混迷の世紀 第5回 核兵器 “恐怖の均衡”が崩れるとき【後編】

NHK
2023年1月11日 午後1:00 公開

(前編はこちら)

<抑止力低下 懸念した日本>

中国の核戦力の増強は、日本の安全保障に対する姿勢に、大きな影響を与えています。

2009年、核態勢について、見直しを進めていたアメリカ議会に、日本政府の代表が提出したとされる、3枚の文書。「アメリカの拡大抑止についての日本の見解」と題されていました。

「拡大抑止」。アメリカが、核を含めた軍事力で日本を守る姿勢を示し、相手国に日本への攻撃を思い止まらせること。いわゆる、「核の傘」です。アメリカが核の態勢を見直す場合、「核の傘」に影響がないようにしてほしいと要望したのです。

「アメリカの抑止能力は、他国に対し、その核能力を拡大し、近代化することをあきらめさせるに十分でなければならないと考える」「中国の核の拡大と近代化については、常に留意すべきである。日本に、十分前もって相談してほしい」

日本がアメリカの核戦略について、具体的な要望を伝えるのは異例のことでした。この文書の提出に先立ち、アメリカ議会に初めて日本の見解を説明した、当時の石井正文公使。中国への危機感は、日本がアメリカの核戦略に、積極的に関わるきっかけのひとつになったと言います。

元駐米日本大使館 公使/石井正文氏「中国の核能力に対する警戒感、核能力の台頭に対する警戒感については、アメリカよりも日本の方が先に、相当深刻に捉えていた面はあるかもしれません。核の話については、日本が関与するというよりは、アメリカに任せて、結果の抑止力が欲しいというのが、それまでの基本的な考え方だったんだろうと思います。ただそこの部分は、おそらくもう、それだけでは足りなくなってきているという認識が、アメリカ側にも実は日本側にもあった」

さらに日本が懸念を示したのは、ある核政策の検討を始めたオバマ政権内部の動きでした。

「先行不使用」政策。戦闘中、相手が核を使わない限り、アメリカが先に核を使うことはない、と宣言する政策です。核軍縮を重視する立場からは、核戦争のリスクを減らすことが出来ると歓迎されていました。

一方、核抑止を重視する立場からは、これでは通常兵器による攻撃を抑止出来ないと、批判されていました。

当時(2016年7月)、オバマ政権が、この政策の採用を検討していると報じたワシントンポストの記事に、日本政府が直ちに反応します。オバマ大統領の特別補佐官だったジョン・ウルフスタル氏。日本政府の高官から突然、電話を受けたと言います。

オバマ大統領 特別補佐官(当時)/ジョン・ウルフスタル氏「首相官邸から、国家安全保障担当補佐官の部屋に電話がかかってきて、『記事を見た。これが本当か知りたい。決定の前に日本の高官が訪問して、この問題について話し合うことは可能か』と言ってきました。私たちは選択肢を検討している初期の段階だと説明しましたが、アメリカが先行不使用について関心を持つならば、まず同盟国と協議するとも伝えました」

この時、協議を申し入れたのは、内閣官房の国家安全保障局でした。「先行不使用」を宣言することで、通常兵器で攻撃されるリスクが高まることを懸念していました。

国家安全保障局次長(当時)/兼原信克氏「核を先に使わないというのは、通常兵力から核兵力にエスカレートしていくときに、自分の方から、その階段を上らないと宣言することですから。それで本当に抑止力は傷まないんですかと。私たち”前線国家”なので、戦争が始まったら困るんですよ。アメリカは勝てばいいと思っているから。勝つだけじゃ困るんですよ、始まったら困るんですよ。始まらないようにするためには、通常兵力から核まで、きちんと階段を組んでもらって、初めから(相手国に武力行使は)やめてくれということを、アメリカに言ってもらわないといけない」

結局、オバマ政権は「先行不使用」政策を見送りました。日本をはじめとする、同盟国からの懸念に、配慮した結果と見られています。

<日本 安全保障政策の大転換>

そして今、日本は安全保障政策を大きく転換しようとしています。これまで持たないとしてきた、敵基地を攻撃出来る能力を、”反撃能力”として持つ政策を打ち出しました。

2022年8月。中国を念頭に、南西諸島周辺の防衛力強化の一環として行われた、日米共同訓練。この時、自衛隊が展開したのは、12(ひとに)式地対艦ミサイルです。このミサイルの射程は、100数十キロと言われていますが、更に1000キロにまで延ばす計画が進められています。

中国の核戦力が増大すると、アメリカの圧倒的な優位が崩れるため、通常戦力の増強で補う狙いだと見られます。地上からだけでなく、護衛艦や、戦闘機から発射するタイプも、2028年度までに開発される予定です。

更に、潜水艦から発射する長射程のミサイルも開発が検討されています。将来、長射程のミサイルは、魚雷が格納されている艦内の先頭の部分にある発射管室になどに、装備される可能性があります。秘匿性の高い潜水艦は、相手国の海域に接近出来るため、より遠くの敵基地にも届くミサイルを持つことになります。

核保有国の軍拡競争は、核を持たない国の防衛のあり方にも、大きな影響を与えているのです。

<核の力への依存 警鐘鳴らす>

核抑止力の強化に向かう動きに対し、軍縮を求める国々は強く異議を唱えています。

2022年6月に開かれた、核兵器禁止条約の初めての締約国会議。5年前、核を持たない国が主導して生まれたこの条約は、核兵器の開発や保有、そして核を使った威嚇も禁止しています。

