アレックス・ラミレス「監督は自分の感情をコントロールできないとダメ」

NHK
2023年5月12日 午前11:29 公開

元プロ野球選手で監督のアレックス・ラミレスは2023年、野球殿堂入りを果たした。現在は、テレビやSNSなどでマルチに活躍。仲良し家族の日常を配信する動画はおよそ22万人が登録する人気ぶりだ。

ラミレスが来日したのは2001年。メジャーリーグからヤクルトスワローズに移り、力強いスイングで、3年目にはホームラン王と打点王を獲得する。合計3球団でプレー、数々のタイトルに輝き2013年にはついに、海外出身選手として初の2000本安打を達成した。

選手引退後は、横浜DeNAベイスターズの監督に就任。当時は珍しかったデータを駆使し、若手を積極的に起用する。低迷していた球団を、19年ぶりに日本シリーズ進出に導いた。

日本に来た当初は、長くプレーする気はなかったと語っていたラミレス。しかし、徐々に日本野球のレベルの高さを感じ、「この国を受け入れ、周囲の人を受け入れるところから始めよう」と考えをシフトしていく。それには、日本に特徴的な、ある3つの精神を大切にした。


ラミレス:日本で学んだことが3つあります。
まず1つ目は「ショウガナイ」シチュエーション。

寺島:That’s Japan(日本的)でしょ!

ラミレス:旦那さんには「しょうがない」って言わないでしょ。

2つ目は、「ハイ!ワカリマシタ」。
3つ目、「ガンバリマス」。

外国人にとってこの3つに適応するのは簡単ではありません。

寺島:・・・・。笑

ラミレス:旦那さんも同じだと思いますよ。でも、僕らは日本に住んでいるし、日本で成功したいと思うなら、自分が日本にアジャストしないと。日本が自分にアジャストはしてくれませんから。

寺島:・・・・なるほどね。

ラミレス:メジャーリーグで、私はレギュラーじゃなかったんですけど、実は日本で選手時代に、メジャーリーグからオファーがあったんですよ。でも、バックアッププレーヤーには戻りたくなかったので、日本にとどまることを選びました。スーパースターになれるチャンスもあるし、ファンもいるし、日本が合ってるんじゃないかと思えて。

日本に残ると決めてから、事態は良くなりました。より日本の野球に合わせるようになったので。ファンも応援してくれて、ここがホームだと思えたんです。
 

選手引退後、2015年横浜DeNAベイスターズの監督に就任すると、得意の数学と大リーグの経験をいかしてデータ分析を導入し、低迷していた球団を盛り上げた。

分析野球で采配を振るったラミレスは一方で、来日した時の若松勉監督の影響も大きいという。成績不振だったラミレスを、見守ってくれたそうだ。


ラミレス:若松監督はとても静かであまりしゃべらない人です。私を起用する理由を聞いたのですが、笑っているだけ。本当にいい人で、何でそんなに我慢強いのかと不思議でした。

選手への接し方には注意が必要です。教えるというのは上から指示することではなく、まず選手に考えさせて、それから問題を修正していくこと。選手によっては「こうしなさい、ああしなさい」と言う方がいい場合もあります。そうじゃなく、意見を聞いた方がいい選手もいます。例えば大谷翔平。彼に「こうしなさい」と言う人はいませんよね。それぞれの選手たちとのコミュニケーションを学ばなくてはなりません。

調子の悪い選手を起用し続けるとき、我慢する理由をコーチやスタッフに説明しなくてはなりません。監督として最も難しいことですね。そんな時、選手にはこう言います。「必ず出るチャンスがくるから、準備をしておいてくれ、大丈夫。今日は休みじゃないぞ、準備だ」と。自分の感情をコントロールできないとダメです。
 
 

2023/5/5 スイッチインタビュー「アレックス・ラミレス×寺島しのぶ」EP1より