「OSO(オソ)18 〜ある“怪物ヒグマ”の記録〜」

初回放送日: 2022年11月26日

北海道に“怪物”と恐れられるヒグマがいる。この4年で65頭の牛を襲い、31頭を殺した。高い知能を持ち、捕獲対策をすべて回避。明確な目撃情報すらない。ヒグマは、最初の被害地域と足跡の幅から「OSO(オソ)18」と名づけられた。番組では捕獲に挑むハンターたちに密着し、OSO18が生まれた背景を探る。浮かび上がったのは、現代の人間の生き方や自然との関わり方が深く影響しているという事実だった。語り・國村隼

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(2022年11月26日の放送内容を基にしています)

何かがおかしい。そう感じたのは、ある夏の朝のことだった。

北海道川上郡標茶町オソツベツ。牛舎に戻ってくるはずの乳牛1頭が見当たらない。牧場主の男は、妻とあたりを探し始めた。

牧場主伊東公徳さん「現場に初めて行く。事件になってから」

ディレクター「なんで初めてなんですか」

伊東さん「嫌ですね、やっぱり」

ディレクター「怖いというのもあるんですか」

伊東さん「あるある。夕方は歩けないよ。骨、残ってる」

行方不明の牛は、牧場の下を流れる沢のそばで、何者かに殺されていた。

伊東さん「獣医さんを呼んだら『クマの可能性がある』と言われて、そのあと怖くなったね」

1頭のヒグマが、放牧中の牛を執ように襲い続けている。被害が起きるのは、夏の夜。朝になると、血だらけの牛が見つかる。そのヒグマは、4年の間に65頭を襲撃し、31頭を殺した。

北海道庁は、最初の被害現場オソツベツと幅18センチの大型の足跡から、そのヒグマを「OSO18(オソ・ジュウハチ)」と名付けた。

ヒグマ研究者「状況から判断すると、非常に大型のオスだと思うんですけれども、大型になるまで年齢を重ねた個体であれば、オスとしては非常に用心深い個体であるというのは、想像に難くないと思うんですよね」

OSO18は、襲った牛をほとんど食べない。32頭が、傷つけられただけで放置されていた。

OSO18特別対策班 リーダー 藤本靖さん「なんでああいうふうに牛に被害を及ぼすようになったのかは、わからない。食べるためにやってくれていたら、わかりやすくていいんですよ。食べるためじゃないんだもん、どう見ても。だからそこが謎です」

4年にわたって捜索が続くものの、目撃情報さえない。

伊東さん「どこかで捕まるだろうと考えていたんですけれど、もう3年も4年も捕まっていないのは不思議なくらい」

その怪物は、どこにいるのか。そして、なぜ生まれたのか。

北海道東部、釧路の北東に、広大な牧草地が広がる。OSO18が現れたのは、日本有数の酪農地帯だ。

出現から4年目、捕獲を託された男たちが動き始めた(2022年1月8日)。道東一円から集まるヒグマ捕獲のエキスパートたち、NPO「南知床・ヒグマ情報センター」。これまで捕獲したヒグマは、300頭以上にのぼる。男たちは、北海道庁から「OSO18特別対策班」の依頼を受けていた。

手がかりは、幅18センチの足跡のみ。それ以外、何一つわからない。

「たとえば人間だったら、25.5センチの足跡の男を探せと…無理じゃん。手がかりがなさすぎる」

「18センチって言うんだけど、自分がクマの足跡の計測をやったんであれば、18センチだって信用できて、それから推測してだいたいこれくらいの個体だっていうのができるでしょ」

百戦錬磨の男たちですら、弱気な言葉を口にする。

「いちばん信用できるのは、自分が見たり触ったりしたことが、いちばん信用できるでしょ」

「偶然に目の前に現れてクマを撃つというのは、めったにないことでしょう」

OSO18による被害範囲は、東京23区の3倍に及ぶ。森には、入り組んだ沢が流れ、湿地が人の立ち入りを阻む。被害が集中する標茶町の人口は7200。その9倍、6万7000の牛がいる酪農の町だ。

