番組のエッセンスを5分の動画でお届けします
(2022年3月5日の放送内容を基にしています)
シリーズ「新・映像詩 里山」。第1回は新潟・雪の棚田です。棚田の周りに広がる里山は、日本人が長い時間をかけて作り上げてきた調和の世界です。人が手入れをした自然に、多様な命が住み着き、優しいどこか懐かしい風景を形づくっています。しかし、この地には美しさから想像できない顔があります。それでも人々は粘り強く土を耕し続け、災いを豊かな恵みに変えてきました。古くから自然の猛威と共に生きてきた日本人。里山には、自然と上手に暮らす知恵が隠されています。翻弄されては立ち直る。人と生き物たちの物語です。
新潟県・中越地方。半年ちかく雪に閉ざされる冬、積もる雪は4mにも達します。標高300mほどの山あいに、集落が点在しています。日課は、屋根の雪下ろし。重たい雪を放っておけば、家が潰されます。かいても、かいても、とめどなく雪は降ってきます。
「いくらやってもきりがないね。これが仕事だもん。冬になればね」
3月。
雪にうもれた緩やかな斜面。
そこへまかれたのは、米の皮・もみ殻をいぶした灰です。「灰まき」と呼ばれる作業です。太陽の熱を集めて雪をとかし、春を呼びこみます。
棚田が現れました。星峠の棚田です。240枚ほどの田んぼが、水鏡を作ります。
夜には、星降る世界。半年、人を苦しめた豪雪、その雪どけ水が絶景を生み出します。
田植えが始まりました。星峠で毎年一番乗りは、米作りの達人・横尾武雄さんです。
冷たい雪どけ水がぬるむのを見計らい、真っ先に苗を植え始めます。
田んぼの脇にも、田植えのサイン。
横尾光子さん「私らウツギって言わんで、田植えぼちぼちって言うんですよ。この花が咲き始めると、田植えがぼちぼち始まる」
横尾武雄さん「昔から目安なんです。この花の咲く頃が、田植えですよっていう目安です」
棚田で作る米は、魚沼産コシヒカリの中でも、ひときわおいしいといわれます。秘密は「雪どけ水」。山から染み出した水には、地中のミネラルがたっぷり含まれています。そして秘密はもう一つ。稲の成長を支えてくれる「特別な土」です。
横尾武雄さん「肥えた土が水と一緒に、田んぼに流れて入ってくるんです。稲に必要な成分がガッチリ含まれている。肥料を買うにも肥料がなかったので、肥えた土で補った。それが棚田の恵みかなぁと思いますね」
雪どけ水と特別な土、さらに大きな寒暖差が加わり、絶品の米は生まれます。
一見、水は豊かそうですが、小高い山の上までひらかれた棚田には、川などの水源がありません。棚田の周りに作られたため池。そこに蓄えられた雪どけ水で、米を育てていきます。この水が、米作りの生命線です。
田植えの頃、ため池に住むメダカが動きだします。メダカたちが目指すのは、田んぼ。そのお目当ては、田んぼで爆発的に増えるミジンコです。メダカの大好物です。もともとメダカの住みかは、川が氾濫したあとなどにできる浅い水辺です。それとよく似た田んぼで繁栄してきました。昔ながらの棚田は、メダカたちの楽園です。
この地域に人々が住み着いた記録は、遠く千年ほど前、平安時代から残されています。豪雪に半年も閉ざされる山あいでの暮らしは過酷でした。そして、宿命とも呼べる災いがありました。棚田の上の崩れた土砂。新潟南部のこの一帯は、粘土質の滑りやすい地質のため、全国有数の地滑り多発地帯なのです。2004年に発生した中越地震では、最大震度7の揺れが地滑りを誘発し、甚大な被害がもたらされました。
人々は昔から、地滑りを繰り返す土地で生き続けてきました。神社には、そんな人々の執念を物語るものが残されています。800年前の「かめ」。中には、僧侶と見られる座禅を組んだままの人骨が入っていました。地滑りから村を守るため、我が身を犠牲にしたと言い伝えられています。
地滑りが起きるたび、人はその斜面にあぜを築き、稲を育てました。そこには、思わぬ恩恵がありました。地中深く混ぜ返された土から、おいしい米を生む栄養がもたらされたのです。先人たちは災いを逆手に取り、恵みに変えてきました。
横尾さんには、忘れられない記憶があります。ある夜、集落の棚田が一気に崩れたのです。
横尾武雄さん「人間の力なんて、ささいなものなんです。自然の大きさには、びっくりします」
毎日欠かさず、田んぼへ出る横尾さん。草刈りのあいだも、自然の怖さが頭に浮かびます。
横尾武雄さん「除草剤で根まで枯らす薬があるんです。根っこまで枯らすと、どんどん崩れていってしまう。草木の根でぐっとおさえてる。ちっこい田んぼだから、いいやいいやと思っていると、最後には大規模な地滑りが起きてしまう。だから管理してる。絶えず面倒みて、管理が大事だと思います」
自然から恵みを受け取るには、こまやかに手をかけ続ける努力が欠かせないのです。
そんな人の苦労はつゆ知らず。田んぼのメダカたちは恋に明け暮れます。メスの周りを回るのがオス。背びれと尻びれで、優しくメスに抱きつきます。カップル成立です。こうして、田んぼでみるみる数を増やしていきます。
田んぼの中には驚くような生き物がたくさんいます。怪獣のような姿をしているのは、ゲンゴロウの幼虫です。でも今や、ゲンゴロウもメダカも全国で数を減らし、絶滅危惧種に指定されてしまいました。
