混迷の世紀 2023巻頭言~世界は平和と秩序を取り戻せるか~ 【前編】

NHK
2023年1月23日 午後5:28 公開

(2023年1月1日の放送内容を基にしています)

去年12月、旧ソビエト連邦の国々で市民の声を記録し続けてきた一人のジャーナリストが、インタビューに応じました。ノーベル文学賞を受賞したスべトラーナ・アレクシエービッチ氏です。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から10か月、この戦いは、いったいどこに行き着くのでしょうか。

作家・ジャーナリスト スべトラーナ・アレクシエービッチ氏「この戦争は長く続くと思います。少なくとも2023年いっぱいは、ウクライナは戦い続けるでしょう。プーチン大統領は自分の計画を諦めないでしょう。今ロシアの街に行ったらショックを受けるはずです。戦車の形をしたベビーカーや軍服を着た幼い子どもの姿を目にするからです。子ども用の軍服の店まであります。ヒトラー政権下のドイツでもそんなことはありませんでした。世界はそれを見て、どんな危険が待ち受けているか、知るべきなのです」

シリーズ「混迷の世紀」。ロシアによるウクライナ侵攻は、当初、軍事力で圧倒するロシア軍が優勢でした。しかし西側諸国から武器や資金の援助を受けたウクライナが、去年9月以降反撃に転じ、いったん占領された領土を次々と奪還しました。今も一進一退の攻防が続き、市民を巻き込んだ戦闘は、終わりの見えない状況が続いています。それによって世界の安全保障は揺らぎ、エネルギーや食料の安定供給に、大きな影響が出ています。それは、私たちの暮らしにも直撃し、不安が広がっています。山積する課題にどう対処すればいいのか。私たちは、それぞれの分野を代表する世界の識者7人にロングインタビューを行い、状況の「分析」、「未来予測」、そして「提言」としてまとめました。

世界は平和と秩序を取り戻せるか。世界の識者たちの知見から、苦難の時代を生きる手がかりを探っていきます。

ウクライナで生まれ育ったジャーナリスト、スベトラーナ・アレクシエービッチ氏は、第二次世界大戦やアフガニスタン侵攻に従事した旧ソビエトの兵士など、苦難を背負った名も無き人々の声を取材してきました。今回のインタビューで「今年もロシアによるウクライナ侵攻は続く」と答えたアレクシエービッチ氏。ロシアの市民の声に耳を傾けると、戦争に対する考え方が徐々に変化していることが分かると言います。

<分析:“市民の声”から見えるロシアの変化>

アレクシエービッチ氏「一年前は、今起こっていることを、我々は全く想像できませんでした。このような犯罪が起こること。第二次世界大戦後の全ての秩序を破壊していること。何百万人の犠牲者をだして打ち立てた秩序なのに、誰もこんなことになるなんて想像できませんでした。もちろんロシア人の中に、帝国を志向する傾向があることは知っていました。しかし、それが殺戮(さつりく)という形で結実してしまうとは、全く考えが及びませんでした」

河野憲治キャスター「ロシアの人々の間で、戦争についての考え方は変わってきたと思われますか?」

アレクシエービッチ氏「最近のYouTubeに、母親がロシア軍にいた息子の葬儀をしている様子があがっていました。母親はジャーナリストに対し、とても恐ろしい言葉を言いました。『あなたの取材を受けると、死んだ息子に支払われるお金がもらえなくなる。そのお金で娘の家を建てるつもりだ』と。私がアフガニスタン侵攻の取材をしていたとき、当時の母親たちはこのようなことは話しませんでした。彼女たちは戦死した息子の記憶を、お金に換算しませんでした。反対に息子の死を忘れないために、お墓を建てることにお金を使いました。彼女たちはクレムリンを呪いました。今とは全く違う態度でした。これだけを見ても、社会がいかに退廃しているかが分かると思います」