アレクサンダー・クレメント議長「新たな核開発競争が始まり、『核兵器は使える』『核抑止力は有効だ』という、危険な言葉が再び飛び交っています。いま、この状況だからこそ、核兵器禁止条約に意義があるのです」

締約しているのは68の国と地域。核保有国は参加していません。(2022年12月18日現在)NATOの一員で、アメリカと核を共有するドイツは、オブザーバーとして参加し、その立場を述べました。

ドイツ代表「私たちは、“核なき世界”という目標は共有し、核兵器禁止条約の締約国の熱意を理解します。しかし、核兵器が存在する限り、NATOは核同盟であり続けます。ロシアがウクライナに侵攻し、ヨーロッパの平和と安定が脅かされている今、ドイツは核兵器禁止条約に加わることはできません」

アメリカの「核の傘」のもとにある日本は、オブザーバーとしても会議に参加しませんでした。その場にいたのは、長崎の被爆者で、医師の朝長万左男(ともなが・まさお)さんでした。

朝長万左男さんスピーチ「私たちは、日本政府が核兵器に依存していることを、とても悲しく思います。私たちは泣いています。私たち被爆者は、がんなどの病気への不安にさいなまれ続けています。私たちの人生は常に、原爆がもたらした障害との闘いでした」

77年前、広島と長崎に投下され、その年だけで20万人以上の命を奪った原子爆弾。降りそそいだ放射線は、人々の体に深い爪あとを残しました。

朝長さんは2歳の時に被爆し、放射線の人体への影響を解明したいと医師になりました。放射線の影響が、長い年月を経てなお、死に至る病として現れる現実を目の当たりにしてきた朝長さん。核兵器への依存を強める世界に警鐘を鳴らしました。

朝長万左男さんスピーチ「核のない世界を実現するために、乗り越えなければならない壁の高さを目の当たりにし、とても悲しくなります。私たち被爆者は、まもなく一人もいなくなります。被爆者の苦しみを、世界の人々に深刻に受け止めて欲しい」

河野キャスター「核兵器の使用が懸念され、核軍縮への道筋も見えない時代。国連で、軍縮部門のトップを務める中満泉さんに、この混沌とした状況をどう見ているか、聞きました」

国連事務次長 軍縮担当上級代表/中満泉さん「核兵器を保有することが、究極的な安全保障のツールなのではないかという、そういう言説は非常に危険だと。これは核の拡散の、新しい理由を作り出しかねない。もしそういうことが、これから、まことしやかに語られる、そして実際にそうだということが広まっていくと、私たちは非常に強い懸念を持っています。核兵器を増やしていくことではなく、拡散させていくことではなくて、むしろその逆、核兵器を廃絶していくための道筋に戻ることこそ、やはり安全保障にとって重要なのではないかと」

河野キャスター「日本はまさに核抑止力に、ますます依存するという状況も、一方であります。日本にとっては非常に難しい立場ですが、それでも核の廃絶を訴えていくには、どうすべきだと思われますか」

国連事務次長 軍縮担当上級代表/中満泉さん「実際に、核兵器が使用された場合の状況というのを、身をもって体験している、理解している国は日本だけです。被爆の実相とよく言われますが、そういったことをきちっと発信していく。安全保障は、軍事力によってのみ保たれるのでは全くなくて、実はもっと包括的な概念であるべきだと考えています。さまざまな外交努力があり、国際的な対話があり、信頼醸成のためのさまざまな努力があって作られていくのが、実際のもっと包括的なレベルの安全保障。それを実際にどのように進めていくかが、これからの課題だと思います」

<レイキャビクの教訓 いま私たちは・・・>

2022年、ロシアで核軍縮を訴え続けた指導者、ミハイル・ゴルバチョフ氏が、この世を去りました。

36年前、ソビエトの書記長だったゴルバチョフ氏が、アメリカのレーガン大統領と核軍縮への一歩を踏み出したアイスランドの迎賓館。2人が向き合った部屋は今も当時のままに残されています。

いずれ世界から完全に核兵器をなくすことでも一致した2人。この場に立ち会っていたのが、アメリカの駐ソビエト大使だった、ジャック・マトロック氏です。

取材班「あなたの経験から、私たちは何を学ぶべきでしょうか?」

元駐ソ連米大使/ジャック・マトロック氏外交の価値だと思います。私たちも非常に緊張の高い状態から、静かに、共通の利益がないか探りました。そして1対1で、率直に話し合う道を模索したのです」

対立していた両者は、なぜ、核軍縮で歩調を合わせることができたのか。

マトロック氏は、レーガン大統領が、会談の前に、スタッフに示したメモに、そのカギがあると言います。

「ゴルバチョフは、ソビエトの外交・軍事を背負う手強い交渉相手となるだろう。しかし、私たちは決して、『勝者・敗者』という話をしないでおこう」

元駐ソ連米大使/ジャック・マトロック氏自分たちが勝ったと言ったら、相手は負けたことになります。しかし、核兵器に関して勝った負けたはありません。核兵器は人類にとっての脅威なのですから。核軍縮は、わたしたち全員の利益になるのです。冷戦時代に身につけた知性を、私たちは捨て去ってしまったようです。決して忘れてはなりません。戦争で再び核が使われてしまったら、誰もエスカレートを止められないということを」

広島と長崎のあと、77年間、使われずにきた核兵器。

いま、世界に再び、核戦争の悪夢が忍び寄っています。

二度とあの惨劇を繰り返さないために。

人類の理性と英知が試されています。