(2022年9月11日の放送内容を基にしています)
<中国の“力のよる統治”で激変する香港>
台湾近海に向けて、次々と発射される中国軍のミサイル。
国防大学教授「今回の軍事演習は著しい効果がある。台湾独立勢力を脅かすものだ」(CCTVより)
2022年、中国は22年ぶりに「台湾統一に関する白書」を発表。「武力行使の放棄は約束しない」とし、力によって現状を変えようとする姿勢を強めている。
いま世界では、強権的な国々の影響力が強まり、これまでの秩序が揺らいでいる。
国家が力による統治を推し進めることで、わずか数年で社会が一変したのが香港だ。
「一国二制度」のもと、香港で認められていた「言論や集会の自由」。香港返還から50年は守られるはずだったが、それが今、大きく変わろうとしている。
2020年、中国政府は国安法を施行。「国家分裂」や「政権転覆」など、反政府的な動きを犯罪として規定した。「言論や集会の自由」も厳しく制限されるようになり、市民、ジャーナリスト、議員が次々と逮捕された。
中国への愛国心を高める教育も始まっている。教育現場では、真紅の中国国旗を掲げることが義務化された。
中国・習近平国家主席「必ず『愛国者による統治』を徹底させなければならない」(2022年7月1日)
統制を強める一方で、中国は香港で不満が高まっていた貧困層への支援を強調。さらに、中国と香港を一体的に発展させる国家戦略で、香港市民の心を引き寄せようとしている。
想像もできなかった変化を遂げた香港社会。中国の統治が日増しに強まる中、香港の内部で起きていることは、世界から見えづらくなっている。
かつて「自由と民主」を求めて声をあげていた香港の市民は、中国の統制のもとで何を思い、どう生きているのか。
真紅に染まる香港、変貌の深層に迫る。
<変貌した香港の姿>
東京の約半分の面積に730万人が暮らす香港。150年に渡るイギリスの統治を受け、アジアにありながら、西洋の価値観を受け入れてきた。
その香港が中国に返還されたのは25年前。以来、「一国二制度」のもと、香港には「高度な自治」が認められてきた。
3年前(2019年)の香港。街の中心部は、メッセージが書かれたカラフルな紙に覆い尽くされていた。書かれていたのは、「香港を守る」「香港人頑張れ」など、自分たちを鼓舞する言葉。
この頃、市民の間では、香港の独自性を守ろうという運動が高まっていた。デモの参加者は、香港市民の4人に1人とも、200万人に上ったとも言われている。
ところが、国安法の施行から2年がたったいま、声を上げる人々の姿は街頭から消えた。
街を覆い尽くしていたあのメッセージも一枚残らず消えていた。
<統制が強まる中で生き残りを図るメディア経営者>
急速な変化の中で、香港の市民はどう生きているのか。
香港返還25周年を祝うパーティー。参加者の多くは、返還後にビジネスなどの成功を目指して、中国本土からきた「新移民」と呼ばれる人たちだ。こうした新移民は人口の5分の1近く140万人に上るという。
中国と香港の双方に情報を届けるメディア、「中華時報」を経営する曽暁輝もそのひとりだ。中華時報の読者の多くは新移民で、スポンサーもほとんどが本土から進出した企業だ。曽は香港で中国の存在感が高まる中でも、ビジネスを守ろうとしている。
曽暁輝「私はこのメディアを、自分の子どものように育ててきた。香港で自由に大きくなってほしい」
国安法施行後、曽のもとには、当局からたびたび連絡が入るようになったという。メディアへの統制が強まる中でも、曽は中華時報の生き残りを図ってきた。
曽は、著名な評論家で、中国政府とパイプを持つ人物の助言をもとに、編集方針を改めようとしていた。
評論家・劉夢熊「香港の報道の自由に関しては、私も懸念しています。原稿を香港の主流メディアに3時2分に送りましたが、3時6分に断りの返事が来ました。タイトルを見ただけで、ビクビクして掲載する勇気がなかったのでしょう」
曽暁輝「劉さんから見て、レッドラインはどこにあると思いますか?」
評論家・劉夢熊「『香港独立』など正当性のない、反政府的な論調は封じる。慎重に考えることでやりようはあります」
