混迷の世紀 「第5回 核兵器 “恐怖の均衡”が崩れるとき」

初回放送日: 2022年12月18日

広島・長崎に原爆が投下されて以降、その壊滅的な破壊力から大国間の相互抑止を維持してきたといわれる核兵器。しかし、ロシアのウクライナ侵攻後、核兵器が威嚇にとどまらず、実際に使われるのではないかという懸念が世界に広がっている。一方、極東アジアでは、北朝鮮が核・ミサイル開発を加速、中国も核戦力の強化に乗り出しているとみられている。危機に直面する世界の核抑止態勢を描き、人類に何が求められるのか考える。

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目次

  • ■まとめ記事【前編】
  • ■まとめ記事【後編】

■まとめ記事【前編】

(2022年12月18日の放送内容を基にしています)

36年前、東西冷戦のさなか、世界の核兵器の数がピークを迎えた1986年。アメリカとソビエトの両首脳は、核の軍拡競争に終止符を打つことで一致していました。

交渉に参加した元米外交官「どちらにとっても真の勝利でした。二人は20世紀末までに、すべての核を廃絶しようとまで言ったのです」

しかし、21世紀、世界は再び核の脅威に直面しています。

核戦力を誇示しながら、ウクライナへの攻撃を続けるプーチン大統領。

プーチン大統領「現代のロシアは、ソ連が崩壊した後も、最強の核保有国のひとつだ」

シリーズ「混迷の世紀」。第5回は、冷戦後、核の廃絶に向けた人類の努力が、行き詰まりを見せている世界です。

ウクライナでは、核を搭載することができるロシアの兵器が使われています。背景には、実際に核の使用を意識した戦略があると見られています。一方、中国も核戦力を増強。衛星写真は、おびただしい数の核サイロと見られる施設を捉えていました。

唯一の戦争被爆国として、核の非人道性と廃絶を訴えてきた日本。一方で、アメリカと共に、抑止力の強化にも乗り出しています。

私たちは、世界の終末をどうすれば避けることが出来るのか。

<ロシアは本当に核を使うのか>

核による、どう喝とも取れる言動を繰り返すプーチン大統領。4年前、すでにロシアが、核をめぐる新たな態勢に踏み出していることを、内外に示していました。2018年の年次教書演説で、核を搭載できる新開発の兵器を紹介したのです。「キンジャール」。威力を抑えた核弾頭を搭載し、空中で発射することのできるミサイルです。

プーチン大統領「世界中の軍隊が、この理想的な兵器を欲しがるでしょう。ロシアはすでに持っています」

これは、ロシアによるウクライナ侵攻が始まる直前に公開された、キンジャールの映像。のちに実戦でも使われたと発表されています。

地上発射型の短距離弾道ミサイル「イスカンデル」。やはり核弾頭を搭載することが出来、ウクライナへの軍事侵攻でたびたび使われています。

ロシアはこうした兵器で、本当に核を使うのか。

ロシア出身で、内部資料を基に、その核戦略を研究しているパヴェル・ポドヴィグ氏は、核使用の兆候をつかむ上で重要なのは、ロシアが所在を明らかにしていない核の”中央貯蔵施設”だと言います。

ウクライナとの国境に近い、モロゾフスク空軍基地。衛星写真を見ると、2005年の後、新たな施設が建設されていることが分かります。3重に囲まれたフェンス。内部の温度や湿度を一定に保つための“換気装置”。こうした特徴から、核の貯蔵施設と見られています。

これは、旧ソビエト時代の核貯蔵施設の内部の様子を、当時の図面を元に描いたものです。核兵器はトレーラーに乗せられ、このように運び出されるとポドヴィグ氏は見ています。

核が貯蔵施設から爆撃機に運搬される時が、核使用の危険な兆候だと言います。

国連軍縮研究所/パヴェル・ポドヴィグ氏「核兵器が、運搬システムの近くに移動していないことを把握することが重要です。私たちは、この状態が保たれるよう、努めなければなりません」

