なぜ一線を越えるのか 無差別巻き込み事件の深層

NHK
2022年6月21日 午後5:55 公開

(2022年6月18日の放送内容を基にしています)

車内に散乱した乗客の荷物。犯人が持ち込んだ刃物。そして、おびただしい量の血痕。

2021年8月、走行中の小田急線で乗客が切りつけられ、10人が重軽傷を負った事件。けがをした一人が事件直後の車内を記録していた。

この映像を撮影した40代の男性が取材に応じた。

被害者「毎日朝起きて、ごはんを作ろうと包丁を握った瞬間に思い出しますし、床に散らばっていた包丁の光景を。記憶がよぎる時は、自分を奮い立たせて考えをやめるんですよ。『あっ』『だめ』って。考えるなと」

この1年余り、見ず知らずの人を無差別に巻き込む事件が相次いでいる。

2021年8月、小田急線内で起きた事件以降、10月ハロウィーンの夜に起きた京王線内での切りつけ事件。26人が犠牲になった12月の大阪クリニック放火殺人事件。2022年1月には、東大前での切りつけ事件と、その数は15件にのぼる。

ここ10年で見ても、その頻度は、突出している。

社会の水面下で、いったい何が起きているのか。そして、これまでの無差別事件とは、何が違うのか。

私たちは15の事件全ての当事者や、関係者への取材を試みた。その証言から見えてきたのは、衝動的に一線を越えてしまう、稚拙とも言える犯行の実態。さらに、ふとしたきっかけで絶望し、破滅的な考えに陥る、心の内だった。

なぜ場当たり的に犯行に及び、多くの人たちの日常を奪うのか。事件を繰り返させないための手掛かりはどこにあるのか。

当事者たちの独白から、迫る。

<東京 焼き肉店立てこもり 元被告の独白>

有明海に面した長崎県の港町。

その男はここで育った。執行猶予中の元被告、29歳。事件後、初めて取材に応じた。

事件が起きたのは、ことし、2022年1月、東京の焼き肉店。店長を脅し3時間にわたって、店に立てこもった。「生きている意味が見いだせず、警察に捕まって死刑になればいいと思った」。人生に絶望したことが動機だと語った。

元被告「『とりあえず殺してくれ』って警察に言った。警察官が入って来たとき、説得で来たときに、『とりあえず殺してくれ』と言ったっすね。絶望やね」

取材班「なぜ人を巻き込むというところまでいってしまったのか?」

元被告「ろくな人間いないな、みたいな。結局、自分のことしか考えていない人間ばかりしかおらんけん。こっちが親切にやっとっても、結局裏切るやつばかりしかおらんけん」

なぜ、そこまで否定的な考えを抱くようになったのか。

小学校の時にいじめに遭い、教師に相談したものの、とりあってもらえず、人間不信に陥っていったという。高校は自主退学。自転車などの窃盗を繰り返していた・・・。

少年時代を知る保護司は、元被告は、周囲に心を開こうとしなかったと話す。

元保護司「頼るというより、自分の性格、考えを分かってもらえるような行動をしていなかったんじゃないかなと。責任転嫁ですね。やっぱり彼の場合はありますね。『自分はこうしてるんだけど、周りが誰も分かってくれない』とか。そういうのはあったような気がします」

職を転々とし、2021年12月、あてもなくたどり着いた東京。働くこともせず2週間の路上生活を送り、所持金が底をついたのが事件当日だった。

取材班「いつ事件を起こそうと?」

元被告「事件を起こす日の夕方。事件を起こす1時間前に、もうたぶん何やろうね、自分でもちょっと分からんけど。とりあえず腹へっとったけんか、ぶっちゃけどこでもよかった」

自暴自棄のまま町をさまよう中、たまたま目に入ったのが、あの焼き肉店。およそ6000円分の飲食を済ませたあと、店長を人質に取り、立てこもった。脅しに使ったのは、その日の夕方、即席で作った偽物の爆弾。段ボールを切り抜いただけのものだった。

3時間後、踏み込んできた警察に取り押さえられた。動機や手口は、あまりにも突発的で稚拙なものだった。一方、拘束された店長は「いつ刺されたり、爆弾を爆発させられたりするか、生きた心地がしなかった」と強い恐怖心を吐露した。

