震災12年 復興の地図 〜“希望の芽”を探して〜

NHK
2023年3月20日 午後7:15 公開

(2023年3月12日の放送内容を基にしています)

東日本大震災から12年。岩手・宮城・福島の3県のうち、津波や原発事故で被災した市町村では人口が14万人あまり減少しました。しかしその中で、増加に転じたのが宮城県女川町。若者が、なぜか続々と移り住んでいます。また、地域経済が回復しない港町には、子育て世代の女性が、次々と応募してくる水産加工会社があります。

こうした被災地の明るい兆しを見つけることができる地図があります。

国が5年に1度行う国勢調査。私たちはこのデータを詳しく分析し、さまざまな地図を作りました。

自治体別の人口の増減率を示した地図。

さらに500メートル四方ごとに分割し、性別や年齢別に増減を細かく示した地図。

人口減少が進む被災地の中で、未来へのヒントを見つけることができる、いわば「復興の地図」です。

こうした「復興の地図」を使って、まちづくりを見直す自治体も出てきています。

宮古市職員「宮古に強みもいっぱいあることがわかってきた。しっかりとこれをつなげていきたい」

人口減少や少子高齢化が進む縮小ニッポン。その数十年先の姿を映し出しているといわれる被災地。

復興の地図を手がかりに、“希望の芽”を探していきます。

被災地の復興を検証するため取材班が分析したのは、5年に1度行われる国勢調査。国内に住むすべての人を対象に、暮らしている場所や、年齢、職業などを調べる国の調査です。

私たちは2020年までの最新のデータをもとに、50を超える地図を作成しました。そのひとつ、自治体ごとの人口の増減率を示した地図。青は減少した自治体、オレンジは増加した自治体です。色の濃さが増減率の大きさを表しています。

震災前の2010年から2020年をみると、岩手・宮城沿岸の自治体では、軒並み人口が減少。増加しているのは、宮城県の県庁所在地、仙台市と、その周辺の自治体だけでした。

この人口の増減率を示すデータを、復興が進んだ2015年からの5年にしぼり込んでみました。すると、仙台市周辺以外でも増えている自治体がありました。人口6000人あまりの宮城県女川町です。

町の中心部にある旧女川交番のそばに、復興へのまちづくりに向けたキーワードが記されていました。

「還暦以上は口を出さず」。

これはどういう意味なのか。復興に携わってきた女川町の担当者に話を聞くと。

女川町 公民連携室長/青山貴博さん「年長者が若い人たちに町の復旧・復興を任せると。60歳以上が多かったこともあり、何もなくなった女川町を支え、つくっていくのは若い人たちだと。年長者はいらんことは言わないで、若い人たちに全力で走ってもらう環境をつくる」

震災で800人以上が亡くなった女川町。家屋のおよそ7割が全壊しました。震災の1か月後から、この言葉をキーワードに若い世代に町の将来を託してきたのです。

めざしたのは、コンパクトなまちづくり。洗練されたデザインの商店街や駅、役場などの公共施設を中心部に集めました。

その後、町が打ち出したのが「スタート女川」。柱のひとつが起業家支援です。

2015年にNPOと共同で、起業に関心を持つ町外の人などを対象に、「創業支援プログラム」を始めました。費用の8割は町やNPOが負担。金融機関や大手ビジネススクールから講師を招き、3か月かけて成功への秘訣を指南します。

全国から若者の参加が相次いでいるこのプログラム。事業計画書の作成まで手助けし、女川で起業する義務もない、という破格の条件です。

女川町 公民連携室長/青山貴博さん「女川で起業をしていただければありがたいですが、女川に移住して起業しなきゃいけないとなれば、ハードルは高い。人のつながりをどんどん増やして、中に(移住してくる)人は必ずいるし、今までもいました。その可能性を広げるために、頑張っている」

これまで53人が卒業し、町内で14人が起業しました。オーダーメードで茶葉をブレンドし、全国に販売する紅茶の専門店。地元で獲れたシカ肉など、ジビエ料理を提供するレストラン。これまで町に無かった、新たなビジネスが生まれています。

起業したひとり、原田直信さん、32歳です。子ども向けの運動教室を立ち上げました。かつて大阪に本社のある大手製薬会社で、営業の仕事に携わっていました。

2020年に女川町の創業支援プログラムに参加し、その後、家族で移住しました。女川町で起業することを決めたのには、理由がありました。

原田直信さん「保育所も2か所、学校も1校しかないので、子どもたちの変化が分かりやすい。その後どうなっていくのか見守れる。だからここでやる意味があるし、スタートを切るには、こういうところで結果を出すのが、いいのかなと思っています」