曽は、これまで報じてきた市民のデモに関する記事200本を、自社のサイトから削除することに決めた。
曽暁輝「当局から、前の記事も削除すべきだと連絡がありました。本来この話はしてはいけない」
曽は、当局の動向に気を配りながらも、伝え続けたいことがあった。
1989年6月4日、北京で天安門事件が起きたという事実だ。
民主化を求め、声を上げる市民を軍は武力で鎮圧。多数の死傷者が出た。時を同じくして、曽が通っていた南京大学でも、学生による抗議運動が当局によって押さえ込まれた。
曽暁輝「私は同級生と一緒にデモに参加しました。同級生は有罪判決を受けたり、失踪した人もいます。私は本土にいたとき(真実を)書くこともできませんでした」
当時香港では、中国の民主化を願い、本土の若者たちを支持する100万人もの市民が集会を開いた。天安門事件が本土でタブーになったあとも、香港の人々は事件を“六四”と呼び、語り継いできた。
市民団体が運営する、「六四記念館」には、曽も何度も足を運んだ。
曽暁輝「記念館を見たあと、私たちは言葉を失い、涙を流しました。この運動に自ら参加しましたから」
毎年6月4日になると数万人もの市民が集って犠牲者を追悼し、中国政府に対して事件を再評価するよう求めてきた。人々にとって“六四”を語り継ぐことは、香港が自由であることのシンボルだった。
掲げられた無数のろうそくのともし火は、人々の自由への決意だ。
曽暁輝「香港市民の多くは、追悼したい気持ちがあります。“六四”は私にとっても、永遠の痛みです」
<力による現状変更 求められる「忠誠心」と「愛国心」>
香港社会を大きく揺るがすことになった国安法はどのようなものなのか。
中国政府は2020年6月、香港国家安全維持法、通称「国安法」を施行。国家の安全を脅かす犯罪行為として、「国家分裂」「政権転覆」「テロ活動」「外国勢力との結託」の4つを規定した。
違反した場合、最高刑は無期懲役。しかし、具体的に何が取締りの対象になるのかは示されておらず、市民の間に不安が広がった。
民主活動家「私たちは、民主的な闘いはやめません」(2017年)
香港の民主化運動の象徴的存在だった若者たち。国安法施行後、さまざまな条例が厳しく適用されるようになり、次々に逮捕された。
さらに、求められるようになったのが、中国政府への忠誠心だ。議員や公務員は、政府への忠誠心がないと見なされれば、その地位を追われ、刑事罰が科せられる。
区議会議員「私は中華人民共和国香港特別行政区の基本法を守り忠誠を尽くします」
香港で長年行われてきた教育も変化を強いられている。日本の高校生にあたる学年で必修科目とされていた「通識」。様々な問題について自由に議論を行ってきたが、去年、こうした授業は行われなくなった。代わりに力が入れられるようになったのが「愛国心」を高めることだ。教育現場でも、中国国旗の掲揚が義務化された。
小学生から、国安法を学ぶ授業が導入され、国の統治を揺るがすことは、重大な犯罪だと学ぶ。
教師「中国への帰属意識、中国人のアイデンティティーを持つことは大切です。授業によって祖国のために何ができるのか、見直してくれると期待します」
中国が香港に対し、ここまで統制を徹底するのはなぜなのか。
中国政府に政策を助言する機関のメンバーでもある専門家は、その意義を語った。
全国香港マカオ研究会・劉兆佳 副会長「香港市民がこれまで抱いていた、中国共産党、中華民族、祖国への偏見や抵抗感を、徐々になくすことができるはずです。今後、中国と香港の関係は、緊密で切り離せないものになっていきます。その結果、香港市民の祖国への帰属意識が高まることにつながるでしょう」
<淘汰されていく民主派メディア>
国安法が施行された香港で、当局の厳しい締め付けの対象となってきたのが、民主化を求める市民の声を伝えてきたメディアの記者たちだった。
中国政府への批判を辞さない姿勢をとってきた「リンゴ日報」。国安法施行から1か月半後、「リンゴ日報」の編集部に当局の捜査が入った。
警察「捜査の邪魔をしたら逮捕するぞ」
創業者を含む関係者8人が国安法違反などで逮捕され、「リンゴ日報」は廃刊に追い込まれた。