「他人を巻き込んだことをどう思っているのか」。裁判では反省の言葉を述べていたが、取材に対する口ぶりからは、罪の意識はほとんど感じられなかった。

元被告「あの状況からどうやって抜け出せばいいか分からん状態で、結局、訳分からなくなって。たぶん“生きていた”というのを残したい。世間で騒がれて。結局、無関心になって、忘れられていくだけの存在かもしれないけど、一時的には生きて、ちゃんとじゃないけど、『こういう人生送ってました』というのを」

<浮かび上がってきた “特徴”>

見知らぬ人間を無差別に巻き込む事件は、過去にも繰り返し起きてきた。

「エリートの子どもを殺す」と明確な敵意をあらわにし、日中の学校を襲った附属池田小児童殺傷事件。8人の児童が犠牲になった。

社会的孤立を深めた男が、休日の歩行者天国にトラックで突っ込み7人を殺害した、秋葉原通り魔事件。

そして、周到な準備がなされ、戦後最悪となる36人が殺害された、京都アニメーション放火殺人事件。

過去の重大な事件と、いま起きている事件に違いはあるのか。

ここ一年余りで起きた15の無差別巻き込み事件。分析していくと、「ある特徴」が浮かびあがってきた。半数近くが、事件当日、または前日に犯行を決意したとみられる、無計画で場当たり的な手口。

そして、「死にたい」と言いながら、一人では死にきれないなどとして、無関係の多くの人を巻き込んでいた実態だった。

<徳島 ビル放火 受刑者の独白>

「もう死んでもいい」と、衝動的に放火事件を起こした人物が取材に応じた。

刑務所の面会室に現れた岡田茂受刑者、40歳。74人に対する殺人未遂の罪などで、懲役11年が言い渡された。

事件は2021年3月、徳島市内で起きた。アイドルのライブ会場を狙い、ガソリンを撒いて火をつけたのだ。会場にいた74人に死者は出なかったものの、一歩間違えば大惨事になっていたと、裁判で厳しく問われた。

岡田受刑者「本当に孤独で、絶望しかなかった。なぜ誰かを傷つける方向になっていったのか、まだ正直、明確な答えは出ていません」

なぜ事件を起こすに至ったのか。暴走を食い止める手がかりはどこにあるのか。

私たちは7回にわたって接見を重ね、そして、何度も手紙をやりとりし、事件を引き起こすまでをたどることにした。

山間に集落が広がる徳島県牟岐町。一人っ子だった岡田受刑者はこの町で育ち、母親思いの明るい少年だった。小学校の文集には、「30年後のぼく」と題して、お笑いの世界で社長になるという夢がつづられていた。

「夢をかなえるために、これからも失敗してもくじけないで、頑張っていきたい」

高校卒業後、地元の工場に就職した岡田受刑者。そこで人間関係につまずくことになる。

職場の元同僚「入社試験の成績が良かったかなんかで、はじめ開発部にあいつは入ったんかな。でも、へまやらかして製造部に。『ほかでも使えん』って言われたんかな」

元同僚によると、1か月で配置換えになり、その後も上司からたびたび叱責を受けていたという。

職場の元同僚「結構怒ったりする上司やったけん。どっちかと言えば、『あんまり職場には必要ない』みたいな感じの雰囲気はありましたね」

半年後、「通勤がしんどい」とだけ言い残し、退職。その後、派遣などで職場を転々としながら働いていたが、28歳のころ、仕事に就くことをやめてしまった。

そのきっかけとなった事件がある。2008年6月8日に起きた、あの「秋葉原通り魔事件」。トラックで歩行者天国に突っ込み、通行人を次々にナイフで刺したのは、派遣社員の男だった。

その男、加藤智大死刑囚は裁判などで、職場や友人、家庭からも「孤立状態」にあり、社会への不満から犯行に及んだとされた。

岡田受刑者「6月8日の僕の誕生日に起きたんです。このとき自分も派遣社員だったから、境遇似てるなって。社会とあんまり上手くいってない人たちが結構いて、それで安心した。適当でもいいんやなって。当時ちょうど、リーマンショックの派遣切りで、簡単に切り捨てられるんだな、どれだけ頑張っても同じだと」

ひきこもりがちになった岡田受刑者。それでも、完全に孤立していたわけではなかった。繋がりを保っていた大切な人がいたのだ。東京で暮らしていた30年来の幼なじみ。月に何度も電話で話す、心を許し合う仲だった。

幼なじみの男性「徳島に帰ってくれば連絡して、一緒に遊ぶっていう感じですね。僕もプロレス、格闘技好きなんで、彼も好きで、その話はよくしていました。ほかの友人とか見ると、みんなどんどん大人になっていくし。彼だけは、やっぱずっと変わんないですね。中学ぐらいの時から何も変わってない」

