番組のエッセンスを5分の動画でお届けします
(2022年10月1日の放送内容を基にしています)
2021年9月。ある医療チームが、世界でも極めて稀な事態に直面していた。新型コロナウイルスで重篤化した妊婦の人工心肺装置・ECMOをつけたままでの出産だ。
この病院は2年半にわたり、1000人を越える重症者を受け入れている。確立した治療法がない中、手探りの闘いを続けてきた。後遺症という新たな脅威とも向き合い、試行錯誤を重ねてきた。
これは、ある病院で繰り広げられた、「命の記録」。
<生死を見てきた聖マリ 大切にしてきたこと>
神奈川県川崎市にある、聖マリアンナ医科大学病院。新型コロナの感染者の中でも、特に重篤な患者を受け入れる地域の基幹病院だ。
私たちはここで、新型コロナの第1波から2年半、医療スタッフや患者・その家族を記録し続けてきた。
スタッフは医師・看護師・臨床工学技士など総勢167人。これまで受け入れた1000人あまりの重症者のうち、900人近くの命を救ってきた。
新型コロナの重症者病棟で指揮をとるのは、藤谷茂樹医師。救命救急のエキスパートだ。
コロナと闘う中で、藤谷さんたちが日に日に思いを強くしてきたことがある。
藤谷医師「一番重要なのは、生きる力。力を与えること。家族の力、患者さんの力。あと僕たち医師ですね。一緒にチームを組んで患者さんに接する。医師が病気を治すんじゃないということは、常に自分でも戒めているところです」
<数々の奇跡が重なったECMO出産、しかし・・・>
2021年の夏。コロナに感染した妊婦が、次々と病院に運び込まれていた。他の病院では「治療は難しい」と、受け入れを拒否されたという。
藤谷医師「今妊婦がいて、1人はECMO(人口心肺装置)が回ってる。まだ出産するには、週数が早いんで」
特に深刻な容体だったのが、40代の坂本なつ子さん(40代・仮名)。妊娠7か月。肺は真っ白になり、ほとんど機能していなかった。
藤谷医師「妊娠していると、どうしても酸素の消費量が子どもの酸素も自分で呼吸しないといけないので、相当負荷がかかる」
メーカーの営業職として働いていた坂本さん。結婚し、産休を取ろうとしたさなかでの感染だった。
医療チームが装着させたのは、命を救う「最後の砦(とりで)」、ECMO=人工心肺装置。体内の血液を取り出し、酸素を加えて戻す。
意識が戻らず重篤な状態のため、帝王切開で胎児を取り出すことが検討された。
藤谷医師「母体自体の救命ができなくなる可能性があるので、胎児をこれ以上おなかに置いておく、継続していくことが難しいんじゃないかと。胎児が助からなくても、母体を助ける」
しかしECMOをつけたままの手術は、大量出血の危険があり、母子ともに命を落とす可能性がある。
帝王切開をすると決めた直後、看護師が坂本さんの、ある変化に気づいた。眉間に、しわが寄ったのだ。予定日は3か月後にも関わらず、陣痛がはじまった。
藤谷医師「もう今から帝王切開で、母体優先でいこうといったさなか、体をモゾモゾモゾモゾして、自分で出産をするサインを僕たちに示してくれて」
母の命を守ろうと、胎児が察したかのような想定外の陣痛。普段は重症者病棟にいない、産科医や助産師たちなども駆けつけた。
医師「出た、吸引!」
生まれたのは、わずか933グラムの女の子。呼吸がない。呼吸を促すための蘇生措置が、緊急にとられる。
看護師「強いね」「頑張れ・・・」「頑張れ頑張れ」
看護師「はい!OKでーす」
赤ちゃんは、命をとりとめた。
藤谷医師「こんなことは絶対ありえない。でもそういうことが起こった。今まで見たこともないミラクルが、偶然重なったと。ひとつの奇跡じゃなくて、いくつもの奇跡が重なって」
医師「あとは何とか僕らがお母さんを救うだけなんで。何とか家族を3人で過ごしていけるようにもっていきたい」
赤ちゃんへの感染は、確認されなかった。しかし、坂本さんは・・・
藤谷医師「いま意識あるの?」
看護師「ないです」
藤谷医師「動いたりはする?」
看護師「はい」
藤谷医師「呼びかけてもダメなのね?」
看護師「ダメです」
出産後も、命の危機を脱せずにいた。深刻な状態は、1か月以上続いた。
