見えた 何が 永遠が ~立花隆 最後の旅~

NHK
2022年5月19日 午後9:35 公開

(2022年4月30日の放送内容を基にしています)

2021年5月初旬、膨大な本に囲まれた長年の仕事場の机の上でその人は骨壺に入っていました。

立花隆さん。“知の巨人”と呼ばれた伝説のジャーナリストです。

1年前の2021年4月30日、亡くなったばかりでした。

この17年、私(NHKディレクター・岡田朋敏)は立花さんと何度となく番組を制作し、思索の現場に立ち会ってきました。

宇宙・科学・芸術・歴史・政治・・・あらゆる分野に興味を持ち、膨大な本や資料を読み込み、事実を徹底的に追究しようとしたのが、立花さんでした。そのために数万円もする高価な医学書を買い集めることもしばしばでした。

立花さん「これは医者が読む本だから、医者が知ってることが全部書いてある。へえ、面白いね」

しかし亡くなって半年後、立花さんの知の集積である本は、跡形もなく消えていました。

岡田ディレクター「ショックですね。現実とは思えないような感じです」

立花さん「ある意味で、やっぱり生きるって面白いですよね。分からないから面白いっていうことがあるわけで。人間という存在は、もっと豊かで、そう簡単にこうだと言えないから、そこに面白さがあるんだという気がします」

いったい、なぜ立花さんは全てを「無」にしたのか?生涯をかけて、何を知ろうとしていたのか。

立花隆の最後の思索を、私は知りたいと思いました。 

<残された宿題 最期の思索が表された資料>

2007年、がんがみつかった立花さんから呼び出されたこと、それが私にとって最も忘れがたい立花さんの記憶です。

立花さん「急に血尿が出て電話したら『すぐ病院に来てください』と言われて。行ったら、あっという間ですよ。『立派ながんです』って言われてさ」

膀胱がんと診断された立花さんは、すぐに全てを撮影するように私に伝えました。

そして膀胱を全て摘出する可能性すら指摘されたにもかかわらず、全く動揺せず手術の様子を見続けました。

手術室から出てきた立花さんは私にこう答えました。

岡田ディレクター「いかがでしたか?」

立花さん「いや、おもしろかったよ。手術の映像はもらえるのかね?電気メスで焼いているところが、すごく面白い」

深刻な自分の病すら興味の対象にする、それが、立花さんでした。

立花さんは亡くなる前、驚くべきことを言い残していました。

「墓も戒名もいらない、遺体はゴミとして捨ててほしい」

「集めた膨大な書籍を、一冊残らず古本屋で売り払ってほしい」

妹・菊入直代さん「ふざけて言ってない。本気で『遺体を野菜ゴミと一緒に捨てて』とずっと言ってたのです。でも法律上できないって(私たちが)言って」

「財産は本しかない。いわゆる贅沢品とか全然ないわけです、本当にびっくりするぐらい、そういうのは質素だったんです。(本を残す遺志は)全くないです。(「処分してほしい」の言葉の前には)『絶対に』がついていました」

なぜ立花さんは、知の集積を、そして自らを“無”にしようとしたのか。

理由を知りたいと考えていた私に、ご遺族は未整理の資料が入った100箱以上の段ボールを託してくれました。そこには立花さんの思索の跡をたどれるメモや音声が、多数残されていました。

さらに、その中に私の名が記された文書も見つかりました。

タイトルは「人間の現在」。過去から未来までを俯瞰し、人間の進化について考察した原稿でした。

そこには次のような謎めいた言葉がありました。

「全てを進化の相の下に見よ」

「人間全体が一体となって思考する超進化」

いったい、これは何を意味するのか。全てを“無”にしたことと関係があるのか。

私はこうした資料と、共に取材した17年間の映像記録をもとに、立花さんが残した「最後の宿題」に挑むことにしました。

<角栄はやりたいテーマではなかった>

資料の中で最も古い時代のものの一つは、田中角栄元首相に関する資料でした。膨大な公開資料を駆使して金権政治の実態を暴き、雑誌掲載からわずか2か月で、権勢を振るった時の権力者を退陣に追い込んだ伝説の記事。一連の報道は戦後ジャーナリズムの金字塔とも呼ばれ、立花さんは10年以上にわたって追究を続け、10冊以上の本を書きました。

