「侍ジャパンシリーズ2022」が11月6日東京ドームで行われました。試合前の始球式、マウンドに上がったのは巨人と西武で活躍し今シーズン限りで引退した内海哲也さんです。来シーズンから西武のファーム投手コーチに就任します。今回は2004年から2008年と、2018年の6年間を共にした巨人時代の先輩・上原浩治さんと、内海さんが豪華対談!元巨人のエース同士、たっぷり語り合いました。(2022年11月6日放送)
引退の決断
内海さん:ちわ。
上原さん:えらい遠いとこから挨拶したね。すごいな、やっぱ後輩はランニングで来るんだ。
内海さん:いや、もうそんなゆっくりゆっくり歩けないです。
上原さん:西武で4年やって、どこで決めたの?引退を。
内海さん:シーズン始まるときに、もう今年が最後と決めて。
上原さん:それは(チームに)伝えてたの?
内海さん:いや伝えてないです。
上原さん:それは自分の中で?
内海さん:自分の中で今年が最後。若いピッチャーもどんどん出てきたし、もうここが潮時だなって思って。
上原さん:家族の反応はどうでした?
内海さん:もう号泣してました。大号泣です、よく泣くので。僕も含めて泣いてたんですけども。
上原さん:俺なんか「あっそう」で終わったからね。
内海さん:「あっそう」ですか?
上原さん:俺は日本にいて、家族はアメリカにいて、「ちょっとやめるわ」って言ったら、「いつ帰ってくんの?」みたいな感じ。
内海さん:電話切ってから泣いてますよ、絶対。
上原さん:いや。多分ないなあ。
2人が語る“エース像”
2004年、自由獲得枠で憧れだった巨人に入団した内海さん。その当時エースだったのが上原さんでした。7年連続で開幕投手を務め、さらに4年連続二桁勝利と圧倒的な数字も残していました。
内海さん:上原さんはスーパースターだったんで近寄りがたい。
上原さん:いやいや、それはないでしょ。
内海さん:僕が若い頃から上原さん見てきて、こういうエースになりたいと、ずっと今でも思っていて。(シーズンで)絶対負けられない試合ってあるじゃないですか。エースって言われる人は確実にそこに合わせて登板してきて、絶対負けない。そういう上原さんの姿を見てきたんで。
一方上原さんは、入団してきた内海さんに、心もとない印象を持ったといいます。
上原さん:最初1年目(内海さんを)見たときに大丈夫かなって正直思った。
内海さん:そうですね。
1年目は怪我もあり、3試合のみの登板。2年目は26試合に登板するも大きく負け越し。いきなり20勝をあげた上原さんとは真逆のスタートでした。苦しんだマウンド、さらにロッカールームでも。
内海さん:上原さん覚えているか分かんないですけど。上原さんが角っこにいて、その対面に桑田真澄さんがいて、横に工藤公康さん、端っこに清原和博さんと元木大介さん。その間に僕がいて、「怖っ」と思いながら。もう今でも覚えてます。
上原さん:ビビってた?
内海さん:ビビってました。もう怖かったです。スーパースターだらけで。
確かに強面揃い。上原さんはどうしていたかというと。
上原さん:でもそういうメンバーのとき、終わったら俺はなるべくロッカーにおらんようにしてたよ。
内海さん:ああ、そうですかね。
上原さん:うん。どっかに行ってた方が楽やったから。
そんな上原さんの処世術を学びながら、内海さんは多彩な変化球と制球力を磨き、自分なりのエース像を作り上げていきました。4年目には、怪我をした上原さんの代わりに開幕投手を務め、初めてのタイトルも獲得。一方、上原さんは抑えに配置転換。後ろを託された立場から、後輩の成長ぶりを感じていました。
上原さん:テツ(内海さん)はもう、ずっと1年間(ローテーションを守って)何年もやった。それこそが俺はもうエースだと思うし。1年間きちんとローテーションを崩さずに、4年5年続けて初めてエースって呼ばれるのかなというのが俺の中で考えがあるけどね。
内海さん:すばらしいですね。
上原さん:自分の中で一番良かった年は覚えてる?
