(2021年10月24日の放送内容を基にしています)
メジャーリーグの歴史を塗り替えたこの男は、いま、どんな景色を見ているのだろう。
エンジェルスの大谷翔平、27歳。
打っては、メジャー3位となる46ホームラン。投げては、160キロを超える剛速球でねじ伏せ、9勝。
二刀流の大活躍で、世界を驚愕させた。
ファンの女性「とってもカリスマ性があるの。球場がぱっと明るくなるの。いつも元気いっぱいで、見ているだけで楽しいわ」
シーズンの興奮冷めやらぬ2021年10月9日。大谷がその胸の内を語った。
二刀流・大谷翔平の知られざる物語。超進化の舞台裏に迫る。
<二刀流 飛躍のシーズン その裏にあった覚悟>
2021年、メジャー4年目の大谷は、記録ずくめの1年を駆け抜けた。
「ヒット・打点・得点・投球回・奪三振」の投打5部門で100の大台。誰も成し遂げたことのない偉業を達成した。
大谷選手「けがもあって3年間何もできなかったので、そういう意味では、ことし1年、安定して出られたのが、一番よかったなと思っています」
淡々と振り返る大谷。しかし、ここに至るまでには知られざる苦闘があった。NHKはアメリカに渡った大谷を4年にわたって独自に記録してきた。
2018年、1年目のオフシーズン。損傷した右肘のじん帯を手術し、腕の曲げ伸ばしさえ、満足にできない状態だった。
大谷選手「(けがの時は)何も考えることなく、ただただ落ち込んでましたね」
2019年、バッターに専念した2年目。今度は左膝に痛みを抱え、シーズン途中で手術に踏み切った。
大谷選手「一言でいうと悔しいシーズンだった。打てなくなると、それを引きずったりとか、なかなか元の状態に戻せなかったりというのが多かった」
そして2020年、昨シーズンは過去最低の成績に終わった。打率は1割台。ピッチャーでも1勝もあげられなかった。
二刀流への挑戦は「時間の無駄」「実験をあきらめるべき」・・・。大谷は追い詰められていた。
2021年の年明け。大谷は二刀流への強い決意を語っていた。
大谷選手「結果が出なくて要らない、と言われれば辞めるしかない職業なので、それは日本でやっても、アメリカでやっていても変わらない。結果を出し続けて、来年も必要だからって、サインしてもらえるかどうかっていうのは、球団次第なので、やりたいなら結果を出すしかない」
二刀流成功への覚悟を持って挑んだ今シーズン。
開幕4戦目。大谷は、メジャーに来て初めてピッチャーとバッターで同時出場した。相手は優勝候補の一角、ホワイトソックス。立ち上がりから大谷は気迫に満ちていた。
1球目から150キロ台後半の速球で攻める。そして、昨シーズンMVPを獲得したメジャー屈指の強打者を迎えた。
大谷選手「1年間安定して出続けるためには、やっぱり最初の方でいい印象を残さないと、使い続けてもらうのは難しいので。1回1回、丁寧に全力で抑えにいく、そういう段階だったかなと思います」
大谷はさらにギアを上げ、この試合、手術明け初めて160キロを超えた。1回を無失点で抑えると、その裏の攻撃。今度はバッターとして、打席に向かう。その初球・・・
実況「WAHHA!!初球をぶちかました!!」
今シーズンの躍進を予感させる、強烈なホームランだった。
その後もピッチャーとして7つの三振を奪い勝利に貢献。二刀流に懐疑的な声を黙らせるパフォーマンスだった。
大谷選手「周りの不安を少し減らせたのが、一番良かったとは思います。使う方も不安はあると思うので、そこも含めていい印象を最初に与えることができたというのは、大きいと思います。シーズンの中でも、やっぱりスタートというのは大事かなと思います」
冷静に語る大谷。しかし常に傍らにいた通訳、水原一平(みずはら・いっぺい)さんは違う姿を見ていた。
水原さん「その試合は疲労で、足も結構フラフラというか、マメもできてましたし、満身創痍(まんしんそうい)な感じでしたけどね。誰が見ても、ことし二刀流で成功できなかったら、今後、二刀流の道が減っていくのは分かっていたと思うので、そういう意味では、プレッシャーもあったと思います。本人は、例年以上に、やってやるぞっていう気はあったと思います」
<打者・大谷の進化 ホームラン量産の秘密>
バッター大谷は今シーズン飛躍的な進化を遂げた。
6月には、2試合に1本のペースでホームランを量産。日本選手として初めて2か月連続、月間MVPに輝いた。バッティングの進化は、あるデータにも現れていた。強打者の指標となる「バレルゾーン」。