そして、もう一人が、同居していた母親。無職となった一人息子をいつも気にかけ、ハローワークに行くよう声をかけていたという。自分を気遣ってくれる人がいたにも関わらず、なぜ絶望し、一線を越えることになったのか。

事件の少し前から、状況が徐々に変化していったことがわかってきた。

高齢の母親が体調を崩し、施設に入所。父親とは疎遠な関係で、普段会話ができる相手はほとんどいなくなった。さらに、追い打ちをかけたのが「新型コロナ」。たった一人、心を許していた幼なじみがコロナ禍で体調を崩し、しばらく連絡がとれなくなったのだ。

幼なじみの男性「おととしぐらいに体調崩して、しばらく会社休んでる間、2~3か月ですかね、連絡とらなかったときがある。でもそんなに(連絡の頻度は)変わらないとは思うんですけど、本人の感覚としては、違うようになったっていうことかもしれない」

途絶えたやりとりはわずか3か月。それでも岡田受刑者は、唯一のつながりを失ったと思い込み、ひとり孤独感を深めていった。

「私にとって彼は、社会や世界とつながっていると感じさせてくれていた、かけがえのない存在だった。コロナ禍で友人が病気になり、連絡する機会が減り、事件の1年前から少しずつ、自分の心が黒い感情にむしばまれていった」(岡田受刑者の手紙より)

友人は、2人が最後に会った時に伝えられた言葉が、忘れられないという。事件の3か月前、東京で一緒にプロレス観戦をしたときのことだ。

幼なじみの男性「プロレスの試合観ながらゲラゲラ笑って。『人生で一番楽しかった日はいつですか?』って言われたら、僕あの日ですね。彼がそういうのを感じたのか分からないですけど、しきりに『友達でいてくれてありがとう』みたいなことは言ってました。本人はもうそのときに(犯行を)決めていたのか分かんないですけど。いま思えばって感じですけど」

父親の年金を頼り、ますます自室に閉じこもるようになった岡田受刑者。四六時中インターネットやSNSに時間を費やすようになっていく。生活に困窮していたわけではなかった。他人の境遇と比較し、自分だけが取り残されていると、自らを追い込んでいったのだろうか。

岡田受刑者「周りは大人になって、どんどん自分のことを決めていっている。成功すると思っていた人たちは、みんな大卒で家族もできて、働いて幸せそう。僕以外はみんな幸せそうだし、僕だけが大失敗した。自分の中に『頼むから世界が終わってくれないだろうか』、心のどこかで『もう終わってほしいな』と」

<そして事件へ 一線を越えた受刑者>

その後、事件を起こすことになる岡田受刑者。直接の引き金になったのは何だったのか。

本人は、大ヒットした、あるアニメ映画の完結編を観たことがきっかけだと説明する。対人関係に悩み、孤独に苦しみ続けてきた主人公の少年。様々な葛藤を経て、成長を遂げるという内容に絶望したというのだ。

岡田受刑者「主人公が外に開かれた世界に出て行くのと、どこにもいけなかった自分が・・・なんか納得できないというか、自分は人生において打ちひしがれた」

アニメの主人公の境遇さえ自らと比較し、募らせた惨めさや敗北感。

岡田受刑者「映画を見て区切りがついてしまった。もうこれ以上、人生で心を動かされることはないなと思った」

「もう死んでもいい」。そう強く思うようになったという。

映画を見た5日後の2021年3月14日。「罪を犯せば、自殺する決意ができる」と考え、思い浮かんだのが、あるアイドルグループのライブ。以前、メンバーの一人に交際相手がいるという話を聞き、SNSで嫌がらせをしたことがあった。この日の朝、ネットで過去の放火事件を検索し、ガソリンを購入。「ただ困らせたかった」と事前の下見もなく、ライブ会場の一つ下のフロアに火をつけた。犯行を思い立ってから、わずか5時間余りのことだった。

岡田受刑者「本当に申し訳ないんですけど、どうして事件を起こしたのか、正直いま考えても分からないんです。『ロクな大人にならないんだろう』。その気持ちをずっと越えられないまま、過ごしていたんだと思います」

