テリー・ライリー「音楽が変わる可能性がある風潮を感じていた」

NHK
2023年9月22日 午後10:00 公開

伝説のミュージシャン、テリー・ライリー。テリーは1960年代、世界の音楽シーンに風穴をあけた人物と称されている。その独特な音楽は「ミニマル・ミュージック」と呼ばれ、単純な短いフレーズを繰り返したり、微妙にずらしたり。「ミニマル・ミュージック」がもたらす未知の響きが、ロックやポップスにも影響を与えた。

いま、日本に暮らしているテリーは88歳。来日中にコロナ禍で日本に足止めされたことを機にそのまま日本移住を決め、新しい音楽を生み出し続けている。

少年時代からピアノで即興演奏を楽しんでいたテリーは、カリフォルニア大学バークレー校、音楽学部にすすむ。そこで、西洋クラシック音楽に対する反動で生まれた、新しい“現代音楽”に出会う。不協和音や実験音楽、楽譜は視覚的に示され、アートのような図形楽譜が流行した。同時代の作品に出会ったテリーは、自分の音楽を模索。そして始めた音楽が「ミニマル・ミュージック」の原点となった。


久石:   テリーさんは「ミニマル・ミュージック」の創設者の1人だと世間的に言われていますよね。

テリー:一般のみなさんが音楽史を誤解されているのではと思っています。私がやりたかったような音楽の例はすでにたくさんあります。ラヴェルの『ボレロ』、サティの『ヴェクサシオン』、他にもミニマリズムと呼べる曲はあります。でも、ある音楽家が1965~66年頃に「ミニマル・ミュージック」と名付けて、私の曲がそうだと言われるようになりました。私が『In C』を書いていたころは誰も「ミニマル・ミュージック」と言っていませんでした。
 

即興スタイルで行われるテリーの演奏。テリーは「ミニマル・ミュージック」の創始者といわれており、その始まりとなった『In C』という曲は、53個の短いメロディーを演奏者が、好きな楽器で自由に繰り返し、最小限の音が反復されることで新しい聴覚体験を生み出していく。リズムのずれや偶然のハーモニーを楽しむ、即興性の高い音楽だ。

「ミニマル・ミュージック」はテリーに始まり、スティーブ・ライヒやフィリップ・グラスといったクラシックの作曲家たちが加わって、様々に発展していく。そのうねりは、やがて音楽史をぬり変える潮流になった。  

久石: フィリップさんやスティーヴさんの仕事はよく聴かれていましたか?

テリー: スティーヴとは友人です。『In C』を書いた後、彼が家を訪ねて来たので楽譜を見せました。まだ演奏前で、できたてホヤホヤでした。彼はとても驚いていましたね。

彼は『In C』の初演に参加しました。スティーブ・ライヒがキーボード奏者でした。その後、彼は音楽スタイルを変え、反復を使って作るようになりました。

彼は『In C』の初演で演奏しましたが、グループをまとめる上ですごく助けになりました。演奏家をまとめるのが上手なんです。私はそういうことが苦手で…。「演奏ができればいい」という感じで、指示を出したりするのが苦手でした。

久石:   すごく面白い。今、テリーさんが話されたことは、後から勉強した我々は全く知らないから。

「ミニマル・ミュージック」は伝説的な4人が作ったと言われていますけど、実は自然発生的に、とても細かい音を繰り返すという発想は、アメリカだけではなくてヨーロッパでも起こっていたと、僕は読んだことがあるんです。今のテリーさんのお話だと、誰かが作ってみんながその方向に行ったのではなく、自然発生的に優秀な作曲家の人たちがなぜかそこに行き着いた、そういう感じがすごくしたのですが。

テリー: 音楽が変わる可能性があるといった風潮があったように思います。歴史的な事実として『In C』が最初の大きな変化でした。私はサイケデリック音楽に興味がありました。視覚を音楽で表現しているものです。ですから「ミニマル・ミュージック」といった学術的なものではなくて、私の音楽は真のスピリチュアルな道、サイケデリックな道のりなのです。
 

60年代半ば、アメリカではヒッピームーブメントが巻き起こっていた。「古い価値観を根本から問い直す」。その風潮は、視覚や聴覚など、五感の未知の領域をさぐる試みにまで極まった。そんなサイケデリックな文化とテリーの音楽は、深く結びついていた。

そうしたムーブメントは、東洋の文化に熱い視線を向けるものでもあった。音楽界では、ビートルズを始め、様々なミュージシャンがインドに傾倒していた中で、テリーはインドの伝説的な歌手、パンディット・プラン・ナートに出会う。インドの古典音楽「ラーガ」の歌い手であるプラン・ナートの存在に圧倒されたテリーは、迷わずインドに渡り、彼に弟子入りした。

久石:   テリーさんはインドに行かれていましたよね?

テリー: ええ。1970年にインドに行きました。私はインドに何度も行き、勉強しました。私の師匠、パンディット・プラン・ナートは、インドの偉大な歌手でした。私は26年間彼と過ごし、彼のもとで勉強しました。インドの古典音楽に深く傾倒し、インドの古典音楽に魅了されたのです。

久石:   インド音楽のどこに、テリーさんは一番魅かれたのですか?

テリー:インドの古典音楽のリズムは洗練されていて、とても高度なものです。というのも、何千年という歴史があり、一度も絶えることなくずっと継承されてきた、非常に伝統的な音楽ですからね。

ラーガのメロディーも長い歴史があります。一日の時間帯や季節によってメロディーが異なります。魅了されたのは、自然に合わせて音階が違うのです。インドの伝統によって、自然と音楽のつながりを教わりました。こういったことは西欧にはありません。完全にインドの発想なのです。

自然と連動した音楽。インド音楽の修行は、ただ演奏技術を習得するだけではなく、奥深い道だった。テリーは修行を続けながら、自らの音楽をも練り上げる。それは、より自然で型にはまらないものへと進化していった。

テリー: インド音楽、楽器や歌唱の技術は、学ぶのに一生かかるものです。学ぶべきことがたくさんあって、終わりがないのです。

久石:   インド音楽から得たインスピレーション、影響は?

テリー:インド古典音楽がすごいのは、音階ごとに特別なチューニングがあることです。ピアノみたいな平均律ではありません。音階ごとに違うフィーリングがあり、聴き分ける耳を養わないとなりません。それが私を魅了します。曲にキャラクターを与え、音楽に大きな影響を及ぼします。音階のチューニングを変えると音楽の印象が変わるんですね、それを研究することが本当に重要だと思ったんです。

久石:   そのことが、テリーさんの音楽自体を何か変えた部分はありますか。

テリー:それまではパターンの繰り返しを曲のベースにしていましたが、メロディーをベースにしたインド音楽のような感じになっていきました。メロディーをどう発展させるか。インド音楽を学ぶにつれ、私の考え方は大きく変わりました。よりメロディックなアイデアを発展させるようになりました。

久石:   発展させていく形態ということですかね?

テリー: そうですね。メロディーを発展させて曲を展開するのです。どれだけの事ができるか探求しました。実際とても多くのことができますよ。
 
 

2023/9/22 スイッチインタビュー「テリー・ライリー×久石譲」EP1より