デビット・アドラー氏(データ解析の専門家)「これは前半戦のバレルゾーン率のランキングです。大谷はメジャーリーグで1番。大谷は最高峰のバッターのひとりであることがわかります」
バレルゾーンとは、最も長打になりやすい打球の速度と角度を組み合わせた指標。
例えば速度161キロ、角度20度の打球では3パーセントの確率でしかホームランにならない。
しかし同じ打球速度でも角度が27度になり、バレルゾーンに入ると確率は52パーセントに跳ね上がる。
バレルゾーンを狙うためにメジャーリーガーたちが取り入れてきたのが、下から振り上げる「アッパースイング」。下半身の強靱な筋力が求められるため、日本選手には難しいとされてきた。
大谷は下半身強化に取り組み、故障で試合に出られないときも下半身をいじめ抜いてきた。これがメジャーの強打者たちが取り入れてきたスイングにつながっていく。
大谷選手「なかなか下半身の強さが出てこなかったので、より体重を支える上で、ひざや下半身まわりは重要なので、そこをもう一回しっかりトレーニングしていったという感じですかね」
さらに科学的なアプローチも取り入れた。ブラストモーションと呼ばれる最新機器をバットに装着し、スイングのスピードや角度、バットの軌道を可視化することができる。
下半身の徹底した強化と科学的アプローチから、ホームランにつながるスイングを探り続けた。
大谷選手「ナチュラルに自分の体となじんでる感じはあるので、そういう意味では、去年(2020年)よりも感覚的には良いと思える部分は多いと思います。去年は、ひざの手術明けで、気にはしてはなかったんですけど、今思うと、今の方が左足にしっかり加重もできますし、振りにいく時も、しっかりと左足を使ってインパクトしにいけるようにはなってる」
こうして作り上げた今シーズンのスイング。去年と比べてみると、大谷の打球角度は、7度上昇。バレルゾーンの割合は26パーセント。メジャートップの確率で、理想の打球を放っていたのだ。
前半戦だけで、日本選手のシーズン最多ホームラン数を超えた。
大谷選手「その時期(シーズン前半)というのは、ちょうど、いろいろかみ合う時期だったと思います。今までだとヒットになってるのが、ホームランになっているという印象だったので、ヒットの数がすごく増えているということではなくて、スイング自体がいい角度でボールが上がる軌道だったのかなという印象です」
<原点は父の教え “一生懸命”を忘れない>
なぜ大谷は進化を続けることができるのか。その原点はふるさと岩手にあった。
社会人野球の選手だった父親の徹さん。今は中学生の野球チームで監督を務めている。
徹さん「まさかプロ野球選手になれるとは思っていなかったですし、まさか大リーグに行ってプレーするなんてことも思っていなかったですし。そんな選手になったんだなという驚きの方がいっぱいです」
大谷が野球を始めたのは、小学3年生の時。最初の指導者は徹さんだった。
試合に臨む中学1年生の大谷の映像が残されていた。まだ体の線も細く、全国的にも無名の存在だった。
徹さん「中学でもホームランなんて打っていなかったですし、小さいころは全くコントロールがなくて、他の子にぶつけないように、けがをさせないようにっていう心配はずっと思っていた。今でも母親は投げる時はテレビでは見ないです」
小学生の時に親子で交わした交換ノートがある。息子の成長につなげようと、徹さんがすすめたものだ。
試合のたびに、大谷はその日の反省をノートに書き込んだ。
「ピッチングでコントロールがわるかった」
徹さんはそのつど、具体的なアドバイスを返した。
2年間にわたって続けられた言葉のキャッチボール。徹さんが何度も繰り返し伝えていた言葉がある。
「一生懸命元気に声を出す」
「一生懸命キャッチボールをする」
「一生懸命走る」
「3つのポイントをしっかりやれ。本当にしっかり一生懸命にやれば必ずよいことがある」
徹さん「ヒットを打ちなさいとか、エラーをするなとか、ファインプレーをしなさいとかっていうことではなくって、ごくごく誰でもできることを中心に、その3つのことをきちっと練習しようよっていう、私の中の方針といいますか。そこをまず地道にやっていけさえすれば、成長につながっていくのではないかなって」
プレーの内容よりも、野球に対する姿勢を大切にした徹さん。大谷が少しでも手を抜くと、厳しく正した。
「ベースランニングを全力で走っていなかった。おれの言っていることを思い出して、寝る前頭の中で考えろ」
少年大谷は、常に一生懸命であることを心がけるようになった。
「わるかったこと。全力で走れていなかった」「よかったこと。声がいつもより出せていた」
