響きあう歌 ~コロナ禍 喪失と再生の物語~

NHK
2023年6月6日 午後4:00 公開

番組のエッセンスを5分の動画でお届けします

(2023年5月28日の放送内容を基にしています)

<短歌があふれる コロナの冬を抜けた春>

新型コロナの長いトンネルを抜けると、街には短歌があふれていました。

『ほのほのとマスクの外は春になる冷たい冬を知らぬくちびる』  みおうたかふみ

5・7・5・7・7。31音で織りなされる短歌。

いま、SNS上には毎分のように短歌が投稿され、その数は1年間で100万首とまで言われています。

空前の短歌ブームの担い手は、10代から30代の若者たち。

ポップな言葉で、みずみずしい歌が紡ぎ出されます。

『会計が777円でレジの周りに少しそよ風』  古川柊

『「アイスで」と口が勝手に言ったのでただ今、春がはじまりました』  水野葵以

なぜ、いま人は短歌を詠むのか。

リモート授業ばかりのさみしさを癒やすために、短歌を始めた女性。

『先生の名前をググる 「こんな顔してるんだ」ってそれだけだけど』  三浦くもり

三浦くもりさん「つながれた感じといいますか。言葉が届いたような感覚があって、それがすごく楽しい」

コロナ禍で仕事を失った男性は、再スタートの思いを歌に託しています。

『自転車を直す仕事に就きました人の翼を直せるように』  杜崎ひらく

杜崎ひらくさん「31音の中におさめることで、大事なものだけ、抜き取れると思うんですよね」

今回、私たちが「春」をテーマに短歌を募集したところ、2週間で2600首あまりが集まりました。

コロナ禍から前へ進もうとする人々。響きあう歌が奏でる再生の物語です。

<日常を記録する短歌>

古川柊(ふるかわしゅう)さんの場合、短歌は何気ない日常を記録する日記のようなものだといいます。

古川さんは2年前まで大手書店で働いていました。しかし、職場で感染が広がり負担が増大。うつになり、退職せざるを得なくなりました。

外に全く出られず、自宅でSNSをながめる日々。そうした中で、ツイッターのタイムラインに頻繁に流れてくるようになった短歌と出会ったのです。

古川さんは専用のアカウントを作り、療養の日々を詠った短歌を投稿し始めました。

『オムライスみたいだ昼間の寝室はやわい光に包まれながら』  古川柊

古川柊さん「その時は自分にすごく引け目があったので、その時に思ったことを誰かに見てもらえるというのは、いわゆる逃げ道じゃないですけど、だいぶ救われました」

毎日、短歌の題材を探しているうちに、古川さんの世界の解像度は、回復していったといいます。

古川柊さん「『こんなに花キレイなんだ』とか、『こんなにあったかいのは、気持ちいいことなんだな』って思って。コロナもだいぶ落ち着いて、今まで2~3年くらい過ごしてきた春とは、世間的には変わると思うんですけど、ちょっとした変化に気づけるようにありたいですね」

体調もようやく回復してきた古川さんの今年の春は、せせらぎの音とともにやってきました。

『並びはじめた春色のブラウスに触れる小川をさわるみたいに』  古川柊

桑子真帆アナウンサー「この歌、どうですか」

歌人・作家/東直子さん「すてきですよね。お店に春らしい色のブラウスが並んで、そこで春だなっていうのを感じ、さらにそのブラウスの質感から小川を感じているという、この風景の広がりがすばらしいなと思いました」

桑子アナウンサー「この方は、原風景の中に小川っていうものがあるのかなとか、想像したりしますよね」

東直子さん「そうですよね。どこか自分自身を慰めているというか、ブラウスを触って、ほっとした感じを自分の原風景につなげることで、自分自身を癒やしているような。全体的には軽やかなんですけども、少しその奥に切なさのようなものも感じたりもしましたね」

<番組に寄せられた2600首の「春」の短歌>

桑子アナウンサー「今回2週間で2600もの歌が寄せられたじゃないですか。この数に私驚いたんですけど」

東直子さん「2週間でっていうのは、ほんとに多いと思いますね。短歌の場合は、5・7・5・7・7のこの音韻さえ、だいたい守れば」

桑子アナウンサー「だいたい(笑)」

東直子さん「そうなんですよ。1文字2文字、ちょっとはみ出たくらいでダメってこともなくて、柔らかい定型詩なんですよね」

桑子アナウンサー「なぜ人は、歌を詠むんだと思いますか」

東直子さん「不思議な作業ですよね。普通に日本語で自由にしゃべればいいものを、わざわざ定型に収めるという不自由なことをしているようで。私もそうだったんですけど、この型に収めようとする中で、いったい自分は一番何が言いたかったかっていうこととか、言葉が言葉を探っていくうちに、自分の“無意識”の部分が引き出されたり、自分の知らなかった自分に、定型という型がすくい出してくれるっていうことがあって。人の心を知る貴重な手がかりになるっていうことが、一番の短歌の特徴かなと思っています」