運動教室の効果的なプログラムを作るためには、科学的なデータが欠かせません。女川では保育所などの全面的な協力が得られるため、子どもたちのデータを継続的に測定できるメリットがありました。

原田さんは今後、女川を拠点に教室の数を県内外で、さらに増やしていきたいと考えています。

原田直信さん「町の人たち皆さんが力になってくれたり、いろんな人を紹介してくれたり、すごく心強い。ここで起業して本当に今よかった」

起業以外を目的に、町に来る若者も現れ始めました。町では20代単身者が1.5倍に増えていたのです。それはなぜか。

宮崎県出身で5年前に移住した岩部莉奈さん、26歳。九州の大学で、地域活性化について学んでいた岩部さん。初めて女川を訪れたのは、大学3年生のインターンシップ。当時、自らの進路について悩んでいました。

岩部莉奈さん「大学でまちの活性化について考えたりしていて、先輩方が普通に就職することに違和感を感じて、すごくモヤモヤして。その環境のまま居続けると、モヤモヤを解消できないと思って」

女川で半年間過ごす中で、町の人たちが、若い自分のアイデアを受け止めてくれることに驚きました。

岩部莉奈さん「大人って、『無理だよ』みたいなコミュニケーションで、道を示すイメージがあったけど、女川に来て、前向きに『いいじゃんやろうよ』『でもやるためには、こうだよね』みたいな、伴走してくれる。背中を押してくれる雰囲気がすごくあって」

その後、女川に移り住み、まちづくりのNPOに就職した岩部さん。いま運営を任されているのは、移住生活を体験してもらうプロジェクト。女川町に限らず、移住に関心のある人であれば誰でも、最大で1か月程度、滞在費無料で受け入れます。町の魅力を伝えるプログラムを作っている岩部さん。参加した人のうち、25人が移住しました。

2015年からの5年間、仙台市周辺以外で唯一、人口を増加に転じさせた女川町。地域再生のカギは、年長者が若い人のアイデアや挑戦を否定せず、徹底的に支える街ぐるみの姿勢でした。

<人口増に転じた女川町 若者や女性が集まる石巻>

合原明子アナウンサー「東日本大震災から12年がたち、甚大な被害を受けた被災地では、大規模なかさ上げ工事が終わり、住宅も整備されましたが、人口の流出は止まりませんでした。そうした中、女川町は若い人の発想を尊重し、まちづくりに活かしていくことで人口を増加に転じさせていました。一方で人口の減少が続く自治体でも、データを細かく分析していくと、未来への大きなヒントがあることがみえきました」

被災した3県のうち、最も人口が減少した自治体、宮城県石巻市。まちの経済を支えてきた水産関連の産業。売り上げは震災前の7割程度にとどまっています。

人口は2010年から2020年にかけて、2万人減少しました。しかし、その人口増減を500メートル四方ごとに分割し、性別や年齢別で細かく分析すると意外な発見が。

現役世代の女性の増減を示した地図です。多くの地点で減少していますが。増加を示す場所もありました。市が新たに造成した居住地域です。 これらの地域で増加した、現役世代の女性たちの力を活かしているのが、水産加工業が盛んな湊地区です。

この地区で、水産加工業を営む、創業1980年の会社。たらこを加工し、全国に販売してきました。従業員は50人、実にそのうちの44人が女性です。

朝、従業員たちが、子どもを連れてきていました。全国でもほとんど例のない、水産加工会社直営の保育所です。

従業員「すごく楽です。働いていても、近くに子どもがいて預けられるのは、すごい安心感がある」

この会社は、12年前の震災で工場が全壊。その後、引っ越しや高齢を理由に、退職者が相次ぎました。社長の木村一成さんは、再建を進めても、以前と同じやり方では従業員が集まらず、経営が立ちゆかなくなると考えていました。そんな時、子育て中の従業員に聞いた言葉がヒントになりました。

湊水産 社長/木村一成さん「『どうしたらスタッフ来るかね?』って言ったら、『子どもを見るところさえあれば、いっぱいいますよ』って。『なるほど、そういうことなの』って」

木村さんは補助金も利用し、5000万円かけて保育所を建設。保育士や看護師など、5人を新たに採用しました。本業以外のコストに、大きな不安もありました。しかし、子育てしながら働きやすい環境を作ることが、再生への近道だと考えました。

