今年10月に現役を引退したスピードスケート五輪金メダリストの小平奈緒さん。引退会見では「目標は順位や記録。でもそれは手段にすぎなくて、目的には必ず唯一無二の自己表現があった。」と語りました。氷上の哲学者とも評される小平さん、競技人生とこれからについて、すてきな言葉をたくさん残してくれました。(2022年12月25日放送)
追い求めた“自己表現”
豊原キャスター:「順位や記録よりも自己表現」という言葉に込めた思いとは?
小平さん:スピードスケートは記録を競う競技ですが、最後に行き着いたのが、唯一無二の自己表現という目的でした。
村上茉愛さん:私も自己表現というものを目指して来ましたが、体操の中の表現というのは、体や指先をどこまでどう美しく見せるかということでした。スピードスケートは体操と違って採点競技でなくタイムを競う競技ですが、その中で自己表現というのはどういったものでしょうか?
小平さん:私は生き方を氷の上に乗せたいという思いが強かったので、それをスケート選手としてラストレースで氷に乗せられたのは本当に宝物になりました。
豊原キャスター:培ってきたものをパフォーマンスとして出すことが自己表現であり、そこに人生観や取り組み方が現れるということですか?
小平さん:そうですね。パフォーマンスに乗せることもそうですけど、実は表現を磨いているようで、表現者として磨かれているというところに気付けたのがよかったのかなと思っています。
これまでの競技人生 挑み続けた五輪の舞台
3歳でスケートを始め、11歳の時に地元長野でオリンピックが開かれました。このときのスピードスケート男子500m清水宏保さんの滑りが原点となりました。
小平さん:清水選手が金メダルを獲得して、会場全体がもう感動に包まれたあの光景を見てオリンピックを目指そうと思いました。
2010年バンクーバー大会に23歳でオリンピック初出場。2014年ソチ大会では世界の高い壁にはね返されました。そして3回目の出場となった2018年ピョンチャン大会でオリンピック記録を更新し金メダルを獲得しました。
中川キャスター:敗れた韓国のイ・サンファ選手とのシーン。心に残っている方も多いと思いますが、小平さんがこのとき伝えたかったのはどんなことですか?
小平さん:サンファ選手もケガを抱えていたのですが、韓国語でここまでよくやったよという「チャレッソ」という言葉を彼女に伝えました。
中川キャスター:順位や勝敗を越えて分かり合えるものがあったということですね。
小平さん:ライバルって比較されるものと見られがちですけど、本当にお互いを高めてこられた最高の親友でした。
レース後、小平さんはこんな言葉を残しました。
小平さん 「金メダルやいい記録を出したことが究極の滑りかというと多分そうではなくて。また新しい景色を見に行きたいなっていう思いはあります。」
そして今年2月の北京大会。直前に右足首を痛め、力が入らない中で臨んだ500メートル。結果は17位、これが最後のオリンピックとなりました。
北京大会レース後にはこう話しました。
小平さん 「成し遂げることはできなかったんですけど、しっかりと自分なりに、やり遂げることはできたのかなと思っています。」
豊原キャスター:言葉のひとつひとつが刺さってきますが、小平さんの競技人生を振り返ってみると、山あり谷ありだったのかなと思います。改めてオリンピックで一番学んだことはどんなことでしょう?
小平さん:本当にたくさんの経験をさせていただいたんですけど、一番はどんな結果であっても、“私が私で戦えた”というところが、この4回のオリンピックで経験した一番の学びだったんじゃないかなと思います。
豊原キャスター:最初から、その考えが自身の中にあったのか、あるいはどこかのタイミングで目的がはっきりと「自己表現」という形に変わっていったのか。その辺りいかがですか?
小平さん:ソチオリンピックを終えてピョンチャンオリンピックに向かうまでの中で、かなり連勝が続いたんですけど、その時に勝つことだけが人の価値を決めることじゃないという事に薄々気が付くことができて。自分が表現を磨いていこうという境地に立てたので、そこから段々変わっていきました。
豊原キャスター:オリンピックを経るごとにということですね。
小平さん:そうですね。「私とは何か」ということをすごく考えました。
髙木美帆選手が語る 先輩小平奈緒
小平さんの背中を後輩のスケーターたちはどう見て来たのか。長い間共に戦ってきた髙木美帆選手に話を聞きました。
髙木美帆選手 中学3年生の時、オリンピック選考会の1500mで優勝した時に「良かったレース忘れないようにね」という言葉をかけてもらったのをすごく覚えています。多分私がそれを言うには、すごく考えて考えて、結局言えないことが多いと思うんですけど。奈緒さんはそういう時にさらっと声かけてくれる。それで世界で戦っている人から認めてもらえたと思えた。あと感性はユニークだなって思います。(笑) トレーニング用の自転車に名前をつけていました。その発想はなかなか出ないんじゃないですか。
村上茉愛さん:自転車に名前つけたのは本当ですか?
小平さん:本当です。ファンの方からいろんな名前を募集して、最終的に「ニコマル」という名前にしました。
中川キャスター:名前をつけたくなるんですか?
小平さん:そうですね。自分が愛着を持ってトレーニングするものなので、相棒だと思って乗っていました。
豊原キャスター:ユニークな紹介をしてくれましたけど、髙木選手自身もすごく考えている選手だと思いますが、小平さんにとってはどんな存在でしたか?
小平さん:彼女は早くから芽が出てきて、いろんな人に注目されてきたと思うんですけど、彼女なりに考えて乗り越えてきた道があるので。これからまだまだ面白い世界を私たちに見せてくれるんじゃないかなと思っています。
引退後 新たな一歩へ
引退して2か月、小平さんは新たな道を歩み始めています。先月、小平さんは所属先の相澤病院に身を置きながら、母校である信州大学の特任教授に就任。今は講演活動をしながら来月から始まる授業の準備中で、スピードスケートというジャンルを越えて「キャリア形成」や「健康科学」について教える予定です。
村上さん:私は体操しかやってこなかったこともあって、いろいろなことに関心を持つ姿がすごいなと思うのですが、そういったモチベーションやエネルギーはどこから来るんですか?
