「性暴力 “わたし”を奪われて」

初回放送日: 2022年6月19日

3年前から取材するNHK「性暴力を考える」プロジェクトには、被害に遭った人たちから日々声が届く。「本当の私を失った」「もう人間じゃない」…。取材班が知ったのは、被害の苦しみはその後も長く続き、“わたし”という1人の人間を生きることを奪われるという実態。そしてその大きな要因は、社会の無知や偏見、身近な人の何気ないことばにあること。“わたし”を生きるために“わたしたち”の社会に求められるものとは。

  • 番組情報
  • その他の情報
  • 詳細記事

目次

  • ■まとめ記事

■まとめ記事

(2022年6月19日の放送内容を基にしています)

※この記事では性暴力被害の実態を広く伝えるため、被害の詳細について触れています。フラッシュバックなど症状のある方はご留意ください。

<性暴力が奪った“わたし”>

この春、ひとつの記事が大きな反響を呼びました。

性暴力の被害に遭った女性のことば。

「私は『被害者』ではなく、意思を持った一人の人間です。『かわいそうな人』ではなく、みなさんと同じように普通に生きてきた、そして、これからもみなさんと同じように生きていかなければならない、一人の人間です」

私たちは、性暴力の実態や、被害に遭った人の思いを伝えたいと、3年前から取材を続けています。声を寄せてくれたのは、のべ2200人。性暴力がもたらす“本当の痛み”を教えてくれました。

交際相手からレイプ被害に遭った女性「誰も信じてくれなかった。誰も理解してくれなかった。人権とかそういうものが、全部なくなったと思います」

レイプ被害により人工妊娠中絶した女性「人生でできることが、全部崩れちゃうんです。自分はもう人間じゃなくなっちゃったって思いながら生きていく、そんな必要は誰にもないんですよ」

”わたし”という、ひとりの人間を生きられなくなったという人たち。

それは、“わたしたち”が暮らすこの社会から、聞こえてくる声でした。

<性被害者の声が届くプラットホーム「性暴力を考える」>

望まない性的な言動はすべて「性暴力」。あなたの声を聴かせてもらえませんか。

私たちはこう呼びかけ、3年前「性暴力を考える」というプラットホームを作りました。

痴漢、セクハラ、レイプ・・・。被害に遭った人たちから日々寄せられる声を取材し、これまで170本以上の記事を発信してきました。

私たちが知ったのは、被害の苦しみは、“その後”も長く続くということ。そして、“当たり前の日常”が壊れていくということ。

2年前、30代の女性から届いた投稿です。

「2012年、私は教員として働いていた学校の校長からセクハラを受け、レイプされました。しかし、警察には被害届を受理してもらえませんでした。いまも症状が残り、苦しんでいます」(投稿文の抜粋)

<性被害によって奪われた 当たり前の日常 大好きな仕事>

私たちは、投稿を寄せてくれた女性を訪ねました。

けいこさん、35歳です。被害に遭ったあと、外出が難しくなり、働くこともできないといいます。夫のゆうさくさんとふたりで暮らし、その生活は一見、おだやかに見えました。

この日、けいこさんはゆうさくさんに付き添われ、皮膚科のクリニックへ。ひとりで入って行きましたが、数分もたたないうちに戻ってきました。

けいこさん「人がいっぱいいるの、怖くて震えてくるから、お願いなんだけど代わってほしい」

これは、性暴力被害による後遺症のひとつ、「再体験」という症状です。人がたくさんいるという強い刺激が引き金になり、被害に遭ったときに感じた恐怖や体の感覚がよみがえってくるのです。主治医に教わった方法で、体を一定のリズムでたたくけいこさん。気持ちが落ち着くまで20分かかりました。

けいこさん「待合室に人がいっぱいいて、危険を感じて、逃げなきゃじゃないけど、逃げられないってなって。心臓ドキドキするじゃないですか、あんな感じ。頭では、別にここで危害を加えられるわけではないって、分かっているけど。予定を立てても、こんな感じで絶対に達成できない。普通になりたいなって思うんです」

2011年、けいこさんは私立の高校で、国語の常勤講師として働き始めました。ゆうさくさんは同僚でした。大学院で心理学なども学び、生徒の心のケアができる教員を目指していました。

けいこさん「生徒が本当にひっきりなしに来る。『先生!』って。職員室が居場所になっている子もいるので。自分がいい先生だったかっていったら、全然足りなくて、全然未熟で、熱意しか正直なくて。でも、仕事が大好きだった。ここで先生やれてよかったって、本当に思いました。心から愛していました、あの仕事を。あそこの学校の先生っていうのを」