ロシアは、どのような状況で核の使用を想定しているのか。

それを探る上で、世界の核戦略の専門家が注目している文書があります。

1999年、ロシア軍内部で発表された研究論文。「エスカレーション抑止」という、それまでにない戦略を打ち出したものでした。

核兵器はあまりに大きな破壊力のため、実際には使うことが難しい兵器とされてきました。ひとたび核を使えば、必ず核の応酬となり、最後は互いに滅亡する。”相互確証破壊=MAD”と呼ばれる考え方が基本にありました。このため、核は実際には使用されず、”恐怖の均衡”が戦争を抑止すると考えられてきました。

ところが、「エスカレーション抑止」の考え方では、実際の核の使用が想定されていたのです。戦況が不利になった場合、相手をひるませるか、ある程度のダメージを与えるために、威力を調整した「戦術核」を使用します。事態をあえてエスカレートさせることで、相手の戦意をくじき、ロシアに有利な状況で戦闘を終わらせる戦略です。

この論文の背景には、同じ年に行われた、NATOによるユーゴスラビアの空爆があったと見られています。精密誘導兵器による正確な攻撃を目の当たりにしたロシア。ソビエト崩壊後の経済の低迷により、NATOとの戦力の差は開く一方でした。それを核兵器によって、埋め合わせる考えが検討されたのです。

その後ロシアが、「エスカレーション抑止」の考え方を正式に採用したのか、専門家の間で見解が分かれています。

核使用の基準を公式に定めた、ロシアの軍事ドクトリン。核の使用は、核兵器で攻撃される場合などとする一方、「エスカレーション抑止」には言及がありません。

国連軍縮研究所/パヴェル・ポドヴィグ氏「ロシアがこの戦略を採っているかは、私はかなり疑わしいと思います。ウクライナに対しても、NATOに対しても、核兵器を使用するハードルは、非常に高いのです」

しかし、アメリカは2018年の時点で、ロシアが「エスカレーション抑止」戦略を採用していると、警戒していました。その上で、核を使用することで、有利に戦争を終結出来るという考え方は、危険な誤算と、事態の悪化につながると警告したのです。

トランプ政権で核政策を立案/ロバート・スーファー氏「私たちは、『なぜロシアは核兵器の開発を続けるのか?』と疑問に思いました。その結果、やはり戦闘で威力を抑えた戦術核の使用を、考えているのだろうとの結論に達したのです。そして、彼らが核を使った場合、私たちが反撃しないシナリオはありえないと、ロシアに分からせたかったのです」

ロシアが「エスカレーション抑止」で核を使った場合、何が起きるのか。

これは、アメリカのプリンストン大学が行ったシミュレーションです。アメリカの核を共有しているNATOとの間で、戦闘状態に入った場合を想定しています。

ロシアはNATOの攻撃を抑え込むため、その加盟国に、一発の戦術核を発射します。爆撃機から発射される、核弾頭を搭載した巡航ミサイルです。しかし、ロシアの思惑とは異なり、これで戦闘は終わりません。NATOも、一発の戦術核でロシアの基地を攻撃します。

対応するのは、ドイツ・ビューヘル空軍基地のトルネード。反撃しなければ、”先に核で攻撃した方が有利”という先例を作ってしまうため、“相応の反撃”が必要と判断するというのです。

これに対し、ロシアは戦況を核で挽回することに固執し、大量の核をNATO各国の基地に発射。その結果、相手の戦力をせん滅するために、大型の核ミサイルで攻撃の応酬が始まります。

最後はアメリカ本土も含む互いの30の都市に核弾頭が降り注ぎます。3410万人が即死、5740万人が負傷する地獄絵図となります。

ロシアは今も、「エスカレーション抑止」戦略について、態度を明らかにしていません。

ロシア代表「ロシアがウクライナで核兵器を使うと脅しているという、全く根拠のない、現実離れした、受け入れがたい憶測を強く否定したい。しかし西側諸国が、私たちの決意を試そうとするならば、ロシアは引き下がらないだろう。これは脅しではない」(2022年8月・NPT(核拡散防止条約)会合)

