緊迫 ミャンマー ~市民たちのデジタル・レジスタンス~ (後編)

NHK
2021年4月16日 午後1:20 公開

(前編はこちら)

(2021年4月4日の放送内容を基にしています)

苛烈さを増す弾圧 “血にまみれた日”

クーデターから一か月が過ぎた3月3日。再び、市民のおびただしい血が流されました。

映像の音声「(連続する銃声)実弾を撃ってきた!頭に当たった! 死んじゃった!なんとかして! みんな死んじゃう!」

市民が決死の覚悟で撮影した動画。殺傷能力が高い短機関銃や自動小銃などが使用されていると複数の専門家が分析しています。

次々と銃弾に倒れていく市民たち。

国連は、3月3日だけで少なくとも38人が死亡したと発表。『血にまみれた日』として、強い危機感を表明しました。

しかし、安全保障理事会では、軍を非難するアメリカやイギリスなどと、ミャンマーの主権を尊重すべきだとする中国やロシアなどとの対立が表面化。有効な対応策を打ち出せないまま、事態は悪化の一途をたどっていきます。

ウィン・チョウさんのもとにも、現地から助けを求める緊急の連絡が入りました。ヤンゴン市内の一角が軍側に包囲され、多くの若者が逃げられなくなっているというのです。

(ビデオ通話での会話)

ウィン・チョウさん「今どこ?」

デモに参加している男性「バホー通り。高架の上に2人いるらしい。狙撃手みたい」

ウィン・チョウさんとマティルデさん「逃げて!すぐ逃げて!」

若者たちを救う手立てはないか。ウィン・チョウさんは近くにある外国の大使館を調べ、電話をかけて助けを求めました。

ウィン・チョウさん「とりあえず、何でもいいですよ。できることはやる」

“血にまみれた日” エンジェルさんの死の謎

「血にまみれた日」を遠くから見守るしかなかったウィン・チョウさん。ある若者の死に心を痛めていました。

チェー・シンさん。通称エンジェルさん、19歳です。

第2の都市、マンダレーでデモに参加したエンジェルさんは、デモ隊を鼓舞し続けていました。

エンジェルさん「われわれは団結しているか?」

デモ参加者「(団結)している!している!」

エンジェルさんはデモ隊の最前線で抗議を続ける中、銃弾に倒れたのです。

歌とダンスが大好きだったというエンジェルさん。クーデターの後、軍に対するデモに加わり、ある思いをSNSに投稿していました。

『もし、自分が死んだら角膜や臓器を提供したい』。自らの死も覚悟した言葉でした。

エンジェルさんの葬儀には多くの市民がつめかけました。人々が手にしていた無数のスマートフォン。エンジェルさんの死を悼み、軍に抗議する投稿が次々と発信されていきました。

