髙木美帆×山縣亮太 五輪主将どうしが語る【後編】

NHK
2022年12月27日 午後9:15 公開

 前編では、東京オリンピック・パラリンピックをめぐる汚職事件が相次ぐ中で、オリンピックやスポーツがもつ価値について率直に言葉を交わした2人。 後編では、それぞれに思い描くアスリートしての今後のキャリアについて語り合いました。  

髙木美帆 ”新たな体制での葛藤とは?”

髙木選手はことし6月、日本スケート連盟のナショナルチームを離れて個人で活動することを表明。北京オリンピックまで指導を受けてきたヨハン・デ・ヴィット 氏をコーチに迎えて新たなスタートを切りました。そこで感じていることとは?

山縣選手
僕、記事で見ましたよ。ナショナルチームじゃなくてコーチと今やっているんですよね。

髙木選手
はい。そもそも北京オリンピックが終わった後に、スケートを続けようかどうしようか、1回ちゃんと考えたんですけど。スケート好きだな、やりたいなと思って、去年までナショナルチームに付いていたコーチとやりたいなというのが出てきて。でも任期満了で契約が更新されなかったので、私がナショナルチームを出る選択肢しかなくて、オリンピックが終わったタイミングだし、ちょっとチャレンジしてみようと踏み出したんですけど。なかなか毎日刺激的な。

山縣選手
今、基本的には2人で動いていますか?

髙木選手2人だけではないですね。スタッフがほかに何人かいて、選手は私しかタイミング的にもいなかったので、どっちかというとできれば選手も増やしていきたいと思っているのですが。スピードスケートって1人だと練習できないことが多くて。やっている方もいるんですけど。

山縣選手けっこうきついメニューが多いということですか?

髙木選手そうです。長距離のメニューも入ってくるので。

山縣選手髙木さん、けっこう長いのもやっていますよね。短いのから長いのから。

髙木選手はい。選手もいてくれたらと思いますし。ただチームを作るのは、今までコーチとかが集まってチームになることはあってもゼロからというんですかね、チームを作るということの前例があまりなかったので私自身もどうなっていくのかなというところはあるんですけど。その中で山縣さんがそもそもコーチを付けないという選択をしているというのを知らなかったんですけど、聞いて『なんて自分を管理できる人なんだ』と思ったんです。

山縣選手
管理できなくなった結果、去年からコーチを付けているんですけど。

髙木選手そうなんですね。すみません、調査不足で。

山縣選手
チームの大切さみたいな、もう1人でできる領域の世界の話じゃなくなってきて。100メートルで言えば9秒台に入って、さらにもう一個先の世界へとなると、もちろん自分の考えとか感覚はすごく大事にしつつも、1人の感性だけでこなしていくことは当然できないレベルになってきたなという実感があって。いろいろなサポートを会社とかにしてもらいながらやっているというのが現状です。

山縣選手髙木さんもオリンピックでメダルを取ってものすごい高みに行ったという、その状況でさらに記録やもちろんメダルもだと思うんですけど目指していく。スケートを追求したいというところで今やっているんですよね。

髙木選手そうですね。

山縣選手自分もずっとコーチを付けずにやってきて、知識量や知識の引き出しというのが、もちろん時間をかけて勉強してきたわけではないから限界を感じました。今コーチを付けて、スプリントコーチだけじゃなくて理学療法士や体の仕組みに詳しい人を付けて、チームとして横の連携でやって、まだチーム歴は浅いので結果は出ていないんですけど、日々の練習でも手応えをすごく感じてできているというところで。ふと自分も陸上界のことを、僕もあまり適当なことは言えないのですが、そもそも体に対する理解度というのが選手はものすごく浅い人が多いというのは過去の自分を振り返っても思うし。でもそんな人が日本一になっちゃうという全体のレベルの問題みたいなものもありつつ。もっともっとレベルを上げていくにはもっといろんなことを考えなきゃいけないんじゃないかな。

髙木選手考える先ってめちゃめちゃ多いですよね、分野とか。

山縣選手無限といってもいいぐらいありますよね。髙木さんのチームは選手を中心にしてコーチがいて、例えば栄養士とか理学療法士とか構想みたいなものはあるんですか。こういう人を付けたいみたいな。

髙木選手
そうですね。選手がいてコーチがいて、あと、理学療法士になるのかな。マニュアルセラピストになるのかな。体のケア全般を管理する人。情報がそこに集まってくる人が1人いて、チームをマネジメントする人もいて栄養士がいて、というふうに作っていきたいというのはありますね。でも増えれば増えるほどやっぱりコストというものが。