2月。役場では目撃情報を募るチラシを、全世帯に配ろうとしていた。被害額は、すでに7000万円を超える。冬眠明けは、まもなく。雪の上の足跡を追えるこれからの1か月は、最初の山場だ。

3月上旬。OSO18特別対策班から「18センチの足跡が見つかった」と連絡が入った。場所は、厚岸町の広大な森。奥まった林道の脇に残っていた。足跡の主は、大型のヒグマと見られる。OSO18の可能性が高い。

しかし、オスのヒグマは、一日で数十キロを移動する。追跡はできなかった。

OSO18特別対策班 赤石正男さん「もう一日、発見が遅れているから、クマに追いつけないから。だんだん詰めていかなかったら、居場所を見つけなかったら、クマは全然止まらないで歩いていくでしょう」

足跡は、森の北側にある湿原へと消えていた。

藤本さん「今やっていること自体が、砂漠の中に落とした針を拾うような作業をしているんで、どこまでOSO18に追いつけるかわからないですよね。幽霊みたいなクマを、ずっと追いかけているわけだから。果たしてそれがどこにいるんだろうっていう、本当にスタート中のスタートを今やっているからね。だからどうなるかは、先が読めないですよね」

さっぱりわからないと、誰もが言った。どこにいるのか。なぜ襲うのか。どうして捕まらないのか。

はじまりは、2019年7月16日。

1頭の牛が放牧地から姿を消す。400キロの牛は、森に引きずり込まれ殺されていた。被害は瞬く間に拡大する。最初の年だけで、28頭にのぼった。

現場に残されたわずかな痕跡が、分析されることになった。牧場の周りを囲む有刺鉄線に付着したヒグマの体毛のDNAを分析し、同じヒグマかどうか識別する。

北海道立総合研究機構 研究主幹 釣賀一二三さん「いちばん最初に被害を出した個体というのは、187と197の遺伝子の組み合わせを持っているというのは、この画像からわかるんですけれども、2か月後に被害を出したものについても、まったく同じ187と197の遺伝子を持っていることがわかりました」

去年までに被害が起きた25の現場のうち、体毛が採取できたのは16。そのうち、状態がよかった9つのサンプルでDNAを検出、そのすべてが一致した。さらに9か所で、18センチの足跡を発見。傷跡の共通点などから「すべてが1頭のヒグマ・OSO18の仕業による」と、北海道庁は断定した。

居場所を突き止めるため、30か所以上に自動撮影カメラが仕掛けられてきた。しかし映るのは、まだ若い小さなクマや、子連れの母グマばかり。OSO18は人間を極度に警戒し、姿を見せない。高度な知能も持ち、ワナを学習しているとみられた。

実は2019年、ワナの近くで、OSO18とみられるヒグマが1度だけカメラに捉えられていた。このときヒグマは、檻(おり)の中に全身を入れず、餌だけをかき出したという。

さらに、ヒグマには積極的に牛を襲う理由がないと、専門家は指摘する。ヒグマはもともと肉食でありながら、数百万年をかけ、木の実や山菜を主食とするように進化してきた。

北海道大学獣医学研究院 教授 坪田敏男さん「おそらく今生きているヒグマの餌のうち、8割から9割は植物質のものです。残り1~2割、何を食べているかと言ったら、ハチとかアリとか昆虫類なんですね。肉を食べる北海道のヒグマは、そんなに多くはないと思います。一生の間に肉を一回も口にしないクマもいると思います。それがたぶん一般的だと思いますね。それが結局、功を奏して世界に分布を広げることができて、今なお世界におそらく数百万頭くらいはいるような動物になったというところは、成功者の証だと思うんですね。一つは、肉食から草食にうまく切り替えることができた」

