1990年以来、32年ぶりの円安は日本経済にとって何を意味するのでしょうか。そして、日銀が続けてきた“異次元の金融緩和”の功罪は。立場や考え方が異なる専門家・経営者による討論。まずは今回の円安をどう捉え、背景に何があるのか。冒頭から白熱した議論が交わされました。
出演者(左から)
首藤若菜さん(立教大学教授) 労働経済学・労使関係が専門
河村小百合さん(日本総合研究所主席研究員) 金融政策・財政政策に詳しい
河野龍太郎さん(BNPパリバ証券チーフエコノミスト)日本経済論・経済政策論が専門
片岡剛士さん(PwCコンサルティングチーフエコノミスト)前日本銀行審議委員
新浪剛史さん(サントリーホールディングス社長) 経済財政諮問会議議員
円安の流れが止まりません。今月20日には1ドル150円台を記録。政府日銀は先月、24年3か月ぶりとなるドル売り円買いの市場介入を行ったほか、その後もいわゆる「覆面介入」を繰り返しているという見方が出ています。
急速な円安は物価の上昇につながっています。9月の全国の消費者物価指数は、生鮮食品を除いた指数が、去年の同じ月を3%上回り、消費税率引き上げの影響を除けば、31年1か月ぶりの水準となりました。
また、全国の先行指標として注目されている東京23区の10月の指数が28日に発表され、去年の同じ月と比べて3.4%上昇。40年4か月ぶりの高い水準となりました。
(今回の円安のメリット・デメリットは)
新浪:
まずデメリットなんですが、やはりこの物価が非常に上がってきている。急激に上がってきているって感じがあって、消費者の皆さんは価格に大変敏感になって、どちらかっていうとスーパーなんかでもプライベートブランドとかこういう、安い所へ行っている。こういう状況が見て取れるなと。まあ実は消費者物価は3%と出ていますが、私たちの企業物価っていうのは10%増えているんですね。そういった意味で我々は価格に単に転嫁できてない。そういう側面もあり、大変厳しい状況にはあると。一方でメリットとしてこれから出てくるだろうなと思われるのが2つありまして。1つが何と言ってもインバウンドが非常に増えてきている。これは賃金上昇につながる大きなファクターでもあり、またもう1つは国内に対して海外からの投資も、今検討されていますから、こういったことがメリットとしてこれから出てくるかなと。一方で輸出型企業は収入が増えていると。こういうメリットも出ている。ただ、まだ明確にこれがメリットになっているっていう状況じゃないなと。まあこういう状況だと思います。
(円安の受け止めは)
河野:
まずですね、日本経済、回復しているわけですけれども、他国に比べて日本だけ、2019年の平均水準に戻ってないわけですね。ですから日本は円安とか低金利を使ってなんとか挽回したいということを思ってらっしゃるんでしょうが、基本的に円安のメリットは小さくなっていっていて、一方で円安のデメリットが大きくなっているということです。政府は、物価高の悪影響を取り除くために今、経済対策やっていますけども、どうでしょう。円安を引き起こす金融緩和を放置したままで、円安の悪影響を取り除く経済対策をやっているというのは非常にちぐはぐ感があってですね。非常に大事なことですけど、危機管理において大事なことは、目の前の危機を取り除くために場当たり的な政策をやっちゃって、大きな危機をもたらすというようなことは避けないといけないと。だから今回の政策は少し心配ですかね。
河村:
非常に厳しい局面に我が国なってきたなっていうふうに思っています。まあこの10年近くにわたって拡張的な財政政策を取り、そして超金融緩和、異次元緩和をやってきて、非常に通貨の信認がまさに問われている局面なんじゃないかなというふうに思っています。で、もう物価が非常に上がってきていて、庶民の暮らし非常に苦しくなってきている。先ほど新浪さんの話にもありましたけれども、本当に我々、家計厳しい。食料品もそうですし、それから光熱費も厳しい。そういった意味での大変さと合わせて、これまで10年間やってきた拡張的な財政政策、金融政策がこのまま続けられるのかどうか。一気に崩れかねないような非常に危険な局面じゃないかなと思っています。
片岡:
足元の日本経済自体は緩やかな回復途上にあると思うんですけれども、ただ先ほど河野さんおっしゃったように、まだまだ2019年の平均の水準には届いていないという状況で、特に消費や設備投資といったところが弱いという状況です。ですから、こうした中で日銀も、物価が今3%とはいえ2.1%分っていうのは基本的に食料とエネルギーの価格上昇という状況で、これがある意味体感ベースの物価を上げて、特に家計の方ですとか地方出身の方ですとか、そういった所に対して大きな影響を及ぼしていると。ですから、そういう中で政府の経済対策というのは先ほど出ていましたけれども、これが家計への援助とかですね。そういったものをメインにしているのは、1つは正しいと思っております。足元の為替の水準に関して言えば、これはアメリカとそれから日本の政策スタンスの違いというものが意識されていると思うんですけれども、日本の場合は先ほど申し上げたように、物価が2%に向けてしっかり安定するような状況になっていませんので金融緩和を続けていると。で、アメリカは利上げをしているわけですから。そういったスタンスの違いがこの結果になっているということなんだなと思いますね。
首藤:
円安によってやはり物価が高騰していて、これが働く者の生活を非常にひっ迫させていると思っています。特に非正規などの低賃金で働いている人たちからは、物価高騰で非常に生活が苦しいといったような労働相談も組合なんかには寄せられていると聞いてますし、フードバンクの利用者も増加していると報じられています。ただですね、物価指数を見ますと、確かに日本は3%ということで、これは非常に苦しいんですけれども。ただアメリカは8%、イギリスやドイツは10%というような物価高が起きていて、海外と比べれば、まだ日本の物価の水準っていうのは、物価高の水準ってまだ低いと。で、労働者に与える影響も小さいはずなんですね。日本における問題の本質はどこにあるのかといいますと、私は物価が上がっているということ以上に、賃金がずっと上がってこなかったというところにあるのではないかと思っています。直近の数値で見ましても、対前年の賃金上昇率は日本は1.7ですけれどもアメリカは5.8。イギリスは6.1。ドイツも4.1ですね。物価高による実質賃金の低下分を、ヨーロッパでは補てんするような動きさえ出てきていますので、日本においては賃金上昇っていうのは非常に重要な課題になっていると考えています。
新浪:
確かにそのとおりだと思いまして、現在の物価の上昇に対して賃金が上がってきてないと。ただ一方で、先ほど、スタンスの違いっていう話を米国との関係で言いましたけれども、実際には日本経済の潜在的な成長率が非常に弱くなったというのが実態で、それはこの円安を巻き起こしていることであって。私たち企業も、実はイノベーションの力が弱くなっちゃった。アニマルスピリッツがなくなって、稼ぐ力が弱くなった。そういう状況の中で賃金を上げるっていうところに逡巡してきたと。実際、現預金で200兆ともいわれる金額を、我々企業は持ってるんですが、それをいかに活用して投資にしていくかってことを、やってこなかった。むしろやるための構造改革が実は必要で、新しい分野に投資したいんだけどその分野はなかなか出てこなかった。だから鶏と卵で「賃金を上げたい」って我々経営者はみんな思ってるんです。そして例えば私どもで言えば去年を5%ぐらい上げてるんです。しかし一方で、中小企業の賃金が上がってこない。7割の労働力を持っている中小企業の賃金をどう上げていくか。これが大きな課題だと。
(32年ぶりの円安水準 背景は)
河村:
このまま円安というかドル高でもあるんですけど、ドル高についてどう思うかと聞かれて、先週バイデン大統領がこうおっしゃっているんですよね。「問題があるとすれば、ほかの国々の経済成長と、健全な政策の欠如。健全な政策がないことにある」ということを言われている。こう言われて、まあ最近イギリスの動きが世界をちょっと騒がせたところがあって。イギリスだけじゃないですよね。不健全ですというふうにいわれて、日本は何も反論できないと思います。反論できないどころか、一番不健全な国なんじゃないかなって私は思います。やっぱりこれだけ10年間にわたって、大規模な財政拡張を続け、大幅な金融緩和を続け。これからじゃあ、ちょっとでも金利水準が動いたら、もう日銀も本当に赤字、債務超過になるでしょうし、財政のほうだって利払い費が、短期国債も長期国債も山のように出していますから回らなくなる。それを放っておいたままで、次のまた29兆円の大幅な赤字国債の増発。この国、安定的な経済運営をする気あるかなと思われている。