<繰り返される背景に何が>

ふとしたことから絶望し、場当たり的な手口で見知らぬ人たちを巻き込む事件。

2021年のハロウィーンの夜には、映画に登場する殺人鬼「ジョーカー」にふんした男が、京王線の車内で乗客を切りつけた。「仕事や友人関係に悩み、人を殺して、死刑になりたかった」と供述している。

そして、2021年8月に起きた小田急線での切りつけ事件。逮捕された男は調べに対し、「事件当日に万引きが見つかり、店員に注意されたことが犯行のきっかけだった」と語っている。

事件当日、たまたま乗り合わせた小田急線車内で被害にあった男性。

取材班「動機については?」

小田急線切りつけ事件の被害者「知りたくないですね。知りたくもないし、知る義理もないし。『だからどうした』っていうのが、私のいまの気持ちですね。別に社会のせいとか、こういった時代のせいとか、そういったものでもなくて、ただ単純に、本人が自分の心と見つめ合わなかったのかな」

あまりに身勝手な一連の事件。しかし、いまSNS上では、若い世代を中心に「ひと事とは思えない」などと、一部で理解を示す声も広がっている。

会社を退職したばかりの20代の女性。「死刑になりたかった」と供述した、京王線の切りつけ事件の被告に同情したという。

20代女性「『人の手で殺してほしい』と彼も言っていた通りのことを、私も思っていた。あの頃はメンタルがすごく参っていて、仕事もダメだし、死ぬしかないって。社会がこれから良くなっていくという期待感とか、自分で良くしていけると感じる経験が少なくて。私たち20代の世代は、『失敗しちゃいけない』という面もある。ちょっとうまくいかなかったことで『死にたい』と思うのは、若者が見て生きている時代全体の問題がある」(取材メモより)

なぜ、いま無差別に他人を巻き込む事件が相次ぎ、理不尽な事件に理解を示す人がいるのか。

犯罪心理学者の原田隆之さんは、背景には近年SNSが普及し、容易に他人と比較してしまう環境が生まれたこと。そして、自分の境遇を他人のせいにする「他責」の傾向があると指摘する。

筑波大学・原田隆之教授「SNSの時代になって、なおさら人と自分を比べてしまって、自分の境遇に対してネガティブな気持ちを持ったりとか、あるいは人を妬んだりとか、きらびやかなものばかり見えてしまう。そうすると嫌でもそういうものがない人は、周りの人が必要以上に自分と比べて、楽しそうで生活が充実していて、それに比べて自分は・・・と思ってしまう。もうひとつは、こうなってしまったのは、自分のせいではなくて社会のせいだ、周りのせいだ、周りが自分にこんな冷たく当たったからだ、自分をバカにしたからだと思っている人は、そこで反感や敵意を周りに募らせるっていうことはあるだろうし。ひとつ間違えれば、たくさんの人の命を奪っていたかもしれないということに対するブレーキとか、共感性の乏しさですね」

繰り返される衝動的で短絡的な事件。より計画的で重大な事件につながるおそれがあると、原田教授は警鐘を鳴らす。

筑波大学・原田隆之教授「手口を洗練させてって言うとおかしいけれども、よりその手口を改め、実行してしまうということで、被害が拡大してしまう危険性としてはすごく大きい」

<繰り返されることで より計画的で重大に>

より計画的で重大な事件。そのひとつが、徳島の9か月後に起きた、大阪のクリニック放火殺人事件だ。

死亡した谷本盛雄容疑者。家族、そして社会からの完全な孤立や経済的な困窮が、事件の背景にあると見られている。自宅からは、徳島の事件を報じた新聞の記事などが見つかった。過去の放火事件の手口を詳しく調べたとみられる容疑者。ビルの下見を繰り返し、火をつけた際には、逃げ道を塞ぐなど、極めて周到な犯行だった。

狙ったのは、自らも治療に通っていた心療内科のクリニック。犠牲になったのは、院長や患者など26人。この1年余りに起きた無差別事件の中で最悪となった。

筑波大学・原田隆之教授「事件というのは、不幸にして起こってしまって、それでセンセーショナルに騒いで、犯人だけを叩いて終わりではなくて、そこでこの社会にどういうひずみがあったのか。そして、こういうことを繰り返さないようにするには、何を変えていかなきゃいけないのか。そこまでを考えていかないと、同じような事件は起きてくるかもしれないし、被害者も生むし、加害者も生むっていうことに、なり続ける」

クリニックの院長だった兄を亡くした女性。患者の一人が起こした事件に複雑な思いを抱いている。

クリニック院長の妹「容疑者も(孤立していた)という部分は、私も同じように思っていますし、おそらく兄も思っているんじゃないかと。(兄は)容疑者を助けられなかったことを悔やんでいると思っています」