しかし、残された音声テープの中に、この取材について語った意外な言葉がみつかりました。

「あのために俺、どれだけ人生損したと思う?本当に。めちゃくちゃ時間使わされたから。角栄ね。もう、本当にやめにしてほしいと」

<“見当識”を確かめる ~立花さんの知りたかった「人間とは何か」~>

立花さんが、本当に探し求めていたものは何だったのか。それを傍らで見ていた編集者がいます。文藝春秋元社長の平尾隆弘さんです。

平尾さんは、立花さんが、最晩年まで知の領域を広げ続け、「人間とは何か」をつかもうとしたと言います。

平尾さん「人類、人間への興味から、いかに死ぬかと、いかに生きるかということが等価になってるんだと思ったことはあります。“知”には限界がないということを教えてくれたのが立花さんなんです。『分からない』ことに対して、その『分からない』ことをはっきりさせるっていうかね。そこの関心はすごく強かったと思う」

生涯で100冊以上を執筆した立花さん。その著作はあらゆる分野に及んでいます。

地球環境と宇宙の違いとは何か。宇宙で人間の精神はどんな影響を受けるのかを徹底取材した著作。ヒトとサルとの違いはどこにあるのかを探った著作。ノーベル医学生理学賞を受賞した科学者を訪ね、分子生物学の視点から、生命と物質の違いも探ろうとしました。

なぜこれほど多岐にわたって取材を続けたのか。平尾さんは、立花さんが最後までこだわり続けていたのは“見当識”という考え方だったと言います。

平尾さん「全体を俯瞰する、“見当識”ということを核に、どこがどこにあって、俺は今この“見当識”のこの部分をやってるんだと」

“見当識” それは自分が誰で、今どこにいて、今がいつなのかを把握する能力を示す医学用語です。

これを人類全体に当てはめ、自分たちは何者か、宇宙や世界はいつどのように始まり、未来はどうなるのかを探ろうとしていたといいます。

その見当識を探った象徴的なメモがみつかりました。南米のアマゾンについての思索です。

そこには次のように記されていました。

「この近代文明社会は500年前の新大陸発見が契機となっている」

「インディオの近代以前の自然と調和した社会の論理」

そのアマゾンへの旅の映像が残されていました。立花さんは未開のインディオの村を訪ね、人類と文明の関係を探ろうとしていたのです。

立花さん「酋長さん、いったい人間というのは、そもそも何のために生きているんだと考えますか?」

酋長「人間は死ぬために生きているのだ」

1か月にわたって、立花さんに同行したカメラマンに会うことができました。佐々木芳郎さんです。立花さんは、自然の循環の中で生きるインディオの人々に強く魅せられていたと言います。

佐々木さん「南米のインディオは、自然の与えられたもの、自分の食べる分だけを取って食べて、何のストレスも感じずにやってる社会(を築いている)。(我々文明に暮らす人と)どっちが人間にとって幸せなのかと」

その旅について記した未完の原稿で、立花さんはこう綴っていました。

「真の人間性は、自然状態にある自然人においてこそ花開いている」

「そのように高い文化を、ジャングルの中に住んでいた未開のインディオたちが作りあげたということは、確かに歴史における一つの驚異なのである」

人間はどこから来て、今どこにいて、どこに行くのか。

その問いは同時に、様々な“境界”を探ることに繋がっていったと平尾さんは指摘します。

平尾さん「生と死って“境界”じゃないですか。 それから地球と宇宙も“境界”ですよね。人間と猿も“境界”ですよね。そこが、一体どうなってんだっていう関心ってすごい強かったと思う」

人間とは何かを探るために調べ続けた様々な“境界”。立花さんは、そうした哲学的な問いの答えを、最晩年まで探求していたというのです。

立花さん「そもそも我々人間がやっている文化的営為とは一体何なのかという問題があるわけです。それは人間の存在、あるいは人間が作り出す文化を、どういう視点から捉えるかという問題なわけです。『一体誰がどうやって、誰がどうやったところは、どうやって判断するのか』という、その哲学的な根本的な分け目のところが、人類史の中で誰もちゃんと回答していない。回答できない。そういう部分があって、実はそこが一番面白い部分があるわけです。僕は、哲学の卒業生でもあるんですが、哲学の最も面白いところは、そこにある。学問の面白さの相当部分も、実はその辺りにあるわけでして」

そして、見当識を追究し続けた立花さんが、膨大な本や資料を集積するために作った仕事場が、通称ネコビルでした。本を買っては、書庫を増やしていた立花さんが作った、念願の城でした。