投稿はまたたく間に世界に拡散。エンジェルさんの死は、軍の弾圧の象徴として、国内外で、取り上げられるようになりました。

すると、軍は信じられない行動に出たのです。

市民 「エンジェルさんの遺体を掘り起こして、解剖し、縫い直された。間違いありません。エンジェルさんのお墓が掘り返されたことは確実です」

エンジェルさんの死因を特定するとして、墓を掘り返し、その場で検視を行ったといいます。

軍は国営テレビを通じて、検視の結果を発表。

『エンジェルさんは後頭部を撃たれていて、頭から摘出された弾は、治安部隊のものではなかった。

治安部隊はデモ隊と向き合っていたため、後頭部を撃つことはありえない』と主張。

エンジェルさんを殺害した犯人はデモ隊の側にいるはずだと言うのです。

そして軍は『抗争を扇動する者たちが起こした謀略の可能性があるので、背後にいる犯人を見つけ処罰する」と放送したのです。

1988年の弾圧と同様、軍は市民の死の責任を認めようとしない。ウィン・チョウさんは、強い憤りを感じていました。

ウィン・チョウさん「天国から彼女(エンジェル)は誰が殺したのかを分かってもらいたいはずです」

軍の主張を覆す証拠はないのか。ウィン・チョウさんは若者たちとともに、エンジェルさんが撃たれた瞬間が分かる映像を探そうと呼びかけました。

ウィン・チョウさん「エンジェルさんの動画、君のところにある?」

男性「スローモーションのものがあります」

デモの動画や、軍と警察の武器が写っている写真など、手がかりとなる映像が次々と集まってきました。

ウィン・チョウさん「本当に軍が殺したという証拠を見せなきゃいけないです。その証拠を見せるためには、情報を集めないといけない」

“エンジェルさんの死”の真相に迫る

エンジェルさんは、どのような状況で撃たれたのか。私たち取材班も、当時の現場を捉えた動画や写真を独自に集めました。

それぞれ、どの地点で撮影されたのか、衛星写真などをもとに特定。さらに、撮影者の証言をつき合わせ、この日の出来事を多角的に検証しました。

デモ隊が集結していたのは、マンダレーの中心街の交差点。エンジェルさんも集団の中でシュプレヒコールを上げていました。

デモ隊がいる場所から、画面の奥、およそ70メートル先では、治安部隊が道路を封鎖していました。

写真を拡大してみると、「ポリス」と書かれた盾を構える警察官に加え、迷彩服を着た兵士もいます。陸軍の所属だと見られます。

午前11時50分。画面奥にいる部隊が、発砲を始めます。

その様子を捉えた写真が見つかりました。警察官の手にはショットガン。兵士は、自動小銃を所持していることが、軍事専門家への取材から分かりました。

エンジェルさんたちデモ隊は、煙幕をたくなどして抵抗。しかし、軍と警察に押されてじりじりと後退していきます。31番通りの近くまで追い詰められたデモ隊。その様子を写した写真がありました。左側の写真では、身をかがめるエンジェルさんの姿が確認できます。

一方、右側の写真には抱きかかえられている人が写っています。靴と腕時計から、エンジェルさんと見られます。2枚の写真のデータを調べると撮影された時刻の差はわずか30秒。その間に撃たれたのではないか?

この30秒の間に撮られたとみられる動画が見つかりました。

エンジェルさんは、軍と警察に背を向け走っていました。

その時。複数の発砲音とともに、地面に倒れ込みます。

この発砲音が何かを探るため、ちょうど同じ瞬間を捉えた、より音が鮮明な動画を解析しました。

音響分析と軍事専門家への取材などからエンジェルさんが倒れる瞬間の発砲音は、自動小銃のものである可能性が浮かび上がりました。

それは、すぐ近くで写真を撮影していた男性の証言とも一致しました。

男性の証言「ゴム弾や音響弾、実弾などの発砲音は判別がつきます。31番通りにさしかかった時、聞こえてきたのは、実弾の発砲音でした」

調査結果を国連へ

ウィン・チョウさんも、エンジェルさんとデモに参加し、彼女が倒れる瞬間を間近で目撃した男性を探し当て、ビデオ通話でコンタクトを取りました。

ウィン・チョウさん「エンジェルが撃たれたときは、君は前にいたのかい?」

男性「彼女は僕の後ろにいたよ」

ウィン・チョウさん「その時のことを話してくれないか」

部隊からの発砲を受け、デモ隊はその場での抵抗を断念し、撤退を始めていたと言います。そのさなかに、エンジェルさんは銃弾に倒れたと証言しました。

男性「治安部隊が強制排除に乗り出して、銃撃が始まった。後退しながら振り向くと、エンジェルに銃弾が命中した」

ウィン・チョウさん「エンジェルが倒れるのを見た?」

男性「見た。銃声と倒れた音がほぼ同時だった」 

エンジェルさんは背後から自動小銃で撃たれた可能性が高まり、軍の主張とは異なる状況が浮かび上がってきました。エンジェルさんについての調査結果を、ウィン・チョウさんたちは国連に報告することにしました。

