、精神力、道徳心は、あとどれくらい残っているのだろうと」
この日、8年生のクラスでも戦争についての授業が行われていた。
スヴィトラーナ先生「父親が兵士として戦っている人もいますね。この授業で、お父さんたちにメッセージを伝えてみませんか。ナスチャはどうかしら?」
ナスチャ「私はお母さんと一緒にポーランドに避難しました。お父さんはその後、入隊事務所に行きました。でもその前まで・・・」ナスチャさんは涙で言葉につまる。
スヴィトラーナ先生「あなたのお父さんは英雄です。お父さんは絶対帰ってくるから大丈夫。落ち着いて。話せないならそれでいいのよ、ごめんなさいね。みんなあなたのつらさを理解しているわ。みんなもクラスメイトをどう支えるか、一緒に考えましょう」
戦地にいる父親への思いを、文章にしてきた生徒がいた。
イホール「僕の父は軍の司令官です。本当に誇りに思っています。でも父は戦地で重傷を負ってしまいました。なんとか一命を取り留め、今はまた最前線で戦っています。僕たちはロシアの占領者たちと戦う義務があるのです」
イホール君は父親が重傷を負ったことで、ある決意をした。
イホール君の母親「銃弾が背骨に到達していたんです」
イホール「僕は卒業したらウクライナ軍に入ります。悲しみと強い憎しみを感じていますから」
母親「息子はロシアに対する憎しみで頭がいっぱいです。子ども時代を失ってしまったの」
ロシアへの憎しみは低学年の子どもの心にも植え付けられていた。3年生のサーシャ先生の授業でのことだった。
サーシャ先生「今日はゼレンスキー大統領に手紙を書きます」
子ども「プーチンが死にますようにって書いていいですか?」
サーシャ先生「メッセージには悪いことじゃなくて、何かいいことを書きましょうね」
子ども「プーチンが死んだら、ゼレンスキー大統領は喜ぶじゃないですか」
子ども「ロシアにはなくなってもらわなければなりません。だってあいつらは僕たちを、ウクライナを消そうとしているのだから」
校長「学校にいるすべての子どもがロシアを憎んでいるのは事実です。しかし教育に憎悪は必要ありません。憎しみは人格を破壊してしまう感情だからです。それが最大の悩みです」
ヴェロニカさんの10年生のクラスでも、戦争についての授業が行われた。
エレナ先生「テーマはロシアとの戦争です。皆さんには法律家になってもらいます。ヘルソンでは10歳から13歳の子どもたちが、拷問にかけられていました。皆さんはこの罪をどう裁きますか。許すことはできる?」
生徒「絶対に許せません。許したらまた同じことが起こるからです」
ヴェロニカ「決して許してはなりません。ロシア人は私たちに多大な苦痛を与えた殺人者だからです」
エレナ先生「では、あなたたちがロシアの弁護士になったとします。ロシアの味方をしてみてください。加害者の立場に立ってみて」
生徒「そんなこと考えたくもありません。許すことはできません」
エレナ先生「では質問を変えます。ロシアとウクライナは停戦交渉を始めるべきですか?」
生徒「いいえ」
生徒「やつらと交渉なんてしても意味がない」
ヴェロニカ「そうよ、攻撃がやむ保証はないわ。ロシア人の本性を知るべきです」
エレナ先生「でも一つだけ言わせて下さい。遅かれ早かれ、すべての戦争は終わります。百年戦争だって終わったのです。あなたたちはロシアを正当化できないと断言しました。もちろん私も許せません。でも、戦うのは自分たちの土地を守るためです。敵への攻撃が目的になってはいけません。それが人の命に対する責任です。今、私たちに必要なものは何だと思いますか?」
生徒「勇気、思いやり」
生徒「自由を愛する心」
生徒「助け合い、責任感」
エレナ先生「そして私たちは『許す強さ』を手に入れることができるのでしょうか。授業はここまで。またやりましょう」
自分を守るために感情を捨てたと語っていたヴェロニカさん。この授業後、堰(せき)を切ったように怒りの感情をあらわにした。
ヴェロニカ「私は絶対にロシアを許しません。だって私は同級生をたくさん殺され、その死体を見てきたんです。その臭いや音を聞いたことがありますか?見て見ぬふりをしたロシア国民も全員許さない。プーチンなんてもってのほかよ」
エレナ先生「ふだんは全然しゃべらない生徒も、たくさん発言をしてくれました。特にヴェロニカは、他の子よりも過酷な試練に直面してきたぶん、怒りがあふれたのでしょう。今回の授業が少しでも救いになればいいのですが」
