球界の「若大将」こと、原辰徳。
現役時代は、ホームランバッターとしてチームを牽引。その後監督を16シーズン務め、現役監督としては最も多い勝利数1220を誇るスーパースターである。
原に大きな影響を与えたのが、高校野球の有名監督である父親の貢(みつぐ)。1965年、父が率いるチームが甲子園初出場にして、初優勝。このとき7歳の原は「野球ってこんなにも人を喜ばせる事が出来るんだ」と、感動したという。
その後、父親は名門東海大相模高校の監督に就任。野球少年になっていた原は高校進学にあたり、自ら父が率いるチームの門を叩いた。名監督の父と息子は「親子鷹」と呼ばれ、甲子園で大きな話題を呼んだ。
東海大学を経て、ドラフト1位で巨人に入団し、背番号8を背負って15年。ホームラン382本を放ち、名門巨人軍の顔として活躍した原は、1995年に現役を引退。引退から6年後、巨人の監督に就任し、父親と同じくチームを率いるリーダーの道を歩むことになった。
尾上:監督としてお父さまからいろんなことを学ばれたと思いますが、同じ監督になったときに、お父さまとの違いや同じと感じることはありますか。
原:僕は父を超えることができないでしょうけれども、僕が監督になった2002年、父が僕に一言アドバイスをくれました。
「辰徳、監督というのは、いろんな考え、悩みごとが起きる。ひとこと言っておくと、寝るときには寝ろ」って言われたんです。要するに、床に就いて、枕に頭を付けて考えごとをしたらダメだって言われたんですね。考えたいとき、考えなきゃいけないときはある。それならいすに座って、電気明るくして、そこで考えなさいと。
(それを聞いたときの)僕にはよく分からなかったけど、そういう状況が多々起きてくるわけです。もう、いろんな悪いことがあって考えるわけですよ。「ああそうだ、おやじさんが言ってたな」と思って、いすに座って電気つけて考える。でも、大したことを考えてないことに気付くんですよ。だから「寝なさい、寝るときは寝るんだよ」って。
結構長く監督をやっていますけど、今も(監督を)できているのは、その教えがすごく大きいですね。
尾上:確かに、床に就いたときに考え事をしちゃう。
原:考えごとって、いいことを考えないですよね。
尾上:考えないです。悪いほう、悪いほうに考えちゃうんですよ。
原:悪いことしか考えない。だから考えない。
尾上:考えないようにしたい。じゃあ1回電気つけて考えてみればいいんですね。
原:そうです。一生懸命生きている人は、みんなそこと戦うの。でも、その言葉を自分の教訓、バイブルにすると結構、楽。
野球監督としてチームを率いてきた原。
一方、松也は若くして公演の座長も務める立場。演出や制作まで手掛ける中で、チームをまとめる難しさも感じているという。
尾上:チームという意味では、野球の監督という立場と、舞台で言うと、僕も座長として同じだと思うのですが、監督は、思いや考えていることをどのように共有しているんですか。
原:言葉ですよ。よく(リーダーが周囲などに)「自分の思っていることがなんで分かんないんだ」っていうけど、(他の人が)思っていることなんて誰も分かりゃしないですし、やっぱり伝えないとね。褒める、あるいはちょっと叱る。そういうことは、使い分ける必要はあるでしょうね。
松也:自分の思いさえあれば、みんな付いてくるものだと思っていましたけど…
原:われわれリーダーという立場だと、自分の意思を伝えなければ駄目ですよね。
尾上:そうなんですね。言葉で伝え合って意思が通じ合うことで、同じ思いが1つになって、周りも同じ情熱を持ってやってくれるようになるというのが少しずつ分かって
原:そうなったときのチームは、もう、わーって(大きく)動いているわけです。止まったり、逆方向に動いたりしているようじゃ、なかなか(難しい)ですね。
2023/2/20 スイッチインタビュー「尾上松也×原辰徳」EP1より