ディレクター「牛を襲っていること自体が、かなり特殊なことなんですね」

坪田さん「かなり特殊だと思いますし、実際ここ数年、家畜を襲ったヒグマというのは、(OSO18以外)ほとんど出てないと思うんですね。昔はいたようですけど、長く家畜の被害はなかったと思いますので」

植物食を中心とするヒグマだが、まれにエゾシカなどの肉を手にしたときには、強く執着する。これはその習性を示す痕跡(上写真)。「土(ど)まんじゅう」と呼ばれ、獲物を土の中に隠して、繰り返し食いあさる。

OSO18は、そのような執着を見せなかった。去年7月、共同放牧地に現れたOSO18は、襲った牛を傷つけるだけで置き去りにしていた。負傷した2頭を発見し、すべての牛を集めたところ、さらに5頭に爪で傷つけられた跡があった。OSO18は、襲った牛を食べず、獲物を取りに現場に戻ってくることもなかった。

共和牧野 組合長 髙野政広さん「(OSO18が)ガッとやって、次から次に牛を襲って遊んで歩いたのかなと。だからちょっと今までのクマとは違うのかなと。ハンティングを楽しんでいるような…」

目撃されず、ワナにもかからない。牛を襲うのに、食べない。人々はそのヒグマを「超巨大で猟奇的な怪物」 だと恐れた。

牧草が青々と生い茂る5月末。8軒の農家で共同管理する東阿歴内牧野(ひがしあれきないぼくや)に、317頭の牛が放たれた。去年、ここでは3頭が襲われ、すべての牛を牛舎に引き上げた。しかし、かさむエサ代を抑えるために、やむなく放牧再開を決めたという。敷地が広すぎるため、電気柵の設置は難しい。夜間の発砲は禁止されるため、警備することもできない。そこで、夜通し音を出し続けるスピーカー付きのラジオを導入。秘密兵器は、オオカミをモデルにした追い払い装置だ。50万円を投じた。

追い払い装置「うー(うなり声)」「お前だけは許さない」「ゴー(うなり声)」

標茶町農業協同組合 職員「いろんな種類の音が鳴るらしいです。本当にクマを牧場から追い出してくれれば…」

6月。捜索は大きく前進しはじめる。道庁や、標茶町・厚岸町の担当者、猟友会、ヒグマの専門家が集まった。冒頭、マイクを握ったのはOSO18特別対策班のリーダー、藤本靖。「OSO18の行動をつかんだ」と語り始めた。

藤本さん「まず、1番目に探索をスタートさせたのが、厚岸地区の道有林になります。ここの道有林は、昨年の12月の段階で、たまたま私どもの会員がエゾシカ猟に行ったときに、大型個体の足跡を目撃していて、おそらく冬眠しているだろうということで、冬眠明けに集中的にそこを見ようとスタートさせました」

藤本たちがまず突き止めようとしたのは、OSO18が冬眠をする場所だった。11人のメンバーで23日をかけ、この地域の森をくまなく踏破。ある森の奥で、重要な手がかりを発見した。

目立たない沢沿いで見つかった18センチの足跡。人前に姿を現さないOSO18の特徴と一致していた(上写真)。

冬眠場所は、足跡があった厚岸町西部の森だとみられる。

藤本はさらに、それぞれの年の最初の被害に着目。その森に近い標茶町の阿歴内で立て続けに発生していた(上写真)。冬眠する森を出るときに、ここで牛を襲うとみた藤本は、これまでの被害地点も分析し、移動ルートを二つに絞り込んだ。

7月1日。ことし最初の被害は、藤本の予想通り阿歴内で起きた。オオカミ型の追い払い装置を設置した、東阿歴内牧野だった。3頭が襲われ、1頭は発見時にすでに息絶えていた。

