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東京リボーン (6)「国立競技場 試練のスタジアム」

NHK
2021年7月29日 午後5:50 公開

番組のエッセンスを5分の動画でお届けします

オリンピックに向け大改造が進められてきた首都・東京。本来ならばオリンピックは、巨大都市の新たな開発のあり方を世界に問う機会となるはずだった。東京が目指してきたのは、災害から命を守り環境への負荷を減らした持続可能な街づくり。そのシンボルと位置づけられた建築が、オリンピックのメインスタジアムとなる国立競技場だ。着工から竣工まで36か月。私たちは3年にわたり工事の全貌を記録してきた。さらに工事関係者が撮影した記録映像も入手。総撮影時間は 1000時間を超える。          

SFコミック「AKIRA」のシンボルキャラクターとともに、ネオ東京の誕生を目撃するシリーズ「東京リボーン」。最終回の今回は、国立競技場。完成までの36か月の闘いに密着した。

(2021年7月23日の放送内容を基にしています)

<スタジアムの全貌>

東京、神宮の杜(もり)の中に出現した巨大なスタジアム。オリンピックのメインスタジアムとなる国立競技場だ。完成を祝う式典が開かれたのが2019年末。この時、オリンピック開催を疑う者など誰もいなかった。ようやく出番がやってくる。

スタジアムは高い理想を掲げ建設された。収容人数約68000。観客席は木漏れ日をイメージして彩られている。すり鉢状の三層スタンドが、観客と選手に一体感を生み出す。周辺の杜との調和を目指し、この規模のスタジアムとしては異例の低さ約47メートルに抑えられている。防災対策も盤石だ。下層階で地震エネルギーを吸収する制振構造を採用。312にのぼる「オイルダンパー」を張り巡らすなど、巨大地震にも耐えられるよう設計されている。 

蒸し暑い日本の夏の大会。観客席に風を呼び込むメカニズムも備えられている。

建設会社 設計責任者 川野久雄 さん

「呼吸するような形のスタジアムを僕たちは作りたかった。神宮の杜(もり)に流れている風と同じような風を再現する」

杜に流れる風を呼び込むのに重要な役割を果たすのがスタジアムの最上部に作られた庇(ひさし)。この地域では、夏、南東から涼しい風が吹く。この風はスタンドに取り込みたい。一方、冬には、冷たい風が北西から吹く。これは遠ざけたい。

夏の風を受け止める南東の庇は、間隔を密に配置。すると、南風は庇にぶつかってスタンドに降りていき、観客席の熱を冷ます。

それに対し、北西側の庇の隙間は粗くしている。冬の北風は庇をそのまま吹き抜け、スタジアム上空を通過する。

目指しているのは未来を見据えた持続可能なスタジアム。巨大地震への備え、地球環境との共生、自然エネルギーの導入。それは図らずも、コロナ後の世界が目指す価値を先取りした形となった。

当初、ここには全く違うスタジアムが出現することになっていた。ところが、建設費が巨額にのぼる、周辺環境になじまないといった批判を受けて、2015年7月、政府は計画の白紙撤回を発表。5か月後 コンペが再び行われ、大成建設、建築家・隈研吾氏ら、三社による共同提案が採択された。

大成建設は57年前のオリンピックのメインスタジアム、旧国立競技場の工事を手がけている。

会長 山内隆司さん

「先輩が国立競技場で実績を作ったにもかかわらず、我々がそれを継承できなければふがいない」

大成建設は36か月で完成させると約束した。この規模のスタジアムとしては短い工期だった。

統括所長 伊藤清仁 さん

「36か月。これは、重い約束です。この国家プロジェクトのプレッシャーは想像以上に大きい」

<工事スタート 工期短縮の秘密>

2016年12月。当初の計画から1年以上遅れ、工事がスタートした。まず工事は、取り壊された古いスタジアムの跡地の掘削から始まった。掘削工事が始まって3か月。早速カメラは、工期短縮を目指す画期的な工法を捉えた。よく見ると、掘削工事の隣で、すでに土台を構築する基礎工事が始まっている。

1つの工程が終わるのを待って次の工程を始めていては、工期に間に合わない。そこで、すべての工程を、次の工程と同時並行で進めていくのだ。そのために、全体の工区を4つに分割。作業を先に進める先行工区と、後から追いかける後行工区に分ける。ここにも工期短縮の鍵がある。時間を置いて同じ作業を繰り返すことで、職人たちの習熟度が上がり工事がスピードアップするのだ。

