矢野顕子「ピアノと歌だけのスタイルは、一番私を正直に表している」

NHK
2023年4月14日 午後9:59 公開

1955年、青森で生まれた矢野顕子。15歳で単身上京し、高校に通いながらレストランやジャズ喫茶でピアノを演奏する生活を送る。

その後21歳でレコードデビュー。独特の歌声は、その頃から際立っていた。


MISIA:矢野さんの歌い方って、矢野さんしかできないですよね。しゃべっている延長のようでもあるし。ピアノの上をぴょんぴょん飛び跳ねている、天使みたいな。ぱあっ!て、そこからもう自由に歌ってらっしゃって、どんなふうにあの歌声と歌い方が生まれたのかなって。

矢野:1976年に『JAPANESE GIRL』っていう自分のレコードを出して、そのときから「自分だけができるものはなんだろう」って、初めて頭を使うようになって。その辺りからかな。…あっ、詞っていうものを考えるようになったからですね、たぶん。

それまでずっと自分の職業は「ピアニスト」って書いてた。それが歌も歌う。で、ちゃんとお金をいただいていく。つまり「矢野顕子」っていうアーティストができたときに、何を伝えるか。やっぱり歌を歌っているから言葉がある。で、言葉っていうのは、発した言葉から責任が生じるじゃない?

MISIA:分かります、はい。

矢野:この曲を歌います、この曲はこういう歌です、誰に届けたいです、っていうのがはっきりできる。できてからが、このスタイルになったんだと思う。
で、私はピアノと歌とセットになっているでしょ?だから、それまでのピアノはかなり強く弾いてたけど、音がちっちゃくなったんです。なので、ちゃんとしたピアニストと一緒に2台でやるときは、私は圧倒的に音がちっちゃいの。

MISIA:へええ。

矢野:(私のピアノは)やっぱり歌を活かすためのピアノ。いろんな切り口がある中で、でも今の矢野顕子の、ピアノと歌だけのスタイルは、一番私を正直に表していると思います。
 

近年、矢野がひときわ思いを寄せるテーマが「宇宙」。

最新作では宇宙飛行士の野口聡一とのコラボが実現し、野口が宇宙で書いた14編の詩に、矢野がメロディーをつけた。


MISIA:なぜ宇宙に興味を持たれたんですか?

矢野:宇宙、実は小さいときから好きだったんです。

MISIA:そうなんですか。

矢野:だけど、(子どもの頃は)目が悪いから星っていうのを見たことがないんです、私。
夜空を見上げても真っ暗にしか見えなくて。それが、大人になってから白内障の手術をして、ふって見たら、「何あれ」って。初めて私は星に興味を持って。

MISIA:宇宙に行かれたときの、野口さんのポエムなんですよね。

矢野:はい。私、野口さんが宇宙に行く前に「なんでもいいから書いてください。私、書いたものに全部、曲付けます」って言って。もう、まったくの思い付きですよ。

MISIA:すごい!面白い!どうしてそんなことを思いつくんだろう。

矢野:そう、面白いって言ってくださって。
宇宙飛行士が宇宙に行って、「地球がすごいきれいでした」とか、そういう本はたくさんあるんです。だけど、1人の人間が宇宙でどういう気持ちだったか、地球を見たときにどう感じたのかっていうことに焦点当てたものはあまり私は見たことがなくて。つまり、私は宇宙に行きたいんですけど、一番楽して行きたいと思って。

MISIA:笑。でも、宇宙に行くためにいろいろされてるって。

矢野:一応ね。だけどつらい訓練とか嫌じゃない?

MISIA:笑。

矢野:それで、行く人から何かいただいて、それによって私は一緒に行ったっていうことになるんじゃないか。だけど、私ができることっていうのは、やっぱり音楽を作ることだから、野口さんに「詩を書いてください」って言ったら本当に書いてくださって。
それで、野口さんの詞を歌うと、「本当に私は野口さんと一緒に宇宙行った」って平気で言えるようになるんですね。
 
 

2023/4/14 スイッチインタビュー「矢野顕子×MISIA」EP2より