どちらともとれる解釈の難しい発言。私たちは、真意を直接問いました。

取材班「戦争で核兵器を使わないと約束できますか?」

ロシア代表団「ノーコメントです。ロシア政府の公式ウェブサイトを見てください」

河野キャスター「東西冷戦の終結から30年。いま再び核戦争の恐怖が、よみがえっています。現在、世界で9か国が、合わせておよそ12700発の核兵器を保有していると見られています。その9割がアメリカとロシアのものです。冷戦期には、およそ7万発に及んだ世界の核兵器。その後、大きく減りましたが、いま、核軍縮の動きは行き詰まりを見せています。背景には、二つの核大国の信頼関係が崩れていった歴史がありました」

<信頼培った米ソ首脳>

冷戦のさなか、アメリカとソビエトが核軍縮に向けて、大きく動き出した場面を、間近で見ていた人がいます。

アメリカの外交官として、長くソビエトに駐在していたジャック・マトロック氏、93才です。

アメリカのレーガン大統領と、ソビエトのゴルバチョフ書記長。80年代半ば、激しく対立する中でも両首脳は、直接の対話を重ねました。

元駐ソ連米大使/ジャック・マトロック氏「確かにレーガン大統領は、共産主義を批判していました。しかし、それ以上に、米ソの核戦争を防ぐことが大事だと考えていたのです」

対話は一つの条約に結実。

元駐ソ連米大使/ジャック・マトロック氏「あの晩は、とても嬉しかったのを覚えています」

1987年に両国が調印したINF=中距離核戦力全廃条約です。核戦争のリスクを高めていた地上発射型の中距離核ミサイルを、全て廃棄することで合意したのです。

廃棄の過程には、お互いの査察団が参加しました。透明性の確保を何よりも重視したのです。

元駐ソ連米大使/ジャック・マトロック氏「両国が勝ち取った条約は公平なもので、双方が安全になりました。世界は正しい方向に向かい始めたのです」

これをきっかけに、核兵器の数は減少に転じます。

冷戦終結後、より破壊力の大きい戦略核の削減でも合意。20年間で核兵器の数は、およそ7割削減されました。

<オバマ大統領の理想 現実の壁に>

さらに2009年、アメリカに核兵器の廃絶を訴える指導者が現れました。バラク・オバマ大統領です。

オバマ大統領「本日、私ははっきりと信念を持って、アメリカは核兵器のない世界の平和と安全を追求することを明言します」

2010年4月、ロシアとの間で戦略核をさらに削減する条約、新START(新戦略兵器削減条約)に調印。核なき世界への道を歩み始めたように見えました。ところが、その理想はすぐに、現実の壁に阻まれることになります。

オバマ政権の核政策を立案/ブラッド・ロバーツ氏「オバマ政権で我々が学んだことは、アメリカが核兵器の役割と数を減らし、その流れをリードしようとしても、どの国も後についてこない、ということです。世界は、とても残念な方向に進んでいったのです」

この頃、ロシアが開発を加速させていたのが、戦場での使用を想定した「戦術核」です。

長距離攻撃に使われる戦略核を制限した新START。中距離核ミサイルを全て廃棄したINF全廃条約。一方、射程の短い戦術核は、これらの条約の対象になっていませんでした。

さらにロシアが、条約で禁止されている中距離ミサイルの開発を、再開させた疑惑も浮上しました。アメリカはロシアに再三、条約違反を指摘。それを否定し続けるロシアへの、不信感を強めていきました。

ブラッド・ロバーツ氏「私たちは、ロシアにINF条約違反であるとの懸念を伝え、解決を図ろうとしました。しかし、何の成果もありませんでした。ロシアは違反を続けたのです」

ロシアが強く反発していたのは、NATOの拡大でした。NATOがイランなどを念頭に、配備を進めたとするミサイル防衛システムにも神経をとがらせていました。

プーチン大統領「NATOのミサイル防衛システムは、イランのミサイルから防衛するためのものだと、私たちは聞かされてきた。彼らの真の目的は、ロシアの核戦力を無力化することだ。ロシアは核戦力を強化するために、必要な報復措置をとる」