部活の顧問や進路指導の業務も担当し、がむしゃらに働いていた2年目の春。セクハラ被害を受け始めます。

相手は学校の責任者で、50代の妻子ある男性でした。懇親会などで、抱きつかれたり、無理やりキスをされたりするようになりました。拒否したくても、体が動かなかったといいます。

体調を崩したけいこさんは、労働局のセクハラ窓口や弁護士などに相談。しかし、「証拠がない」として、解決してもらえませんでした。

被害を受け始めて数か月、けいこさんは男性と遠方に出張することになりました。移動中、男性はゆうさくさんの契約更新の話を持ち出したといいます。

けいこさん「『(ゆうさくさんの)契約をどうしようかって思ってるんだ』って言われたんです。旦那のクビを切るか、旦那がパワハラされると思ったんです」

その後、車でホテルに連れ込まれたけいこさん。何度も拒絶の意思を示しましたが、無理やり性交されました。体は凍りついたように動かず、意識は体から切り離されたようで、一切抵抗することはできなかったと言います。

けいこさん「本当に動かなくなるから。力が入らなくなるっていう感じでしたね。『押しのけて、体の上に乗ってくるのやめてくださいって、やればよかったじゃん』って言われたけど、無理です。体の力入らないとコントロールできないので」

けいこさんは、勇気をふりしぼって警察へ。録音していた、性行為を拒み続けた音声を証拠として提出しました。

「先生、やめてください。やめてください。離してください」(録音した音声)

ところが けいこさんに、思わぬ壁が立ちはだかりました。

けいこさん「(録音には)明らかに暴行、脅迫はなかった、と。『殺すぞ』っていう、脅迫にあたることばはありませんでしたって報告されて。刑事事件にもならないし、捜査もできない」

刑法では、性行為を犯罪として処罰するには、「同意がない」ことだけでなく、暴行や脅迫を加えられるなどして、「抵抗するのが著しく困難な状態」だったことを、立証しなくてはならないとされています。この要件は、明治時代に制定されてから変わっていません。

<抵抗できないのは神経系の自然な反応 ポリヴェーガル理論>

性虐待の被害者などのカウンセリングを行っている、公認心理師の花丘ちぐささんは「刑法が求める要件は、被害者の実態からかけ離れているのではないか」と指摘します。

アメリカの行動神経科学者が提唱した「ポリヴェーガル理論」によると、命を脅かされるような危険に直面したとき、生き延びるために、3つの神経系が順番に働くといいます。

まずは、相手に友好的な態度をとり、話し合いで解決しようとする神経系です。

それがうまくいかない場合、別の神経系に切り替わり、「闘うか、逃げるか」を試みます。

それでも回避できなければ「背側迷走神経複合体」が働き、体の感覚を鈍らせ、凍りつくことで、痛みやつらさが過ぎ去るのを待つのです。

神経系は、本人の意志とは関係なく切り替わるため、コントロールできません。そのため、刑法が定める「抵抗できることを前提とした要件」は、見直されるべきだといいます。

公認心理師・花丘ちぐささん「被害者は声が出せなくてだめだったとか、逃げられない自分って最低だとか、すぐに助けを求めなかったとか、その後、加害者と交流までしてしまった、ということで、自分を責めているかもしれないが、体の生き残りをかけた、自然な反応なんだということを、皆さんが知っていくことと、裁判などでも妥当な判決が下っていくような世の中にしていかないといけない」

<奪われたのは “本当のわたし”>

けいこさんは体調を崩して出勤できなくなり、退職。生きがいだった仕事を失いました。さらに、子どもをもつことを望みながらも、性行為ができなくなりました。

けいこさん「不快な記憶が呼び起こされるから、怖い。でも性行為ができないっていうのも、すごいショックだった。世界で一番大事な人なのに、私の体が彼を拒否してしまっているのが、すごい悲しかった」

刑事事件としては扱われませんでしたが、けいこさんは、男性と学校法人を相手取り、損害賠償を求める民事裁判を起こしました。

男性側は、ホテルで性行為があったことは認めながらも、「原告の意思を無視した事実はない」と主張。しかし裁判所は、けいこさんが録音した音声などから、「原告がこれに同意したとは認められない」と判断。雇用されて1年の常勤講師だったけいこさんに対し、「被告が立場の違いなどにより、原告が強く拒絶できない状況に乗じ、原告の意に反して行った」と認定。賠償金を支払うよう命じました。