「リンゴ日報」元記者・蔡元貴「社会は進歩しかないと思っていた。逆戻りするなんて想像もしていなかった。しかもこんなに早いスピードで」
元記者は同じくメディアでの仕事を失った後輩の記者と近況を語り合った。後輩は個人でネットメディアを立ち上げていたが、元記者は、報道の仕事を続けることを諦めていた。
元記者・蔡元貴「記者を続けるかどうか、主流メディアでやるか、独立して続けるか。自分自身でやりきる能力があるか自問すると・・・無理だ」
リンゴ日報を追われた記者の多くは、メディアへの再就職をためらっているという。元記者も、飲食店で働いたり、観光ガイドをしたり、職を転々としながら暮らしている。
元記者・蔡元貴「「思っていたより耐えられている。毎日お酒の力を借りて生きていかなければいけないかもしれないと思っていたから。いま別の世界で働いて、残りの人生でも何かできるかも、と思えるようになって、人生がより豊かになった気がします」
<圧力にさらされる香港記者協会会長>
既存のメディアが活動を停止していくなか、所属する組織を失った記者たちのよりどころとなってきた「香港記者協会」。900人いた会員は、国安法施行後半数以下に減った。
協会の会長を務める陳朗昇も、所属していたメディアを失った一人だ。圧力が強まる中で、協会の存続に頭を悩ませている。中国政府寄りの新聞から、繰り返し批判記事を書かれていた。
陳朗昇「我々は警戒すべきです。警察が国安法で我々をつぶそうとしています」
かつて、香港で大規模なデモが行われていたとき、陳は市民と共に当局と対峙していた。
警察「後ろへ下がって」
陳朗昇「メディアに対する扱いが不適切だ。説明してください」
100万人を超える市民が参加したと言われるデモが続くなかで、陳は市民の声を伝え続けた。
陳朗昇「(当時市民は)道を譲り、応援してくれました。『記者だ』と声をかけてくれ、水や食べ物を持って来てくれた。記者は市民のペンであり、カメラは市民の目だとよく言われます。ふだんは感じないけど、あの時は自分のカメラがすごく大事だと思えました」
陳が所属していたネットメディアは、当局の強制捜査を受け、運営停止に追い込まれた。
以来、動画配信サイトから仕事を請け負い、生計を立ててきた。
今、陳に求められているのは、ニュース性よりも、少しでも再生回数を増やせる映像を撮ることだ。
当局との対峙を避けるようになった陳のもとに、市民の期待の声は届かなくなった。
陳朗昇「危険ではないことだけを選ぶのは、本当はしたくないです。心配なのは政治に関して、これ以上発言すると当局から批判され、逮捕される可能性があるということです」
所属先を失った記者たちの最後のよりどころとなった記者協会も、いつ摘発されるかわからない。
陳の頭には、「解散」の2文字がちらつき始めていた。
陳朗昇「今の記者協会の危険度は高い。だから解散したほうがいいのではないか、解散すべきかどうか。もし解散すれば、記者仲間に申し訳ない。記者たちを助けることができず、社会に申し訳ない」
<予想を超えて強まる統制>
国安法の下でも生き残りを図っている、中華時報の曽曉輝。ある人物との関係を深めようとしていた。
曽曉輝「会長は企業家でもあり、福建省政府に近く、香港で地位の高い人です」
この日対談したのは、同じ新移民の財界の重鎮で、中国側と近い関係にある人物だ。彼のインタビュー記事を載せることで、中華時報の政治的な立場を明らかにできる。
財界の重鎮「彼の報道は、正しく社会のことをきちんと報道する。中華時報を応援している」
曽は今後さらに、中国政府の統制が強まることを想定し、先手を打とうとしていた。
曽曉輝「強いバックがいて心強い。会長はとてもサポートしてくれます。精神的にも、物質的にも。イベントの支援金をいただけるし」
曽はさらに、中国政府が進める、本土と香港の関係強化に貢献する美術展を開催しようとしていた。
曽曉輝「政府からも少し支援がありました。政府の代表から、芸術界、大学の先生が来ると約束しています」