藤谷医師「入院してきた時よりも悪い状態です。だからECMOがまだ抜けないんです。意識が戻ると、目開けて、せきこみ。このせきこみがずっと続くと、酸素化が悪くなって(酸素飽和度)80%台になってくるんですよ。苦しいので、このせきを止めてあげないといけない」
容体が回復しない坂本さんに、これまで病院が培ってきたあらゆる治療が施された。
患者の身体の向きを変え、肺の機能を高める腹臥位(ふくがい)療法や、症状を緩和させるための、レムデシビルやステロイドなどの薬が投与された。
治療の傍ら、藤谷さんたちは生死の境をさまよう坂本さんに、声をかけ続けた。
藤谷医師「100%意識を覚ませるところまではもってきてないので、何回も声がけはしてるんです。自分で治癒をする能力を待ってる。回復するのを待ってるんですけど」
坂本さんのベッドの上には、娘と夫の写真が飾られていた。看護師の提案によるものだ。
藤谷医師「今もうろうとして違う世界にいるので、現実の世界に引き戻す。家族の力ですね。一緒に頑張っていこうということを、本人にも医療従事者みんなで協力していこうと」
必死の治療が続いた、1か月後。
松井ディレクター「え、ペン持てるんですか?いつからですか?これ」
藤谷医師「2~3日ぐらい前。危機を脱した」
松井ディレクター「いや、びっくりしましたよ」
藤谷医師「この時期をずっと待ってた」
藤谷医師「大丈夫?力出てきたね。力出てきたね。もう覚えてないよね?ずっと生死をさまよっていて。子供も一緒に生死をさまよってたんだけど、子供はもう今元気なんだよ。退院できる、もうちょっとのところまで来てる」
人工呼吸器をつけ、話すことが出来ない坂本さん。実は、結婚生活を始めたばかりの感染だった。
藤谷医師「つらいって?」
看護師「はい。ここから出たいって。うちに帰りたいよね」
話せない坂本さんはスマートフォンに気持ちを打ち込んだ。
「精神的には疲れた。旦那さんにも、私がこんななっちゃって申し訳ない。みんなに心配・迷惑かけて・・・」
藤谷医師「家に帰りたいのは分かってる。一生懸命いま治療してるから。この管が抜けるようになったら、呼吸も出来るようになってくるから。また来るからね」
坂本さんは陰性が確認されたものの、容体はなかなか回復しなかった。
藤谷医師「かなり厳しい。自分の自発呼吸を出せるようにしていこうと思ってたさなか、今度右の肺に穴が空いてしまって。いろんな合併症がある中で僕たち闘っているんですけど、本当に波状攻撃のようにいろんな合併症が起こって」
重症者によくみられる合併症。肺に穴が空き、心臓の近くには血の塊、血栓が出来ていた。藤谷さんたちはこれまでの経験を活かし、すぐに血栓の除去や肺への処置をおこなった。
一進一退を繰り返す中、看護師から、ある提案が出された。
看護師「生まれてすぐに、母乳とか、もく浴とかもしてないから。普通のお母さんだったらやれることができてないから。グローブ越しでもいいじゃないですか」
藤谷医師「グローブつけさせて、さすれるように・・・」
様々な感染症へのリスクを避けながら、まだ一度も会えていない我が子に触れさせたいという。
面会を実現したいと、産婦人科医へと相談する。
藤谷医師「赤ちゃんって、今どうなってる?隔離解除をしたら、面談とかってまだできない?」
藤谷医師「出産してから一度も赤ちゃんを触ったことがないので、まだ実感がおそらくないんじゃないかなということで、子どもに対しての愛着というものを、もっとしっかり持ってもらうために」
出産から3か月。夫も駆けつけ、坂本さんと娘を会わせることになった。
看護師「はい、顔です。頭です。頭と・・・泣きやんだ」「泣きやんだね」「すごい」
看護師「さすがママ」「ねえ、泣きやんだ」「泣きやんだよ」
夫・誠さん(仮名)「笑ってる・・・」
看護師「笑ってんの」「笑ってる」「頑張ったの」
夫・誠さん「よかったね」
看護師「下からママの顔見上げてる」「すごい。わかるんだね。ママだって」
藤谷医師「よかったね」
看護師「ママ頑張って産んだんだよね。体調悪い中、頑張って産んで、ほんとすごかった」
<後遺症 原因不明で苦しむ女子高生>
新型コロナに苦しむのは、重症化した人々だけではない。病院は去年、後遺症外来を設立し、600人以上を診察してきた。後遺症について、発症のメカニズムなどは、いまもわかっていない。