桑子アナウンサー「私が好きな歌があって」

『春うららガッタンゴットンゆりゆられ どこまで行くの 舟漕ぐ人よ』  十六夜/

東直子さん「いいですね」

桑子アナウンサー「私、電車で学校に通っていたんですけれども、そのときにサラリーマンの男性が揺れてる、揺られながら舟こいでるんですよ。大人って大変そうだなって思った覚えがあって(笑)」

東直子さん「構造がおもしろいですよね。ちょっとしたユーモアがあって、くすっと笑いたくなるような、そんな楽しさのある歌ですね」

『三色丼を食みたる午後は菜畑を飲み込んだ大女のねむさ』  二宮史佳

桑子アナウンサー「ほう、これは」

東直子さん「お弁当の三色丼、ほうれん草とか卵とかお肉とかで色分けしているあのお弁当を、畑に見立てているんですよね」

桑子アナウンサー「菜畑!」

東直子さん「それを食べた私は、まるで菜畑を丸ごと飲み込んだような大きな女」

桑子アナウンサー「なかなか出てこない言葉ですよね」

東直子さん「そうですよね。日常会話の中で『大女みたいに眠たい』と言っても、『は?』とか言われちゃうかもしれないですけど」

桑子アナウンサー「でも、なんかとっても眠いんだろうなっていう感じは」

東直子さん「そうですね、すごくわかりますよね」

桑子アナウンサー「今、短歌がたくさん詠まれている背景には、どういうことがあると感じていっしゃいますか」

東直子さん「3年前の2020年の6月ぐらいから、急に投稿歌の数が増えた記憶があるんですね」

桑子アナウンサー「それってコロナ禍でですか、やっぱり」

東直子さん「特に増えた気がしますね。自粛生活が始まって、自分自身を見つめ直す時間ができて、それがもしかしたら短歌に向かわせて。危機的状況の中で短歌を詠みたくなったということは、昔からあるんですよね」

桑子アナウンサー「そうですか」

東直子さん「痛切な思いを抱えているときに、その型に言葉を置いて、自分を表現したい、その気持ちを、とにかく外に出してみたいという欲求で、短歌という器が選ばれることがあったと思うんですね」

<コロナ禍で抱えた孤独 短歌でつながる>

この春、大学を卒業した三浦くもりさんです。コロナ禍の3年間、思いもしなかった学生生活を送ることになりました。

三浦くもりさん「同じ授業の友達と、帰りに遊びに行ったりとか色々したかったので。これから先、例えば、いくらお金や時間ができたとしても、あの時の20歳、21歳の自分として“セカイ”を見ることができない」

くもりさんがSNSに短歌を投稿するようになったのは、コロナの第3波に見舞われていた大学2年の時。授業も全てリモートになり、誰とも顔を合わせることができない寂しさを、31音で埋めようとしたといいます。

『空っぽの講義室にも行きたくて けど切れっぱなしの定期券』  三浦くもり

ある日、くもりさんはいつものように、SNSに短歌を投稿しました。

『教室の存在しない春が来る進路希望の余白が怖い』  三浦くもり

すると、見ず知らずの人から返歌が届きました。

『何にでもなれるってこと余白にもちゃんとウチらは存在してる』

三浦くもりさん「“余白に何でも描ける”っていうことと、“あなたも私もちゃんと、その場に存在している”っていうことで、すごく逆に励ましてくれた。作品を返してくれることで、ちゃんと、したためてくれたというのを、すごく感じられますし、何か特別な感じがありますね」

<返歌の送り主をたどると…>

歌の送り主は岡山にいました。

深海若(みうみ・わか)さんです。ドラッグストアでアルバイトをしながら、介護士を目指しています。

以前、深海さんには、医療の勉強をしたいという夢がありました。大学を受験しましたが、不合格。経済的な理由から浪人はできず、働くことになりました。

くもりさんへ送った短歌は、思い描いた道に進むことがかなわなかった、自分への歌でもありました。

『何にでもなれるってこと余白にもちゃんとウチらは存在してる』  深海若

深海若さん「何になるかは、どんな自分になるかじゃないですか、進路って。“教室の存在しない”に対して、“自分たちは存在してる”っていうアンサーを返したくて、この歌を返しました」