その準備のさなか、思わぬ事態に直面する。会場の運営団体から、厳しい事前審査を受け、参加者のリストや垂れ幕の文言に至るまで、細かく指定されたのだ。
曽曉輝「これほど厳しいのは初めてです。今までこんな要求はありませんでした。広告や垂れ幕は、自分たちで決めて、契約違反しなければいい話で。今は審査を通さないといけないのです」
国安法にどう対処するか最優先に考えてきたが、予想を超えて統制が及ぶようになっていた。
取材班「こうした制限は、香港の未来にはどんな影響を及ぼすのか?」
曽曉輝「わからない。そんな将来のことなんて」
香港の政財界の著名人を迎えて開催された美術展。
天安門事件のあと、中国の言論統制を経験した曽。当局の意向に合わせながら、自分が育ててきた中華時報を守ろうとしていた。
曽曉輝「自ら努力して、今の社会と法律の変化を見極める。我々は常にそうしてきました。従うべきは従う。大きな社会には、規則があり制限があるのです」
<経済力を背景に影響力を強める中国政府>
国安法で統制を強める一方で、中国政府は、香港に経済面での恩恵を与えることで人々の支持を得ようとしていた。
香港は長年に渡り、繁栄の陰で貧富の格差が拡大する問題を抱えてきた。香港政府の発表によれば、住宅難や生活苦にあえぐ貧困層は165万人に上る。
中国は今、本土と香港を一体的に発展させる国家プロジェクト、「大湾区計画」を推し進め、香港に経済成長をもたらそうとしている。
すでに香港と本土をつなぐ世界最長の海上大橋も完成し、車で4時間以上かかっていた移動は45分に短縮。本土と香港の一体化を加速させ、中国主導で香港経済を活性化できると喧伝している。
中国・習近平 国家主席「香港と本土の交流・協力分野は拡大し、香港同胞が事業や実績を積み上げる舞台は、ますます広くなっている」
香港では「大湾区計画」による開発促進に期待を寄せる市民も少なくない。
香港北部 地域振興団体・梁明堅 代表「私は香港だけでなく、大湾区にも進出したいです。市場が大きくなり、生産量を増やすことができます」
とりわけ期待の声が強いのは、発展から取り残されてきた香港北部だ。
元養殖業者「魚の養殖で稼げなくなりました。養殖するための借金も返せなくなり、家族を養うこともできなくなったのです」
対岸には、中国政府が国家戦略として育成したハイテク産業の集積地、深圳が見える。かつて本土をしのぐ繁栄をとげていた香港の人々が、今は本土の発展を仰ぎ見るようになっていた。
香港北部 地域振興団体 梁明堅代表「祖国は絶えず進歩しています。中国はいま世界第2位の経済大国です。香港の人々は祖国を頼りにしないといけません」
中国政府はさらに、香港の貧困層への支援策を充実させる方針も打出している。
香港では、アパート一世帯分の部屋を複数の世帯で分け合って暮らす市民が増えている。自力で家賃を払えず希望を見失う若い世代が増え、社会問題になっている。
立法会議員・田北辰「住宅費が高いのに、彼らの賃金が安いので家賃を払えない。香港は資本主義制度なので、市場がすべてを支配していますから」
中国政府は、家賃が安い住宅の建設を後押しし、2021年には1800戸が供給された。中国式統治が進むことでで、これまで立ち遅れていた福祉政策が加速すると、田議員は期待を寄せている。
立法会議員・田北辰「本土では若者にステップアップするチャンスを与えています。彼らは自分の好きな仕事を得て、職場も与えられ、民主や自由を求めたりしません。返還から25年間は無駄でした。今から香港は再出発するのです」
<中国式統治を受け入れる市民たち>
中国の統制や経済面での影響が強まる中、香港社会のあちこちで変化が顕在化している。
中国を礼賛する声が目立つようになった。ネット空間では、KOL(キーオピニオンリーダー)を名乗る議員や知識人が、中国による統治の正当性を訴える動画が増えた。
立法会議員(キーオピニオンリーダー)「習近平国家主席の指示に従えば、香港の将来がより一層よくなると私は確信しています」
市民の間にも、互いに監視し、国安法違反に目を光らせる動きが広がっている。当局は国安法違反を通報するサイトを開設し、市民から28万件以上の情報が寄せられた。
