1970年代の冒険小説『オヨヨ』シリーズや、パロディ小説『唐獅子株式会社』などで知られている作家の小林信彦。執筆に加え、マルチタレントとしても活躍し、伝説の番組『夢であいましょう』では、坂本九、黒柳徹子ら豪華メンバーと日本のコメディを作り上げていった。一世を風靡したコント番組『ゲバゲバ90分』の名付け親も小林だという。
触れ合った喜劇人との交流をつづった著作『日本の喜劇人』は、日本コメディ史の金字塔ともいうべき作品で、細野晴臣も、この本を繰り返し読んできた。
テレビを通し、様々な喜劇人との交流を深めた小林が見た“彼らの素顔”とは?
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細野:いろんな日本の喜劇人をご覧になってきて、みなさんどんな人達だったんでしょう?
小林:全部、違いましたね。
細野:全部違う、一人一人違うんですね。
小林:重なるところがあったらやっぱりダメでしょう。
細野:ああ、それはそうですね。
小林:だから、全部違ってたな。
中でも小林が親しくしていたのが、『夢で逢いましょう』で出会った渥美清。若き日の渥美は自分の芸風を決めきれず、小林に相談をもちかけていたという。
細野:渥美清さんとはどの程度のお付き合いだったんですか?
小林:ああ。こっちも独身で向こうも独身で。きれいなアパートに渥美清が住んでいて、その斜め向かいの部屋が、(歌手の)山下敬二郎だったのね。
細野:ロックミュージシャンですね。
小林:で、そん時はヒマで。渥美清もヒマ。
細野:あ、ヒマなんですね。
小林:それでまあ、(渥美清は世に)出たいっていうんで、いろんなことやってましたね。
細野:(渥美清さんに)相談なんかを受けたんですか?
小林:受けましたね。『夢で逢いましょう』でも、誰のスタイルでやるかっていう。まあ、いわゆる“新喜劇的”というようなもの。森繁(久彌)さん、バンジュン(伴淳三郎)と、そのへんのモノマネもできたし。
細野:へえぇ、モノマネを。あんまり見たことないな。
細野:(両手で小林を指して)戦後の一番おもしろい時代を一番楽しんでいらっしゃったと思うのですが。
小林:うん、まあ。大滝(詠一)さんもそうですよね。
細野:そうですね、僕もそうなんですけど。
日本が戦争で負けて、僕はこう、アメリカ文化を取り入れたというか、洗脳されたというか、非常におもしろいものがいっぱい入ってきたでしょう?
そういうものに僕はもう、しみ込んでいるんですね、体に。ジェリー・ルイスが好きだったり、ローレル&ハーディーだったりとか。小林さんはそういうことの大先輩なわけです。
小林:父親が、アメリカの喜劇映画が好きだった。
うちの父親っていうのはね、カーマニアだったんです。イギリスの車2台持ってたの。
細野:それはまあ、ぜいたくな。はっはっは。
小林:ほんとは好きなことで、食べられれば一番いいんですよね。
あと2か月ぐらいで90(歳)になりますけど。だからまあ、だから僕は好きなこと(しか)やんない、やった方が得だと。
細野:うんうん。
小林:得かどうかまだわかんないけど、やればまあ、恨むこともないですからね。
2023/1/30 スイッチインタビュー「小林信彦×細野晴臣」EP2より