統括所長 伊藤清仁 さん

「同じことを繰り返しやることで、習熟効果を狙う。最初は14日間で組んで回していたことが、大体10日間くらいに縮まった。一か月くらいは(工期の短縮が)見られる」

工事のスピードを上げる鍵はまだある。運ばれてきたのは、日本各地の工場で、あらかじめ作られたコンクリート部材「プレキャスト」。

現場の職人たちは、届いたプレキャストを設置する作業に専念できるため、スピードも品質も上がる。

作業所長 小林祥二 さん

「全部あわせると18600ピース。どこか1ピースが抜けても工事は止まってしまう。かなり緻密なプラモデルに近い」

こうして、スタジアムの骨格となる構造部分が、わずか1年で完成した。 

<最難関 屋根工事スタート>

着工から1年2か月。巨大スタジアムの建設工事は新しいステージを迎えようとしていた。工事の最難関、大屋根の建設である。工事は屋根を支える根元部分の鉄骨の設置から始まった。

大屋根は、根元部分を起点に60メートル張り出す形で作られる。

屋根建設で技術的に最も簡単なのは客席に柱を立てて支える構造だ。しかし、柱を作ると観客の視野を遮ってしまう。

次に検討されたのは、ケーブルで上から屋根を吊る構造。この場合、ケーブルを張った分高くなり、周辺の杜との調和という約束を果たせなくなる。

そこで今回採用されたのが、柱や吊りケーブルを使わない「片持ち形式」と呼ばれる構造だ。しかし、工事の難易度は、跳ね上がる。

張り出す屋根は3分割されて作られる。クレーンで吊り上げ、第1ユニットから順に空中でつないでいく。

これを108列、繰り返すことで屋根を完成させる。ユニットの接続は、後でやり直しができない一発勝負。

極めて厳密な精度が要求される。ひとつひとつの接続に出るわずかな誤差が、積もり積もると工事を破綻させる。

大成建設 常務執行役員 北口雄一 さん

「この屋根工事はスタッフも会社も初めてやる非常に高難度の工事です。どうやってクリアするか、屋根の専属チームを着工と同時に立ち上げて『屋根は俺たちに任せろ』という形で専念してもらった」

屋根建設の専属チームが結成された。成否の鍵を握るのは、ミリ単位の精度管理。その精度管理のリーダーに抜擢されたのは35才の若手、小山聖史さんだ。大学でスタジアム建築を学び、今回のプロジェクトに志願した。サッカー少年だった小山さん。旧国立競技場はたくさんの思い出がある特別な場所だった。

精度管理リーダー 小山聖史 さん

「このチャンスを逃してはいけないと思った。子どもの時、学生の時からの思いがあったので、プレッシャーはありましたが、絶対成功させると思っていました」

2018年5月。いよいよ屋根建設の天王山、ユニットの接続が始まる。

長さ16メートル、重さ40トンを超える屋根が宙に浮いた。108列におよぶ大屋根の第1列。その第1ユニットの取り付け。ここが、その後の作業の精度を決める起点となる。そのため、第1ユニットの設置は仮支えする柱を使って試行錯誤を繰り返し、精度を極限まで追求する。

地上ではスタッフがユニット先端の三点を計測し、高さ・水平・奥行きを確認する。小山さんは、上空で作業するとび職人と連携し、ユニットを狙い通りの座標に収めようとしていた。

しかし、なかなか座標に収まらない。狙っている座標に対して位置が高すぎる。

精度管理リーダー 小山聖史 さん

「ここでずれた1ミリ2ミリは、先端に行った時に、何倍にもなって返ってきます。より細かく管理する必要がある」

とはいえ、これは想定内の事態。そのための対策を用意していた。

「スプライス」とはユニットを結合する際にボルトで固定する鉄製のプレート。小山さんは、スプライスプレートを5ミリ長いものに交換することを指示した。ユニットと根元鉄骨の間隔が、その分長くなる。それによって、先端の角度を下げることができる。強度を損なうこともない。

翌朝。ユニットの角度を調整する作業が続いていた。スプライスプレートを交換してもなお、あと5ミリ下げ足りない。小山さんはまだ奥の手を持っていた。

小山さんが指示したのは、ユニットを固定するボルトの穴の留め位置を変更すること。スプライスプレートの穴はボルト自体の直径よりも大きく、合計2ミリの隙間「遊び」がある。この「遊び」を使って、最後の調整をしようというのだ。

小山さんは、ボルトを穴の一番端で留めるよう指示した。そうすることで、ユニットと根元部分の間隔が2ミリだけ長くなり、ユニットの先端の角度がわずかに下がるはずだ。調整を続けて7時間。第1列、第1ユニットはピタリと狙いの座標に収まった。

どんな巨大な建造物でもミリ単位の精度の追求がその美しさと強度を決めるのだ。

精度管理リーダー 小山聖史 さん

「新国立競技場にあの形の屋根を架けたことのある人は、誰もいない。何が起きても、その都度、屋根のチームとして相談をして、ある結論を導いて前に進んでいく」

ここで、大屋根に使われている素材に目を転じてみよう。大きな特徴は木材が使われているということ。鉄骨に比べ強度に弱点があるといわれる一方、優れているのが軽さだ。軽くて頑丈な屋根を作るために開発されたのが、木材と鉄骨を組み合わせたハイブリッド材である。鉄と木、それぞれの特徴のいいとこ取りを狙った。