一生懸命、野球に取り組めば、父は褒めた。
徹さん「大きくなっても、そこはやっぱり大切なことだよって言ってはきたので、やってくれていると思います。基本的に走ったり、投げたり、打ったりっていう全体的なところは、子どもの頃から全く変わっていない。あのままです。あのまま全然変わっていないです」
メジャーの舞台でも大谷は、常に全力だった。まるで少年のようにグラウンドで躍動する大谷の姿は、アメリカの人々の心を打った。敵地のファンもスタンディングオベーションで熱狂した。
2021年6月、名門ヤンキースの本拠地に乗り込んだ大谷。そこで見せたのは、2打席連続のホームラン。辛口で知られるヤンキースファンさえも、うならせた。
ヤンキースファンの女性「実は私、ヤンキースのファンなの。でも私が初めて買ったユニフォーム。漢字で『大谷』って書いてあるの」
ヤンキースファンの男性「こんな選手みたことない。打つし投げるし盗塁するし、ファンタスティックだ。ヤンキースに来てほしいよ!」
ファンの歓声「MVP!MVP!MVP!」
<二刀流支えた名将 常識を覆す起用法>
想像をはるかに超える「二刀流」の成功、その実現を支えたのが、昨シーズンからエンジェルスを指揮するジョー・マッドン監督だ。
3つの球団を渡り歩き、最優秀監督賞を3度受賞した名将。常識にとらわれない発想で、野球の可能性を切り拓いてきた。バッターに応じた極端な守備シフトを考案。さまざまな戦術を編み出してきた。
大谷に対しても、これまで誰も考えなかった起用法に踏み切った。
マッドン監督「大谷がエンジェルスと契約したのは、思いっきり二刀流に挑戦するためだ。彼のキャリアは彼のものであって、私のものでも、エンジェルスのものでもない。大谷は誰にも邪魔されることなく自由にプレーしたかったはず。だからそうさせてあげることにしたんだ」
マッドンが打ち出したのが、「ショーヘイルール」の撤廃だ。これまでの監督は、二刀流による疲労を心配し、ピッチャーとして登板する前後の日は試合に出場させないという制限を設けてきた。
しかし、マッドンは、登板する日の前後もバッターとしての出場を許した。さらに投打両方で出場する“真の二刀流”も解禁したのだ。
マッドン監督「キャンプ中、大谷から『投打同時出場を試したい』と言われ、無事にやってのけたよ。その後も結果を出し続け、大谷も二刀流での出場を楽しみにするようになったんだ」
マッドンは毎試合後、大谷と話し合った。そして、常に意思を尊重しながら、出場の判断を下してきた。
マッドン監督「大谷は二刀流を楽しみながら取り組んでいる。“楽しむこと”がどれほど成功の近道になるか、軽視してはいけない。調子が悪い時でもどんな時でも、次に向けて気持ちを切り替えることができる」
<打者・大谷の進化 知られざる投球改革>
ピッチャー大谷も今シーズン自己最多の勝利と奪三振を記録した。
しかし、シーズン前半はこれまで課題とされていたコントロールに苦しみ、大谷はそれを克服するために、さまざまな努力を重ね続けてきた。
シーズン前、大谷は、野球の動作解析を専門に行う施設に通いつめ、投球フォームの改善を試みていた。1球ごとにデータを確認し、投球フォームのずれやボールの回転を突き詰めていった。
大谷選手「自分で感じているところと、実際に数値で表れるところと、どういうギャップがあるのかが一番大事。その差を減らせば感覚もよくなってきますし、数字がよくなることで、自分がよくなっているという可視化できているところで、自信につながると思います」
そこで取り入れたのが、いろいろな重さのボールを投げるトレーニング。一番重いボールは、試合球の10倍以上、2キロもある。
さまざまな重さのボールを投げて、投球動作の感覚を磨くことで、安定したフォームが身につくという。シーズンに入った後も、毎日のようにこのトレーニングを続けていた。
大谷選手「1回2回やったからといって、すぐによくなるというものではないので、長い間続けていって、違いに気づいたりとか、もっとこうすればうまく投げられるな、というのを、ちょっとずつ気づくものかなとは思います。続けてやるというのは大事だと思います」
この地道な努力が形になった試合がある。
この日の大谷は、安定したフォームでコースぎりぎりの球を投げ込み、ストライクを重ねていく。課題だったフォアボールはゼロ。肘の状態も上がっていく中で、フォアボールの数は月を追うごとに激減していった。
大谷選手「制球に関しては、ほぼほぼメカニックの部分だと思っているので、正しい動作で投げられるかどうかが、一番かなと思っています。そこが整ってきていると思います」