この女性は半年以上、全身の痛みとけん怠感が続いているという。
女性患者「くるぶしのところとか」
医師「この辺痛みますか?」
女性患者「痛いです」
文字が認識できなくなったと訴える人もいる。
検査をすると、目で見た情報をインプットする後頭葉の血流が低下していた。病院が試したのは、脳卒中などのリハビリで行われている治療。脳に磁気を当てることで、血流を活性化させるという。
男性患者「見える。これ分かるな。ここまで来て、こうやって読んでいかなきゃ分かんなかったのに、今普通に・・・」
医師「見た瞬間にこれが情報として?」
男性患者「入ってくる」
松井ディレクター「読んでも理解できる?」
男性患者「できる」
佐々木伸幸医師「効果がある人、効果ない人が確かにいて、どういう人に効果があるのかわからないので、いろいろといま、模索している最中です」
後遺症の患者は先が見通せず、不安を訴える人が多い。そのため後遺症外来では、開設当初から患者の精神面を支えることを重視してきた。
高校生のさやかさん(10代・仮名)。去年(2021年)の夏から、この外来に通っている。
さやかさん「心臓がギューって締めつけられているような感覚がたまにあって」
医師「それは冷や汗が出たりする?」
さやかさん「はい」
立ち上がっただけで息苦しくなり、脈拍が30近くも上昇する。
さやかさん「立ってるだけで汗が出ちゃって」
中学時代、バレー部で活躍したさやかさん。スポーツ推薦で高校に入学した直後、コロナに感染した。軽症だったもののその後、体調不良が続いた。「後遺症」と診断されるまでに、3か月かかった。
さやかさん「学校の先生に、『耳鼻科なんじゃないか』と言われて行ったときに、耳鼻科の症状は出てないけど、立った時に結構フラフラしている症状が見られて、精神科なんじゃないかって言われて。原因が分かんないっていうのが、一番つらかった」
治療のあとに毎回行う、カウンセリング。さやかさんを担当するのは、緩和ケアを専門とする看護師の吉岡千惠子さん。
さやかさん「スポーツ科、この動けない体だと、いる意味ないんじゃないかなって思ってた。治せば、復帰できればいいなって。どこでどう活躍するとかよりも」
吉岡看護師「今はそういう気持ちなのかな。頑張ってるもんね。私たちもみんな応援団だから。先生たちともいっぱい相談しながら、やっていけたらいいですね」
さやかさん「はい。すいません」
吉岡看護師「ううん。いいのよ。ね。いつも頑張って、お話ししてくれてるから」
さやかさん「悲しい話ばかりですいません」
その後も症状が治まらず、部活への復帰を諦めたさやかさん。通信制の高校への、転校を決めた。
さやかさん「体が自分の気持ちに追いついてない。思うように動かないっていうのを、自覚し始めてからは、転校って手もあるのかなって、思い始めていた自分がいたんだと思うんです。でも思わないようにしていたというのが、結構ありました。『これ』って夢はなくなりました。正直。なくなったというより、諦めました」
松井ディレクター「これどうしたんですか?」
さやかさん「これはクリスマスの時に看護師さんにいただいたやつ」
先の見えない日が続く中、看護師の吉岡さんから、手紙を渡されていた。
さやかさん「『思いもかけぬことが、たくさんあったと思いますが、ひとつひとつ乗り越えてここまで来ましたね』『自分の体と仲良く、2022年も笑顔で過ごせますように。頑張ることは時に必要ですが、我慢しないでね』。看護師さんがここまでしてくれるんだと思いました。何でも言える雰囲気を作ってくださるので、何でも話しちゃう」
<回復・赤ちゃんとの別れ>
2022年1月。重症者病棟での出産から、4か月。坂本さんのもとを尋ねると・・・
松井ディレクター「すごいじゃないですか。先生、すごい回復じゃないですか」
藤谷医師「すごい回復ですよ」
松井ディレクター「自分で歯みがきしているんですか」
藤谷医師「もう歩行もできるようになってきている。人工呼吸器は外せないけど、歩行の練習も始めているので」
次々に起きた合併症に対して、治療の効果が現れ始めていた。
藤谷医師「本当よくなってるでしょ。すごいね。呼吸が苦しかったけど、今は自分でだいぶ呼吸ができるようになってきてるんで」