<分析:情報統制によって変容したロシア社会>

ロシアの人々の変化には、プーチン大統領が情報統制を行っている影響も大きいと、アレクシエービッチ氏は指摘します。

アレクシエービッチ氏「テレビによる支配力がとても大きいです。ロシア国民は、テレビを全て信じているかのようです。捕虜になったロシア兵は、両親に電話をかけることを許されますが、その会話を聞くと恐ろしいです。兵士が『ここにはナチス主義者も民族主義者もいない。普通の人たちで僕たちを攻撃してこない』と言っても、両親たちは『私たちはテレビを見て全ての事実を知っている。あなたは英雄なのだから、敵を殺しなさい』と叫ぶのです。ある女性は夫の兵士に『できるだけ多くの女性を暴行しなさい。あなたはウクライナ人に復讐(ふくしゅう)しなければならない』と叫びました。兵士が『何に対して復讐(ふくしゅう)するの。私は何もされていない』と言うと、妻は『あなたはテレビを見ていないからよ』と言うのです。真実が奪われているのです」

<分析:戦争反対の声が広がりにくい現実>

さらに、アレクシエービッチ氏は、今のロシア社会の状況では、戦争反対の声も広がりにくいと言います。

河野キャスター「ロシアの国民がプーチン大統領はおかしいのだと気付いて、世論でロシアの政治を変えることはすぐには起きないという考えでしょうか?」

アレクシエービッチ氏「家族の中で、子どもが親と対立する事態になっています。子どもは反プーチンで、親はプーチン支持というように、多くの家庭で深刻な対立が起きているのです。夫婦間で対立している家庭もあります。ロシアは今、二つに分断されているのです。しかし、プーチン大統領に反対する人たちは無力です。例えば、教師が授業で戦争反対を言うと、すぐに職を失います。記者もそうです。プーチン大統領を批判すれば、誰でも同じ目にあいます。そのため社会が力を合わせることができません。戦争に反対する力は今、無力なのです」

河野キャスター「シリーズ『混迷の世紀』では、ロシアによるウクライナ侵攻後の世界について、世界の著名な識者7人にインタビューを行ってきました。フランスの経済学者で思想家のジャック・アタリさんや、日本人女性で初めての国連事務次長を務める中満泉さんにも聞きました。今日は、この7人の「分析」や「未来予測」そして「提言」から、世界はどこにいくのか探っていきたいと思います」

上田早苗アナウンサー「テーマは、『安全保障』『エネルギー』『食料』『核兵器』の4つです。特に去年、日常がこんなに簡単にあっけなく崩れ去るということを見せつけられた感じがするのですが、安全保障ですね」

河野キャスター「戦争はウクライナで起きているんですが、その影響が世界を巻き込んでいますからね」

上田アナウンサー「すでに私たちの暮らしにも影響が出ています。エネルギー、食料の問題。そして核兵器」

河野キャスター「実際に使われるかもしれないという不安が、今世界的に高まっています」

上田アナウンサー「2023年、世界がどう動くのか。まずは『安全保障』から見ていきましょう」

<安全保障>

アメリカの国際政治学者、イアン・ブレマー氏は、激動する国際政治のリスク分析を発信する世界のオピニオンリーダーです。“プーチンの戦争”によって、分断と対立を深める世界の「安全保障」について読み解きます。侵攻直後から、アメリカや西側諸国がウクライナに多額の資金援助や武器の提供を行い、ロシアの侵攻を押しとどめてきました。ブレマー氏は、その激しい対立の中で、現在のロシアの国力は大きく衰えてきていると分析します。

<分析:軍事侵攻でロシアは大きく衰退した>

国際政治学者 イアン・ブレマー氏「ロシアは中国よりはるかに力が弱いですし、ウクライナ侵攻を決めたプーチン大統領は、信じられないほど判断がお粗末です。ロシアは現地で軍事的成果をほとんどあげていません。さらに西側からの制裁により、ロシアは国際的な除け者(のけもの)になりました。G7は、ロシア経済を自分たちから切り離したのです。しかし、中国はそうはなりたくないと思っています。世界の豊かな国々とビジネスを行いたいのです。ですから、アメリカがロシアに軍事支援しないよう警告したとき、中国は従いました。中国は、欧米諸国からのロシア制裁の要請を破ってはいません。この制裁に腹を立てていても、ロシアとの軍事演習を行っていてもです。結局ロシアは、イランや北朝鮮に軍事支援を求めに行かざるをえないのです。ロシアはこの半年で、“中国の小型版”から“イランの大型版”になったと考えています。ロシアはいまや、6,000発の核兵器を持つ“ならず者国家”で、世界の豊かな国との関係は、完全に断たれています。これは今後5年、10年にわたって、プーチンのロシアに災いをもたらしていくでしょう」