山縣選手お金がかかりますからね。ほんとそうなんですよ。そこだなみたいな。お金がいくらあっても足りないみたいな。

髙木選手
ナショナルチームはそこができたんですよね。

山縣選手それは強いですよね。ナショナルチームというものがしっかりあれば、付けられる人が増えますしね。難しいですよね、お金まわりって。アスリートが真ん中にいつつも、専門的な人たちが横の連携をしっかり取ってやっていけるというのが、チームとしては理想的だなと思いながら。

髙木選手チームをつくる上でそういう理想があったり構想があったりという中心って山縣さんですか。

山縣選手
そうですね。アスリートが中心になっていろいろ周りの人が世話を焼いてくれているなという、そう信じています。そこにマネジャーがいますけど。そうじゃないんですか?

髙木選手競技をやる上でアスリートが中心にいるなと思うんですけど、どうも私はずっと競技だけをしていたいんだけどなって思っちゃったりするんですよね。

山縣選手
競技だけをしていないんですか。競技以外のこともしているんですか。

髙木選手こういうチームにしていくための努力みたいな感じですかね。

山縣選手自分たちはそのあたり、マネジャーがけっこう頑張ってくれていると思います。僕がイメージしているチームというのは、いろいろな専門的なスタッフが横の連携を取って、それをアスリートを含めたコミュニケーションで、最後に選手はパフォーマンスにつなげていくという。パフォーマンスを出すためのチームとして考えています。やっぱりどうやったら自分の足がもっと速くなるかということが頭の8割くらいを占めているんですよ。そうなってくると、コーチを付けずに自分で何とかするということも一定の価値はあるけど限界もあると思った時に、自分の感性を刺激してくれる人、コーチがいたり理学療法士がいたり、そういう人がやっぱりほしいと思うんですよね。しかも同時にスタッフ同士の連携が取れていないと、ある人は筋トレをやれと言って、ある人はやるなと言うみたいな。そういう事態にもなりかねないから。

髙木選手人が増えると。そうですね。

山縣選手選手の悩みとかキャラクターとか選手の課題というのをチーム全体が共有しているという。目標、目的まで共有して、そういう状態になっていないと僕の足が速くならないというのはすごく思うので、一応自分の意志としてこういう環境を作りたいというのは頭にはいつもあって。

髙木選手ちょっと見習わなきゃなってすごく思ってます。

山縣亮太 手術を機に“体の使い方”を模索

山懸選手は去年10月、右ひざの手術を受け、ことし6月の日本選手権を欠場しました。今は2年後のパリオリンピック出場を目指し調整を続けています。体の使い方に課題を自覚しつつ、さらなる高みを目指しています。

山縣選手
僕は去年ひざの手術をして。なぜ手術したのかという話になると、もっと記録を出したいからというところで、けがをするのもやっぱり理由がある。僕の場合はもう右足ばかりにけがが集中するんです。競技をやって20年たちますが、20年間の体のくせとかそういうのが出始めているんですよ。

髙木選手
頭を抱えちゃうほどわかりますね。

山縣選手そうなんですよね。結局それが東京オリンピックが終わった後に爆発しました。手術をして、けがを治すというのは表面的にはできるんですけど、たぶん一番大事なものって体の使い方を変えること。自分のくせとか、左右差というのがすごくあるので、左右差をなくして体の使い方から変えることというのが僕のモチベーション。もっと記録を出したい、もっと競技とか体のことに詳しくなれるというのがあって。それがちゃんと克服できたら記録も出せる。僕はパリを目指しているんですけど、パリでも結果を出せるという思いで今やっていて、現状としては手術は無事に終わって1年たって、ことしは1回も試合に出なかったのですが、だいぶ動きも変わってきておおむね良好かなと。来年ぐらいからは試合に出られるんじゃないかという気持ちでいます。それが今の僕のひざの現状です。

コーナーでの体の使い方で議論白熱

髙木選手
私たちはもう、左右差しかないスポーツなので。コーナーを左回りするときに左足と右足の力、ストレートは同じなんですけどコーナーの使い方がまったく、特に左足はストレートのときは外側に動く動きをするんですけど、コーナーは逆に内側に動く動きをするという両極端な動きをするので、年々関節に痛みが。私も23年、競技を始めてからなるんですけど。