平尾さん「要するに彼のネコビルに象徴されるような資料の山、蔵書の山、あれはね、立花隆の脳内地図とパラレルなんです。つまり本っていうのは、立花隆の脳内の細胞と同じなんです」

“見当識”を探る立花さんには、書いてみたいものがあったといいます。

立花さん「要するに、我々の現在、自分自身の現在、そしてその現在を踏まえての将来の展望。そういうことが全部が分からないんだと。僕は最後には『歴史』という本を書きたいと。その『歴史』という僕の本は、ビッグバンから始まる歴史を全部書きたいと」

<「少年老人」であり「勉強屋」 立花さんの素顔>

私が立花さんとともに過ごしたのは、晩年の17年間。

そこで見た立花さんは1年365日、常に膨大な書籍を楽しむように読み込む人でした。この日は正月2日の朝。

岡田ディレクター「年末に伺った時に執筆があると伺っていたので・・・」

立花さん「いっつもあるんです」

なぜか古墳の勉強にとりかかっていました。

立花さん「それで調べ始まったらいろいろ面白いことがわかって」

立花さん「僕は昔から勉強が好きなんです。『あなたの職業は何ですか』って聞かれると、簡単に言えば僕は、『勉強屋だ』って言えると思うんですね」

<なぜ遺体はゴミにしてくれと言ったのか ~晩年の思索を探って~>

これほど貪欲に知を収集した立花さんが、なぜ最後に“無”になるという選択をしたのか。

託された資料の中に、晩年に行われたがんや死に関する講演が多数見つかりました。そこには、立花さんの死生観が、色濃く出ているように感じられました。

「人間というのは、そう簡単にがんから逃れられない。生きること、それ自体ががんを育てている。そういうことが分かってくるわけです。やっぱり人間は基本的に、死すべき動物というか、死なないってことは、あり得ないです。だから、病気が差し迫ってきたとしても、どこかでその来たるべき死を受け入れるスイッチを切り替える以外ないわけですね」

私は、立花さんとともに行った、がんや死に関する取材の映像を見直してみることにしました。がんを取材しはじめたのは立花さんが67歳の頃。がんと闘った多くの友人をなくしていました。

この時(2008年)も、田中角栄元首相の取材で、長年共に闘った筑紫哲也さんの訃報が届きました。

立花さん「それは普通の付き合いではないんです。だからもう本当にショックで・・・」

それでも立花さんは、自ら患うがんの治療法には興味を見せず、世界中を飛び回り、「がんの正体」そのものに迫ることにこだわったのです。

パリの研究者の元で、立花さんが注目したがんが進行するメカニズムです。白いがん細胞の周りに集まっている緑色のものは、体を守る免疫細胞の一種です。

実はがん細胞は、免疫細胞を使うことで、進行していました。がん細胞は、生命が発生する仕組みや、新陳代謝の仕組み、傷をふさぐ仕組みなどを利用して、体をむしばんでいました。

「がんは、生命の仕組みと、分かちがたく結びついている」

立花さんが出した結論でした。

立花さん「ありとあらゆる手段を自ら作り出して、困難を突破していく、がんの能力というのが、ありとあらゆる困難な状況の中で、生命というものが生き抜いてきて、今日の生命全盛時代を生き抜いた、生命の歴史そのものが、がんの強さに反映しているということですね」

自然の一部である人間の中で、必然的にがんは生まれる。人間とがんに、境界はないのではないか。

立花さん「がんというのは、半分自分で、半分エイリアンなんだよね。それがものすごく、がんという病気の独特な部分で、だから、がんをやっつけるときに、エイリアンの部分だけをやっつけられれば、それは良いんだけど、半分自分なんですよね。がんというのは、考えていけばいくほど『人間とはいったい何だ』とかね、『生命とは何だ』とか、そういうことを考えさせられますよね」

さらに晩年になって立花さんは、「ヒトは死ぬ時どうなるか」という興味を深めていきます。

立花さんは死ぬ間際の人々の体験が、科学的に説明できるか世界中の脳科学者に、執拗に話を聞いてまわりました。

立花さんが出した結論は「死後の世界の存在を証明する科学的証拠はなく、死んだら物質的には、無に帰る」ということでした。

「死の向こうに、死者の世界とか霊界といったものはない。死んだら、全くのゴミみたいなものとなる。意識も、全く残らない。これがひとつの唯物論的な考えで、微妙なところです。賛成する人もいるだろうし、そうでない人もいると思いますね」

