NHKスペシャル
いざ、”世界”と出会うダイナミック体験を。
2023年1月30日(月) 更新
このエピソードについて
- 70年前、テレビ放送開始に向けた実験放送のスタジオでは、宮田輝アナウンサーたちが連日悪戦苦闘していました。当時の照明は殺人的な熱さで出演者の髪が焼け刺身は煮魚になるほど。宮田アナのメモには「テレビとはあついものなり」と記されていました。実験放送のメンバーは、灼熱地獄の下で、熱い気持ちを胸に、テレビという未知の世界に挑み続けました。
- 後に「昭和の名司会者」と呼ばれた宮田輝アナウンサー。自宅にはテレビ初期の台本など当時の資料が残されていました。宮田アナはテレビ実験放送の頃から参加して、今では笑えるような失敗も数多く重ねました。その経験を生かして「のど自慢」や「紅白歌合戦」などを人気番組に育てました。「紅白歌合戦」の司会は十五回に及び、テレビ史上最高視聴率となる81.4%の記録も打ち立てました。
- 急に決まったテレビ本放送開始まで準備期間はわずか半年。テレビ実験班は放送会館屋上に仮設ニューススタジオを作りました。初期のニュースはボードの文字や写真を紙芝居のように映す「パターンニュース」。照明が熱くて下着姿のスタッフが、ニュースの読みに合わせパターンを1枚ずつ落としました。落としすぎて裸が映る失敗も。アナウンサーが顔出しでニュースを読むようになったのはずっと後のことでした。
- 宮田輝アナウンサーのメモの言葉「客席のいい顔こそ主役」。スタジオMCの太田光さんは、この発見がその後のテレビのあり方を決めたと語ります。テレビ初期の現場を再現したスタジオで、テレビ女優第1号の黒柳徹子さんら草創期を知るゲストから、太田さんや指原莉乃さんが当時の秘話を聞き出します。テレビプロデューサー佐久間宣行さんは「テレビは元気がないと言われる今こそ、あの頃のハチャメチャな熱さが必要」と語ります。
「テレビとはあついものなり 〜放送70年 TV創世記〜」
初回放送日: 2023年3月21日
テレビ本放送開始から70年。初期の現場は強い照明で灼(しゃく)熱地獄。出演者の髪は燃え刺身は煮魚に。当時「テレビ行きは左遷」と敬遠され、集まったのははみ出し者ばかり。悪戦苦闘の連続で突然セットが倒れても生放送を続け収拾がつかないと「終」を出して強引に番組を終えた。だがゼロからモノ作りに挑む「あつさ」は観客を包む一体感を生み、草創期を支えた宮田輝アナウンサーらは「客席こそテレビの主役」と発見していく