同意がなかったことを認められたけいこさん。しかし、被害によって奪われたのは、あまりにも大きいものでした。

けいこさんは、料理や掃除などの家事を、ひとりで行うことが難しくなりました。精神障害者と認定され、ヘルパーの支援を週に3回受けています。

食事の準備、けいこさんは包丁を使おうとしません。

けいこさん「手が震えているのと、パニックになると、ガシッて自傷したくなっちゃって。やりたくてやっているわけじゃないので。でも、なんかなっちゃうんですよね」

そして、洗濯。この日は晴れているにもかかわらず、浴室に干し始めました。

けいこさん「ベランダが外につながっているので怖い。外に行くのが怖い。もったいないと思う、天気いいのにね」

けいこさん「外の工場の煙を見て、働いている人がいると思うと、すごく切なくなる。工場が動いているということは、その下に働いている人たちがいて動いている。働くこと、社会に必要とされていることって、すごくいいな、うらやましいなって」

けいこさんは、高校で働いていた時の写真を、今も捨てられずにいます。

けいこさん「今の私はこんなんじゃないよ、みたいな。今の私はうそで、こっち、この写真。2022年でも、この状況でいるのが、本当の私だって」

奪われたのは、“本当のわたし”でした。

<3万8千件を超える声 浮き彫りになった実態とは>

私たちは、できるだけ多くの声に耳を傾け社会に届けたいと、アンケート調査を行い、性暴力の被害に遭ったという人や、その家族など38,383件の回答が寄せられました。

キャリアや人間関係を絶たれ、多くの人が ”本当のわたし”をなくしていました。

「職場や学校に行けなくなった」 18%

「自分の子どもをもちたいと感じなくなった」 20.9%

「人と心から打ち解けることは ないと思う」 21.2%

アンケートの分析を行った専門家たちは、性暴力の被害に遭った人は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の発症率が高く、症状が何十年も続くことがあるといいます。

長江美代子さん(日本福祉大学・教授)「性暴力は、その人が人であることを根底から否定する。人ではない、モノとして扱われ、その人自身の尊厳、人として存在する意義を潰されたら、人は生きていけないんだと思うんです」

さらに浮き彫りになったのは、周囲の反応が被害に遭った人を追いつめているという実態です。「親」「友人」「職場の人」など、「身近にいる人から傷つけられた」という回答が多くを占めました。

「たいしたことはない」「もう忘れたほうがいい」「あなたが魅力的だったから」「ちゃんと断らなかったんじゃない?」。

小笠原和美さん(慶應義塾大学・教授)「過剰な自己責任論みたいな。『あなたのほうに隙があったから悪いんでしょ』とか。一般的な社会全体の認知を、変えていく必要がある」

片岡笑美子さん(日本フォレンジックヒューマンケアセンター会長)「知らないうちに加害をしていたという部分があるし、やっぱり傍観者ではいられないという立場だと思う」

大沢真知子さん(日本女子大学・名誉教授)「私たちは加害者でもあり、被害者でもあるという両方の視点から、自分たちを見直していく。そういう教育が、職場でも学校教育でももっと必要なのかな」

<深刻な子どもへの性暴力 ひとり抱え込む“苦しみ” >

3万8千件を超える回答の中で、特に多かったのが、子どもたちの被害です。

去年7月に届いた、ある母親からの投稿。

「中学生の娘は食事もとれなくなり、悪夢にうなされる日々。心の傷を負いながら過ごさなければならない状況を、変えることはできないでしょうか」(投稿文の抜粋)

投稿を寄せた母親のなおこさん(仮名)です。仕事を休み、娘につきっきりの生活を送っています。

中学3年生の娘・のぞみさん(仮名)は、被害に遭ってから、食が細くなったといいます。学校を休みがちになっているのぞみさん。4歳から続けているピアノが心のよりどころです。

のぞみさんが習い事に出かけた日、突然倒れてしばらく立ち上がれなくなったと、なおこさんに連絡がありました。性被害に遭った子どもには、傷ついた心を守るため、こうした体の反応が現れることが少なくありません。

のぞみさんの被害は、中学2年のときに始まりました。同じ学年の男子生徒から、性的な嫌がらせのメッセージが、繰り返し届くようになったといいます。

誰かに相談して騒ぎになると、もっとひどいことをされるかもしれないと、ひとりで我慢していると、相手の行動はエスカレート。夜中に電話をかけ、「自慰行為をしてみろ」と脅したり、のぞみさんの顔写真と裸の女性の姿を合成した画像を送ってきたりしたといいます。

耐えかねたのぞみさんは、担任だった教員に相談し、被害が発覚しました。男子生徒は学校に指導され、卒業までSNSを使わないことを保護者と約束したといいます。

被害はおさまりましたが、のぞみさんの体調は悪化。食べられない、眠れないなどの不調が続き、一時は入院を余儀なくされました。母親のなおこさんは、娘はSNSのやりとりの詳細を語らず、なおこさんから聞き出すこともないといいます。

