
ヒューマンエイジ 第1集 人新世 ~地球を飲み込む欲望~
(2023年6月11日の放送内容を基にしています)
私たち人間とは、一体何者なのか。これから、どこへ向かうのか。
およそ6600万年前、巨大隕石が地球に激突。地球上の約75%もの生命が死に絶える「大量絶滅」が引き起こされた。そして今、そのときを超える勢いで、「新たな大量絶滅」が起こりつつある。 原因は、たった一種の生き物、私たち「人間」だ。
人間の活動による気候変動や環境破壊によって、急速に荒廃する地球。それは何も私たち人間が望んだことではないはず。私たちが望んできたのは、「もっと豊かに、もっと幸せに暮らしたい」、ただそれだけ。その思いの強さが、“人間のパワー”となり、とてつもないものを作り出してきた。
その代表例のひとつが、大地を激しく削り取る史上最大級の重機、バケット・ホイール・エクスカベーターだ。
操縦者「こんなパワフルなマシンを操縦できることを誇りに思うよ。自分まで強くなったような気分になるね」
毎秒およそ2トンもの勢いで、火力発電に使う化石燃料「褐炭(かったん)」を、掘り続けている。
炭鉱 作業員「これが生み出す電力のおかげで、私たちの生活水準は百年前より格段に向上しています。人々の暮らしを支える大事な仕事だと自負しています」
どんな望みも実現させる、“人間のパワー”。しかし、その力が同時に、温暖化や環境汚染などを引き起こし、この地球を破壊しようとしている。それを知りながらなお、「もっと、もっと」と望み続けることをとめることはできない。一体何が私たちを“際限のない欲望”へと駆り立てているのか。
この地球を覆い尽くすほど、強大な存在となった「人間」。それでも私たちは、自分たち自身のことを驚くほど何も知らない。なぜ争うのか、なぜ祈るのか、なぜ冒険したがるのか。大型シリーズ「ヒューマンエイジ 人間の時代」はそんな人間の不思議な特性に、科学・歴史・文化など多様な視点から迫り、人間の未来を希望につなげる鍵を探していく。第1集のテーマは、「際限なき人間の欲望」の謎。さあ、壮大な“知の冒険”に出かけよう!
<人間の未来は跳躍か破滅か>
鈴木亮平さん「人間の『もっと、もっと』というこの気持ち、それがあるから僕たちは今こうしてここに立っていられるわけですけれども、それがこの時代に、他の生き物を脅かしていたり、地球全体に危機を及ぼしたりするような存在になっている。しかも、それに我々が気づいている」
久保田アナウンサー「人間の営みが生物の“新たな大量絶滅”を起こそうとしているこの時代に、世界の研究者たちが、名前を付けようとしています。それが『人新世(じんしんせい)』。」
鈴木さん「人新世(じんしんせい)?」
久保田アナウンサー「『人新世』とは、地層と深く関係する言葉です。地層の下に、潜っていきましょう」
鈴木さん「地層の部分に、ジュラ紀とかデボン紀とか、いろんな名前が付けられていますね」
久保田アナウンサー「地層に残る『化石』などの手がかりをもとに、地球の歴史が異なる“地質年代”に分けられ、違う名前が付けられています。どういう理由で地質年代が区切られるのか。例えば、『白亜紀』と『古第三紀』という2つの地質年代の境目からは、『イリジウム』という隕石に多く含まれる物質がたくさん見つかっています(下画像)」
鈴木さん「恐竜の絶滅を引き起こした、あの巨大隕石ということですか?」
久保田アナウンサー「そうだと考えられています。そうした地球史に残る大異変が起きたということで、隕石衝突の痕跡よりあとの時代を、違う名前で区別しているんです」
鈴木さん「では、今回注目する『人新世』は?」
久保田アナウンサー「地層の、一番表層の部分です」
鈴木さん「現在!『人間の時代』ということですね」 久保田アナウンサー「私たちが生きているこの時代を『人新世』と名付けるかどうか、いま国際的な議論が進められているところなんです。地質学、歴史学、社会科学などの研究者が議論し、調査を進めたところ、『人間が関わる大異変』の痕跡が、地層の表層付近から続々と確認されています」
<「人新世」という新時代 地層に刻まれる“人間の欲望”>