藤谷医師「そう、練習頑張って、食事をしっかりとることが重要だからね」
藤谷医師「本当にものすごい生命力です。奇跡、奇跡なんですよ。ここまで来れたのが。子どもや旦那さんが守ってくれているから、それでここまで頑張ってこれてるから。あともう一息。もう一息のところまで見えてきたので、人工呼吸器がなんとか外れるところまで頑張りましょう」
藤谷医師「うん。そう思ってます。じゃあ、また来るから、リハビリ毎日頑張るように」
その2日後。娘が順調に成長し、先に退院することになった。
松井ディレクター「やっと会えますね、赤ちゃん。抱けるっていうか」
松井ディレクター「僕、赤ちゃんが生まれた頃から記録してますけど、今3500グラムぐらいですって。結構順調に育っているみたいです」
母子ともに状態が安定しており、娘と会う時間が設けられた。
看護師「あっ、見えたね。見える?可愛いお洋服で準備してくれてますね」
初めてじかに触れる、我が子の肌。
夫・誠さん「ママだよ、ママ。ずっとママ見てくれてる。笑ってくれた」
わずか、20分の再会だった。
看護師「ご主人もね、おうちで(坂本さんの)帰り待ってるから。1個1個できる事を増やしていきましょ。きょうも(リハビリの)記録更新できてるから」
<2年半の試行錯誤でみえた“医療の本質”>
この病院では、これまで100人以上の患者が亡くなった。家族や友人に看取られず、最期を迎える人も多い。
病院は、直接面会できずに苦しむ、家族へのケアにも力を入れるようになった。当初、病院は重症者の家族に、リスク中心の説明をしてきた。
医師「新型コロナウイルス肺炎重症の中でも、極めて重症です。我々が経験しているなかでも、極めて早い速度で、状態が悪くなっています」
しかし、ある時から藤谷さんたちは、あえて前向きな説明もするようにした。
医師「大きな山は超えたところはありますので、あとはリハビリをやって、本人の衰えてしまった機能を回復するために、継続して治療していくのはこれから」
藤谷医師「ある程、少しの希望を持たせるような説明をしていかないと。家族が家に帰って、面談も出来ない、自分の家族がどうなっているのか、もう気が気で発狂しそうになっている。そのような中で、さらに厳しいムンテラ(治療方針の説明)をするとPTSDになる。人間味のある説明をしていかないといけないと思うんだよね」
医師「できるかぎり、いい医療を提供しようというスタイルでやっていますが、そこに家族さんへの思いっていうのは、大きく欠けていたのは痛感している」
2021年3月には遺族のために、ある試みをはじめた。
医師「お会い頂いたときは、お声がけしていただいても大丈夫ですし、手を握ってもらっても大丈夫です」
この日、亡くなった男性を、防護服に身を包んだ家族が囲んだ。
遺族「あらあら、むくんじゃって・・・、頑張って、ここの病院でお世話になったもんね」
遺族「よかったね、長い間。お疲れさん。お姉ちゃんは私に任せて」
一部の遺族とはいまでも、連絡を取り続けている。
荒木看護師「悲しいまま時が止まっていて、ただただ時が過ぎて、誰にも相談できなかったり、お話できない。自分の中でもんもんとした感じですとか、孤独感とか。あとは自分がもともと感染してうつしちゃって、自責の念にずっとかられているとか。かなり苦しい状態にある人が多いなって」
荒木看護師「救命センターにとっては、どうしてもその患者さんの命の救命を優先するわけですが、やっぱり一人の患者さんみることは、その家族を見るという視点も、非常に大事だなというところで。なかなか今まで家族に対して、こうした関わりっていうのができなかった」
<後遺症 見えた兆し>
高校生のさやかさん。コロナの後遺症の症状は、まだ続いていた。この日、新たな治療法が試された。
鼻の奥の腫れている部分に薬を塗り炎症を抑える。この治療で倦怠感や、めまいの改善が見られた患者もいる。
看護師の吉岡さんとのカウンセリング。時折笑顔を見せるようになっていた。
さやかさんには、聞きたいことがあった。
さやかさん「吉岡さんの職業って、どういう感じなんですか」
