DA PUMPのISSAは、1996年の結成以来27年、メンバーやスタイルを刷新しながら、更なるパフォーマンスを追求し続けている。
ISSAの出身地は、米軍関係者も多い沖縄・コザ。様々な国の文化が混ざるコザ独特のストリートカルチャーの中で育った。中学生になると仲間とダンスチームを組み、イベントなどで披露するように。高校3年生のとき、後にDA PUMPを結成するメンバーと出会う。
高校を中退して上京したISSAは1997年、DA PUMPのリーダーとしてデビュー。どこまでも伸びる歌声とキレのいいダンスで知名度は一気に上昇し、たちまちスターダムにのしあがった。
斎藤:16、7歳で上京されたっていうことは、同い年だから、1995、6年なんですよ。
ISSA:96年かな?(東京に)出てる。
斎藤:ですよね。紅白に最初に出たの1998年ですよね。
ISSA:98年。
斎藤:2年で紅白に出るって、えぐくないですか。
ISSA:出てきて、次の年にはデビューさせてもらって、その次の年にはもう紅白に出てるっていう。
斎藤:やばっ!速っ!光より速いですよ。
ISSA:いやいや。俺らの体感もっと早いから。「え!?」っていうね。毎日、起こっている現実に対して、自分たちが追いついていないっていう。
斎藤:そうなんだ。
ISSA:そう。どんどんどんどん進んでいくから、毎日、1日1日どうするか、みたいな。先のことを考える余裕もないし。デビューしてから3か月に1回ぐらいシングル出すっていう時期が続いていたから。次あれ、次これ、というのを毎日どうやって必死に食らいついていって吸収して越えていくか、みたいなのを毎日。
斎藤:うわあ…。仕事ばっかでストレスたまりません?
ISSA:でもこれがね、環境が良かったのか。要は好きなことしかやっていないじゃん。歌もダンスも好きだからっていうことがあるから、なんかこう…一気にすごい経験をさせてもらったなっていう。
順風満帆な日々を送るISSA。しかしデビュー10周年ライブを前に大腿骨骨折の大けがに見舞われ、その後もメンバーの脱退などの不運が続く。しかし2009年、若手ダンサーを集めてメンバーを刷新。「新生DA PUMP」として新たな道を歩み出し、2018年には「U.S.A.」で再ブレイクを果たした。
斎藤:ISSAさんには75歳とかでも「U.S.A.」を踊っていてほしいですけどね。
ISSA:75、生きてるかなあ?
斎藤:息はしていると思うけれど、踊れるかどうかはまた別として。
ISSA:脳しか動いてないかも。
斎藤:それ、どんだけだよ!って話ですけど。笑。じゃあパフォーマーとしてずっと走り続けて。
ISSA:走り続けてと言うか、その時なりの歩幅かもしれないけど。でもね、下がるのではなくて、確実に一歩を進めるようにしていきたいなって。
斎藤:そうなんすね。ネガティブになることってないんですか?
ISSA:いまだにあるよ。昨日もレコーディングをやってて未だに苦戦するし。「なんでできないんだ」っていうのがあるから、成長もできると思うし。多分ゴールはなくて、いくらでも行けるところまで行こうというのがあるから、まだまだ自分も足りていないところいっぱいあるんだなと思う。やりながら修行しながらみたいな。
斎藤:そうなんすね。
ISSA:やっぱり悔しいのよ、できないって。「ダメだ。これを越えていかないと無理だ」って、自分を鼓舞してブラッシュアップしていくんですけどね。
斎藤:僕が「できないな」って思った時は結構逆で。売れていない若手芸人とかとずっと一緒に遊んで、「こいつらどうしようもねえな、俺はまだ大丈夫」とか思っちゃうタイプ、性格悪いですけど。笑。
ISSA:ひでぇやつだな!笑
斎藤:結局、上を見ちゃって「僕は挫折するのが嫌だ」っていうところが正直あるかもしれない。だから、上をちゃんと見て、やれてるんだなというのも(大切だなと)。
ISSA:斎藤さんもそういう風にできるよ、絶対。
斎藤:できますかね?
ISSA:できるできる。まだまだ自分に足りてないことがあると思えば。
斎藤:(性格)ひん曲がっちゃっているからね。
ISSA:それはなかなか難しいけど、直すのは。笑
2023/5/19 スイッチインタビュー「ISSA×斎藤司」EP1より