<分析:アメリカがもたらす新たな分断>

一方でブレマー氏は、独自の視点からアメリカの政策についても異議を唱えます。「国際社会はロシアの軍事侵攻を狂気の沙汰と見ているが、実はアメリカのウクライナ支援も、世界に新たな分断を生み出している」というのです。

ブレマー氏「欧米と発展途上国との間に、溝ができつつあります。ロシアが侵攻したとき、世界の発展途上国は、アメリカの制裁を支持しませんでした。これらの国々は経済的な問題を抱えており、ロシアの侵攻によってさらに悪化しました。彼らは、この課題をアメリカが無視していると感じてきました。ところが、ヨーロッパのウクライナには、アメリカは飛びつきました。この『偽善的な感覚』つまりコロナ禍で経済状況が悪化した貧しい国々に対するアメリカの無関心さ。それが欧米と発展途上国との溝を深めているのです。アメリカはトランプ大統領のもとでアメリカファーストの政策をとり、今はバイデン大統領が中産階級のための政策をとっています。途上国への関心はあまりないのです。だからアメリカがイラクやアフガニスタン戦争には失敗し、気候変動の支援にはあまり関わらないのに、『ウクライナには協力する』と言ってきたら、貧しい国々は『なぜ。ウクライナは我々の問題ではない』と言うでしょう。アメリカの例外主義には、偽善が潜んでいると私は考えます」

<未来予測:世界各地で紛争が起きるリスク>

アメリカが分断を生み、ロシアも弱体化したことで、世界各地で紛争が増える恐れがあると、ブレマー氏は危険な未来を予測します。

ブレマー氏「先日、(旧ソビエトの)アゼルバイジャンが、アルメニアを攻撃しました。なぜなのか。それはロシアが弱体化しており、誰も彼らの防衛に動こうとしなかったからです。これから、より多くの“ならず者国家”の地域的対立を見るでしょう。アメリカはもう世界の警察ではなく、代わりもいません。したがって、より多くの地域的対立が起きる恐れがあるのです」

次は、東西冷戦の終結時からフランスの外相などを務めてきたユベール・ヴェドリーヌ氏です。ウクライナ侵攻がなぜ起きたのか。歴史的な視点から分析すると、アメリカがロシアを追い詰めたことが大きな理由の一つだと言います。

<分析:アメリカがロシアを追い詰めた>

河野キャスター「多くの人々がウクライナ侵攻に対して、プーチン大統領は過ちを犯し、責任があると考えているが、同時にNATOがプーチン大統領を追い込んだという意見をもつ人々もいる。この二つの考えをどう思いますか?」

元フランス外相 ユベール・ヴェドリーヌ氏「両方とも正しいと思う。旧ソビエトが崩壊した1992年から、西側、特にアメリカは、ロシアに対して勝手気ままで、高慢で、不遜な態度をとっていた」

冷戦後、アメリカがロシアに対して取った傲慢な態度。それが際立つ出来事が、2008年、ルーマニアの首都・ブカレストで行われた「NATO首脳会議」だったと、ヴェドリーヌ氏は振り返ります。

この会議でアメリカは、ウクライナをNATOに加盟させようと画策しました。しかしロシアの反発を懸念して、フランスとドイツは反対。結局は将来的に加盟することで、合意に達しました。このウクライナを巡るアメリカの対応が、ロシアの不信感を生んだとヴェドリーヌ氏は指摘します。

ヴェドリーヌ氏「ブカレストの決定は、最悪の中の最悪だと考えている。ウクライナはNATOに入る適性があると言うことは、ロシアに対しての挑発だ。しかし、すぐにではないよと言った。これではウクライナは、保護はされない。ロシアという牛の前で、赤い布を振るようなものだ。全く愚かな決定だった。加盟させるのか、しないのか。はっきり決めるべきだった。あるいはウクライナを中立化していたならば、クリミア侵攻はなかったと思う」