今、「人新世(じんしんせい)」という新たな時代をめぐる地質調査が、世界各地で進められています。調査が行われているのは、カナダの湖、ポーランドの泥炭地、オースラリアのサンゴ礁、さらには氷に覆われた南極大陸まで、地球の全域にわたる12か所です(下画像)。
プロジェクトのリーダー、地質学者のコリン・ウォーターズさんです。
コリン・ウォーターズさん「過去、数世紀の間に起きた地層の変化とは全く違う何かが起きています。地質学的に、ものすごく速い変化です。中でも有力な調査地のひとつが、日本の別府湾にあります」
大分県別府湾。水深およそ70メートルの海の底で、堆積物の調査が行われました。海底に生息する生き物が少ないため、かき乱されることなく、年々きれいに地層ができていく場所です。そこから、降り積もった地層の堆積物を抜き取りました。愛媛大学をはじめ、23の研究機関が協力して調査してきました。
そして取り出されたのが、長さ1メートルほどの地層サンプル(下画像)。1916年から2021年まで、およそ100年間に降り積もった堆積物です。
愛媛大学 加三千宣 さん(地質学)「我々はこの堆積物を『地球史のタイムカプセル』と呼んでいます」
研究チームは、こうした堆積物を詳しく化学分析し、1年ごとにどんな物質が含まれているか調べ上げました。すると、ある年代以降の地層から「特別な物質」が確認されました。ミクロンサイズの小さな穴がたくさん空いた、丸い物体です(下画像)。
大阪公立大学 井上淳 さん(第四紀学)「これは『球状炭化粒子』と呼ばれるもので、化石燃料、とくに石油や石炭を高温で燃焼したときに排出される微粒子とされています」
火力発電などで化石燃料を1000度以上の高温で燃やしたときに排出される「すす」に似た物質です。まさに“人間活動の痕跡”と言えるこの微粒子が、1950年前後の地層から急激に増加していることがわかりました。
全く同様の現象が、世界各地で調べられた別の地層でも確認されました。カナダの湖の底、ポーランドの泥炭地、中国の湖の底でも、同じく1950年あたりから、化石燃料を燃やした痕跡の物質が急増していたのです。
地層に異変が現れた1950年代は、第二次世界大戦が終わり、各国が急速に復興へとかじを切った時代です。豊かな生活を求め、エネルギーを大量消費し始めた人間の営みが、地層にまで記録されていたのです。
さらに、今回調査が行われた場所のひとつ、バルト海からは、研究者が想像もしなかったような堆積物が取り出されました。1950年代を境に、堆積物の土壌が白から黒へ、くっきりと変色しています(下画像)。地層の色の境目で、何が起きたのでしょうか。
バルト海洋研究所 ジュロム・カイザーさん「ことの始まりは農業に使われる『化学肥料』が増加したことです」
まだ化学肥料がなかった1900年代初頭、医療技術の進歩や衛生環境の改善によって、地球の人口は増え続けていました(上グラフ)。追いつかなくなったのが食料生産です。深刻な食糧危機が、世界を襲おうとしていました。この危機に立ち向かったのが、ドイツのフリッツ・ハーバー(科学者)とカール・ボッシュ(技術者)です。2人は研究を重ね、「空気を材料に、肥料を作る」という魔法のような技術を実用化しました。特殊な化学反応によって、空気中の「窒素」を肥料として使える形で取り出すことに成功したのです。
フリッツ・ハーバー研究所 ベアトリス・ロルダン・クエンヤさん「まさに『空気からパンを生む技術』です。このすばらしい発明がなければ、たくさんの人が餓死していたでしょう。2人は人類を救った功績で、ノーベル化学賞も受賞しました」
「ハーバー・ボッシュ法」と呼ばれる、この大発明。おかげで私たちは十分な食料を得ることができるようになりました。
ところが、便利な化学肥料を世界中でとめどなく使い始めたことによって、それが畑から川に流れ出し、さらに海にまで大量に流れ込むことになったのです。
ジュロム・カイザーさん「その結果発生したのが、藻類や植物プランクトンの異常繁殖です。彼らにとっても、化学肥料は成長を促す栄養だったんです」