吉岡看護師「私は看護師。私は看護師で、プラス認定看護師なのね。看護師の中でいろいろな専門を学べるところがあって、私は緩和ケアっていう看護師」
さやかさん「難しい・・・」
吉岡看護師「難しくないよ。緩和ケアってちょっと調べてみたら」
後遺症の影響で、一時は手につかなかった勉強にも、力を入れ始めた。
さやかさん「とりあえず病気、治したいです。病気治して、自分が思うように動ける身体に戻して、前の自分のような自信を取り戻したいと思っています」
<病院への励ましメッセージ>
病院には、全国から手紙が届く。
藤谷医師「救命センターに個人の方から手紙を頂きました。応援メッセージですね。『終わりの見えない難しい状況の中で、患者さんたちのために、ずっと戦い続けているスタッフの皆さんが穀物の束のように見えました』。応援してくれる人も、いっぱいおられるんだなっていうことで、励みになります」
藤谷医師「これ、応援メッセージ。じゃあみんなに共有してあげてください。頑張るように」
看護師「はい」
コロナ禍の2年半。160人あまりいる救命救急センターのスタッフから、離職者は一人も出ていない。
<初めて声が・そして退院>
重症者病棟で出産した、坂本なつ子さん。ECMOをつけた状態で出産し、生死の境をさまよい続けること4か月。その後、幾度となく起きた合併症に苦しみながらも、一日一日を生き抜いてきた。
2022年3月、入院から半年。坂本さんの人工呼吸器が外れた。
藤谷医師「おはよう」
坂本さん「おはようございます」
松井ディレクター「おお!!しゃべれる!?」
坂本さん「しゃべれるよ。きょうから急にしゃべれた」
松井ディレクター「苦しくはないですか、話してて」
坂本さん「苦しくないよ」
松井ディレクター「そうなんですか、よかったあ・・・。よかったですね」
坂本さん「よかった」
松井ディレクター「先生、すごいですね」
藤谷医師「うん、すごい。もうすごいんですよ」
そして迎えた、退院の日。入院から、9か月半が経っていた。
夫・誠さん「本当にありがとうございました」
藤谷医師「神様が授けてくれた命だから。赤ちゃんもね。本当に何回危険な状況を乗り切ってきたか」
坂本さん「ありがとうございます」
藤谷医師「ほんとみんなギリギリの所で本当に闘ってきてたもんね」
<希望・闘いはまだ続く>
高校生のさやかさん。後遺症外来を訪れて、1年が経った。
医師「どうでしょうか」
さやかさん「調子はバッチリです。後遺症の面は全然心配してないです。薬なしでバレーも出来るようになりました」
医師「あ、ほんと!じゃあ本当によくなりましたね。もう後遺症としては卒業かなって思います。後遺症外来は、きょうでおしまいになります」
さやかさん「うわー、なんか不思議な感覚。1年かかったんだ」
真っ先に、看護師の吉岡さんが駆けつけてくれた。
さやかさん「めっちゃ元気。終わりました」
吉岡看護師「素晴らしい、よかったね」
さやかさん「もう戻ってこないって誓います。誓いたいです。ありがとうございました。お世話になりました」
吉岡看護師「高校生活をまだまだ楽しんでね。勉強がんばってね」
さやかさん「頑張ります」
運動が出来るまでになったさやかさん。いま、心理カウンセリングの仕事に、関心を持ち始めているという。
さやかさん「こういう状況になってからは、夢も一気に変わって、私自身が結構落ち込んだ時期があったので、同じような経験している人もやっぱりいると思うんですよ。だからそういう人の支えになれればいいなって」
坂本さんは、肺の機能を高める訓練をしていた。
あの出産から、1年。家族3人で、娘の誕生日を迎えることが出来た。933グラムで生まれた女の子は、7キロを超えた。
夫・誠さん「娘が小学校上がる前までには、妻も通常に戻ってると思いますし」
坂本さん「戻りたいね」
新型コロナ病棟の取材をはじめて、900日が過ぎた。
人の持つ生きる力を信じ、最前線に立つ医療チーム。
患者たちはその信念に支えられ、時には「奇跡」とも思える回復をみせてきた。
藤谷医師「医学はとても進歩してきましたが、解明されてないことが多くある。僕たちはその生命に対して、生きようという力を提供するいうことぐらいしかできない。救える命は、すべて救いたい」
コロナとの闘いは、いまも続いている。