国連は、軍の弾圧の実態を調べるために市民からの情報提供を求めています。ウィン・チョウさんは軍の非道を国際社会に告発し、その責任を最後まで追求する決意です。 

ウィン・チョウさん「エンジェルが亡くなったことは許してはいけないし、本当のことを、誰が殺したっていうようなことを調べないといけない。それが私たちだけじゃなくて、国連からも調べてほしいっていうような思いです」

軍の記念日 またも市民が犠牲に

事態を収拾する糸口さえ見えない中、迎えた3月27日。軍の記念日にあたる、この日、大規模な式典が行われました。式典には、日本や欧米各国の代表は参加せず、ロシアや中国など8か国の代表だけが出席しました。司令官は、国内外に向けて軍の正当性を主張しました。

ミン・アウン・フライン司令官「国軍はわが国と国民に対し忠誠を誓い、いかなる裏切り行為も行ったことはない。国家と国民の利益のために絶えず働いてきた」

その一方で軍は、デモを続けようとする市民に対し、露骨なまでの警告を発していました。

『頭や背中を撃ち抜かれる危険があることを、無残な死の前例から教訓とせよ』

それでも市民たちは、この日、全土でデモを展開。デジタルを駆使して抵抗を続けてきた若者たちも街頭で抗議の声を上げていました。

それに対し軍は、より苛烈な弾圧を加えます。1日ではもっとも多い100人以上の命が奪われました。その中には、幼い子供の姿も。

止まらない軍の暴走 対応迫られる国際社会 

この流血の事態に、国際社会には強い衝撃が走りました。

人権や民主主義を重視するというアメリカのバイデン政権。ミャンマーとの貿易や投資に関する協力関係を停止すると発表しました。

バイデン大統領「ひどい状況だ。とんでもない。非常に多くの人々が全く不必要に殺されたと聞いている」

しかし、今も軍による市民への弾圧に歯止めをかけることはできていません。

それでも諦めない ミミさん(若者たち)の決意 

日本からネットを通じて抵抗を続けきた、ミミさん。今も、現地から届く映像を記録し、世界に向けて発信し続けています。

ミミさん「シェアしなかったらそれって全部無駄になるから、今自分が知ってることは全部シェアするつもりです。諦めるつもりはないんです。最後まで私たちは軍事政権をどうしても受け入れないよ、どんな形でも受け入れないよ、というのを言い続けると思います」

高まる武力衝突の懸念 ウィン・チョウさんの苦悩 

ウィン・チョウさんは、今、事態が泥沼化していくことを心配しています。

若者たちの一部が軍に対抗する武装組織に合流する動きを見せているのです。

ウィン・チョウさんは、ある武装組織のトップと連絡をとりました。

ウィン・チョウさん「今、あなたのところに若者が来ていますか?」

武装組織のトップ「若者達は徐々に軍事独裁の暴力から身を守るためには、武器で反撃することを考え始めている」

ウィン・チョウさんは、若者たちが武器をとることで軍との武力衝突に発展し、さらに多くの血が流れることを恐れていました。

“一日でも早く終わって欲しい” 期待する日本の力

3月27日、ウィン・チョウさんは日本に住むミャンマー人たちと共に街頭で声を上げていました。

「日本政府はミャンマー軍事クーデターを認めないで!認めないで!」

長年ミャンマーへの経済支援を続け、軍との関係も保ってきた、日本。弾圧を非難し新たな開発支援は当面見送る方針です。

ウィン・チョウさんは、日本を始め国際社会がより強い行動を起こしてほしいと求めています。

ウィン・チョウさん「もっとプレッシャーをかけて、軍はもうここで終わりにして欲しい。早く1日でも1秒でも早く終わんないと、これ以上、死者が出るのは見たくないです」

同じ日、デモは世界各地で行われ、デジタル空間でも繋がっていました。

市民たちの抵抗の意志は今も広がり続けています。