やがて二人はオンラインで、お互いに短歌を詠み合うようになりました。

『有人のレジでよかった日が落ちるまでに誰かと話したかった』  三浦くもり

『はじめからなかった事になっていた夢への線路 また逢いましょう』  深海若

三浦くもりさん「深海なりの優しさ、悲しさ、切なさというのは必ず入っていて、もっといろんな孤独があるんだと思って。感情の広さっていうのを教えてもらいました」

短歌が、孤独にさいなまれていた二人をつなぎ、“セカイ”を広げてくれたのです。

『恋人へ 君は世界に振り仮名を振って私に読ませてくれる』  三浦くもり

<コロナ禍で失われた命を詠う短歌>

コロナ禍で、SNSに毎分のように投稿されるようになった短歌。失われた命についても、多くの短歌が寄せられました。

『最愛が喪われても春は来る 桜の白は骨の白なり』  桜舞う暮らし

『初任給で喪服を買った日の風に花びらが乗る 空まで飛んでく』  みした

『コロナ後の世界をしっかり見ておけと喪中はがきが送られてくる』  犬養楓

歌を詠んだ、救急医の犬養楓(いぬかいかえで)さんは大阪の医療機関で働きながら、新型コロナとの闘いを歌にしてきました。

それは否応なく、多くの死に立ち会う日々でした。

『鼻腔より死後処置液を入れられて業者専用出口より出る』  犬養楓

犬養楓さん「『納体袋』っていって、患者さんの体を包むような袋に入れられて、ちょっとあり得ないような、人の最期を目の当たりにした。何とも言えない思いを、どうにか消化して次に行くために、僕はその短歌という手段があった」

2023年5月、新型コロナの感染法上の位置づけは5類へと移行。

犬養さんが働いていた、コロナ重症センター。多くの重症患者を受け入れてきたこの施設も、9月に閉鎖されることになりました。

犬養楓さん「もしも、もう少し早く運んできてくれたら、もしも、あのとき違う選択を自分自身がしていたら助かっていたかもしれないって、思うこともゼロじゃない。“もうコロナのことは忘れてもいいよ”とか、そういう雰囲気になってしまうのかもしれないけど、心にしまっておけない。まだ心の表面に残っている」

5月になっても、犬養さんの病院は、新型コロナ患者の対応に追われています。

『コロナ後の世界をしっかり見ておけと喪中はがきが送られてくる』  犬養楓

犬養楓さん「亡くなった人は、コロナ後の世界を見ることができない。見ることができるのは唯一、喪中はがきを受け取った生きている我々だけ。このあとの世界を託されている気がするんです」

歌人・作家/東直子さん「その先の未来を見据えて詠まれていることに、大きな意味を感じますね。“喪中はがき”という非常に日常的な、切ないものですけれども、それと“コロナ後の世界”という大きな時間軸で捉えたものをぶつけることによって、はっとさせられるものがありましたね」

桑子真帆アナウンサー「はっとさせられる」

東直子さん「『今は亡くなってしまった人にとっては、見ることができないコロナ後の世界』なんだということで、『私たちは何とか生き残って、どのように生きていくか』ということを試されているんだなと、この歌から感じさせてくれました」

桑子アナウンサー「死を詠むことによって、そのあとの心の中っていうのは、どういうふうに変わっていくんだと思いますか」

東直子さん「挽歌(死者を悼む歌)という、人の死を悼んで短歌の形にするのは、昔から詠まれてきたこと。亡くなった方への敬愛の気持ちを、もう一度確かめるということと、自分自身を落ち着かせる。時間は戻らないけれど、今の“それまでの時間”を慈しみ、“これからの時間”を想う。時間の境目で、揺れる気持ちをまとめて、次に踏み出すための礎にもなれるんじゃないかな」

<コロナ禍後の希望を詠う短歌>

桑子アナウンサー「寄せられた歌の中にはこういうものもありました」

『オーロラの首輪ゆらして春の鳩そうだね冬をくぐりぬけたね』  紡ちさと

東直子さん「とてもやさしい歌ですね。鳩って年中、街中のいろんな所にいる鳥ですけども、でも野生の鳥には違いないので、やはり冬は厳しかっただろうなっていう視線があって。鳩の首の、独特の青っぽいキラッと光る様子をオーロラになぞらえて、この比喩も美しいですし。そして今はちゃんと冬をくぐり抜けて、“春まで生き延びたね”っていう、優しい視線の感じられる良い歌だと思います」