一方で、なぜ無関係の多くの人が巻き込まれなければならなかったのか。やりきれなさを、感じている。

クリニック院長の妹「なんで兄のところだったのか、というのは一番大きいですし、そこまでしなければいけなかったのかな。そんなにたくさんの人を巻き添えにする必要って何もなかったはず」

<どうすれば踏みとどまれるのか>

社会に痛みだけを残す無差別事件。

徳島でビル放火事件を起こした男と、幼なじみの友人。いま、自責の念に苛まれている。

幼なじみの男性「一線をどうやったら越えさせずに済んだのかなっていうのは、そこですね。なんで起こしてしまったのかなっていうよりかは、どうしたら、その一線を越えさせずに済んだのかなって」

先月、岡田受刑者から私たちに届いた手紙。そこには、友人に伝えたかった思いが綴られていた。

「事件を起こす前に、本当は彼に自分の苦しい心や、感情を打ち明ければよかったと後悔しています。体調を崩した彼の状態を考えたら、酷だったかもしれないけど、逮捕され、彼の心を傷つけた事を考えれば、何が正解だったのか、今も答えは出ていません」(岡田受刑者の手紙より)

幼なじみの男性「まあ、ばかですよね。ほんとにね。 ほんとにばかな奴ですよ。言ってくれていればちゃんと向き合えていれば、結果は違ったのかもしれないですけどね・・・。僕だけじゃ、やっぱりだめだったんでしょうね。他に例えば、もっと社会と関わりを持って、いろんな人、話せる人がいればよかったのかなと思いますけど。やっぱり複数名そういう人が、1人よりも2人、2人より3人、3人より4人っていう、そういう人の存在っていうのは必要だったのかな。ただ、みんな『自分は孤独』とか、『ひとりだ』とか思っている人も多いと思うんですけど、意外と周りに大事に思ってくれる人はいるんだよって伝えたいですかね」

どうしたら踏みとどまらせることができるのか。

SNS上で一連の事件に共感を示しながら、考えを改めたという人が取材に応じた。30代の会社員の男性。「自分も一線を越えてしまうかもしれない」と考えていたという。

そのきっかけとなったのは20歳のとき、発達障害と診断されたことだった。就職を希望した先では、障害を理由に門前払いにされるなど、周囲からの偏見や無理解に苦しんだという。自分の努力では、どうにもできない現実に、苛立ちを抑えきれなかったのだ。

会社員の男性「まぁ、おかしくなりましたね。自分の車をわざと(相手に)衝突させてやりたいくらい頭にきてましたね」

取材班「身勝手なことだと思うが、それでもそう思ってしまうのか?」

会社員の男性「思いたくなるときはありますね」

取材班「いけないと分かっていても?」

会社員の男性「はい。何をやってもいいんだっていうのが、やっぱりあるのかなって思いましたね」

「一線を越えてしまうかもしれない」。とらわれていた思いを変えてくれた場所がある。

子どもや若者たちの居場所づくりをおこなうNPOの活動。男性は、月に2回ほど訪れ、趣味の写真撮影を行っている。

会社員の男性「こういうのを撮影してきました。ふだんは大体、ちょうだとか、あとはそのへんに咲いている花だとか、大体いつもこんな感じの写真を撮っています」

会社員の男性「公園でこんなの撮れました」

女性「すごい綺麗なの。ちょうが」

渡部さん「ほんとだね、すごい。ここ?」

NPO法人ゆめ・まち・ねっと代表 渡部達也さん「光の採り方とか色の具合とか、『おお』っていうところがあって、『上手だね』って話をしながら、最初はこんなちっちゃいデジカメだったのが、そのうちこんなの買いましたって」

自分を受け入れてくれる人や居場所。いまは周囲と、自然に接することができるようになっている。

会社員の男性「ひとつの気分転換もありますが、唯一自分が社会とつながる方法かなって。ありのままというか、等身大の自分として向き合ってくれるところがあることが、やっぱ一番大事じゃないかなって思いますね。ここに居ていいんだなって」

人との関係によって傷ついた心。一方で、傷を癒やし、踏みとどまらせるのもまた、人とのつながりだった。

相次ぐ無差別巻き込み事件。繰り返される悲劇を、どうすれば断ち切れるのか。

一つ一つの事件と向き合う中にしか、確かな答えは、ない。