一方、「核なき世界」を目指すとしていた、アメリカのオバマ大統領。同時に、核の脅威が続く限り、抑止力は維持するとしていました。核戦力の老朽化への対応は不可欠だとして、30年間で100兆円ともされる予算を投じ、「核の近代化」に乗り出したのです。

そのひとつ、1960年代に開発された核爆弾B61。核爆発の威力を、段階的に調節できる機能を追加。最新の誘導装置で、標的をピンポイントで破壊することも可能にしました。「スマート核兵器」とも呼ばれ、事実上の新たな核戦力の開発だと指摘されました。

ブラッド・ロバーツ氏「オバマ政権の核心にあった考えは、安全保障に資する限りにおいて、核軍縮を進めるというものでした。核軍縮を行った結果、安全が脅かされるなら『核なき世界』は実現しないからです。その結果、残念ながらオバマ大統領のレガシーは、核兵器の増強になってしまったのです」

<米ロ 相互不信の連鎖>

オバマ氏の後に就任した、トランプ大統領。核兵器の役割を強化するとし、INF全廃条約からの離脱を表明しました。

トランプ大統領「条約を守ってきたが、ロシアは残念ながら守っておらず、我々は抜けることにする」

プーチン大統領「私たちが違反したという証拠が示されていない。INF全廃条約破棄には反対だが、そうなるならロシアもそれに応じた対応をとる」

初めて核軍縮への道をひらいたINF全廃条約は、30年あまりで失効。アメリカは、中距離ミサイルの開発を再開しました。

ロバート・スーファー氏「アメリカにも追加の核の選択肢が必要です。プーチンに反撃を恐れさせ、核使用を思いとどまらせるためです。私たちは冷戦のような状況に逆戻りしています。すなわちロシアとの大国間競争です。結局は、核兵器を使う意志を示すことだけが、ロシアを抑止できると思います」

河野キャスター「核軍縮に逆行する時代。各国は核の力への依存を、再び強め始めています。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所は、世界の核兵器の数が、今後10年で増加に転じると予測しています。中でも、急速に核戦力を増強していると見られるのが、中国です。中国は現在、推定350発の核兵器を保有していますが、近い将来、アメリカ・ロシアに並ぶ核大国になる可能性があると指摘されています。そして日本は、安全保障政策の大きな転換に踏み出そうとしています」

<加速する中国の核開発>

中国・内モンゴル自治区ジランタイ。砂漠を写した衛星写真を拡大すると、ドームのようなものが見えてきます。縦50メートル、横70メートルの巨大な施設です。

同様の施設は、この10キロ四方に複数点在しています。ある場所では、1年前にあったドームが、今はなくなり、道路しか残されていないように見えます。

一体、ここで何が行われているのか。

衛星写真から、これらの構造物を発見した、全米科学者連盟のハンス・クリステンセン氏は、これは核ミサイルを発射するためのサイロ(格納庫)だと言います。

全米科学者連盟/ハンス・クリステンセン氏「これはサイロのハッチ(発射口)です。ここからミサイルが飛び出します」

こちらは、アメリカの核サイロのハッチ。これによく似た構造物が、地表に見えていると言うのです。

全米科学者連盟/ハンス・クリステンセン氏「最初にジランタイで見つけた建設中のサイロは、このようなものでした」

全米科学者連盟/ハンス・クリステンセン氏「この辺りでミサイルを積んだトラックは、荷台を上げ、サイロの中にミサイルを降ろすのです」

更に、新疆ウイグル自治区のハミには、2021年の春から、こうした施設が網の目のように作られていました。内モンゴルのものと合わせて、300基余りのサイロがあるとクリステンセン氏は見ています。

どのような核兵器がサイロに置かれているのか。クリステンセン氏は、この地域で確認される車両が、手がかりになると言います。

全米科学者連盟/ハンス・クリステンセン氏「これらの車両を端から測ると、恐らく長さは21メートルとなります。これはDF41の長さです。なぜそれが分かるのか?中国はミサイルのパレードが好きだからです。時々、北京でミサイルのトレーラーを見せています」