湊水産 社長/木村一成さん「先生たちの給料と経費で(お金は)全部消えちゃう。保育所はもうかりません。だけど会社を存続するためには、絶対不可欠」

保育所を開いてからは、工場の求人に10倍の応募があり、なかには転職してくる人もいました。

従業員「今までやったことがない職種で、不安だったけど、(子どもが)具合悪くなるたびに、『みんなお互い様だから』という気持ちでいてくれているので、働きやすい」

従業員の大半を子育て世代が占めているこの会社。出産した従業員は、全員が職場復帰しています。

産休中の従業員「この子が半年になったら、ここに預けて、また戻って来ようと思います。ここはすごい安心して働きやすい」

湊水産 社長/木村一成さん「建て前は、いっぱいもうけて、いっぱい売り上げてと話はするけど、本当の意味で大事なのは従業員。仕事しやすい環境の中で、いろんな商品をどうやって作るかというのが、我々が目指すところと」

石巻市を500メートル四方ごとに分割した「復興の地図」。別の傾向も見つかりました。

2015年からの20代単身者の増減をみると、市街地を中心に、減少を意味する青色の棒グラフが確認できます。しかし、沿岸部の多くで、増加を意味するオレンジ色の棒グラフが見られました。

20代単身者増加の理由は、海外からの技能実習生たち。人手不足に悩む水産加工会社などが、ベトナムやインドネシア出身の若者たちの受け入れを進めてきました。地域での交流会を主催するなど、暮らしやすい環境も整え、実習生に人気を呼んでいます。

20代単身者の増加の理由は、これだけではありません。

石巻市の水産加工会社などが、2年前合同で始めた「SeaEO(シーイーオー)プロジェクト」。従来はライバル同士の会社が合同で、幹部候補生となる大卒の人材を募集。月収は20万円から25万円程度です。

多少の失敗には目をつぶり、新規事業の営業リーダーや、広報戦略の責任者などに抜擢。大きな権限を付与します。スキルアップができるよう、毎月研修も用意。初年度だけで、大卒の若者3人が入社しました。

フィッシャーマン・ジャパン事務局/弘田光聖さん「新卒は最初は赤字だし、赤字社員だからこそ、『もっとこういうふうに動いてほしい』みたいなことがあるけど、思い切ってチャレンジしてくる若者がいたら、全力で支えたい」

震災後、従業員の3分の1を20代が占めるようになった、水産加工会社です。この会社は2022年、SeaEOプロジェクトを利用し、20代の幹部候補生を採用しました。

北海道大学出身の小川凜さんは、SeaEOプロジェクトで2022年入社し、商品の販売戦略を任されています。卒業生から聞いた大手企業の仕事内容には、魅力を感じなかったといいます。

小川凜さん「大企業に入ると、自分の裁量で動けないと聞くし。社長が『お前の好きなようにやれよ』と言ってくれるから、自分のやりたいことができているのは、めちゃくちゃ幸せです」

小川さんを採用した会社の社長、布施太一さん。布施さんの会社も、震災で工場が全壊。再建後も記録的な不漁が影響し、売り上げは一時4分の1に落ち込みました。当時20代の社員がおらず、再建には、若い世代の力とアイデアが必要不可欠と考えました。

水産加工会社 社長/布施太一さん「ぶっちゃけピンチですけど、転換期ではある。変化しない企業は、絶対にとう汰されていくと思うので、リスクはあっても、チャレンジしていかないとまずい」

入社して1年。小川さんは、すでに社運をかけたプロジェクトを任されています。新商品を販売するための戦略づくりです。

小川凜さん「食べた瞬間“サクッフワっ”ていう食感。自信の商品」

小川さんが手がける新商品は、宮城県の品評会でも、高く評価され、この実績をもとにインターネット販売を強化し、国内外で新たな顧客を開拓しようとしています。

小川凜さん「まず僕が泥臭く道をつくっていきたい。石巻を豊かにしていく、日本の水産業を豊かにしていく。1個1個できることをやっていくのが、僕の役割だと思っています」

失敗を恐れない若手社員の抜擢や、子育て世代が働きやすい職場環境づくりで見えてきた“希望の芽”。

一方で、復興工事の経験と先行投資によって、成長を維持しようとする業種もあります。

この12年、石巻市の地域経済を支えてきた建設業です。就業者は2010年から急増し、一時9000人を超えました。すでに、復興需要は落ち着いていますが、8000人台を維持しています。

従業員200人が働く建設会社で導入したのは、ドローンを用いた測量や、AIによる施工管理。復興事業の受注が多い時期から、将来を見越して1億円を先行投資してきました。