上の画像は、バルト海を宇宙からとらえた衛星写真です。緑色のまだら模様はすべて、異常繁殖した藻類や植物プランクトン。その大量の死骸が海底に降り積もり、生み出されたのが、バルト海の堆積物の1950年代以降の部分に見られた、あの黒い層だったのです。 藻類などの異常繁殖は今、世界各地で深刻な水質の悪化や酸素濃度の低下を引き起こし、生態系を破壊しています。白から黒への地層の変化は、化学肥料という人間の発明がもたらした、思わぬ異変を記録していたのです。他にも、1950年代以降の地層からは、あらゆる用途に使われているプラスチックや、高性能な工業製品に欠かせない鉛や銅、水銀といった重金属など、人間が“豊かな暮らし”を求めて生み出し、それが今では環境破壊を招く原因ともなっている物質が、次々と検出されています。
人間活動の痕跡が、全地球の地層にまざまざと記録され続けている、この時代。それを「人間の時代」=「人新世」と名付けようという議論が、今まさに進められているのです。
コリン・ウォーターズさん「『人新世』という新たな地質年代を定めようというほど、地球を変えた生き物は『人間』が初めてでしょう。これは人間が地球を圧倒する存在になったと理解すべきなのです」
<恐竜×文化×歴史 『人新世』をどう読み解く>
鈴木さん「『人新世』というのは、言いかえると『人間の欲望が地層に刻み込まれた時代』という感じがします」
久保田アナウンサー「この時代と私たちはどう向き合えばいいのか。3人のゲストの方にお越しいただきました」
小林快次さん(古生物学)「『人新世』は、地層を見たときに明らかに何かが起こっているというのが記録に残っていますよね。もし私が100万年後とか1000万年後の生命体になって、今の地層を地質学者として見たときに、とんでもない変な生物がいたと思えるような時代というのが、『人新世』なのではないかと思います」
大川内直子さん(文化人類学)「『人新世』の到来と『資本主義』の発達は、切っても切り離せない関係にあるのかなと思っています。資本主義の歴史を見てみると、1950年前後からアジア諸国が独立し経済発展して、経済規模、人口の増加、ともにすごく大きくなっているんです。“最後のフロンティア”と言われたアフリカも、21世紀になるころには資源の開発が過熱して、地球上には資本主義にとってのフロンティアはなくなってしまったと言える状態だと思っていたんですけれど、先ほどの地層の写真を見て、まさに世界のいろいろなところで『人新世』が訪れているというのは、それをよく示す例なのかなと思って驚きました」
藤原辰史さん(歴史学)「農業の歴史から地層を見ていくと、すごく興味深いことがあります。今まで農業は農場の中でいろいろな物質が循環しながら、たとえば牛糞や馬糞といったものが土地に返されることで土地の肥沃度(ひよくど)が保たれていたんだけれども、化学肥料が登場することによって、農村の物質循環が断ち切られていった。その過程と、地層が大きく変わっていくということが、密接に関わっているのではないかという印象を得ました。人間と自然の関係性が、科学技術の進歩によって大きく変わった。その結末が、まさにこの1950年代、とくに1960年代の大きな変化につながっているのではないかと思います」
鈴木さん「人間の発展、技術の発展というのが、とんでもなく地球を痛めつけてしまっているのではないかという気がしてきました」
小林さん(古生物学)「地球に生命が誕生して40億年ぐらいたっていて、その間に5回の『大量絶滅』が起きています。地球上の4分の3くらいの生物種がいなくなると、『大量絶滅』と言われるんですけれども、実は今現在が“第6の大量絶滅”のスタートか、その真っただ中だという意見があるんです。実際この50年で、脊椎動物(魚・両生類・は虫類・鳥類・哺乳類)の7割近くの個体数が減少した(調査対象とした5230種において(WWF/ZSL(2022))という記録があります。この先の数十年で、さらに100万種ぐらいの生物がいなくなるのではないかという計算もあります(IPBES(2019))。それを、私たちはあまり日常生活の時間の速さだと感じないんですよね」
鈴木さん「すべての生き物が欲や繁栄する本能を持っている。人間も同じように持っていて、でも“人間の欲”は、他の動物とは違う気がします」