ヴェロニカ「今日の授業はロシアとの戦争についてだったわ。生徒が自由に意見をだし合ったのは初めてよ。そこでロシア人を許すことができるか議論したわ」
父親「それはショックな話だな。なぜ彼らを憎んではならないのか。健全な憎悪だ」
ヴェロニカ「先生たちは、私たちがロシアのことで感情的になるとなだめてくるの」
母親「そんなの、理由ははっきりしている。キーウにいた人たちには何も被害がなかったからよ」
父親「言葉で聞くのと、実際の経験とは全く違うものだ。一度でもその臭いを嗅いで自分の目で見たら、その感覚は一生忘れない。言葉なんて無意味だ。こんな話はやめよう」
しかし生徒たちは、戦争をテーマにした授業をこれからも続けてほしいと教師に伝えていた。
エレナ先生「子どもたちは、今は決してロシアを許せません。でも、子どもたちはこの話し合いをもっと続けたいと言いました。子どもたちが現実に向かい発表する。これが今いちばん大切なことです」
スヴィトラーナ先生「私もそう思いますよ。テーマはきついけど、この授業は必要だと思っています。心の中で何かを抱えているときは、それを言葉にしなくてはなりません。今、子どもたちはようやくそれができるようになってきたのです。これは大人にも難しいことなのに、子どもたちはそれをやってのけたのです。とてもとてもつらかったでしょうに」
校長「子どもたちに宿題を出しませんか。冬休み中に絵や作文を書いてもらうのです。自分の考えであったり日記であったり、小説でもいい。戦争の今、自分にできることなどを考えてもらいましょう」
12月23日。明日から1か月の冬休みに入る。あのヴェロニカさんも、この日ばかりは笑顔を見せていた。
サーシャ先生「イェルセイはだいぶよくなりました。いつも泣いていたとても繊細な子どもだったけど、今はだいぶ落ち着いたわね」
12月31日。戦争が始まって、もう10か月以上になる。
ヴェロニカさん一家は、キーウでの初めての年越しを迎えていた。
この日も、ロシアからの攻撃がキーウを襲った。
母親「今日も近所のホテルにミサイルが落ちたわよね。冷や汗がでたわ。もう家に帰りたい。戦争前のマリウポリの家に」
ヴェロニカ「私は戻るつもりはないわ。嫌な思い出しかないから」
父親「おまえはこっちの大学に入ればいいさ。私たちは戦争が終わったらマリウポリに帰ろう」
ヴェロニカさんは、両親からクリスマスプレゼントをもらっていた。パソコンだ。動画の編集に夢中になっていた。
ヴェロニカ「この作業にはまっています。戦争を忘れられるし、大好きな時間です。今はママの美容師の仕事を応援しているの。SNSに動画をアップして、仕事の実績をアピールするの」
マリウポリで美容師をしていた母親が、キーウで仕事を探す助けになろうと、PR用の動画を作った。
父親「ヴェロニカが身につけたスキルのおかげで、ママの仕事が見つかるといいね」
ヴェロニカさんは、日本で言えば高校1年生。卒業後の進路についても考え始めていた。
母親「自分の好きなことを仕事にできたら本当にすばらしい。ヴェロニカは将来どんな仕事に就くのかな」
父親「がんばって働きなさい」
1月9日。父親の負傷を機に軍隊に入りたいと語っていた14歳のイホール君は、父親のいない新年を迎えていた。この日、母親のレナさんは、戦地の夫に生活用品を届ける準備をしていた。
母親「靴下とか下着とか、あとは充電式のシェーバーを持っていくわ。実は会えるかどうか、まだわかりません。そういうものなんです。夫がいる場所は本当に地獄のようなところなので」
イホール「パパと電話したいんだ。毎日連絡を待ってるよ」
その間、イホール君たちは祖母の家に預けていく。
2日後、再会を果たした両親からビデオ電話がかかってきた。
イホール君の父親「そっちは何か変わったかい?新しいことはあった?」
イホール「こっちは変わらない」
父親「学校にはちゃんと行ってるのか?」
イホール君の妹「行ってないよ。今は冬休み中だもん」
父親「それはうらやましいな。休みはいちばん幸せな時間だ。おまえたちにすごく会いたい」
イホール「僕たちも毎日、毎分、パパのことを思い出しているよ」
父親「ありがとうな。気持ちを感じているよ」
イホール「パパが戦っているのは、敵に対する憎しみからでしょう?」