なおこさん「もうすでに嫌な思いしているのに、これ以上、嫌な思いさせるのが嫌でした」

のぞみさんは、ひとりで思いを抱え込んでいるのではないか。

私たちは、母親のなおこさんと相談し、5か月にわたってのぞみさんと手紙を交わしました。そして2022年2月、初めてのぞみさんの部屋で話をすることになりました。

のぞみさん「おとといぐらいに、インスタのアカウント見つけちゃって」

ディレクター「相手(加害生徒)の?」

のぞみさん「嫌だなって勝手に思っていて。でも親は知らなくて。言ってもいなくて」

加害生徒が、やめると約束したはずのSNSを使っているのを見たというのぞみさん。勉強も手に付かなくなっていました。

のぞみさん「過去問題集、買ってもらったのに、勉強できなくて、すごい申し訳ない」

ディレクター「お母さんに?」

のぞみさん「そうなんですよ。それ買った直後に勉強できなくなってきて」

3月。卒業式を間近に控えたのぞみさんを訪ねました。式に出席するつもりはないというのぞみさん。中学校を離れ、環境が変わることに期待を寄せていました。

のぞみさん「一番伝えたいことがあって、学校だけで生きていると、自分を追い込めちゃうなと思うので、いろんな人との関わりが大事だなって、今回こういう経験して思って。過去は変えられないのは確かなんですけど、その過去の意味を変えることは、私できると思ってるので」

卒業式の日の朝。私たちが「普段通り家で過ごす」というのぞみさんのもとへ向かっているときのことでした。母親のなおこさんから、“娘が死のうとしました”という知らせが届き、ことばを失いました。

ディレクター「何か、何か予兆っていうか…」

なおこさん「ないです。ないです。何を考えているのか分からないです。きのうは元気でした。なんでか分からないです」

事態を聞き、中学校から教員が駆けつけてきました。

教員「どうですか、大丈夫ですか」

なおこさん「どうしていいか分からない。娘は一生懸命回復しようとしているに。何でこんなことに。何にもしてないのに。皆さん一緒に自分の身になって考えてみてほしい」

のぞみさんはインターフォンの画面越しに、母親の姿をじっと見つめていました。

私たちが行ったアンケート。被害に遭ったときの平均年齢は15.1歳でした。専門家は、発達途上の子どもたちに与える影響の深刻さ、そして、家族をケアする必要性も指摘します。

齋藤梓さん(臨床心理士・公認心理師)「子どもたちってまだ社会や人、自分を信頼するということが形づくられる前なわけですね。あるいは、形づくられている最中なので、最中にそれを根底から覆されるというか。子どもたちを支える家庭の人たちを支える仕組みも、すごく大事」

<“死にたい気持ち“と闘いながら 夫婦で積み重ねる日々>

性暴力被害による症状に苦しむ、けいこさんとゆうさくさんの夫婦です。ゆうさくさんは、1日1日を手探りの状態で生きている、と教えてくれました。

ゆうさくさん「あるとき、(けいこさんが)包丁を手にした状態で『死にたい』って言ったんです。『そうか、よし分かった。じゃあ、とりあえず俺が先に死ぬから、お前そのあとで死んでくれ』ってなったことはありました。そういう姿を見たくないっていう一心ですよね。なんせ僕にとっては、死ぬことっていうのが一番怖いことで。それをやろうとしている、やりたいと思っちゃってる彼女がいる。もう思っちゃうのはしかたがないと思うんですよ。魔物と戦っているようなものだと思っているので。それに、つられちゃうときもありましたね」