小平さん:昔から「知るを楽しむ」ということが私の軸にあって、そういったことがいろんな人と関わり合いながら学びを育てていくところにつながっているんじゃないかなと思います。
豊原キャスター:引退会見では「学生たちに国や文化などの違いを分かり合うことの大切さも伝えたい」と話していましたが、これはどういった思いからですか?
小平さん:私自身2年間オランダに留学していたことがあるんですけど、その時に文化や価値観、考え方の違い、ものの見方の違いに触れて、最初は違うことに自分の中で嫌悪感を抱いたりしてしまうこともあって。でも違うことはそれぞれにいいところがある事を受け入れることができて。違うということ自体はすごく価値のあることなんだなということを感じ取ってきたので、そういった世界を学生たちと一緒に見て、学んでいきたいなと思っています。
豊原キャスター:オリンピックやオランダ留学など広い世界で戦ってきたからこその気付きということでしょうか?
小平さん:そうですね。学校、家庭、職場などで見ている枠とは違う部分でいろんな素敵な世界があるので。そういったことを学生に伝えていきたいなと思っています。
豊原キャスター:貴重な授業になりそうですよね。
中川キャスター:セカンドキャリアへと踏み出す小平さんに、オリンピックを目指すきっかけをくれた、大先輩の清水宏保さんからアドバイスをいただいています。12年前、36歳で現役を引退した清水宏保さん。現在地元北海道で高齢者向けのリハビリ施設を運営しています。
清水宏保さん 地域に貢献していくこと、社会貢献していくことが大事なのかな。地域の中で根付きながらやっていけば、それは継続性が出てくるのかなと。今すぐ1年2年で形にしようと思わずに、4年5年、さらに10年かけて形にしていけば多少遠回りしても、みんな黙って見守ってくれると思うので。肩の力抜いてやっていってもらいたい。
豊原キャスター:大先輩のお言葉ですが何かに取り組むときは肩の力が入りますか?
小平さん:一生懸命になってしまうところがあるので、宏保さんの言葉を聞いて、時間をかけてしっかりと自分の形にしたいことをじっくりやっていきたいなと思いました。
豊原キャスター:小平さんも地元の長野には貢献したいと常々話されていますが、その辺りの思いはいかがですか?
小平さん:信州で育って信州で沢山の方に応援をいただいてきたので、そういった意味で本当に恩返しできる時間をこれから増やしていきたいなと思っています。
中川キャスター:清水さんの話の中に5年10年かけて形にという言葉もありましたが、小平さんはこのあと長期的なスパンでどんなことを成し遂げていきたいと考えていますか?
小平さん:まだ具体的なイメージやビジョンが明確にはなっていないんですけど。私自身も自分の生まれ持った体を上手に使うということでスポーツを楽しんできたので、今度は自分がやって来た体の使い方や考え方とかを、いろんな人と共有しながら学びに変えていきたいなと思っています。
豊原キャスター:小平さんも実践されてきた「知るを楽しむ」こと、記録や結果ではなく、練習や試合は自己表現なんだという考え方を子どもたちも広く持つことができたら、またスポーツの価値や取り組む深みが増すのではないかなとすごく感じたのですがその辺りの思いはどうでしょう?
小平さん:記録や結果というのは確かに自分の目的を果たすために必要なものです。それはエネルギーになり、金メダルを目指すことや世界記録を目指すということはとても大事だと思うので。その先に自分の思い描く生き方を皆さんが持っていただくことが大事なんじゃないかなと思います。
これからの人生の夢は
そんな小平さんの姿が1人のアスリートの背中を押しました。スキーアルペンの日本の第一人者としてオリンピックに4大会出場し8年前に競技から引退した佐々木明選手です。41歳になる今シーズン、突如競技への復帰を決めたのです。
佐々木明選手:奈緒ちゃん、久しぶりです。奈緒ちゃんにはすごく大きく影響を僕は受けました。北京大会ではメダルを確かに取れなかったかもしれないけど、奈緒ちゃんはピョンチャン大会でメダルをとった時となんにも変わらない対応をした。すごくまっすぐで、すごく人間力にあふれた対応だったと思います。奈緒ちゃんの対応をみて、僕の今の生活このままでいいのだろうかとか、僕はこういう人間になりたいんじゃないかとか、すごく考えるきっかけを与えてくれて。すごい力をもらいました。こういう気持ちに駆り立ててくれて、また世界一を目指すきっかけを与えてくれた大きな存在です、本当にありがとう。
豊原キャスター:今の佐々木選手の言葉を聞いていかがですか?
小平さん: 1度辞めてまた競技に復帰するのは相当な覚悟だと思うんですよ。でも自分の中でしっかり覚悟を持って、チャレンジするという情熱をもう1度湧き上がらせるというのは、もう本当に考えられないですね、すごいです。
豊原キャスター:そのきっかけを作ったのが小平さんということで。
小平さん:本当にいろんな場面を、いろんな姿勢を見てそう思って下さったということで。私もこれからの佐々木選手を応援していきたいなと思っています。
中川キャスター:佐々木選手は現役復帰されますが、小平さんはどうでしょう?
小平さん:ありません!(笑)まだ終わったばかりなので、はじまりを楽しんでいるときです。
中川キャスター:小平さんのこれからの人生の夢を教えていただけますか?
小平さん:引き続き新しいフィールドで唯一無二の自己表現を追求していきたいなと思っています。