父親「ロシア人に対する?」
イホール「うん。彼らに対する憎しみをどう考えているの?」
父親「答えは簡単ではないな。これだけは言える。私はおまえたちに戦争を見せたくないから戦っている。それだけだ。ロシア人を憎んでいるわけではない。ロシア人にもいいやつはいる。いろんな人がいるからね」
イホール「でも、いい人が別の国に来て、こんな戦争を起こすなんてあり得ないじゃないか」
父親「戦争とはこういうものだ。私はもうすぐ帰る」
イホール「待ってるよ。寂しいけど、ずっと待ってるよ」
イホール「パパは僕たちが戦争を経験しないために戦っていると言っていました。僕に戦争に行ってほしくないんだろう」
2週間後。母親のレナさんが、戦地から戻ってきた。レナさんが驚いたのは、イホール君の髪型だった。まだ戦争に行く決意は変わらないのか、レナさんは心配していた。
母親「パパの言いたかったことを、イホールはわかったよね?」
イホール「でも、どうやったらロシア人を憎まないなんてできるの?」
母親「憎しみを乗り越えなきゃ。憎しみはあなた自身を滅ぼすわ」
イホール「ロシア人を愛せって言うの?」
母親「いいえ。でもあなたの憎しみと普通のロシア人とは関係ありません。彼らにも生活があるんです」
イホール「僕はロシア人を憎んでいる。痛めつけるためには何でもする」
母親「どうやって痛めつけるのよ。その前にあなたは自分を痛めつけているわ」
1月30日。1か月に及んだ長い冬休みが終わった。
校長「久しぶりに見た子どもたちの目が、ちゃんと輝いているようで安心しました」
冬休みの宿題を発表する。
イェルセイ君のクラスの宿題は「戦争が終わったら」というテーマの絵だった。
「ウクライナと虹の絵を描きました。戦争が終わったらウクライナの上に虹が架かるという意味です」
「僕は『戦争に勝った瞬間』を描きました。有名な歌手がコンサートをするんです」
イェルセイ「これは戦争で壊れた建物。その隣は平和なときの建物です」
サーシャ先生「その色は何を表しているのかな?」
子どもたち「ウクライナ国旗だ!」
サーシャ先生「戦争中に絵や文章を残すことがなぜ大切なのか、わかりますか?」
イホール君たち、8年生の宿題は作文だった。イホール君が書いたのは、戦地にいる父親とビデオ電話をしたことだった。
イホール「僕はロシアが大嫌いです。でも戦地にいるお父さんから『ロシアにもいい人がいるんだ』と言われました。お母さんからも『憎しみは自分自身を壊してしまう』と言われました。僕にはコントロールできないたくさんの感情があります。でもお父さんとお母さんは、僕をポジティブな方へ導こうとしています。憎しみだけではなく希望を見つけられるようにしたいです」
イホール君は、卒業後に軍隊に入るかどうか、今も悩み続けている。
この日も空襲警報がなり、授業は中断された。子どもたちに、もうおびえる表情はない。シェルターでの授業にすっかり慣れてしまった。
ヴェロニカ「私はもう大丈夫です。今、私たちはこうして生きています。そのことをもっとシンプルに受け止めたいと思うようになりました。私たちにとって戦争はもう、平凡な日常なんですから」
ヴェロニカさんはこの1年のことを振り返り、日記の続きをこう書いていた。
「1月29日。この日記を私が書き始めてから、ほぼ1年がたちました。戦争への考え、ロシア人への憎しみは変わらないけど、私は立ち直ってきています。10年後、どうなるかはわかりません。でも夢はあります。一番目は安定した仕事に就くこと。二番目は両親の幸せと平和です。両親は戦争前と変わらない愛情をくれます。戦争は私からそこまでは奪えませんでした。これからすべてが良くなることを信じています」
2月8日。新学期が始まり、33人目となる戦地からの転校生がやってきた。
転校生の母親「ハルキウでは学校に通えなかったので、ここで勉強させたかったんです」
NGOの説得に応じて戦地から逃れてきた家族も、転入を希望してやって来た。体験授業に迎えたのは、イェルセイ君のいる3年生のクラスだった。
サーシャ先生「今日の工作では、帽子の上につける丸い飾りを作りましょう」
リリャ「知ってる!」
リリャ「この学校をとても気に入ったわ」
今、東部を中心にロシアの大規模攻撃が始まっている。
子どもたちの笑顔を守るために、世界は、私たちは、何ができるだろうか。