久保田アナウンサー「“人間の欲”は、動物とは違う“特別なもの”なのか。それはまだ誰にもわかっていません。それ故に、世界中でたくさんの研究論文が発表されています。人間の欲求に関する研究論文の数を調べてみますと、古いものだと18世紀から。そこからしばらくは、年に数本程度だったのが、2000年ごろから急増して、医学、心理学、宗教学、社会学など、多種多様な学問分野から、年に4000本以上が発表されているんです(上グラフ)。中でも、脳科学の分野での最新研究から、“際限のない欲望”を生んでしまう、他の動物にはない人間ならではの仕組みが見えてきました」
<なぜ人間の欲は際限がない? 最新の脳科学で大発見が>
“動物の欲”と“人間の欲”。そこにはどんな違いがあるのでしょうか。
その謎に迫る論文を発表した、ウィーン医科大学のクリスチャン・ウィンディシュベルガーさんが注目したのは、多くの動物に共通する、ある「脳内物質」です。
クリスチャン・ウィンディシュベルガーさん「人間も他の動物も同じように、生きるために必要なものを欲しがり、手に入れようとします。たとえば、食べ物などです。そのとき重要な役割を果たすのが、『ドーパミン』という神経伝達物質です」
ドーパミンは、またの名を“欲望をつかさどる物質”とも呼ばれています。脳の中心にある「中脳」という場所で作られ、放出されます。たとえば、おなかをすかせて何か食べ物を探しているとき、不意においしそうなものを見つけると、その瞬間、脳ではドーパミンが大放出。強烈な喜びを感じます。この喜びが原動力となって、食べ物や交尾相手など、生きるために必要なものを、繰り返し求める欲求が生み出されると考えられています。
ウィンディシュベルガーさん「これはまさに“報酬の喜び”です。一度味わうと、生き物は何度でもこの喜びを得たくなるのです」
ここまでは、動物も人間も同じ。
しかし人間の場合、“ある別の状況”でも、ドーパミンが出ることをウィンディシュベルガーさんは突き止めました。実験では、被験者に研究者が出す問題に答えてもらい、その間の脳活動をMRIという装置で計測しました。問題が解けた瞬間、脳のどの部分が活発に働くかを調べたのです。出されたのは、たとえば下のような問題です。3つの漢字に同じ漢字を加えて、単語を完成させてください。
正解は、「石」です。
単純な問題に思えますが、解けた瞬間の脳の活動は、驚くべきものでした。
ウィンディシュベルガーさん「課題が解けたその瞬間、脳の中で、とくにドーパミンを放出する『中脳』の領域が、非常に活性化していたんです」
被験者「あ!わかった!とひらめいた瞬間、課題が解けてすごく喜びを感じるとともに、自分を誇らしく思うような感情がわきあがりました」
そう。まるで、おいしい食べ物を見つけたときと同じように、人間は「課題の答え」を見つけたときにも、ドーパミンが大量に出て、強い喜びを感じる。そんな特性を持っていることが明らかになったのです。
さらに、別の最新研究で、ドーパミンに関わる「人間にしかない驚きの仕組み」が発見されました。研究を行ったウィスコンシン大学のアンドレ・ソウサさんは、進化的に人間に最も近いチンパンジーと人間とで、脳の働きを遺伝子レベルで徹底的に調べ、比較したところ、ドーパミンに関する大きな違いを発見しました。
アンドレ・ソウサさん「私たちが発見したのは、人間は『大脳新皮質』という場所にも、ドーパミンを放出する細胞があるということです。これはチンパンジーには、存在しません」
「大脳新皮質」とは、人間でとくに発達した、“高度な知性”を生み出す脳の重要な場所です。なんと人間は中脳に加えて、知的活動を行う大脳新皮質にも、ドーパミンを放出する仕組みを備えているというのです。
ウィンディシュベルガーさん「ひとつの課題を解決して喜びを感じたら、それで終わりではありません。また次の課題を見つけては、それを解決し、繰り返し喜びを得ようとする。そんな“課題解決欲”ともいうべきものが人間にあることは、間違いないと思います」
<繁栄と破滅が背中合わせ! “人間ならではの欲”の宿命>