山縣選手
じゃあずっと、あの左回りのトラックを何周も何周も。スケート選手ってレース中にけがをすることはあるんですか。それともトレーニング中ですか、多いのは。

髙木選手
レース中はあまり聞かないですね。レース中は外傷が多いです。筋肉が切れるのも、スプリンターがスプリントトレーニングを陸上でしたときですね。だから氷上に乗っている間のバチンというのはあまりなくて。積み重なっている慢性疲労から来るものが多いのでけっこう厄介ですね、なっちゃうと。

山縣選手
すごく左右差があるという話。競技的にというか、コーナーで左右差があるみたいな話でしたけど、直線もけっこう滑らなきゃいけないじゃないですか。そういうときに左右差があって右と左の感覚があまりにも違うとパフォーマンスに影響したりしないですか?

髙木選手そうですね。きっと改善点としてさらに速くなる上で、うまく使えない方をうまく使える方ぐらいまで持っていければストレートでもっと速くなるという可能性は十分あるんじゃないかなとは思います。でもスピードスケートって立体的。前後左右、上下に動くので。上下に動こうとはしないんですけど結果的にそういう動きになるので、一概にどこまでが左右対称かというのも言えないところはあるなとは感じているんですけど。100メートルってまっすぐ走るじゃないですか。それでも左右差って出るんだなという。

山縣選手
めっちゃ出ますね。100メートルだけ走っていれば、もしかしたら出ないかもしれないですけど、練習で長い距離を走るんですよ。200とか300ってコーナーを曲がるので。僕はどうやってうまくコーナーを回るかという話をコーチとよくするのですが、スピードスケート選手の話がよく出てきます。

髙木選手
本当ですか?

山縣選手
はい。きょうもコーチに『コーナリングについて聞いてこい』って。何を意識しているのか、答えてくれたらうれしいですけど。ものすごく振られるわけじゃないですか、外に。それをどうやって振られないようにしているのか。僕らは内傾をかけちゃうと痛くなるんですよ、足が。関節が痛くなるから。スピードスケート選手って関節が痛くなったりしないんですか。

髙木選手
します。私たちは何を意識しているんだろう。まず姿勢からして独特なので。こんなに低い、こんなに丸まっていないじゃないですか、日常生活。曲がっているので股関節がめちゃめちゃきついんですけど。カーブしているときも横移動って発生しているんですよ、前に進んでるんですけど。右から左に行くときも、前には進みつつも体は横に運ばれていくんですよね。それができないとブレードが後ろに逃げていくだけで力が伝わらない。

山縣選手
横に押している感じ?

髙木選手大げさに言うと。

山縣選手それコーチに言われました。股関節の使い方が、お前は使えていないと。だから、もっとちゃんとスケート選手のステップみたいに使えって言われていて。

髙木選手面白いな、それは。

山縣選手ちょっと極端に言えばこうやって横に押すみたいな。股関節の回旋する力を使ってやれみたいな指導を受けているんです。

髙木選手私たちが意識しているのは、足をクロスするのですが骨盤が回らないようには意識しますね。ここの横のラインは一定で動いていけるようにというのは意識するかな。骨盤がクロスして回旋しちゃうと全部逃げちゃうので、ためができないんですよね。こっちも。ここは真っ直ぐのまま。でも横に移動しつつというすごくきついところで動くんですけど。何かつながるかな。

山縣選手
コーチにそのまま伝えておきます。そう言ってましたって。

髙木選手股関節の使い方か。ここは左右差が出るんですけど、右は内側に乗っているんです。左は外側に乗っているんですよ、股関節では。

山縣選手左は外に乗っているんですね。

髙木選手バンクは角度がつくのでそれもあると思うんですけど、骨盤があって足が入っていたらここに左右差が出ちゃう。日常的に出ちゃうんですけど、どう表現したらいいんだろう。外にいるのが左で、右は内側で。

山縣選手じゃあ、右の方は股関節がはまりやすい。左はかぽっと外れちゃうみたいな。

髙木選手外れるほどヤワな筋肉にはなっていないと思うんですけど。

山縣選手
そうですね。失礼しました。僕も実は左右差があって、はまりやすい方とはまりにくい方。僕は左がすぽっとはまるんですけど、右が外れているというか、外に逃げちゃうというか。それがけっこう右足のトラブルを起こしていると言われていて。

髙木選手今ふと思ったのですが、左右差が出やすいからこそ私はけっこう体をいったん整えることは意識していて、どこか無理しないと動けないような硬さを残したりしないようにトレーナーとコミュニケーションを取りながら、なるべくニュートラルにするようにした上でトレーニングやレースに行くというのは心がけているなと。

山縣選手ケアとかマッサージ、ストレッチというのにものすごい時間を割いている?