この頃から、「自分をごみとして捨て去ってほしい」と言うようになった立花さん。一方で無に帰ることについては、さらに深い意味があったことを示す取材がありました。

鳥取県にあるホスピスで末期がんの女性に、死を迎える時にどうするかを尋ねたときです。

患者・大坂よし子さん「そのときは家族、周囲の方に、ありがとうございましたと。私は学歴も教養もありません。ただ、ありがとうだけが言葉のひとつです。感謝の気持ちひとつです。はい。ありがとう、さよならをして、みんなにお別れします。それができれば幸せだと思います」

立花さんは、この取材の後、印象的な言葉を残していました。

立花さん「人間は不死ではなく、死すべき運命にあると言うことです。しかし、人は死すべき運命にあるということを自覚したとたん、その運命を乗り越えることが、できるのではないかとも思いました。自分は弱い人間だけれども、周囲に支えられて、こうしてここまで生きていくことができた。その周囲の人に対して最後に『ありがとう』の一言を言いたい、という言葉です。人間の“限りある命”は単独であるわけではなく、いくつもの“限りある命”に支えられて、限りある時間を過ごしていきます。それは、周囲に支えられて存在するという意味において、“いのち連環体”という大きな“わっか”の一部でもあります。そういう“連環体”が連なって、“大いなるいのち連続体”をなしている、そう見ることができると思います」

周囲に支えられて生きる“いのち連環体”の一部としての人間。その“いのち連環体”が、連続することでつながってきた人類の歴史。

立花さんは、私たちが普段、知覚しない大きな時間を見ていたのではないかと思いました。

立花さんが言い残したことで、もうひとつ理解できなかったことがありました。

立花さんが、知の膨大な集積を死後手放すことにした理由は何なのか。

<学び続けた立花さん 宇宙から見れば一瞬の人生の中で>

託された資料には、立花さんが知をできるだけ深く広く学び、統合することの大事さを訴える音声記録が残されていました。

「竹やぶって何だか知っていますか?竹は全部、地下茎でつながっているんです。竹がある山は、ひと山全部ひとつの植物なんです。人間の知的な営みも、実は地下でつながっているんです。みんなの頭の中にあることは、どこかであなたの頭に何らかの形で取り込んだわけですね。人間の知識の体系みたいなものも、そういう風につながっているんです」

「現代社会において、最大の問題は、あらゆる知識がどんどん細分化し断片化し、ありとあらゆる専門家が、実は断片のことしか知らない。専門家は総合的に物を知らない。それが現代における最も危機的な部分であるから、断片化した知を、総合するという方向にいかなければいかない。自分を教養人に育てられるかどうかは、自分自身の意思と能力と努力次第なんです」

立花さんは、誰かがたどり着いた知を集積するのではなく、人間一人一人が学び、高めてゆくことに意味を見いだしていたのではないか。

古くから交流があり、亡くなる直前に面会した弁護士の安福謙二さん。立花さんは、“知”に関しても、自分は“連続体”のひとつであると考えていたのではないかと指摘しました。

安福さん「彼の死生観にもつながっている感じがします。要するに『葬式もいらない、戒名もいらない』って言い切る姿と非常に近くて。自分というそのものも宇宙のひとつの瞬間を生きる(存在に過ぎない)。宇宙の時間から考えれば、ほんの瞬間的な動きでしかないじゃないですか。だからその一要素に過ぎないっていう意味で言えば、彼はその一要素の中で、全て一体となっていたいっていうことなんでしょうね」

<「見えた、何が、永遠が」果てしない時間を前に紡いだ言葉>

永遠とも思える宇宙の時間から考えれば、人生は一瞬に過ぎない。私はその言葉から、死を巡る取材の時に起きた、ある出来事に思いあたりました。その日、立花さんは珍しく、自分の考えが私に伝わっていないと、苛立ちをあらわにしていました。

立花さん「『見えた、何が永遠が?』それ言っても、通じないから言った甲斐がないけど」

岡田ディレクター「ごめんなさい」

「見えた、何が、永遠が」 立花さんが口にしたのは、四十代の時に行った旅のことを書いた本の一節でした。立花さんが、自ら最も重要な著作のひとつとした「エーゲ 永遠回帰の海」です。八千キロに及ぶエーゲ海の遺跡巡りの旅の末に書かれました。