さらに、大谷が見せたのが長いイニングを投げるために取り入れた新たな球種。カットボールを使って巧みなピッチングを展開していく。
ストレートと同じ軌道から打者の手元でわずかに横に変化するカットボール。バットの芯を外し、凡打に打ち取りやすい球種だ。
カットボールを交えて、打たせてとることで球数を抑え、力を温存。その結果、今シーズン最長となる8回をわずか90球でまとめ、勝ち投手となった。
それでも大谷自身は、まだ模索の途上だと語る。
大谷選手「1番バッターから最後のバッターまで100%でいけるというイメージは、まだ今シーズンなかったので、抜くとこ、入れるところを、しっかりメリハリつけないと。1試合1試合いろいろ試しながら、何がいいのか、悪いのかというのを毎回毎回、試して反省してというのを繰り返すことで、だんだんよくなっていくものかなと思うので。そういうのが後半に向けて、ちょっとずつですけど、改善されてよくなったと思います」
<二刀流継続の秘けつ 驚きの疲労回復法>
投打で超進化を遂げた大谷。レギュラーシーズン162試合のうち、欠場したのは、わずか4試合だった。
シーズン通して出場し続けるために心がけていたことがあった。
大谷選手「練習量を減らしたり、いろいろ今年は試しながらやった感じかなと思います。やっぱり調子が悪くなったりとか、多少ヒットが出なくなったりとか、そうなってくると、バットを振りたくなったりするので、そこでなるべく自分を抑えて、長い目で見て、いまは我慢するときだなと思って、抑えるというのは、自分にとっては難しかったりするので。選手はやっぱり振って振って試合に出たいというのが素直なところかなと思うんですけど。そこは、ぐっと我慢して、出る必要はあるとは思います」
通訳の水原さんは、大谷の疲労回復術を目の当たりにしていた。膨大な移動時間の大半を睡眠にあて、過酷な日程を乗り切ろうとしていたという。
水原さん「平均、最低でも8時間半とか9時間は寝るようにはしていたとは思いますね。睡眠の質とか時間を測るモニターバンドがあるんですけど、それで睡眠時間とか管理しながら、できるだけ多く寝るっていうのがカギだったと思います」
<野球の歴史を変えた 希望与えたヒーロー>
大谷は90年近い歴史を持つ夢の祭典オールスターゲームのルールも変えた。
これまで想定されてこなかった二刀流での出場を可能にしたのだ。コロナ禍で開催を待ちわびていた全米のファンの注目が大谷の一挙手一投足に集まった。スター選手たちもサインを求め、大谷のもとに集まる。まさに、メジャーリーグの主役だった。シーズン前、大谷の挑戦に懐疑的だったメディアもベーブ・ルース以来100年ぶりに現れた二刀流をこぞって特集した。
メジャーリーグを長年に渡って取材してきたベテラン記者は、すでに“野球の神様”を超えたと語る。
ゴードン・イーズ記者「過去40年間スター選手たちの活躍を見てきましたが、大谷はこれまでに見た全ての選手を上回っています。プレーの面ではすでにベーブ・ルースも超えています。大谷はルースが対戦した選手よりも、はるかにレベルが高い相手と対戦しているのですから。パンデミックが続く中、大谷は多くの人に笑顔と喜びをもたらしました。まさに希望の光なのです」
<高まる快挙への期待 大谷が目指したものは>
日本選手初のホームラン王。ベーブ・ルース以来の二桁勝利、二桁ホームラン。シーズン後半、快挙への期待が高まっていた。
大谷は、メジャーで最も警戒される選手になっていた。大事な場面になるほど、打たせてもらえない。勝負の場面ではトップレベルのピッチャー達が目の色を変えて封じにかかってきた。快挙達成への逆風の中、二刀流のパイオニアが見ていた風景は全く別のものだった。
大谷選手「なかなか新鮮でしたね。メジャーリーグでそういう経験ができるとは、正直思っていなかったので、いい経験になりましたね。枠の近辺にくるということは、判断をするボールが多くなるので、単純に甘い球が多い打席よりもバッターとしてのスキルアップになった」
大谷の言葉を裏付けるデータがある。赤い部分が、大谷が多く攻められた場所。前半戦はストライクゾーンの中心に集まっていた。
だが後半戦は最もホームランを打ちづらいとされる「外角」に集中。ボール球覚悟で攻められた。厳しい勝負が続く中、大谷の関心は、少しでも高みに到達することにしかなかった。
次の打席に備える大谷は、相手ピッチャーのボールを1球も逃さずに見つめ、自分の打席では1球ごとに間合いをとり、ボールの軌道を頭に焼き付けていく。さらにベンチに戻ってからも、映像をみて、1球1球振り返った。