内海さん:やっぱ最多勝を取った2010年、2011年。
上原さん:どっちがいい?
内海さん:2010年が良かったですね。
上原さん:2010年が良かった?
内海さん:はい。11かな?2011年、2012年でしたっけ?
(ディレクター:2011年、2012年です。)
内海さん:なので2011年です。
上原さん:その辺の記憶がないっていうのもすごいね。自分の成績に興味がない。
内海さん:そうなんですよ。もう何勝しているのかも、正直。
上原さん:分かってなかった?
内海さん:分かってないぐらい無頓着なので。
上原さん:2011年と言ってくれて良かったと思って。これを。
内海さん:いいんですか。ありがとうございます。
上原さん:よかった、2011年って言ってくれて。
内海さん:うわあ!
上原さん:ワインを持ってきて。ちょうど2011年のオーパス・ワンを。
内海さん:ありがとうございます。僕ワインのことは全然知らないですけど、オーパス・ワンだけは知ってるんですよ。ありがとうございます。
上原さん:これが2012年とか言ってたらあげてない。
内海さん:危なっ、危なっ!
上原さん:2011年と言ってくれたからあげてます。
内海さん:危なっ。いただきます。
西武への移籍「頭が真っ白になった」
2018年、大リーグに行っていた上原さんが10年ぶりに巨人に復帰。2人は再びチームメートになりました。
上原さん:俺が2018年に帰ってきたとき、いろいろテツに聞いたもんな。知ってるやつがお前しかほとんどおらんかった。
内海さん:ありがとうございます、聞いていただいて。
上原さん:懐かしいな、だから。
内海さん:懐かしいっす。
上原さん:(チームの)中心になってたのはもう完全にテツやったもんね。
内海さん: “こういうふうにこうしていけよ”って色々教えて頂いたのは覚えてます。
ところがそのシーズンオフ、内海さんは巨人がFAで獲得した選手の人的補償で西武へ。
上原さん:西武への移籍ね、これはびっくりした?
内海さん:びっくりしました。ちょっと頭が真っ白になった。その他のことはもう考えられなかったですね。来年も巨人で絶対結果残してやろうと思って、来年に向けてトレーニングやっていたので。頭真っ白で何も考えられなかったですね、言われたその当時は。
37歳になる大ベテランの移籍にも、西武は温かく迎え入れてくれる雰囲気があったといいます。
内海さん:すごいアットホームだったですね、西武自体が。言い方悪いとそういう選手がよく来る球団ということで、「もう僕ら慣れてるので大丈夫ですよ、好きにやってくださいよ」っていう感じで、すげえありがたいなと思いながら。
移籍後は、怪我や不振で2軍生活が続いた内海さん。選手として結果を残すことはできませんでしたが、若手を育てるという自分の役割を見つけました。
内海さん:若い子たちとコミュニケーションを取りながら、ちょっと(教えて)良くなると嬉しそうにしてくれる選手を見るとやりがいあるなと。
来シーズンからは、西武のファーム投手コーチとして、若手に自身の経験を伝えていきます。
内海さん:巨人はファームにおいても絶対勝たないといけないって教えられる球団。
上原さん:はい。
内海さん:一軍は西武ももちろん勝たないといけないですけど、西武の場合はとにかく育成というか、勝ち負けは置いといて、とにかく打席に立たせる、守らせる、投げさせるっていう、本当に育成に特化しているなと感じました。若い子にとってすばらしい環境がある、それは一番感じたことかもしれないです。
上原さん:若手選手でテツが注目している選手は?
内海さん:将来楽しみな選手いっぱいいるんですけど、渡邉勇太朗投手が楽しみですね。150キロぐらいのまっすぐで、スプリットもあって。エースになれるような逸材だと僕は思っています。
上原さん:夢や目標は持ってる?
内海さん: 19年間プロの世界でやらしてもらって、その経験とかやってきたことを、これからの後輩たちにしっかり受け継いで、上原さんのようなピッチャーを育てたいです。
上原さん:いやいや、そこは持ち上げなくても大丈夫だから。
内海さん:本当にそう思います。