ディレクター「どんなふうに見つけたんですか」

第一発見者「牛の中に横たわっているのがいたんで、近づいたら死んでいて、内臓を完全に…」

現場で見つかった体毛からは、後にOSO18のDNAが検出された。

「クマって、爪にいろんな細菌があるから、それでだめになっちゃう。傷つけられたら化のうして」

ディレクター「この現場で起きるというのは、藤本さんが会議で発表されていたのと極めて似ていますよね」

藤本さん「似てるんじゃなくて、そのものだ。同じルート。この先、先手先手で行ければ、何らかの反応は出ると思う」

被害から4日、藤本たちは手を打つ。新しいワナの設置だ。二つのルートのうち、去年の被害が多かった厚岸ルートに狙いを定めた。

草木が生い茂るこの時期、見通しの悪い森でヒグマを追えば、返り討ちにあう。そのため、独自に開発したワナで、捕獲を試みる。ワナの中に入れるのは、改良を重ねてきた蜂蜜ベースの特製の餌だ。ヒグマの嗅覚は、犬の100倍とも1000倍とも言われる。日本酒と梅酒をまぜた液体をあたりに噴霧。発酵すると、ヒグマを誘う匂いが放たれるという。

「あいつらの鼻(嗅覚)すごいもん。人間の鼻と違う」

ディレクター「捕まえる自信はありますか」

藤本さん「いやあ何とも言えないな。これまでと檻(おり)も違うし、餌も違うから、興味は持ってくるとは思うけど、OSO18が近くを通れば。この場所の選定だけでも、かなり気を遣う」

6日後の7月11日。2件目の被害は、予想していたもう一つのルートで起きた。現場は、住宅からわずか200メートルの地点だった。

ディレクター「現場はどうでしたか」

赤石さん「ひどく食われてた」

ディレクター「1頭だけですか」

赤石さん「1頭だけ」

ディレクター「まだ近くにいる可能性はあるんですか」

赤石さん「いるんでないかい。そばに」

藤本は、現場に人間の匂いがつかないよう、牛のそばへ近づくことを制限していた。人間の匂いさえ残っていなければ、通常のヒグマと同様、獲物に執着し戻ってくるかもしれない。

藤本さん「今晩、クマが戻ってこなかったら、もう来ないと思うんだよね。とりあえず、(牛の死体を)一晩置かせてもらって…」

類瀬牧場 類瀬正幸さん「9月中旬までまた牛を放して、被害ないよと言えないでしょう」

藤本さん「それはない。いつまたここに戻ってくるかわからない。クマはこの場所をわかっているから。見て歩いてるから。毎年」

類瀬さん「被害がもっと山の中ならよかった。さすがに、あんな家が見えるところまでクマが来ると…」

翌朝、異変に気づいたのは、交代で見回りにきた地域の酪農家仲間だった。

「昨日はここに(牛の死体が)あったでしょう。11時ごろ見に来たら、もう死骸も何もなくて、あっちに引きずった跡があった」

前日襲った牛のもとへ、OSO18が戻ってきていた。

「これずっと、引きずって行ってるんだよね。下まで」

人間の気配が少ないとみるや、OSO18は、牛への執着をむき出しにしていた。

そして4日後の夜。沢沿いに設置したカメラが、決定的な姿を捉える(下写真)。OSO18は、2時間40分にわたり、牛をむさぼっていた。楽しむためではなく、食べるために、牛を襲っていたのだ。

謎は、次々と解き明かされていく。

2日後。すぐ隣の牧場で、再び牛が襲われる。駆けつけた藤本は、仲間を集めて付近の痕跡を調べ尽くした。見つかったのは、OSO18の正体を物語る、思わぬ証拠だ。

藤本自身が計測した残されたばかりのOSO18の足跡。その幅は、18センチではなかった。

藤本さん「OSO18は、16センチの足跡でした。18センチじゃなかったです。おおよその大きさですけれども、だいたい300キロくらい。ですからクマにすると大型ですけど、極端に大きなクマではない」

