解剖学者・養老孟司は、学生時代から60年近く、「生き物の形」について探求を続けている。自然科学を志したきっかけは、幼少期の体験にあるという。
養老が小学2年のときに終戦を迎えると、全ての価値観が一変し、大人たちは突然発言を変えたという。 “信じるもの”がなくなった養老は、生きものの中に真理を見出そうと考えた。
養老: 解剖が一番確かに思えたんですね。
太刀川:目に見えますもんね。
養老:解剖が確かなのではなくて、解剖をやっていると私の不安がなくなるんです。それで分かったんです。“自分が何を不安に思っているか”。
太刀川:何を不安に思ってたんですか?
養老:「何事も、いつ変わるか分かったもんじゃない」。それを懐疑派とか疑いとか言うんだけど、言葉で言えるもんじゃないですよ。“不安”なんだから。
太刀川:その不安の正体は “解剖的観察”で突き止められる?
養老:解剖をやってることで消えちゃった。こういうこと(解剖)をしていれば大丈夫だから。だって今、自分が見ている小さい世界って狂うわけないでしょう?他の人と連れてきて同じ物を見せても、多分同じに見えるだろうって。
太刀川:なるほど。自分一人で不安を抱えなくても証拠探しをすれば良い…違う?
養老:というか、作業そのものが不安に対する治療効果があるんですよ。
太刀川:それは面白いですね。
養老:(不安に対する“治療”が)必要だったんです。終戦というか敗戦という時期を通った子どもにはね。私の場合はまず、自分が安心するところを探すのが先じゃないかと思った。そういう状況だから、若い時は患者さんを診るどころじゃない。患者さんを診るためには、自分の方がしっかり安定している必要がありますよね。冗談じゃない、こっちがフラフラしているんじゃ。
太刀川:分断(された人々の)のつなぎ方として、観察があるように思う。世界のあったことをみんなで確認したんだから、そうすると相手とは「確かに見たね、僕らは」というところで繋がることができる気がします。
養老:非常によく分かります。だから解剖やるんですよ。「これ以外ないだろ、あんた見てみな」って。
太刀川:観察によって“確かさにつながる”ということを、人はどれぐらい理解しているでしょうね。
養老:意外に理解していないんじゃないかな。
2022/11/7 スイッチインタビュー「養老孟司×太刀川英輔」EP1より