桑子アナウンサー「ずっと制限が続いて、この春で解放されて、という気持ちが読み取れるかなって、私なんかは思ったんですけどね」

東直子さん「何とか生き延びてきたなっていう、感慨は感じますね。これからも完全に解放とまではいかないんでしょうけど、でもやはり、少し自由な気持ちになって、春を楽しみたいという気分はあるかと思うので。やはり危機的な状況をくぐり抜けた中で、何かに希望を見いだしたり、喜びを見いだしたりする。そういった方向の歌も詠まれていくのかなってと思ったりしています」

<新たな一歩を踏み出す歌>

コロナ禍が明けて、ようやく訪れた春。

『運命の歯車を懸命に回すからかわいいだけのネイルが剥がれる』  湯澤萌

湯澤萌さんは、この春、埼玉から北海道に移り住み、牧場で働き始めました。小さな頃から動物が好きだった萌さんが、憧れていた酪農の仕事。

湯澤萌さん「体がつらくて起きるのが嫌だなってときもあるんですけど、牛舎に行けば、牛はかわいいし。やっぱ牛と関わる仕事、かっこいい」

初めての1人暮らし。2年前に始めた短歌は、いま萌さんにとって応援歌にもなっています。

湯澤萌さん「しおりを挟むみたいな感じで、1日の中で、ちょっとした心の動きみたいなのがあった時に、忘れないように短歌に閉じ込められたらいいな」

牧場での1日は、早朝5時から始まります。乳搾りは80頭分。顔を蹴られたこともあります。休憩時間は、少しでも体力の回復につとめます。

萌さんは、めまぐるしく忙しい生活を送る、いまの気持ちを歌にしました。

『運命の歯車を懸命に回すからかわいいだけのネイルが剥がれる』  湯澤萌

湯澤萌さん「私のチャームポイントだったんですよね。爪が長いのもそうだし、いろんな色をずっと塗っていたので。この爪は短くなっちゃって、ひび割れとかたくさんあるんですけど、それはそれで働く人の手だなって。かっこいいなって自分では思っていて。これも愛す覚悟みたいな感じもありますね」

<短歌でみつめた親子の絆>

春。母親との新しい関係を、短歌に詠み始めた人もいます。

杜崎ひらくさん。月に1度、母の美容室で髪を切るようになりました。

母「今仕事忙しいの?」

杜崎ひらくさん「忙しいっちゃ忙しいけど、そうでもないっちゃ、そうでもない」

母「そうでもない?」

杜崎ひらくさん「うん」

母「ほどほどがいいね」

コロナの感染状況が落ち着き、久しぶりに散髪してもらったときの出来事を短歌にしました。

『美容師の母と鏡のなかにいて左利きかと問いひかり降り』  杜崎ひらく

杜崎ひらくさん「右利きって知ってるはずなのに、『あれ左利きだっけ?』って、聞いたことがあるんです。『そっか、鏡だからか』っていうときに、母親と僕の間に流れた、一瞬の“きょとん”としたような時間が、愛しかったわけですよね」

『美容師の母と鏡のなかにいて左利きかと問いひかり降り』  杜崎ひらく

<青春を取り戻す 高校生たちの歌>

学校にも春がやってきました。高校教師の菅野公子さんは、こんな短歌を詠みました。

『わすれもの取りにもどった廊下には合唱曲の流れきて 春』  菅野公子

菅野公子さん「新しい春がやって来たんだな、もうしっかり歌が歌えるようになったんだな、っていうような。暗く閉ざされた時代から、ちょっと光の見える時代になりましたよね、という意味も込めての春ですね」

菅野公子さん「今日はみんなに“短歌”。初めての人もいるかもしれないですけれども、短歌を作ってもらおうという授業です」

コロナで閉ざされた青春を送ってきた生徒たちにも、春が訪れていました。

『隠してる内なる私のこの気持ち いつになったら伝わるのか』

「自分が片思いだから、それを書いてみました。(相手が)普通に歩いてるだけで、きゅんとします」

『三月に桜満開楽しむも四月に入り桜散り舞う』(野球部の生徒)

『扇子持ち緊張の中高座へと広がる視線お客の笑顔』(落語研究会の生徒)