足跡は、時間とともにわずかに変形する。これまでは、その大きさを見誤っていた。16センチだとすれば、決して巨大ではない。

それは、新たな証拠からも裏付けられた。OSO18のDNAが採取された現場の映像。日中の映像と比較すると、OSO18は立ち上がっても2.25メートル。藤本の見立てどおり、通常のオスの成獣と同じサイズだと確かめられた。

大きくないからしとめきれず、傷つけただけの牛が多かった。人間の気配を警戒していたから、獲物に執着しなかった。「超巨大で猟奇的な怪物」。それは、人々の幻想の産物だったのだ。

人間が暮らし始めるはるか昔、およそ20万年前に、ヒグマは北海道へ渡ってきた。そのヒグマを、アイヌの人々は「カムイ=神」と敬ってきた。

だが、近代以降の開拓がヒグマを変える。森を奪った人間は、ヒグマの肉食の本能を目覚めさせていった。

「クマが開拓地に出没することは、北海道ではさして珍しいことではない。しかし、今年のようにクマが多いことも例が少ない。クマによる被害は、今までに殺された人ふたり、重傷ひとり、殺された牛や綿羊が307頭にのぼっている」(現代の映像「黒い爪跡~熊におびえる開拓地~」(1964年))

当時の住民「畑へ来ることが、すでに命がけのような、戦場へ行くような気分です。だいたい鉄砲がないもんですからね、犬3頭いるのを連れましてね、空き缶をたたきたたきくるというのが現実なんですね」(現代の映像「黒い爪痕~熊におびえる開拓地~」(1964年))

被害を受けた人間は、耐え続けることができなくなっていく。

人間は、ヒグマを「根絶対象」とする。当時の状況を示す文章がある。

「開拓、既に百年になんなんとし、この間、執ように人間に抵抗してきたこの猛獣が、いまだに跋扈(ばっこ)していることは不思議なことで、文化国の名に恥じる。北海道の熊は文化の敵、人類の敵である」

1966年、北海道庁は冬眠明けのヒグマを無差別に狙う「春グマ駆除」を、奨励金をつけて開始する。ヒグマは、絶滅が危惧されるまでに激減。被害は減っていった。ところが、生物多様性を求める声が世界的に高まると、1990年「春グマ駆除」は廃止。ヒグマは「人類の敵」から「豊かな自然の象徴」へ一変し、その数は再び増え始めた。

それから30年。ヒグマとの向き合い方を探しあぐねる人間の前に現れたのが、OSO18だったのだ。

OSO18がひそむ現代の森には、牛を襲うようになった理由が隠されていると、藤本は言う。エゾシカだ。かつて絶滅寸前に追い込まれたが、危惧した人間が「保護対象」とし、いまや69万頭に達する。地球温暖化の影響で冬の寒さも弱まり、越冬はずっとたやすくなった。

大量に増えたエゾシカをしとめ、体の一部を森に放置するハンターがいる。列車や車との衝突事故も、あとを絶たない。いつしか森には死体があふれるようになった。

藤本は言う。

容易に肉が手に入る環境で、OSO18はその味を覚えたのではないか。眠っていた肉食の本能を、人間が呼び覚ましてしまったのではないか。

藤本さん「背景の一つとしては、増えすぎたエゾシカというのがある気がしています。自然界を人間が自分たちのために切り崩していった。あるいは(自然を回復させようと)拡充していった。ですから人間が、良くなろう良くなろうと思えば思うだけ、反比例したことが自然の中では起きていくのかなという気がします」

9月。標茶町と厚岸町では、藤本の指示のもとOSO18の居場所を突き止めようと、ドローンを使って新たな捜索が始まっていた。

ヒグマは、牛の餌となる飼料用トウモロコシのデントコーンを好む。3メートル近くに達するデントコーン畑は、身を隠して食べられる、秋のかっこうの餌場だ。

この地域でデントコーンの作付けが増えたきっかけは、新興国の台頭で飼料価格が世界的に高騰したことにある。酪農経営は年々厳しくなり、1頭の牛が出すミルクの量を増やすために、栄養価の高いデントコーンは欠かせない。