里山には、手つかずの自然をしのぐほど、多様な生き物が集まるといわれています。田んぼから、命の輪が巡ります。
こちらは、空中の名ハンター・ブッポウソウです。
近くの巣には、ひなが4羽。ブッポウソウは、はるばる東南アジアから、毎年この地を選んで子育てにやってきます。
(♪鳴き声)
響き渡る鳴き声。その声の主はめったに見られません。アカショウビンです。カエルを運んできました。
巣から出てきたひなに、親がカエルを与えましたが、大きすぎたみたい。落としてしまいました。初夏、個性あふれる生き物たちが、命を謳歌(おうか)しています。
7月下旬。
梅雨が明けた棚田では、雪どけ水が底をつきます。田んぼに暮らすメダカにとっては受難のとき。わずかに残った水たまりに取り残されてしまいました。
メダカたちに逃げ場はありません。
日に日に深刻になっていく水不足。
斜面から染み出すわずかな水も使います。泥で水路を作り、田に引き込みます。一滴の水も無駄にはできません。稲は、穂を出すこの時期、最も水を必要とします。
しかし、日照りが数週間続くことも、しばしば。山あいの棚田では、水不足は避けられません。
ある集落では、山の奥に活路を見いだしました。たどり着いたのは、隣の谷。ぽっかりと、人の背丈ほどの穴があいています。農業用水を確保するために作られた手掘りの水路です。
「この先は、ひと山越えて集落につながっています」
全長550m。100年以上前に、集落総出で3年かけて掘り進めたと伝わります。山深く、夏でも枯れない沢の水を、集落の棚田へと流します。頂く水は必要な分、少しだけ。
乾いた田んぼのメダカたちは、もう限界です。田んぼに均等に水を行き渡らせるため、溝を作っていきます。
メダカは閉じ込められていた水たまりから、脱出しました。里山では、人も生き物も翻弄されては立ち直り、命をつないでいます。
8月の朝。
稲が、穂を伸ばしました。手塩にかけて育ててきた稲が、これまでの苦労に応えてくれたようです。
横尾武雄さん「今の時期は、稲の花のにおいがする。ぷーんと米の炊きたてのにおい。山全体に、におってくる。全体的にすごくいいと思います」
棚田が育むのは米だけではありません。錦鯉(にしきごい)もその一つです。始まりは江戸時代後期。ため池などで食料用に飼われていた真鯉(まごい)から、色をもつ鯉(こい)が現れ、かけあわせて美を競いました。中越地震をのりこえ、世界的な産地となっています。
養鯉業(山古志地区) 田中重雄さん「この風景も鯉とセットの一つだ。冬になると半年は、まるっきり白黒の世界にいる。白黒の中で、赤とか、カラーだよな。それを見るだけで、ものすごく気持ちが明るくなった。あえて言うなら、雪のおかげだ」
9月。
次第にこうべを垂れる稲。まもなく収穫のときを迎えます。しかし、たった一日、猛烈な嵐が襲いました。横尾さんの棚田の一角で、稲がなぎ倒されていました。別の田では被害はさらに深刻でした。横尾さんの親友、牧田信二さんです。
牧田信二さん「もう、なんとも言いようがない」
品質がひどく落ちた稲は、もうほとんどお金になりません。それでも、稲を一度起こしてから機械で刈り取らなければなりません。横尾さん夫婦が手伝いに駆けつけました。
「悲しいわね。毎日毎日さ、田んぼに行ってこれだもん。それじゃあね、本当にやるせないですよ、本当に。お金とか金銭の問題じゃないんだわ。人と人とのつながりね。持ちつ持たれつ」
収穫が始まりました。
毎日欠かさず田んぼに通い、手入れを重ねてきた横尾さん。すべてはこの日のためです。つややかで、もちもち。かめばかむほど深い甘み。最高品質の、それは、それは、おいしいお米ができました。
横尾さんに続いて、星峠のあちこちで収穫が進んでいきます。そのけん騒の中、飛び交う小さい虫たちを狙うものがいます。アキアカネです。夕焼け小焼けの赤とんぼ。長い年月、巡る季節の中で苦楽を共にしてきました。
雪。田んぼを潤してくれる恵みの雪。冬がやってきました。
小正月。
600年前から続くとされる「すみ塗り祭り」が開かれました。稲わらを燃やした灰には、病気や厄をよける神聖な力があるといわれます。それを塗り合って幸せを願います。雪が、人の和を深めていきます。
静まり返った棚田のため池では、メダカが、再び人が戻ってくる春をじっと待ちます。
朝3時。星峠の集落で除雪が行われていました。運転していたのは、横尾さん。集落の仲間と交代で、毎朝、一軒一軒を除雪して回ります。家々を巡りながら、ひとりひとりに声をかけていきます。
屋根に積もった雪も、力を合わせて下ろします。
「お父さんが元気な頃は2人で頑張ってた。この人がいてやってくれるすけ、いられらあ。感謝だねぇ」
荒ぶる自然をのりこえるのに大切な人の絆。育んでいたのは、雪でした。
横尾武雄さん「この地域は、みんな本当に助け合わないと、生活するのが難しいところなんです。みんなが一つの塊みたいになって生活してるんです。もう1か月もすると芽吹きが始まるんです。真っ白な世界から一変します。難儀すると、芽吹く時期、それはもうすばらしいものなんです」
雪の里山には、日本人の自然への向き合い方が凝縮されていました。災いを転じて福となす。豊かで、かけがえのない命の輪は、人が小さな一歩を積み重ねる限り、巡り続けます。