丸本組 社長/佐藤昌良さん「復興はゴールがあり、工事量が減っていく。厳しい環境を、打破していかなければならない」

復興で培ったノウハウと、これらのデジタル技術を組み合わせた、新たなビジネスモデルを確立。ほかの地域の災害復旧工事も請け負っています。

丸本組 社長/佐藤昌良さん「想定を超える自然災害は全国各地で起きているし、地域をいかに守り続けるか。技術革新を、先進的にやっていかなければならない」

被災地の産業復興を研究してきた柳井雅也さんです。地域の実情が、一見ネガティブにみえても、目をこらすと、再生のヒントが必ずひそんでいると指摘しています。

東北学院大学 教授/柳井雅也さん「被災地は、これからの日本の社会の鏡。もともとあったものに、新しい角度から光を当てて、その価値を引き出していく。今まで経験したことない取り組み、ビジネスモデルをどんどん打ち込んで、新しい地域内の経済循環を作っていく必要がある」

<福島・南相馬 新産業をどう根付かせるか>

合原明子アナウンサー「これまで見てきた地域と大きく事情が異なるのが、原発事故で住民が避難を余儀なくされた福島です。一部で避難指示が解除され、住民が戻ることができるようになっていますが、いまも立ち入りが厳しく制限されている『帰還困難区域』が残っています。しかし分析を進めると、ある職業に従事する人たちが増加し、そこから地元企業も巻き込んだ、化学反応が起きていることがわかってきました」

東京電力福島第一原子力発電所の事故後、人口の減少が続いてきた福島県の沿岸部。しかし、研究者や技術者の増減率の地図を示すと、意外な結果が。沿岸部の複数の自治体で、増加を示すオレンジ色となっていたのです。

その増加に大きく影響している施設が、南相馬市にあります。

2020年に南相馬市に作られた「福島ロボットテストフィールド」です。福島県が国からの補助金156億円で整備した施設で、消火ロボットや、原発の廃炉作業での活用を目指す水中ドローンなど、最先端のロボット開発が進められています。

滋賀県に本社のある企業は、鉄道や道路で、人に代わって高所作業を行うロボットの開発を続けてきました。実験用の交差点やトンネルがある、ロボットテストフィールドを活用したいと、南相馬市に進出。3人の社員を移住させました。

人機一体 社長/金岡博士「本物のトンネル使おうと思ったら、通行止めしないといけない。ここ(ロボットテストフィールド)だと、そういう必要もないので、やりやすい」

ロボットテストフィールドの建設は、「福島イノベーション・コースト構想」と呼ばれる、国と県のプロジェクトのもとで進められました。沿岸部に57か所の実験施設などを設け、新たな産業基盤を作り、地域再生を図ろうとしています。

福島の復興状況を研究する、立命館大学教授の丹波史紀さんは、地域再生のカギを握るのは、イノベーション・コースト構想に地元企業が「どれだけ関わりを持てるか」だといいます。

立命館大学 教授/丹波史紀さん「技術を持った企業を誘致することも大事だが、やっぱり地元の企業とか地元の人たちが、活躍できる場をつくることが大事」

では、地元福島の企業は、どれほど関わりを持てているのか。私たちは、ロボットテストフィールドに入居した企業の取引を分析し、東京に本社がある大手企業と、設立から10年以内のベンチャー企業を比べてみました。

大手企業の場合、その主な取引先は、全国38の都道府県にある486社。そのうち福島県内の取引先は3社。取引額はおよそ2500万円でした。一方のベンチャー企業は7社ある取引先のうち、福島県の企業が6社。取引額も、およそ4億円に達していました。地元企業が、規模の小さなベンチャー企業とつながることで、大きな波及効果を生んでいたのです。

ベンチャー企業と地元企業とをつなぐ役割を担っている、髙野晋二さん、63歳です。南相馬市の依頼を受けて、地元企業の技術を、福島に進出するベンチャー企業に紹介してきました。

南相馬市産業創造センター 支援員/髙野晋二さん「光らないけど、小さな小石がいっぱいある。地元の方々の力、中小企業の方々の力を借りて、私らは石のつなぎ手みたいな形。なんとか発展して、この復興がうまくいけばいい」

かつては、南相馬にあった大手メーカーの工場でエンジニアを勤めていた髙野さん。地元をよく知る技術者として作成したパンフレットは、地元企業一社一社に聞き取り、加工や設計などで、どんな技術を持っているのか、わかりやすく一覧表になっています。各社の強みを打ち出し、ベンチャー企業の目に止まりやすいものにしています。