「中学生のときにコロナで、みんなと思い出が作れなかったんですけど、やっぱり少しずつ緩和されてく中で、いろんな人の笑顔が見えたりして、やっぱり人の顔が見えるっていうのが一番いいなって」

『青春は友達と過ごす思い出の満開に咲く笑顔の花』

桑子真帆アナウンサー「今こうしてコロナの制限が解かれて振り返ると、このコロナ禍って、どういうことをもたらしたと感じていらっしゃいますか」

歌人・作家/東直子さん「なかなか長い時間なので、いろんなことがあって、ひと言で言うのは難しいですけど、でもやはり立ち止まって自分が生きるっていうこととか、病気とか家族とか仕事とか、いろんなことを『立ち止まって考える時間を与えてくれた時間』でもあったかと思いますね。その気持ちを表現する道具の1つとして、短歌が作用したような気がしますね」

桑子アナウンサー「短歌が広がっていくと、どういう世界になっていくと思いますか」

東直子さん「私思うんですけど、みんなが短歌を楽しむようになると、すごく世界が優しくなれると思うんですよね。全員が短歌を詠んでいるって想定すると、きつい言葉を直接言うのではなくて、一度一歩客観的に引いて、短歌で捉え直して表現すると、柔らかくなったり」

桑子アナウンサー「想像力も養われて人を豊かにしてくれる」

東直子さん「そういうことができると、段々ほかの人の繊細な気持ちの変化に気づきやすくなって、とても世界が優しくなるような、そして世界を愉快に楽しめる部分もできるんじゃないかと思っています」

<響きあう歌 コロナ禍後の世界を前へ進む人たち>

ところで、あの二人はどうなったのでしょう。

SNSで短歌を詠み合っている、 東京の三浦くもりさんと、岡山の深海若さんです。

深海さんが、1つの歌を投稿しました。

『残すべきものを集めてこの日々を傷跡なんかにしたくなかった』  深海若

三浦くもりさん「いいじゃん。めっちゃいいじゃん。『傷跡なんかにしたくない』というのは、めっちゃ分かるな」

三浦くもりさん「オンラインだからこそ出会えたこの出会いとか、そういう大切なものもいっぱいあるんで、ただの“傷跡”ではない。完全な孤独には、もうならない。一人ではない」

「次はオフラインで会いましょう」。二人はそんな約束を交わしました。

<母から娘へ エールの歌>

北海道の牧場で湯澤萌さんが働き始めてから1か月が経ちました。

祖母から届いた手紙には、埼玉にいる家族の様子がつづられていました。

湯澤萌さん「北海道行くとき、両親は号泣したらしいって書いてありました。全然ドライな感じで、『じゃあね』って見送られたので、えーって思いました。意外だなって」

萌さんの母・かつらさんは、娘が巣立ったこの春から短歌を始めました。

『がらんどう巣立った後の部屋の中 響く悲しさ私の心も』  湯澤かつら

娘とつながるために作った、SNSのアカウント。母親は親元を巣立っていった娘に宛てた短歌を投稿しようとしていました。

母・かつらさん「ちゃんと言葉で言えれば、そんな必要はなかったんだけど。ただ照れとか出ちゃうんだよね。いろんな夢や希望を持ってほしいし、それを両腕いっぱいに抱えて、雲一点ない澄み渡った大空に飛び立ってほしいっていうのを、なんとか 31文字にって思って、今言葉を選んでいます」

つかの間の休憩時間。この日、母親のSNSに、萌さんへの短歌が投稿されました。

『虹色の翼を広げ羽ばたいて春の青空どこまでも高く』  湯澤かつら

湯澤萌さん「身内なので、だめ出ししかできないんですけど」

友人「虹色の翼だって。なんか、きゅんと来るね。私だって一応お母さんだからさ。どのようにでも飛んでいけっていう意味合いを感じたけど」

湯澤萌さん「虹色にですか」

友人「どんな分野でもいいから、大きく羽ばたきなさいよって。泣けてくるじゃん」

湯澤萌さん「母はいつも私の選択を止めることもないし、それってお互いに信頼してないとできないことなので、そういう人たちの存在を、灯台だって私は思っていて。灯台があるから海も遠くまで行ける、帰ってこられる。母だけではなくて、いろんな人が灯台になってくれてる」

『受け取った言葉と愛を灯台に夜明け前でも漕ぎ出してゆける』  湯澤萌

新型コロナの長いトンネルを抜けると、すぐそこまで夏がやってきていました。

そして、街には短歌があふれていました。

◇◇東直子さんによる選歌43首はコチラ◇◇