軍事パレードに現れるミサイルのトレーラーと同じ長さであることから、アメリカ本土にも届く大陸間弾道ミサイル、DF41がサイロに設置されている可能性があると言います。

中国が、これほどの核サイロを作る理由は何なのか。中国は公の場で、核は自衛のためにしか使わないと説明しています。

中国代表「核戦力を、常に国家の安全保障に必要な、最小限の水準にとどめている」(2022年8月・NPT(核拡散防止条約)会合)

しかし、アメリカ国防総省が先月(2022年11月)公表した年次報告書では、中国の核戦力に深刻な懸念を表明しています。中国が今のペースで核の増産を続ければ、2035年までに、およそ1500発の弾頭を保有する可能性があるというのです。

現在、アメリカとロシアが配備する戦略核は、双方が結んだ条約によって、1550発までに制限されています。中国が1500発を保有すれば、アメリカ、ロシアと肩を並べることになるのです。

全米科学者連盟/ハンス・クリステンセン氏「1960年代にソ連とアメリカが、ICBMの発射基地を建設して以来の規模の拡大です。中国は今世紀半ばまでに、世界的な軍事大国を目指しています。そのためには核大国が持っているような、より多くのすぐれた核兵器が必要なのです」

■まとめ記事【後編】

<抑止力低下 懸念した日本>

中国の核戦力の増強は、日本の安全保障に対する姿勢に、大きな影響を与えています。

2009年、核態勢について、見直しを進めていたアメリカ議会に、日本政府の代表が提出したとされる、3枚の文書。「アメリカの拡大抑止についての日本の見解」と題されていました。

「拡大抑止」。アメリカが、核を含めた軍事力で日本を守る姿勢を示し、相手国に日本への攻撃を思い止まらせること。いわゆる、「核の傘」です。アメリカが核の態勢を見直す場合、「核の傘」に影響がないようにしてほしいと要望したのです。

「アメリカの抑止能力は、他国に対し、その核能力を拡大し、近代化することをあきらめさせるに十分でなければならないと考える」「中国の核の拡大と近代化については、常に留意すべきである。日本に、十分前もって相談してほしい」

日本がアメリカの核戦略について、具体的な要望を伝えるのは異例のことでした。この文書の提出に先立ち、アメリカ議会に初めて日本の見解を説明した、当時の石井正文公使。中国への危機感は、日本がアメリカの核戦略に、積極的に関わるきっかけのひとつになったと言います。

元駐米日本大使館 公使/石井正文氏「中国の核能力に対する警戒感、核能力の台頭に対する警戒感については、アメリカよりも日本の方が先に、相当深刻に捉えていた面はあるかもしれません。核の話については、日本が関与するというよりは、アメリカに任せて、結果の抑止力が欲しいというのが、それまでの基本的な考え方だったんだろうと思います。ただそこの部分は、おそらくもう、それだけでは足りなくなってきているという認識が、アメリカ側にも実は日本側にもあった」

さらに日本が懸念を示したのは、ある核政策の検討を始めたオバマ政権内部の動きでした。

「先行不使用」政策。戦闘中、相手が核を使わない限り、アメリカが先に核を使うことはない、と宣言する政策です。核軍縮を重視する立場からは、核戦争のリスクを減らすことが出来ると歓迎されていました。

一方、核抑止を重視する立場からは、これでは通常兵器による攻撃を抑止出来ないと、批判されていました。

当時(2016年7月)、オバマ政権が、この政策の採用を検討していると報じたワシントンポストの記事に、日本政府が直ちに反応します。オバマ大統領の特別補佐官だったジョン・ウルフスタル氏。日本政府の高官から突然、電話を受けたと言います。

オバマ大統領 特別補佐官(当時)/ジョン・ウルフスタル氏「首相官邸から、国家安全保障担当補佐官の部屋に電話がかかってきて、『記事を見た。これが本当か知りたい。決定の前に日本の高官が訪問して、この問題について話し合うことは可能か』と言ってきました。私たちは選択肢を検討している初期の段階だと説明しましたが、アメリカが先行不使用について関心を持つならば、まず同盟国と協議するとも伝えました」