そして、香港の市民が大切にしてきた、天安門事件を語り継ぐことも制限されようとしていた。
2021年9月、犠牲者の遺品などが展示されていた記念館に警察の捜索が入り、展示品を押収。記念館は閉鎖された。
追悼集会を主催してきた市民団体の幹部たちも逮捕。団体は自主解散を余儀なくされた。
<存続が危ぶまれる香港記者協会>
当局の圧力にさらされ、記者協会を解散すべきか否か悩んでいた陳朗昇。海外メディアの記者たちにも、国安法にどう対処すべきか意見を求めることにした。
陳朗昇「普通にテレビを見ているだけでは変化に気づきませんが、記者は日々、刻々と変化していると感じています」
国安法は、国籍や居住地に関係なく適用される可能性がある。香港外国記者会のアメリカ人の会長は、統制を強める当局を前に、今は慎重に行動するしかないと助言した。
香港外国記者会・会長「できることはありますが、法の範囲内でするべきです。時には賢く立ち回らなければなりません。うまくレッドラインをかわさなければいけないのです」
陳は自分を取り巻く状況に、より強い危機感を覚えるようになった。
街を歩いていた陳が、ふいに立ち止まる。最近、何者かに監視されていたり、尾行されていたりする気配を頻繁に感じている。
陳朗昇「多くの先輩や元同僚、政界で活躍した友人は刑務所に入っています。私は普通に暮らしていて仕事も車もあります。ちょっとしたぜいたくもできます。物質的な豊かさはあると思います。たとえ私の気分が落ち込んだところで、それは今の香港にとって取るに足らないことかもしれません」
<消えゆく自由の象徴 “六四”>
天安門事件から33年となった2022年の6月4日。
国安法の下でも実力者たちの力も借りながら、中華時報を守ろうとしていた曽曉輝。特別な思いでこの日を迎えていた。
曽曉輝「下は警察がいっぱい。取り調べをしている。萎縮効果さ。もう追悼するなと」
曽曉輝「かつて市民はこの事件を語り継ぐため、子どもを連れて追悼集会に参加していました。しかし国安法が施行され、事件を伝える記事は減りました。どう伝えたらいいか、考えています」
曽はひとり、集会が開かれていた公園に向かった。
追悼のため花を持って会場を訪れた男性には、大勢の警察官が駆け寄っていた。ろうそくを持つ手のオブジェを携えるなど、市民たちは国安法違反に問われないよう、ぎりぎりの意思表示を試みた。
かつて人々で埋め尽くされた公園は警察に封鎖され、市民は一歩も入ることができなかった。
曽は、“六四”の記事だけは、あえて掲載することにした。当日の様子を伝えるだけの簡素な内容だったが、曽にとっては掲載することに意味があった。
曽曉輝「(香港には)まだ自由があります。でも残念ながら、自由と民主を求める多くの友人が去りました。表は従うけど、実際の心に秘める精神や思想は人それぞれ。自分の考えがあります。中国は私の祖国、香港は私の故郷、両方とも良き未来を願っています」
記者協会を存続すべきか否か迷っていた陳朗昇も、今年の“六四”を見届けようとしていた。
夜。誰もいなくなってから、陳は、かつての追悼会場を臨む場所にやってきた。取り出したスマホの画面には、火を灯したろうそくの写真。
陳は、暗闇の先に向かってひとり、叫んだ。
陳朗昇「私たちは忘れない。人々は忘れない。人々は忘れない」
陳朗昇「(自由と民主は)なくても生きていけます。空気ではありませんから。ただ私自身は切に求めています。限られた環境の中で、できるだけやりたい。とにかくできるだけやります」
陳は記者協会を存続させるため、引き続き代表を引き受けることにした。
<香港はどこへ向かうのか>
“六四”からおよそ1か月後。香港がイギリスから中国に返還されてから25年を祝う式典が行われた。
会場には習近平国家主席の姿があった。習主席は、中国による香港の統治は、世界が認める成功を収めたと強調した。
中国・習近平 国家主席「香港国家安全維持法制定や選挙制度の改正で、愛国者が統治するという原則が確実に実行されている」
日、一日と強まっていく中国による力の統治。
人々は何を得て、何を失うことになるのか。
紅色に染まる香港が問いかけている。