通貨の信認が問われている、揺らいでいると思います。背景としての経常収支の問題もあると思いますね。もう全然貿易収支は稼げなくなってきて、第1次所得収支と海外の直接投資の還流、それだけだと。そしてあと財政政策、それから金融政策。財政は本当にコロナ対策で、例の2次補正ですね。20年度の70何兆円出して、今もまだそれ60兆円の短期国債残っています。日銀が短期金利を上げるだけで、ちょっと上げるだけで、ただ上限の60兆円の資金調達がですね、国としての調達が大きな利払い費が上がってくる。長期国債の金利にもやっぱりイールドカーブ・コントロール(短期金利をマイナスにしたうえで長期金利をゼロ%程度に抑える長短金利操作)をどうするかで影響する。それを全然考えずに、コロナ対策の財源も考えずに、次の赤字国債を出して29兆円。そういう事が平気でやっちゃう。この国、本当に平気なのか。日銀はあれだけバランスシートを広げていると。イールドカーブ・コントロールで、それで長期国債の金利がほとんどゼロに抑えているってことは、もうストレートに日銀の財務の悪化に影響するってことですよね。今まで利払い費は軽くて済んだかもしれないけれども日銀に回っている。そこがやっぱり問題視されていると思います。
片岡:
先ほど、円安の背景っていうことで、私自身は金融政策のスタンスの問題。それから投機的な要素というのも一部あると思うんですけれども、それがメインだと思っています。ある意味、潜在成長率の低下とかそういった話っていうのは、これは短期的というよりかは、むしろ中長期的な形でじわじわと進んでいくわけで、足元、今年に入ってからとかそういった形で、ドル円レートが非常な勢いで円安が進んでいるっていうのは、こうした生産性の低下が原因で起こった話ではないと思います。それから、円の信認が低下するっていう話に関しても、先ほど首藤さんの方から、物価上昇率が日本は諸外国と比べれば低いっていうお話がありましたけれども、円の信認が崩れているのであれば、物価はもっと上がってもいいはずです。ただ物価は先進国の中で最低の状況でして、こういった状況から見ると、円の信認が崩れているとは私はとても考えられないな、まあそんなふうに思いますね。
河野:
円安の背景は内外金利差が大きいですけども、それだけじゃないです。19年から22年に、構造的な要因で均衡的な実質為替レートが円安方向に、私の分析だと30%ぐらいジャンプしたと。そこに大きな内外金利差がやって来たので、急激な円安になっていると。だから市場の行き過ぎでないので、為替介入では止められないということです。それでその構造的な要因なんですけれども、結局日本経済の衰退が一番大きな原因というふうに思います。一言で言うと、その産業競争力の低下ということですが、コロナで多くの世界中の企業がデジタル化、自動化するのに、日本の企業は基本的に投資を怠ってきたと。あるいは、コロナになった時に、若者が上司の目を盗んでリモートワークの中でネット証券を通じて海外投資を相当するようになったと。こういう日本人の投資行動も変わったと。後はウクライナで、いきなり地政学上の日本の弱さ。エネルギー需給によるその弱さというのが見えてきた。こういった衰退が、円安の構造的な背景だと思っています。
新浪:
私も河野さんのおっしゃっている通りだというふうに思ってまして。私はやっぱり、この異次元の金融緩和並びに財政をやって来た中で、合わせ技で構造改革やんなきゃいけなかったんですよね。ただ残念ながらアメリカがTPP抜けちゃったのはすごく大きいんですよ。安倍政権のときに構造改革はやろうとしていたんです。やっぱりTPPって非常に重要だったんですよね。しかしながらそのチャンスを逸したのは非常に残念ですが、やはり構造改革をすることによって投資先が日本国内にあるはずだったんですね。それが、今現状ないと。そういう意味で、私たち経済界としても本来であればこれだけお金ありますから投資したいんです。しかしながらそこへ新しいフロンティア。開拓する先をもっと作ってかなきゃいけない。そういった意味で、大幅な規制緩和だとか、場合によっては炭素、脱炭素の世界は場合によっては社会規制をする事によって投資を促すとか、こういうようなことが、政府と一緒になってやる事によって、まず第1に我々民間はお金がありますから、その先をしっかりと開いていただければ、賃金そして労働移動、こういったものにつながると。こういうふうに思います。ですから財政に頼る、いわゆる国の経済のあり方。これは今後見直していかなければいけない。そして民間に経済の主導が移るような、そういう体制に今こそ考えていかなきゃいけない。そういうふうに思います。