髙木選手そうですね。主にたぶんケアになると思うんですけど。

山縣選手ちなみにどんなケアしているのですか。自分はけっこう針とか好きでよくやるんですけど。

髙木選手
私は、なんて言うんですかね。指圧なんですけど。イメージ的には筋が一個一個ちゃんと動くようにする感じ。腱を緩めるとかじゃなくて。なんかこれ、この中ではしゃべりきれない話なので、また後日。

山縣選手
すごくこだわりを感じる。

髙木選手どっちかというと、姉さんがそのあたり詳しいんです。私はイメージしたのがそのまま使える体にしたいという感じです。

山縣選手それを受けることによって、もうほぼイメージどおりのニュートラルな体の状態になりますか?

髙木選手私たちは氷の上なんですけど、陸上で下準備をして氷上に行くというような感じですね。氷上では、あまり深くこうして何をしてというよりは、イメージだけでサーッと進んでいくみたいな。氷上ではあまり考えないようにしています。

山縣選手自分もトラックではあまり考えずに、室内のジムにいるときにいろいろ考えるようにします。

髙木美帆 “まだまだ速くなれる”

山縣選手
今は世界記録を狙っているんですか?

髙木選手そこまで私がスケートを『じゃあやろうか』と思ったときの理由はあまり探しにはいっていないんです。ピョンチャンオリンピック(2018年)が終わったあとはあまりスケートを続けることに前向きな気持ちを持てなくて、けっこう苦しい時期があったんですけど。スケートの練習もしんどいという期間が多かったりしましたが、今はスケートをするということ自体にポジティブな、なんか楽しめそうと思うというのがあったので、それが最初のきっかけだったんですよね。やっているとやっぱり、できなくなるというのも面白くないし、あの速くなっているという感覚とか、闘うワクワク感を、何て言うんですかね。

山縣選手自然と追求しちゃうような。

髙木選手昔ほど考えずに求めにいっているような感じなんですかね。今は具体的にこれを目指しているというよりは、自分が想像したときにワクワクするような目標に向かっていきたいなと思ってるという感じです。

山縣選手オリンピックで金メダルを取って、記録といったらどこまで追求するかわからないですけど、何をしたらワクワクするんですか。

髙木選手
私は種目数が多いので、まだコンプリートというか未完成な種目があったり、それを追求するのもきっと面白いと思いますし。レコードも単種目だけじゃなくて4種目の合計のがあったりユニークなものがあるんですけど、そういうものも単純にワクワクするゴールとしてはありますね。ほかにまだ速くなれる、速くなりたいと思えるものがあるというのが大きいかもしれないですね。

30歳と28歳 それぞれが抱く将来の展望とは?

山縣選手
僕、たぶん知識とか技術だけあっても体が老化してしまえば速くは走れなくなる瞬間が来ると思うので、記録が出なくなるところまでという言い方になるんですかね。これからもっと知識も増えるし知識的には進化していくと思うんですけど、50歳になって走れるわけないので。9秒いくつで。

髙木選手道具も何もないスポーツだから。シンプルに自分の体じゃないですか。

山縣選手
難しい。だから、正直ゴール地点がどこかというのは、今明言するのも非常に難しくて。1つの目標として9秒8。アジア記録は9秒83なんですけど、出せる可能性はあると思って自分はそこを信じてやっているのでそこは目指しつつ、時間的にはパリの2024年。2025年には東京世界陸上が決まったので、そのあたりが一応限度かなと思ってはいます。

髙木選手
カウントダウンが始まっている感じがしますよね。

山縣選手
そこで結果を出す。ゴールをが決まっているほうが動けることもあると思うので。

初めての対談を終えて

――対談をしてどうでしたか?

髙木選手表現が難しいですけど『そこまで考えるんだな』というところまで考えられる人なんだなというのは感じましたね。私はわりと周りから『心配しすぎなところまで考えてしまったりするよね』と言われるのですが私の上をいくのではないかと。そんなに考えなくてもいいですよって言っちゃうんじゃないかと思ったので。ちょっと似たところを見つけられたような感じはしましたね。コーチを付けたと知らなかったので聞いたときにすごいなと思ったのは、今まで自分が信じてきたやり方があるじゃないですか。それを自分が速くなるために必要なことであれば、コーチと共存するという選択肢も選べるんだなと思って。本当に自分が速くなるためにというのが、選択肢のおおもとなんだなというのを感じましたね。こだわりって変えることが難しい人もいるじゃないですか。面白いなというのを感じました。

――新体制で活動されている今、刺激になりましたか?