この時、協議を申し入れたのは、内閣官房の国家安全保障局でした。「先行不使用」を宣言することで、通常兵器で攻撃されるリスクが高まることを懸念していました。

国家安全保障局次長(当時)/兼原信克氏「核を先に使わないというのは、通常兵力から核兵力にエスカレートしていくときに、自分の方から、その階段を上らないと宣言することですから。それで本当に抑止力は傷まないんですかと。私たち”前線国家”なので、戦争が始まったら困るんですよ。アメリカは勝てばいいと思っているから。勝つだけじゃ困るんですよ、始まったら困るんですよ。始まらないようにするためには、通常兵力から核まで、きちんと階段を組んでもらって、初めから(相手国に武力行使は)やめてくれということを、アメリカに言ってもらわないといけない」

結局、オバマ政権は「先行不使用」政策を見送りました。日本をはじめとする、同盟国からの懸念に、配慮した結果と見られています。

<日本 安全保障政策の大転換>

そして今、日本は安全保障政策を大きく転換しようとしています。これまで持たないとしてきた、敵基地を攻撃出来る能力を、”反撃能力”として持つ政策を打ち出しました。

2022年8月。中国を念頭に、南西諸島周辺の防衛力強化の一環として行われた、日米共同訓練。この時、自衛隊が展開したのは、12(ひとに)式地対艦ミサイルです。このミサイルの射程は、100数十キロと言われていますが、更に1000キロにまで延ばす計画が進められています。

中国の核戦力が増大すると、アメリカの圧倒的な優位が崩れるため、通常戦力の増強で補う狙いだと見られます。地上からだけでなく、護衛艦や、戦闘機から発射するタイプも、2028年度までに開発される予定です。

更に、潜水艦から発射する長射程のミサイルも開発が検討されています。将来、長射程のミサイルは、魚雷が格納されている艦内の先頭の部分にある発射管室になどに、装備される可能性があります。秘匿性の高い潜水艦は、相手国の海域に接近出来るため、より遠くの敵基地にも届くミサイルを持つことになります。

核保有国の軍拡競争は、核を持たない国の防衛のあり方にも、大きな影響を与えているのです。

<核の力への依存 警鐘鳴らす>

核抑止力の強化に向かう動きに対し、軍縮を求める国々は強く異議を唱えています。

2022年6月に開かれた、核兵器禁止条約の初めての締約国会議。5年前、核を持たない国が主導して生まれたこの条約は、核兵器の開発や保有、そして核を使った威嚇も禁止しています。

アレクサンダー・クレメント議長「新たな核開発競争が始まり、『核兵器は使える』『核抑止力は有効だ』という、危険な言葉が再び飛び交っています。いま、この状況だからこそ、核兵器禁止条約に意義があるのです」

締約しているのは68の国と地域。核保有国は参加していません。(2022年12月18日現在)NATOの一員で、アメリカと核を共有するドイツは、オブザーバーとして参加し、その立場を述べました。

ドイツ代表「私たちは、“核なき世界”という目標は共有し、核兵器禁止条約の締約国の熱意を理解します。しかし、核兵器が存在する限り、NATOは核同盟であり続けます。ロシアがウクライナに侵攻し、ヨーロッパの平和と安定が脅かされている今、ドイツは核兵器禁止条約に加わることはできません」

アメリカの「核の傘」のもとにある日本は、オブザーバーとしても会議に参加しませんでした。その場にいたのは、長崎の被爆者で、医師の朝長万左男(ともなが・まさお)さんでした。

朝長万左男さんスピーチ「私たちは、日本政府が核兵器に依存していることを、とても悲しく思います。私たちは泣いています。私たち被爆者は、がんなどの病気への不安にさいなまれ続けています。私たちの人生は常に、原爆がもたらした障害との闘いでした」

