19歳でCDデビューし、R&Bを取り入れたサウンドが話題となったMISIA。
2年後に発表した『Everything』は圧倒的な歌唱力で250万枚の大ヒットを記録。その名を広く知らしめた。
MISIAと矢野顕子が音楽でつながったのは2021年のこと。矢野が作った曲に、MISIAがコーラスで参加したことがはじまりだった。
2022年の紅白歌合戦では紅組のトリをつとめ、矢野が書き下ろした『希望のうた』を力強く歌い上げた。
MISIA:私、矢野さんの作るメロディーを歌ってみたいってずっと思っていて。矢野さんの音楽っていろんな要素をたくさん感じるんですけど、歌のメロディーがとってもシンプルで余計なものがないというか、歌うほうに装飾する余白を残してくれてるってすごく感じて。
矢野:なるほど。
MISIA:ご自身で歌うときも、ライブによって表情が変わって、余白がすごくあって。私もこの余白を自分の色で歌わせていただくと、どんなふうに矢野さんとMISIAの“化学反応”があるのかなっていう思いと、矢野さんの土っぽいところのメロディー感っていうんでしょうか。そこにすごく惹かれていて。
矢野:そうでしたか。最初にMISIAから曲をって言われたときに、「反戦歌を」って。ちょうどロシアとウクライナの戦争が勃発したときだったから。でも、「私は反戦歌は書けないけれども、避難してる人たち、そして難民として、自分ではどうしようもない状況の中に否応なく置かれてしまった人たちのための曲なら書ける」ってお返事して、そこから作り始めてジャスト6週間、ほぼ毎日毎日書きました。
書いては消し、書いては消し。メロディーも、詞の部分でも6週間、そばにずっとMISIAがいたんです。で、歌ってるんです、私の隣で。私は彼女がこの歌を歌うために書いた。それを、この飽きっぽい矢野顕子がですね、6週間もそれを保てたっていうのはすごいことだと。
MISIA:6週間も私の歌声と…
矢野:はい、そうなんです。「もういいんじゃない?」といったって、どきやしないんですね。ずっとそばで歌ってくれてた。だからキーが…
MISIA:あ、キーチェンジしなかったと思います。いただいたままに歌いました。
矢野:でしょう?だからもう書いたときに、それはMISIAの歌、曲だったんです。
MISIA:しかも私、8分の6の歌を歌いたいってここ数年、ずっと思ってたんです。
矢野:え、そうだったの?まあ…!
MISIA:やっぱり8分の6というとソウルなどの音楽に多くあるリズムなので、歌いたいっ!て思ってた。
矢野:演奏でもドラムでも、ウンタッタ・バーン!って、伴奏してて、めちゃくちゃ気持ちいいんですよ。
戦後70年の年には、故郷・長崎の平和公園から歌を届けたMISIA。
彼女の歌に繰り返し出てくる「愛」や「希望」、「平和」という言葉に込められた思いとは?
矢野:MISIAが平和を歌うとき、平和って言葉を使うときはどういうことを思い描いてますか。
MISIA:私はもう、絶対、子どもが自由に自分の夢をかなえるために全力で努力ができる世界。これが私の中の平和の世界の象徴なんですよね。
子どものころ、歌手になるために一生懸命頑張ることができたように、子どもたちもそういうふうに頑張ることができるように。夢にチャレンジできないまま、戦いの中で子どものときに命を落としてほしくないなって。
矢野:子どもたちね、なるほど。
MISIA:歌って祈りの部分がすごく大きいと思って。
矢野:それはありますね。
MISIA:歌で祈り続けたいって思っています。
2023/4/7 スイッチインタビュー「矢野顕子×MISIA」EP1より