構造設計責任者 水谷太朗 さん

「引っ張ると木は弱いが、ぐっと押すとすごく抵抗する。抑える力をうまく利用すれば、完成した後の地震とか風が来た時に変形するのを抑えるのに利用できる」

大屋根に使う木材が切り出されたのはオホーツク海に面する流氷の町、紋別。厳寒の中でゆっくりと成長するカラマツは、ひときわ硬く頑丈。地震や台風の時にかかる巨大な負荷を、このカラマツが押し返してくれるはずだ。

国立競技場では、他にも木材がふんだんに使われている。ラウンジの内装に使われているのは、銘木、吉野杉。

500年にわたって手入れされてきた世界最古といわれる人工林から切り出されたものだ。木の香りが、訪れる人を温かく迎える。

東北の森では、軒庇(のきびさし)となる南三陸杉が切り出されていた。12代続く林業家 佐藤太一さん。

大学で物理を研究していた佐藤さんが、林業を継いだきっかけは東日本大震災だった。津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町。残された財産が、良質さで知られる南三陸杉だった。

特徴は、うすいピンクの美しさ。世界にその美しさを示すことが町の再興につながると、佐藤さんは信じている。

林業家 佐藤太一 さん

「震災は悲しい出来事でしたが、悲しいだけではなくて、未来をどう作っていくかを真剣に考えるきっかけになりました」

国土の7割が森という日本。設計者のひとり 建築家の隈 研吾氏は、全国47都道府県 すべての木を使うことにこだわった。

建築家 隈 研吾 さん

「47都道府県の木を全部使うことで、日本のどこにでも森があることを一目瞭然で伝えることができる。日本には、これだけ森があって、木の文化も残っていて、木の職人の技も残っている。日本人はあまり気づいていないけど、すごいことだと僕は思っています」

大屋根建設は、第1ユニットの取り付けに続いて、第2、第3ユニットの設置が始まった。ここからは、仮支えの柱を使わず、空中で一発勝負で接続していく。ボルトを本締めしたら、もう後戻りはできない。工事はスケジュール通りに進んでいった。

しかし、この後、精度管理のリーダー・小山さんには、胃の痛くなるような日々が待っていた。

「本来なら、このスタジアムは世界から喝采を浴びていたかもしれない。やってくる観客はいない。まったくついてないぜ。でも、今じゃなくてもいい。いつか時間がたてば、このスタジアムが目指していたものの価値に、多くの人が気付くはずだ。57年前もそうだった。前回の東京オリンピック。そこに出現した斬新な競技場が、今に残したものは大きかった」

<1964・代々木競技場が遺したもの>

1964年の東京オリンピック。この競技場を訪れた誰もが目を見張った。国立代々木競技場。

柱で支える代わりに鉄のケーブルで屋根を吊る奇想天外な外観。デザインしたのは、建築家 丹下 健三。目指したのは、選手と観客をひとつにする柱のない空間だ。

太陽の光をたくみに取り入れ、水が美しく輝く。「感動とともに記憶されるべき建築」と、世界から絶賛された。その衝撃は、後世に多くの建築家を生み出してきた。

建築家 隈 研吾 さん

「僕が10歳の時に、代々木競技場に父親と一緒に行って、神殿みたいだった。それが自分にとっては、ものすごい大ショックで、こんな格好いい建築があるんだと思ってびっくりしたんですね。1964年から、そのままぶれないで建築をやってこれたのは、あの建物のインパクトがそれだけ大きかったということですね」

代々木競技場は、今回のオリンピックでも再び使われる。しかし老朽化は避けられない。最も心配されたのは天井の落下だった。吊り構造という特殊な形状。57年前の競技場は、現在の耐震基準を満たしていなかった。1年半にも及ぶ改修工事が行われた。

設計者の丹下は常々こう語っていた。「完成は終わりではなく、始まりである」

ベイエリアに出現した有明体操競技場。この競技場も木材をふんだんに使っている。

日建設計 高橋秀通 さん

「今の時代は自然と共存していく建物が必要。運河沿いの湾岸地域に溶け込むようなシルエットで、木そのものが構造体になるような、軽やかでやわらかい建物」

驚くべきは、木でつくられた大空間。ゆるやかな曲線を描く約90mの大梁(おおばり)。鉄骨に比べて強度が弱い木でこのデザインを実現するのは、当初極めて困難と言われた。建設会社の担当者は、困難を実現してくれる人物を探した。