人間だけが持つ“課題解決欲”。そのおかげで人間が急速な進歩を遂げられた一方で、私たちに何をもたらしたか。
たとえば、化石燃料を掘る巨大重機、バケット・ホイール・エクスカベーター。誕生のきっかけは、社会を発展させるために「多くのエネルギーが必要」という課題でした。そこで人間は、1900年頃まで人力で行っていた化石燃料の採掘を機械化する技術を発明しました。
でも、ひとたび課題を解決すると、今度はもっとエネルギーが欲しくなる。するとまた、技術的な課題を克服し、マシンをどんどん大型化。それを際限なく繰り返すうちに、ついには、宇宙から見ても分かるほど地形を変えてしまう巨大な重機を生み出すに至ったのです。(下画像は、衛星から捉えられた、バケット・ホイール・エクスカベーターによる採掘跡)
「食糧危機」を克服するきっかけとなった、あのハーバー・ボッシュ法でも。人間は技術的課題を次々と解決し、化学肥料の工場を大規模化していきました。そうするうちに、「もっと食料が欲しい」という欲望に歯止めがかからなくなりました。そして、ハーバー・ボッシュ法が発明される以前は、頭打ちになると思われていた世界の人口が、その後の100年ほどで、17億から80億にまで膨れ上がったのです。
強い“課題解決欲”があるからこそ、さまざまな欲望に際限がなくなってしまう。これこそが人間の宿命だと、長年ドーパミンを研究してきたジョージワシントン大学のダニエル・Z・リーバーマン教授は指摘します。
ダニエル・Z・リーバーマンさん「人間は他の動物と違い、さまざまな課題を解決することができます。しかしそれ故に、欲望に歯止めがかからなくなるのです。ドーパミンは、決してあなたを満足させません。常に『もっと!もっと!もっと!』と欲しがらせます。人間にとってドーパミンは、“祝福”でもあり、“呪い”でもあるのです」
久保田アナウンサー「恐竜学者の小林さんは、人間の欲の際限のなさを、どんなふうにごらんになりましたか」
小林さん(古生物学)「欲は歯止めがきかないし、後戻りもできないと思います。ある研究者のデータによると、ティラノサウルス1頭を養うためには、200万キロ平方メートルの土地が必要だったのではないかと言われています。たとえば東京23区の面積では、数十頭しか養えなかったのではないかという計算もある。そう考えると、地球上に80億という人間の個体数がいるというのは、ちょっと異常状態。いかに負荷がかかっているか、無理があるかというのがわかると思います」
藤原さん(歴史学)「私はもうひとつ別の見方も必要ではないかと思っています。それは、欲望が社会関係の中で生まれているのではないかということです。たとえば、私たちが今欲しがっているものは、本当に心の底から、自分の素直な気持ちとして欲しいと思っているのかどうか、自分に問い直してみたいと思うんです。実はそれは、この人が言っているからとか、あそこで広告を見たからとかではないのか。新しい欲望がどんどん開発されていく、“全自動欲望開発装置”とでも言うようなものが私たちの欲望を支配して、作り上げていくという面も見ないといけないのではないかと思っています」
鈴木さん「そんな中、我々は今後どうしていけばいいんですかね」
大川内さん(文化人類学)「そもそも『解決すべき課題をどう設定するか』というのが、すごく重要な時代になってきていると思います。人間の社会の発展を見てくると、たとえば、移動のすべがないときには車を作ればよかった。何を作ればどういう課題が解決されるのか、明白だった時代があった。今は、地球を持続可能なものにするため、どういう課題を設定するか。課題の設定自体がすごく複雑な社会の中で大きなものになってきています」
<地球の危機をどう乗り越える? 試される「人間の欲の力」>
私たち人間は今、解決しなければならないさまざまな問題に直面しています。オーストラリア西部ニンガルーリーフ。美しい海の中でも、深刻な問題が進行しています。