77年前、広島と長崎に投下され、その年だけで20万人以上の命を奪った原子爆弾。降りそそいだ放射線は、人々の体に深い爪あとを残しました。

朝長さんは2歳の時に被爆し、放射線の人体への影響を解明したいと医師になりました。放射線の影響が、長い年月を経てなお、死に至る病として現れる現実を目の当たりにしてきた朝長さん。核兵器への依存を強める世界に警鐘を鳴らしました。

朝長万左男さんスピーチ「核のない世界を実現するために、乗り越えなければならない壁の高さを目の当たりにし、とても悲しくなります。私たち被爆者は、まもなく一人もいなくなります。被爆者の苦しみを、世界の人々に深刻に受け止めて欲しい」

河野キャスター「核兵器の使用が懸念され、核軍縮への道筋も見えない時代。国連で、軍縮部門のトップを務める中満泉さんに、この混沌とした状況をどう見ているか、聞きました」

国連事務次長 軍縮担当上級代表/中満泉さん「核兵器を保有することが、究極的な安全保障のツールなのではないかという、そういう言説は非常に危険だと。これは核の拡散の、新しい理由を作り出しかねない。もしそういうことが、これから、まことしやかに語られる、そして実際にそうだということが広まっていくと、私たちは非常に強い懸念を持っています。核兵器を増やしていくことではなく、拡散させていくことではなくて、むしろその逆、核兵器を廃絶していくための道筋に戻ることこそ、やはり安全保障にとって重要なのではないかと」

河野キャスター「日本はまさに核抑止力に、ますます依存するという状況も、一方であります。日本にとっては非常に難しい立場ですが、それでも核の廃絶を訴えていくには、どうすべきだと思われますか」

国連事務次長 軍縮担当上級代表/中満泉さん「実際に、核兵器が使用された場合の状況というのを、身をもって体験している、理解している国は日本だけです。被爆の実相とよく言われますが、そういったことをきちっと発信していく。安全保障は、軍事力によってのみ保たれるのでは全くなくて、実はもっと包括的な概念であるべきだと考えています。さまざまな外交努力があり、国際的な対話があり、信頼醸成のためのさまざまな努力があって作られていくのが、実際のもっと包括的なレベルの安全保障。それを実際にどのように進めていくかが、これからの課題だと思います」

<レイキャビクの教訓 いま私たちは・・・>

2022年、ロシアで核軍縮を訴え続けた指導者、ミハイル・ゴルバチョフ氏が、この世を去りました。

36年前、ソビエトの書記長だったゴルバチョフ氏が、アメリカのレーガン大統領と核軍縮への一歩を踏み出したアイスランドの迎賓館。2人が向き合った部屋は今も当時のままに残されています。

いずれ世界から完全に核兵器をなくすことでも一致した2人。この場に立ち会っていたのが、アメリカの駐ソビエト大使だった、ジャック・マトロック氏です。

取材班「あなたの経験から、私たちは何を学ぶべきでしょうか?」

元駐ソ連米大使/ジャック・マトロック氏外交の価値だと思います。私たちも非常に緊張の高い状態から、静かに、共通の利益がないか探りました。そして1対1で、率直に話し合う道を模索したのです」

対立していた両者は、なぜ、核軍縮で歩調を合わせることができたのか。

マトロック氏は、レーガン大統領が、会談の前に、スタッフに示したメモに、そのカギがあると言います。

「ゴルバチョフは、ソビエトの外交・軍事を背負う手強い交渉相手となるだろう。しかし、私たちは決して、『勝者・敗者』という話をしないでおこう」

元駐ソ連米大使/ジャック・マトロック氏自分たちが勝ったと言ったら、相手は負けたことになります。しかし、核兵器に関して勝った負けたはありません。核兵器は人類にとっての脅威なのですから。核軍縮は、わたしたち全員の利益になるのです。冷戦時代に身につけた知性を、私たちは捨て去ってしまったようです。決して忘れてはなりません。戦争で再び核が使われてしまったら、誰もエスカレートを止められないということを」

広島と長崎のあと、77年間、使われずにきた核兵器。

いま、世界に再び、核戦争の悪夢が忍び寄っています。

二度とあの惨劇を繰り返さないために。

人類の理性と英知が試されています。