<提言:侵攻を食い止めるには冷戦期の対話に学べ>

さらに、ロシアの侵攻にストップをかけるためにどうすればいいのか、ヴェドリーヌ氏は意外な提言をしました。それは、冷戦期のアメリカと旧ソビエトとの関係にヒントがあるといいます。

ヴェドリーヌ氏「今は奇妙に思えようとも、西側の指導者たちは、いつかロシアと向き合わなければならない。プーチンのロシアではないかもしれないが、ロシアを完全に排除することはできない。冷戦時代、互いに敵の全滅を狙っていた時代ですら、アメリカの指導者は旧ソビエトに逃げ道を残していたのだ。冷戦時代の最悪のときでさえ、西側の政治家は『価値観の違う国とは話ができない』とは言わなかった。『価値観の戦い』とは決して言わなかったのだ。揺るぎない姿勢と極めて強い責任感を持って対応し、成功した」

<提言:日本はアメリカとの同盟関係を議論せよ>

最後にヴェドリーヌ氏は、日本の安全保障についての提言を行いました。それは、自らの経験に基づくものでした。

長年、フランスの外交を支えてきたヴェドリーヌ氏が、岐路に立たされたことがありました。2001年のアメリカ同時多発テロに端を発する、イラク戦争(2003年)。アメリカから、行動を共にするように要請を受けたのです。そこでフランスは、平和的に解決すべきだと、断固として戦争に反対しました。そうした経験を踏まえ、ヴェドリーヌ氏は、日本もアメリカとの同盟関係について議論を深めるべきだと言います。

ヴェドリーヌ氏「日本もアメリカという同盟国との関係で、誰が決定を下すのかという問題を抱えている。重要なことを誰が決めるのかという問題だ。私は外務大臣のとき、フランスの対米政策において『友人であり同盟国だが同調はしていない』という方針をとった。つまり、安全保障上の深刻な問題には同盟するが、フランスにも発言権と自主性があるという意味だ。日本もアメリカと強力な二国間同盟があり、熟知しているテーマだと思う。しかしアメリカは国外の情勢に疎いので、日本がより良い成果を得るためには、独自の姿勢をアメリカに認めさせられるかが大事だ」

上田アナウンサー「ブレマーさんが、ロシアのことを“イランの大型版”、“ならず者国家”とまで言っているのに、驚きました」

河野キャスター「“ならず者国家”という表現ですが、アメリカが例えば、イランを“テロ支援国家”というふうに批難をして、国際社会から排除しようとするときによく使う表現ではあるんです。ロシアについて言うと、資源開発を軸に経済を立て直して、一時は「G8」のメンバーにもなったほどなんですけど、今回、経済制裁をうけて、今後は政治的・経済的な影響力をどんどん失っていく。そして主要な国としての地位を失うというふうにブレマー氏は分析をしているんですね」

上田アナウンサー「ブレマーさんの未来予測の中で、これから地域紛争が増えていくという言葉もありました。それを聞くと、例えば北朝鮮や台湾情勢などがとても気になります」

河野キャスター「世界がどうなるかという点で言いますと、ブレマー氏はかねてから、世界はG8とかG7とかG20ではなくて、『Gゼロ』。リーダーがいない世界に向かっていると提唱していまして、その傾向はますます強まると主張しているんですね。つまり世界の安定にとって“おもし”となるような存在がなくなっていくという分析なんです。そんな中で大量の核兵器を持っていて、しかも“ならず者”扱いされることになりそうなロシアが、国連安全保障理事会で拒否権を持っているという状況が続くということを考えると、世界はどうなるのか。非常に不安が広がることになると思います」

上田アナウンサー「そんな中、ロシアに対して、フランスの元外相ヴェドリーヌさんが『それでも対話は重要だ』と強くおっしゃっていました」

河野キャスター「今はそのタイミングではないというのが前提なんですが、冷戦時代の指導者を例に挙げて、国際関係においては、相手がどんな考え方、価値観であろうとも、交渉や対話を閉ざすことがあってはならないと訴えていましたね。ロシアを国際社会から徹底的に排除するのではなく、少なくとも対話の窓口を開いておくことが大切だというのが、今回の提言だったと思います」

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