(労働者側への影響は)
首藤:
まあ円安の背景はですね、日米間の金利差っていうのが非常に大きいと思いますけれども、それを切り離して考えたとしても、日本の産業競争力が低下している。経済成長が遅れているっていうところは、確かにあると思いますので、それについては、なぜそうなったのかということを考えていかないといけないと私も思っています。私、日本の企業が競争力を落としているとするならば、その第一義的な責任はやはり経営者にあるんじゃないかと思っています。なかなか生産性が上がらないと言われまして、労働者が非効率に長時間働いているというようなことが批判されたり、移動が遅れているっていうことがいわれます。政府が構造改革が遅れたって言うのもまさにおっしゃるとおりだと思いますけれども、ただまあ私は、労働者が怠けていて生産性が上がらないっていう要素以上に、やはり新しい、付加価値が高いような製品やサービスを、この間生み出せてこなかった。その責任っていうのはやはり第一義的には経営者にあるんじゃないかなと私は考えています。
新浪:
部分的にはその通りのこともあるかなと。ただ、やはりマクロ的に見るとね、構造改革が長期化しちゃうと、例えば労働移動や社会保障改革はこういったものは必要だったんですよね。意図せず、意図しない結果として、私たち民間の経済運営っていうものが減退化した。例えば新陳代謝が起こってこなかった。やっぱり経済のダイナミズムって大変重要なんですが、それをしないような方向へ今まで行ってしまったと。新しいものが生まれ、古いものがなくなってく。この大きなダイナミズムがこの経済の中に重要で、私たちも反省するところあると思いますが、今後、新たにその辺の反省をして。まだやってないんで、やればできるんで。私たちはそういう方向へ向けていきたいと思います。
(円安の今後の見通しは)
片岡:
ドル円ということでいきますと、これは日本側の都合とアメリカ側の都合と両方あると思うんですね。日本側のほうは、これは2%の物価安定、安定的に達成できるようになるまで金融緩和を続けるというお話を黒田総裁おっしゃっていますので、まあ継続方向だと思うんですけれども、アメリカのほうは、今、利上げをずっと進めていますので、これが例えば来年、具体的に景気を悪化させるとかそういった形で影響が出てきますと、そうすると、金利を上げるペースをだんだん落としていこうと、そういう流れになりますので。ですから、アメリカの物価が緩やかに低下する。それから日本の物価が緩やかに安定化していくと。そういった中で、徐々に円安の方向というのは安定化していくんじゃないかなっていうふうに思っています。ですから、そういう形になれば、当然安定的な円安というのは、日本経済にとって私は、全体としてはプラスだと思いますので、そのことが企業の活動ですとか、ないしは雇用。それから、家計の皆さんの所得拡大。こうしたところに影響を及ぼしていくんじゃないかと。これはある意味、賃上げとか物価安定とか、そうしたところにも寄与していくんじゃないかなっていうふうに見ています。
河野:
当面は140~150円で動くんだと思いますが、日本の金利がゼロのままだとすると、アメリカの金融政策が今後どうなっていくかということが大きく影響すると思います。ただ、1つ心配なのが、今の世界的なインフレが財政インフレじゃないかという懸念が起こっているんですね。これどういうことかというと、コロナの時に各国大規模な財政政策をやりましたが、財政信認の低下がインフレを起こしているんじゃないかというふうな懸念が世界的に広がっているわけです。まさに英国でこの問題がフォーカスされたわけです。もしそうだとすると、強烈な利上げを必要としますから、日米の金利差がもっと開いてくると、そうすると円安がもっと加速するということが1つ懸念される。もう1つは、日本の私たちの預金金利がゼロでも今まで我々が我慢してきたのは、インフレがほぼゼロだったからですが、今後、物価上昇、円安によって物価上昇が続くとするならば、実質預金の目減り、我慢できなくなりますから、円預金が海外に逃げ出しちゃうということで、これも円安が加速するリスクがあるということだと思います。