行き着いたのは、57年前の代々木競技場建設に携わった人物だった。日本を代表する構造家の斎藤公男さん。斎藤さんは大学院生の時、構造設計をするチームの一員として、歴史的な建築が生まれる現場に立ち会った。

構造家 斎藤 公男 さん

「これこそが、かつて僕が代々木で感動したのと同じように、世界の人を感動させられる建築になるのではないか」

斎藤さんがたどりついた答えが、代々木と同じくケーブルを引っ張って空間を作る「張弦梁(ちょうげんばり)」だった。

自らの重さでたわみ、外に広がろうとする大梁。それを、弓に対する弦と矢のようにケーブルと束(つか)で引っ張りあげ、力のバランスを保つのだ。

57年前の経験が、不可能を可能にした。

<屋根工事 誤差を修正するミッション>

36か月の工期をちょうど折り返した2018年夏。大屋根工事は試練を迎えていた。度重なる台風や記録的な大雨に見舞われ、工事の中断を余儀なくされていた。ユニットの接続を始めて1か月半。ここまで29ユニットを取り付けた。残り200ユニット以上を半年間でかけ終えなくてはならない。

習熟効果によって職人たちの作業効率も上がっていた。しかし、精度管理の若きリーダー小山さんには、どうしても頭から離れない不安があった。これまで接続したユニットの座標が水平方向に広がり、その誤差が30ミリに及んでいたのだ。

対策を講じなければ、最後のひとつを架けるスペースがなくなってしまう恐れがある。

誤差が生まれた原因はいくつもの要素が絡んでいる。ユニットは場所ごとに、照明や音響スピーカーなど、装着する設備が異なる。そのため重心が微妙に違ってくるのだ。その上、鉄骨は気温によって伸び縮みする。小山さんはそれも想定して十分に計算し尽くしたつもりだった。それでも30ミリという誤差が出た。

誤差対策に選んだのは「綴り板(つづりいた)」と呼ばれるプレートの厚さを変えることだった。綴り板は、隣りあうユニットを接続するために使われる。小山さんは、当初使っていた厚さ25ミリの綴り板を、4ミリ薄い板に切り替える指示を出した。薄い板を使うことで、今後は横への広がりを抑えることができるはずだと考えた。

それでも、30ミリの誤差はなかなか縮まらなかった。接続時に発生する微妙な誤差は、計算を尽くしても読み切れなかった。屋根建設は終盤を迎えている。ここから一気に誤差を修正しなければならない。

小山さんは、さらに薄いマイナス7ミリの綴り板を工場に特注し、急ぎ作ってもらうことを決断した。

精度管理リーダー 小山聖史 さん

「ここで決断しないともう間に合わない。1年間やってきて、最後入らなかったというわけにはいかないので」

2019月1月。特注した綴り板で修正を続けること2か月。ついに、第1ユニットの最後の1つを架ける日がやってきた。

ユニットを吊り上げるのは、この工事のために集められた最高のクレーン職人。その指先にすべてがかかる。

ユニットが、たったひとつだけ残された108列目のスペースに向かう。

ユニットは、残されたスペースにぴたりと収まった。

問題は、その座標だ。

見事なフィニッシュだった。

精度管理リーダー 小山聖史 さん

「とりあえず一番つらいところを越えました。緊張した。きれいにつながって良かったです」

統括所長 伊藤清仁 さん

「やっぱりみんなの努力ですよね。最終的には職人ひとりひとりがやって良かったと思える現場になった」

立て続けに、第2、第3ユニットの最終取り付けが始まった。そして2019年1月30日、108列の大屋根が ついに組み上がった。

竣工(しゅんこう)まであと半年、天王山の大屋根工事を乗り越えフィールドの工事が一気に進められる。

7月の深夜、ゆっくりとやってきたのは、かつての国立競技場のそばに植えられていた樹齢350年の巨木。これからも生まれ変わった国立競技場で繰り広げられるドラマを見つめていくことだろう。

着工から36か月。関わった工事関係者は150万人。2019年11月、国立競技場は完成した。

<エピローグ 百年建築の夢>

1年延期された大会は開幕の時を迎える。この日、国立にやってきたのは、宮城県南三陸町で12代つづく林業家の佐藤太一さん。代々受け継いできた山から、えりすぐりの杉を軒庇として納めた。

林業家 佐藤太一 さん

「嬉しいですね。うちのじいちゃんが植えた木もある。ご先祖様に堂々と報告できることだと思うので、帰ったら仏壇で写真を見せつけたい」

こちらは大屋根を作ったとび職人たち。自分たちの仕事がようやく日の目を見る。

屋根工事の精度管理の若きリーダー、小山さん。まだ国立競技場にいた。

多くの試練にさらされてきたスタジアムに、まもなく聖火が灯る。願わくば、その火が、新しい時代に何かを残さんことを。