ゆうさくさんが大切にしているのは、けいこさんとの食事の時間。どんなに忙しくても、1日1回は、一緒に食べるようにしています。

この日の食事中、テレビに映った男性の姿が加害者と重なり、フラッシュバックを起こしました。

けいこさん「チャンネル変えてもらっていい?おじさんがいっぱい映ってる。ちょっとフラバ(フラッシュバック)した」

ゆうさくさん「しゃあない、しゃあない」

けいこさんは食事をやめ、ベッドにもぐりこみました。かつてレイプされたときの感覚が鮮明によみがえり、死にたい気持ちが沸き起こるといいます。

ゆうさくさん「おじさんっていうものが、引き金なんで。しゃあない。僕も気づかなかった、申し訳ない」

ゆうさくさんが、食器を洗い始めると・・・。

けいこさん「お皿洗わなくていいよ」

ゆうさくさん「ありがとう、でも手つけてもうた、すまんな」

けいこさん「なんか責められているみたいで嫌」

ゆうさくさん「なんか責められているようで嫌だ?そうか、すまん」

けいこさん「だから置いておいて」

ゆうさくさん「分かった、じゃあいいところで置いておく」

被害のあと、多くの人に責められてきたけいこさんは、何気ない言動でも、強く非難されているように感じます。

ゆうさくさん「じゃあとりあえず、きりのいいところまであと1分だけ我慢してくれ、すまんのう。1分たったら教えて」

ゆうさくさんは「1分たてば苦しみから解放される」という思いで、ことばをかけました。

けいこさん「1分たった」

ゆうさくさん「1分たった?ちょうどきりいいわ」

ふたりは月に数回、車で往復5時間かけて、東京にある専門的な治療を受けられる精神科クリニックへ通います。フラッシュバックなどの症状が出たときに、自分の体に何が起きているのか、少しずつ教わっています。

けいこさん「治療が進んできて、これが症状で、今死にたいんじゃなくて、過去の被害に遭ったときに私は死にたかった、今その気持ちがよみがえってきたんだっていうのが分かるだけでも、だいぶ違う」

主治医の助言を受け、できることをひとつずつ積み重ねているけいこさん。

“わたしを奪われた”状態から回復するために、1から自分を作っている途中だと、主治医は言います。

主治医「“治る”ということが、被害の前に戻ることだとしたら、それはないけれど、“新しい自分を作っていく”ことなんだって、よく言います。“新しい自分を作っていく”その中にある大変さを、社会が、周りの人が理解して、そのことについて話せるような関係があるといいなって。支援関係でも、友人関係でも」

ゆうさくさん「僕がどうにかしてあげるってことはできないんですが、何かこぼれていくものが多い中で、拾えるものがあるんだったら、拾った方がいいじゃないって思っています」

<被害の前には戻れなくても わたしは“わたし”として生きたい >

この春、のぞみさんは高校に進学しました。私たちは、今の気持ちを尋ねました。

のぞみさん「すぐ気持ちが変わって、今までと言っていること違うじゃん、みたいなことがたくさんあると思うんです。何が本当の自分なのか、何が本当に自分が望んでいることなのか、そういうことすら分からなくなって。意識があるときは、ずっと気持ち悪い感覚に襲われるというか。何も考えずにはいられない」

体調が悪い日もありますが、少しずつ勉強を進めているのぞみさん。「ため息」(フランツ・リスト作曲)という曲を繰り返し弾いていました。

のぞみさん「深いため息の中に、いろんな感情があって、そういうのが全部ミックスされた曲って感じがして。癒やしなんですかね。落ち着くっていうか」

のぞみさんから、私たちに手紙が届きました。

「高校入って、また自分らしく、勉強も音楽も頑張りたいと思います。私にはまだ、”死んでしまおう”という気持ちがあります。でもそれは、きのうじゃなくてよかったなって」

この日、けいこさんは誕生日を迎えました。とにかく、死なない、死なせない。ふたりで歩んできました。

けいこさん「毎年ふたりでケーキ食べられたら、1年ことしも生き抜けたなって思う」

ゆうさくさん「誕生日ケーキって生きた証し?」

けいこさん「生きた証し」

ゆうさくさん「はは。重いなあ、ケーキに課せられた使命重いなあ」

けいこさん「こうやってさあ、何者にもなれないまま、私は年を重ねていくのかなあ。ちょっとそれは嫌だな」

ゆうさくさん「はい、あなたのお名前教えてください」

けいこさん「けいこです」

ゆうさくさん「じゃあ、あなたはそれなんでしょ」

けいこさん「ああ、なるほど」

あなたは、あなた。それでいいと、ゆうさくさんは伝えました。

ふたりは、けいこさんが通院しやすくなるよう、東京へ引っ越すことにしました。

引っ越し業者の男性スタッフを前に、パニックになりそうな気持ちを必死におさえながら、対応します。

そして。

けいこさん「最後だし、出てみようかな。どんな感じなんだろう」

ベランダから、初めて眺める景色です。

けいこさん「こんな感じだったんだ。こっちは全然見たことなかった。ずっと出られなかったけど、最後ちょっと出られてよかった。こんなきれいな景色だったんだと思って。こんなに気持ちいいところだったのか」

私たちに届く多くの声には、誰かにかけてもらいたいことばがつづられています。

「あなたは大切な存在 絶対にそんなふうに扱われていい存在じゃない」

「乗り越えなくてもいい 傷つきを抱えたまま 一緒に生きていこう」