海に潜ると見えてきたのは、枯れ果てたようなサンゴ礁の姿。温暖化で海水温が 30度を越え、サンゴが死滅する、「白化」と呼ばれる現象が広い範囲で起きているのです。同じ現象が、世界各地でも起きています。このまま温暖化が進めば、サンゴの7~9割も消滅するという予測があります(2022年 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)より)。 サンゴ礁は、まさに“生命のゆりかご”ともいうべき存在で、海洋生物の4分の1にあたる、およそ9万種が暮らしています。サンゴの消滅は、海の生態系を崩壊させ、生物の大量絶滅を招く恐れがあるのです。
温暖化からサンゴを守ろうと挑む科学者の一人、ケイト・クィグレーさんです。
ケイト・クィグレーさん「サンゴ礁の重要な生態系が失われれば、世界中の熱帯雨林が失われたのと同じほどの甚大な影響があります。これ以上温暖化が進めば、海の生態系を瀬戸際に追いやり、もう後戻りできないでしょう」
サンゴの消滅を食い止める対策の鍵として、クィグレーさんが注目しているのは、ある“特別なサンゴ”です。一体、どんなサンゴなのか。同じ種の2つのサンゴを水槽に入れ、水温を32度まで上げていきます(下画像)。すると、右側のサンゴはみるみるうちに白くなり、白化してしまいましたが、左側のサンゴは白化していません。「熱に強い」という遺伝的な性質を持つサンゴが、自然界には一定数存在しているのです。
この「熱に強いサンゴ」を人工的に生み出して、増やせないか、とクィグレーさんは考えました。 ただし、そこで重要視したのが、“ある課題”です。それは、「どういう技術を使ってサンゴを増やすか」。 生き物の性質を人工的に変化させる方法は、今まさに世界中で研究が競われています。効率的なのは、「遺伝子組み換え」や「ゲノム編集」など、遺伝子の情報を自在に操作できる技術を使うことです。しかし、こうした技術で人為的に生み出した生き物を自然界に戻すと、生態系の破壊につながるという恐れも指摘されています。そこでクィグレーさんが設定したのは、「未来になるべくリスクを残さず、サンゴを消滅から守る」という課題でした。
クィグレーさん「生き物の性質を操作する技術には、常にリスクがあります。でも、温暖化のスピードを考えれば、人間が介入しないと間に合いません。だから私は、“自然で起きるプロセスを手助け”しようと考えました」
クィグレーさんが考え出した“課題の解決策”とは、どんなものか。
サンゴという生き物は一斉に産卵し、大量の卵と精子が波に揺られてランダムに遺伝子が混ざり合います(上画像)。
一方クィグレーさんは、「熱に強いサンゴ」の卵と精子を選び取り、計画的に他のサンゴと交配させようと考えました(下画像)。
ただし、その方法には大変な手間が必要です。チャンスは、年に一度きりのサンゴの一斉産卵のとき。
海から集めてきた、たくさんのサンゴたちの産卵が始まりました。その中から「熱に強いサンゴ」の卵と精子を根気強く採取し、数十通りもの組み合わせで別のサンゴと交配させます。時間をかけて、次第に「熱に強いサンゴ」の種類を増やしていく計画です。
クィグレーさん「大変な手間と時間はかかりますが、それだけの価値があります。私たちは、美しいサンゴ礁を守りたいのです。未来のために健全に保ちたいのです」
藤原さん(歴史学)「いま目の前にあるいろんな課題の解決策を、みんなで協力して出していくということも必要なんですけれども、この地球の危機において、私たちがどういう心の構えで向き合うかというときに、たとえば10年、20年ではなくて、100年、200年という『長いスパンで見ていく』ことが必要ではないかと思います」
小林さん(古生物学)「残念ながら、世界中でいろんな生物が今いなくなっているんですけれども、全部を救うことはできません。私たちは限られた時間、お金、人、その中で何を救う取り組みをやらなければいけないか。そこがまた解決すべき課題の設定に向かっていくと思うんですけれども、今地球に何が起きているかという『事実に目を向ける』ことがすごく大事。一体どういう動物、植物に絶滅の危機が来ているのかを知ることがいちばん大事だと思います」