髙野さんは、これまでに交流会などを通して、30社の地元企業とベンチャー企業の取引を実現させています。

髙野さんから、ベンチャー企業を仲介された金属加工の会社では、主に精密部品を製造し、これまで取引先の多くは、福島県やその周辺の企業でした。社長の渡邉光貴さんは、ロボットテストフィールドができた当初、大きな期待はしていませんでした。

タカワ精密 社長/渡邉光貴さん「日本全国この流通網。明日午後には、関西から物が届くご時世に、地元の企業に『この部品作って』なんて言うわけないと思って、すごく難しいんじゃないかと思っていた」

しかし、自前の製造ラインを持たないベンチャー企業から、1000分の1ミリ単位の加工を手がける高い技術力を評価され、取引を持ちかけられました。

タカワ精密 社長/渡邉光貴さん「『ロボットを作りたくて、いいアイデア、いい制御はできるけど、そういった部品が作れない』と企業からお話いただいて、情熱に負けてじゃないですけど、『一緒にじゃあ作りましょう』と」

いま、他の企業と新たな挑戦に乗り出しています。共同で開発しているのは、水中作業用のロボット。原発事故の前にはなかった産業と、地元企業がつながることで、少しずつ地域再生の芽が育とうとしています。

タカワ精密 社長/渡邉光貴さん「南相馬がロボットのまち、最先端のまち、みたいな。そういったことに特化していく地域になれば、おのずと人も集まってくるし、仕事も集まってくる。どんどんいい地域になっていくんじゃないかな」

<子どもの割合増える町 大槌町>

合原明子アナウンサー「最後に見ていくのは、岩手県大槌町で行われている取り組みです。2015年からの5年で、町全体で755人が減少しているにもかかわらず、教育・学習支援業の就業者に絞ってみると、27人増加させていました。それは被災地の未来への投資でもありました」

岩手県沿岸部の大槌町。震災後に子どもの数が32%減少しました。そのため町は7校あった小中学校を、2つの小中一貫校に統廃合しました。その一方で、学習支援のNPOなど、教育の担い手を増やし、支援体制の充実を図ってきました。

大槌町 教育専門官/菅野祐太さん「この町で学びがある、幸せに暮らしていける、みたいな力につながるのが、教育ができる役割のひとつになる。『大槌で何かできるかも、いい町だ』と思える、そういう学びをつくっていこう」

町唯一の高校・大槌高校でも、入学を希望する生徒が地元を中心に増えてきました。人気を集めている独自の授業があります。毎週2時間行われる「三陸みらい探究」。中学校の教師や、地元企業の経営者、研究機関の職員などとともに、町が抱える課題について話し合います。

「三陸みらい探究」の授業にひかれて、入学した遠藤望結さん。いま関心を寄せているのが、地域住民の孤立を防ぐための「地域食堂」です。

遠藤望結さん「おなか空いている子たちとかいると思う。おいしいお母さんたちの料理を食べたいと思うんじゃないかな。私って、ここにいていいんだって。私は必要とされているんだ、という気持ちになって、新たな居場所みたいな感じ」

こうした取り組みを通じて、人口に占める子どもの割合は、2015年から増加に転じました。子どもの割合が、宮城・岩手の沿岸部で増加した自治体は2つだけです。

「三陸みらい探究」での体験で、将来の進路を決めたという若者もいます。君島真叶さん、20歳。高校時代に地域の活性化に取り組むNPOの人たちと出会いました。「自らもまちづくりに参加したい」と仙台市の大学に進み、建築士を目指しています。

君島真叶さん「高校での体験がでかい。自分の人生の中でターニングポイントだった。自分の進路、これからの考え方に影響を与えてくれた」

君島さんは、休みのたびに大槌町を訪れています。NPOの活動に参加し、将来の大槌町に何が必要か、考え続けています。夢は、大規模なかさ上げが行われた町の中心部に交流施設を作ること。町が行ってきた未来への投資が、実を結ぼうとしています。

君島真叶さん「帰ってきたときは、いろいろな言葉をかけてくれて、受け入れてくれているという環境が、自分にとってすごくありがたい。町に還元していきたい気持ちが強い。地域が衰退していくとか、消滅するとか言われていく中で、この地域を守って、いつまでも存続していきたい」

東日本大震災から12年。

復興の地図は、被災地に芽吹いた希望を映し出していました。

そして、それは人口減少が急速に進む日本の“希望の芽”でもありました。