旅に同行したカメラマンの須田慎太郎さんは、立花さんのこの時の、突き詰めるような取材姿勢を今でも覚えていました。

須田さん「立花隆は命がけで仕事をする人だから、ちょっとでも時間があったら、それを押して次に行きたいって考えるから。どんどん、どんどん先に進むだけ」

それは遺跡だけをひたすら巡る旅。トルコから始まり、ギリシャへ。遺跡には、紀元前の文明の跡が刻まれていました。立花さんは、何かの直感に駆り立てられるように、遺跡を見て回ったといいます。そして、数千年前に作られた遺跡に身を置くことで、人間の営みと、それを超える「何か」を感じ取ろうとしていたといいます。

須田さん「時間的な流れとか、もっと大きな話で言うと、宇宙みたいなものが感じられるんじゃないのかなと。その宇宙のその先へと思う。遺跡が、その宇宙の入り口にもあったのかもしれないと」

膨大な“知”と、それに対して限りある生を生きるしかない人間という存在。“知”も、人の命も果てしない時間の中に従属する。

その旅を本にまとめるまでに、立花さんは20年を要したといいます。

「千年単位の時間が見えてくるということが、遺跡と出会うということなのだ」

「記録された歴史などというものは、記録されなかった現実の総体にくらべたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微小なものだろう」

「宇宙の大部分が虚無の中に呑みこまれてあるように、歴史の大部分もまた、虚無の中に呑みこまれてある」

「見えた 何が 永遠が。かつてそう書いて詩人を廃業した詩人がいた。永遠を見る幻視者たりたいと思うが、それをほんとうに見るのは、こわいような気もする」

立花さんが入院したのは、おととし2020年の春。全身の状態が悪くなっていましたが、すべての検査を拒否したといいます。

主治医・永井良三医師「何度も『もういい』と。検査も必要ないということで、ちょっと私自身意外だったです。私も伺い知れないところではありますけれども。しかし、いろんなことを体験したいという思いは、非常に強かったように思います。そういう意味では、ご自身の死というものも、客観視されていたと」

そして去年2021年4月30日、静かに息を引き取りました。

亡くなる少し前、立花さんは家族に、「やりたいことはやりきれた」と告げたといいます。

私は立花さんが、いのち連続体の一部として、永遠の中に戻ったのだと思えました。

<残された遺志 人類の知の進化を信じた立花さんが残した宿題>

立花さんの思索をたどった取材の最後。私の名が記された原稿をもう一度読み返しました。そこには20世紀を代表する進化生物学者、テイヤール・ド・シャルダンの唱えた、新たな進化論が記されていました。

「全てを進化の相の下に見よ」

それは、あらゆる分野を学んだ立花さんが、万物の歴史は全て「進化の歴史」だと語る言葉から始まっていました。ビッグバンで始まった宇宙は素粒子を生み、原子となり、物質へと進化しました。それは星を生み、生命を生みました。その進化の果てに、脳を発達させ、生まれた人類。その次の進化の舞台こそ“知”だといいます。

人類の知は今後、相互に影響し合い、さらに複雑化。個々の人の意識が蜘蛛の巣のように絡み合います。それにより人類全体がより高次の意識を持ち、次のステージに立つと立花さんは記していました。

「動物の場合、世代をこえて伝承される情報は遺伝情報しかない。しかしヒトの場合は、はるかに大量の情報が言語情報として、世代をこえて伝えられていく。これは人間だけが獲得した新たな遺伝の形式だという」

「人間の持つあらゆる知識が総合されて、ひとつの一貫した体系として、共有されるようになってきた」

「これらの動きの延長上に、人類全体が一体となって思考するような日が来るだろう」

「超人類の誕生であり、超進化。ヒトという種のレベルをこえた進化が実現する」

立花さんが最後に夢見たのは、一人一人が自ら学び、より高い知を求め、集積していくこと。そして、人類全体が一体となって、より高い次元の思考ができるようになる、次の進化だったのでしょう。

永遠に続く知の循環の中で、自分が次の進化の一部に貢献できたとしたら、無になることは、むしろ本望だ・・・そう思っていたのではないか。

この日、友人たちが訪れたのは立花さんが眠る大樹。

友人「まことに大木だな・・・」

立花さんは光の中にいました

友人「すごい人だね」

立花さん、全て無にしたことは、知ることに限界はないと伝え続けた、あなたの最後の決意だったのですね。

果てしない知の世界の高みに、人間がどこまでたどり着き、どう進化していくのか。

そのために人間がどう生きてどう死ぬのか。それこそが私たちに残した宿題なのだと。