渡部暁斗が目指す 育児と競技の両立

NHK
2022年12月23日 午前11:59 公開

ノルディック複合で20年近く第一線で活躍し続ける、渡部暁斗選手34歳。北京オリンピックでは、個人と団体で銅メダルを獲得しました。自らをマシーンと呼び、競技に邁進。そんな渡部選手が大会後大きな決断を下しました。育児と競技の両立です。今回は自身も2児の母でパラアスリートの谷真海さんと渡部選手が、育児と競技の両立について語り合いました。(2022年12月11日放送)

谷真海さん、育児をしながら自宅でトレーニング

谷さん:私も8月に第2子を出産し、子育てをしながらパラトライアスロンができる体作りのために、日々悪戦苦闘しています。キング・オブ・スキーとパパの両立をどの様に図ろうとしているのか、渡部選手に話を聞いてきました。

渡部暁斗選手と谷真海さん

谷さん:育児と競技を両立する決意をされたということで、その決意に至ったきっかけはありますか。

渡部選手:シーズンが始まると5か月家を空けたりすることがあって、子どもといる時間を大切にしたいなと思ったので。

谷さん:そういうご自身の心境は予想していましたか。

渡部選手:予想していなかったですね。子どもが生まれたとしても、自分は今までのように競技に集中していくイメージをしていたんですけど、ガラッと人柄が変わってしまったような感じ。

谷さん:すごい。でも人間らしい。

渡部選手:残念ではあったんですけど。確固たる自分みたいなものを積み上げてきたのが一気に崩れて、そもそも寂しいと思っている自分自身が「なんだこいつ」みたいな。女々しいなと思いつつも、でも寂しいみたいな。

渡部暁斗選手の育児

長男が生まれたのは2020年。今年の北京オリンピックまでは寂しいという気持ちを押し殺して競技に集中しましたが、今年5月に次男が生まれると、もう気持ちを抑えることができませんでした。元スキー選手である妻の由梨恵さんと話し合い、育児と家事を分担することにしました。

ある一日のルーティン

朝5時半、渡部選手の一日は朝食作りから始まります。8時半に長男を保育園へ。9時からは3時間ほどランニングなどのトレーニング。昼食を挟んで、14時からは夕食の下ごしらえ。そうこうしているうちにお迎え。公園で遊んでから家に帰ります。渡部選手、すごく頑張っています。

渡部暁斗選手、自宅で育児

とはいえ、アスリートとしてオリンピックの金メダルやワールドカップの総合優勝という目標を引き下げるつもりはありません。

渡部選手:やっぱり目標自体は変わらないので、登る山は変わらなくてただ登り方が違うだけ。子どもがいようがいなかろうが、目指す場所は同じです。やり方をちょっと工夫しながらやれば、できないことはないんじゃないかなと思いながらやっています。

谷さん:私の場合は、トレーニングを積み上げていっても育児でリカバリーの時間がとれず、追いつかなくて故障してしまうこともよくあったのですが、その辺りはいかがですか。

渡部選手:それは正直なところありますね。やっぱり疲労が溜まっているなっていう。もちろん年齢というのもありますし、溜まりやすくなってきている上に育児のリズムになってくるので。

疲れを溜め込んだ渡部選手。由梨恵さんからのひと言で分担の見直しも行いました。

渡部選手:そんなに働かなくてもいいと。そういう事を求めているのではなくて、もっと子どものことを見てあげてほしいみたいな。普段もトレーニングして帰ってきて、夜ちゃんと子どもとの時間を取るとか、そういうことが育児なんだろうなと。

今では、限られた練習時間をより有効に使う習慣が身に付いてきたといいます。

自宅でもトレーニングに励む渡部暁斗選手

渡部選手:空いた時間の使い方とかできるだけ短い昼寝の取り方を工夫するとか、隙あらば硬いところをほぐすみたいな。より効率よくしようとした時に、自分のトレーニングの内容がすごく見直せているんですよね。育児の疲れが新しいひらめきにつながっているところはあったりするので、こういう経験も必要だったのかなと。

谷さん:生き方を大きく変えた渡部選手。今ご自身を色で例えると、どんな色でしょう。

渡部選手:色?あるんですよ最近!グレーです。今新しいヘルメットをカラーリングしていて、それがグレーなんですよね。なぜグレーかというと、今まで白黒はっきりつけて競技とか人生に対して向き合ってきたものが混ざって、その中で葛藤があるというのが人間らしさでもあるし。子どもが生まれて自分にかけていた変なプレッシャーからも解放されて、ようやく人間らしくなった渡部暁斗の色を表現するならグレーかな。

渡部暁斗選手の新しいヘルメット

渡部選手:育児をしながらでもちゃんと同じ結果が出せることを示すことがある意味自分にとっての挑戦でもあるので、そこはやっぱり外せない。そこだけは譲れないっていう信念は持っていたいなと思っています。