大谷選手「1打席1打席終わりながら、今のはダメだったな、ここが良かったなとか、毎日発見がありますし、こう変えればいいのかなって、考えている時間はすごく好きですね。どういう攻めをされても、基本的には枠の中に入ってきたボールを振るというのが、それが難しいんですけど、自分が打てるボールを選択して振る。シンプルですけど、なかなかできないことを1年間継続するのがバッターなので」
どんなに高い壁が立ちはだかっても地道な努力で、乗り越える。
メジャー挑戦からの密着取材で目の当たりにしたのが、夢中で白球を追った少年時代から貫いてきた、その姿勢だった。
肘を手術した、メジャー1年目のオフ。このときはバットさえ握れなかった。それでも、目でボールを追うために打席に立ち、感覚を磨き続けた。
2019年12月、膝の手術を経た2年目のオフには、誰もいないグラウンドを走り続ける大谷の姿があった。
そして、苦境の中、語っていたのは野球への、ひたむきな思いだった。
大谷選手「仕事と元々やってるような野球の本質的な楽しさ、どちらが大きいのかなって言ったらまあ、元々やってるようなところがメインなので。単純に、人ができてるけど自分ができないこととか、それは僕もできるようになりたいなとか、そういうことでしかやってないですね」
「一生懸命元気に声を出す」
「一生懸命キャッチボールをする」
「一生懸命走る」
大谷はどんな状況におかれても、それを乗り越えることを一生懸命に楽しんでいた。
大谷選手「小さい頃から野球を始めて、ここまで特に何も変わらずにきたので、この先も基本的には変わるつもりはない。もっともっとうまくなっていけばいい、ただそれだけのこと。一日一日重ねるたびに、足りないところが見えてきますし、まだまだうまくなれると感じさせてくれるので、やることがまだまだあるのは、すごく幸せなこと」
今シーズン最後の登板となった2021年9月26日。
二桁ホームランと二桁勝利の達成に期待が高まっていた、この試合。大谷は大記録よりもその先を見据えていた。
大谷選手「もちろん勝ち星、大事ですし、二桁勝利というのも、大きなことではあると思うんですけど。それよりは実戦の中で試したいことのほうがあったので。せめて何か自分でいいものを見つけて、シーズンを終わりたいなという気持ちもあった」
今シーズン、新たに取り入れたカットボール。打たせてとるスタイルを完全にものにしていた。
そして、1対1で迎えた7回表。最後に大谷が投げたのは160キロに迫る剛速球。奪った三振は10個、フォアボールはこの日も出さなかった。
二刀流で戦い抜いたシーズン、最終戦。その第1打席。初球、ストライクゾーンへの速球。2球目はボール球を見極めた。
大谷選手「自分がストライクだと思っているボールはストライクも増えてましたし、自分がボールだと思っているボールが、ボールだというのも数的にかなり増えていた」
そして、3球目。46打席ぶりに放った、ホームラン。来シーズンにつながる会心の一打だった。
大谷選手「(自分に対する)攻め方が変わる中で、そういうのを乗り越えて、ひとつ成長できたりするので、それを来年につなげられれば、最初からことし以上のバッティングもできると思います。ピッチングだって一緒ですけど、ことしの反省を来年にしっかりつなげられれば、もっともっと、いいシーズンになると思うので。本当にいいシーズンだったなというか、いい経験をさせてもらったと思ってます」
そしてまた淡々と言葉を続けた。
大谷選手「ことしの数字が、やっぱり最低ラインじゃないかなとは思いますね。ことしできたことが、来年できないということは、もちろんなくしたいと思ってます。チームとしても、それは絶対かなとは思うので。ある程度、形になるものがあったので、ここを基準に、また来年以降、頑張る基準になると個人的にも思いますね」
どんな苦境の時も一生懸命に楽しんできた、大谷。
取材班「この1年というのは、楽しい1年でしたか?」
大谷選手「楽しかったですね。最後の2か月はしんどかったですけど、やっぱり、楽しむためにはね、勝たないと楽しくないんでね。やっぱりチームとして勝つから、楽しいのであって、負けたら何も楽しくないですし。そこに自分がどれだけ貢献していくかというのが、また楽しみであったりするので。来年はもっともっと、チームとしても、ことしよりもいいシーズンにしたいなと毎年思ってますね」
メジャーリーガー大谷翔平。進化をやめない永遠の野球少年は、私たちにどんな世界を見せてくれるのだろうか。