OSO18に4頭の牛を殺された酪農家も、デントコーンを育てている。

農業生産法人KI 木並伸一さん「我々の力じゃ、クマにコーン畑を荒らされないようにするのは、無理に近いんじゃないかな。諦め半分」

品種改良も進み、この15年で牧草地は次々とデントコーン畑に変わった。すぐそばに肉の味を覚えたヒグマがいることを、人々は知らなかった。秋になるデントコーンを確かめるために、OSO18は、夏、森から牧場へ。そこにいたのが、無防備な牛だったのだ。

OSO18の行動を逆手に取れないか。藤本たちは作戦を練っていた。

「このOSO18はどんなデントコーンの食い方するのかね」

「クマ1頭1頭違うんだよね。デントコーン畑に入ってクレーターにするクマと、デントコーン畑に入って実のいいところだけを持ってやぶに移って、やぶの中で座布団を敷いたみたいに皮をむしって尻の下に敷いて食っているやつと」

「それもあるし、自分の周りを丸くして食うやつと、直線で食っていくやつがいる。刈り取りみたいに」

OSO18は巨大だ。そう思い込んでいたために、見落としていたことがあるかもしれない。藤本たちは、情報を洗い直していた。

OSO18特別対策班 関本知春さん「僕の考えではね、OSO18は弾の下くぐってるよ(被弾しているよ)。撃った人が言わないだけで。これだけシカがいるところに出入りしているのに、初期の段階でハンターに見つからないことないから。絶対に撃たれてる」

ある牧場に、気になる情報があった。そこで、思いがけない映像が撮影されていた。

9月12日、デントコーン畑の脇を流れる沢で、偶然カメラに捉えられたオスの成獣。これまでに撮影されたOSO18とみられるヒグマと、一致する特徴があった。左足の付け根にある傷跡だ。藤本たちは、この傷を負わせたのは人間だと考えた。銃による傷ではないか。この傷こそが、極端に人間を警戒するわけを教えているのではないか。

藤本たちは、OSO18を出し抜くために、その牧場で思い切った作戦に出た。デントコーン畑のそばに、通常は禁止される特別なワナを仕掛ける。ワナを踏んだ脚に、ワイヤーを巻きつける「くくりワナ」だ。直径22センチの特注サイズだ。

ディレクター「これはかなり特殊なものなんですか」

「イノシシはよくやってる。クマではほとんどやらないけど。クマは許可にならないから」

ディレクター「特別許可は取っている?」

「もちろん、もちろん」

藤本たちは、連日夜明けの5時に集まり、設置した「くくりワナ」の見回りを続けた。ワイヤーが外れて、殺されたハンターもいるほど「くくりワナ」には危険が伴う。

だがOSO18は、またしても人間の前から姿を消した。

埋もれていた事実が明らかになってきた。牛を食べるヒグマが他にもいる。放牧地の牧夫、土田勇治が「牛を食べた2頭の子グマを見た」と打ち明けた。2頭のうち1頭は駆除され、もう1頭は森へ消えたという。

ディレクター「どんなヒグマでしたか」

中央牧野 牧夫 土田勇治さん「大きさは2歳くらいだと思うんだ。そんなに大きいもんじゃない。ちょうど親離れしたくらいの大きさ。だからもうあれから2年だから、残っているもう1頭の方は完全な成獣になっている。だからそういう牛の味を覚えたら…」

1頭のヒグマを、人々は「OSO18」と呼び、「超巨大で猟奇的な怪物」だと恐れた。だが、その存在を生み出したのは、人間自身だったのではないか。
その怪物は、今どこにいるのか。捜索はまだ終わっていない。