大川内さん(文化人類学)「『どういう課題を設定するか』というところで重要になってくるのが、“アイデア”だと思うんですけれども、『枯れた技術の水平思考』(ゲーム開発者 横井軍平さんの言葉)という言葉があるんですね。どういう意味かというと、“枯れた技術”=古くなってしまった技術や既存の技術を、新しい組み合わせや新しい用い方で見直すことによって、全く新しい商品を作っていこうと。企業の研究開発を見ていても、新商品が出てしまうと、それより前の商品は全部型落ちになってしまう。そういう人間活動が、さらに資源も使うし、地球も汚すということになっているので、ある意味“過熱しすぎない資本主義”というか、競争を過当に起こさないためには、既存の技術の再活用というアイデアが重要なのかもしれないと思います」
まさに“すでにある技術を「再活用」する”という発想で、人間が課題解決欲を働かせている一例があります。あの「食糧危機の克服」に貢献したハーバー・ボッシュ法を、「地球温暖化の抑制」という別の目的のために再活用しようというアイデアがあるのです。
ベアトリス・ロルダン・クエンヤさん「ハーバー・ボッシュ法はいま、“クリーンエネルギー分野”で注目されています。この技術は100年前に発明されたものですが、今なお重要な役割を担おうとしているのです」
目を付けたのは、空気から化学肥料を作り出す際に生み出される「アンモニア」です。実は、燃やしても二酸化炭素を出さない“エネルギー”としても使うことができるのです。
アンモニア製造工場 副所長「アンモニアを火力発電の燃料に使おうと考えています。二酸化炭素を大幅に削減することが可能だからです。化学肥料を作るこの技術が気候変動対策にいかされるのは、とても興味深いことです」
「既存の技術を再活用する」というアイデアの最大の利点は、すでに世界的に普及している技術や設備がそのまま使える点です。ただ現状では、環境に負荷をかけない形でアンモニアを生み出すのに、大きなコストがかかります。この課題を解決し、クリーンなアンモニアを生み出すことができれば、地球温暖化対策に貢献できるのではないかと考えられています。
鈴木さん「まさに人間の欲が生んだ課題を、人間ならではの課題解決欲で解決していく。いいスパイラルになっていくといいですよね」
藤原さん(歴史学)「ハーバー・ボッシュ法を地球温暖化対策に活用するという考え方自体はインパクトのある技術かもしれません。けれども、大きなプラントを作れる経済力を持った国ならではのことであって、それがない国にとってはそれを解決策として使うことができない。それに、今までと同じように『大きな科学技術の力が何らか私たちの課題を解決してくれる』という思考の繰り返しになってしまう恐れがあるのではないか。国家とか世界機関にお任せするという、今までどおりの“お任せ史観”でいくと、また同じ失敗を繰り返すのではないか。アイデアを1人の天才が生み出して、それで世界を解決する時代はもう終わっていて、おそらくアイデアをみんなで共有して、国や地域を超えたつながりを生み出さなくてはいけないと思います」
小林さん(古生物学)「生命の進化を研究している私からすると、まずひとつ間違いなく言えるのは、『人間はいつか絶滅する』んです。私たち個人に寿命があるように、種にも寿命があって、あるとき必ず終わりが来ます。ただ、恐竜は隕石が地球に衝突するという、どうしようもない理由によって絶滅しています。しかし、隕石は止められなかったけれど、人間が地球に与えていることは、私たちが起こしていることなので、私たちが変えることが可能なんです。どれだけ延命行為ができるかというのがすごく大事。恐竜にできなくて人間にできることは、『考えること』、『伝えること』なんですね。もしかしたら10万年後、100万年後も、人間の社会が続くかもしれないということを期待して、今まさに私たちができることをやるというのが、一番いいのではないかと私は思います」
鈴木さん「絶滅とか延命というと一見悲観的に聞こえますけど、我々が美しい地球を残したいとか、良い環境、きれいな環境を残したいと思うのは、結局自分たちのためであって。自分が思ったことを実現する人間の力は、僕は人間が持っている力の中ですごく好きな力なので、そういう人間の欲を、僕は信じたいなと思いました」