髙木選手
そうですね。山縣さんの中では、こうしたいというのがはっきりとあるんだなと。これが必要というのがあって、そのためにどうするかというので、動かれているんだろうなと感じたので。私はどちらかというともっとざっくり、例えばヨハンとやりたい、自分の気持ちが盛り上がるようなところにまだ向かっていきたいと思うことはあっても、ちょっと受動的なところがあるからもっと能動的に。アスリートがいてスタッフがいるという話になりましたが、アスリートでありつつもここにいる必要もあるんだろうな、チームアップをするにはということも感じたので、そこに労力をかけることを惜しまないでいこう、いかなければいけないんだと感じましたね。

――競技をやるために?

髙木選手
はい。山縣さんは無意識だと思いますが、何が必要とか言えないじゃないですか。こういう考えでやりたいとかもコミュニケーションをとるのですが、そもそもナショナルにいる期間が長かったので、全部整っている中にいてあとはどう自分で工夫するかから、自分がいてそこに引き寄せていくイメージですかね。私が何か強く持つことによって、生まれてくるものもあるのかなと。頑張ろうって思っています。

――今後のビジョンについては刺激になりましたか?

髙木選手

年齢を重ねていくとアスリートの同期が減っていくこともあると思うんですよね。1994年生まれはけっこういるなと思ったんですけど、同志じゃないですけど勝手に仲間意識みたいな、一緒に戦う時間のリミットがあるというのを認識したうえで戦っていく同志みたいなのを勝手に認定しました。たぶん私たちがタイム競技で体の衰えでカバーしきれないところが必ず出てくる、1人でやるしかないところは通じるものがあると。タイムリミットも、まだスピードスケートはブレードとかを通すので工夫のしがいは陸上よりあるかもしれませんが、そういうところは似ているところがあるんだなと思いました。オリンピックというより自己追求みたいな、(オリンピック)だけではないなというのも感じましたね。自己追求だけでもない。自己追求だけだと、そんなモチベーション続かないですよ。

――オリンピックに特別なものはありますか?

髙木選手

スケートを続ける意味に対してオリンピックはあまり関与していないのは事実ですが、オリンピックでしか味わえないものも自分の中でとても重要だったなと思うので難しいですね。そことはまた別に自分の更新したいものを更新していくのかなと思いました。今は、あの北京の姿のままで絶対続けなければいけないと思っているわけではないかもしれないです。スケートをやっているといろいろな気づきがあっていろいろな人としゃべって、自分は長くやっているから自分の変化を感じて、こういう変化を遂げるんだと感じるのも楽しいですし。となると、終わりどきって、どうなるんですかね。でも、惰性では続けたくないと思います。ほかにやることが見つけられないからスケートみたいな選択も嫌なので。

――髙木選手の印象は。

山縣選手

もっとクールな印象が勝手にあったのですが、すごくいろいろ話ができてよかったです。いろいろ聞けたし、でも落ち着いた雰囲気は健在でした。

――対談を終えてみていかがですか。

山縣選手

髙木さんもいろいろ悩んでいろいろなことを考えて、当然ですがアスリートとしてもオリンピック主将としても、すごく考えてやってきたんだなというのを感じました。

――印象に残ったことは?

山縣選手これは僕がそう考えていたことでもありますが、スポーツや体を動かすことに対して人は少なからず根本的な欲求を持っているという話を聞けたのは、『ああ、髙木さんもやっぱそう思う?』みたいな感じがあってうれしかったですね。

――今後にどう生かしたいですか?

山縣選手

競技者としては、コーナーの体の使い方や体のケアの話や技術的な部分であったり、直接競技に関わってくることもあるし、僕も残りオリンピックまでの2年間というところで、さらに自分の記録を出すためにきょうもらったアドバイスや話をしっかり生かしていきたいという思いはあります。競技を超えたその先のスポーツの持っている可能性について話ができたので、自分のアスリートが終わったあとのキャリアのこととか、もっと考えていきたいと思いました。

――素敵だなとか、感心したことは。

山縣選手
髙木さんから一番アスリートだなと思った瞬間は、やっぱり競技、体の使い方の話や体のケアに関しても、多くは語らなかったですがものすごくこだわりを感じたので、アスリートとして高みにのぼった方は違うなという片鱗を見ました。