イルカを愛し クジラに魅せられた 博士の半生

鈴木壮一郎
2022年8月22日 午後3:27 公開

三重県の総合博物館「MieMu」でいま、「集まれ!三重のクジラとイルカたち」が開催されています。伊勢湾や熊野灘で生息する鯨類を紹介するこの企画展。体長17メートルにおよぶイワシクジラの巨大な骨格標本や、三重県に根づく捕鯨文化などが紹介されていますが、会場の一角には謎の人物の写真と共に何やら不思議に満ちた展示も…

一体この人、何者なんでしょうか?

(津放送局 鈴木壮一郎)

謎の“クジラ博士”

これまでに見たことがないほど様々な種類のクジラ肉の缶詰やイルカやクジラのぬいぐるみ、それにDVDなどが並んだ展示。壁には雑然とした部屋でぬいぐるみを手に微笑む謎の人物の写真が飾られています。写真のそばには「クジラ博士の研究室」という表記がされているだけ。

不思議な展示が気になって会場のスタッフに聞いたところ、その人物の名前はあっさり判明しました。吉岡基さん。三重大学で鯨類の研究を行っている教授とのこと。でもそれ以上のことはわかりません。会ってみたい。さっそく研究室にお邪魔してみることにしました。

資料の山から現れた博士

三重大学生物資源学部の建物に吉岡さんの研究室はありました。入り口の表札には、鳥の羽のようなものも。後から教えてもらったところ、これ、クジラの「髭」だそう。さすが“クジラ博士”。ますますその存在が気になってきます。

ノックして部屋にお邪魔してみると、山積みの資料の上に載せられたぬいぐるみに、食べ終えたクジラ肉の缶詰。まさに企画展の展示そのものの部屋がそこにありました。

そして、資料の山の奥から現れたのが…。

吉岡教授です。企画展の写真そのもの、優しい笑顔で出迎えてくれました。

「イルカと会話がしたい」

吉岡基教授。鯨類学や繁殖生理学の専門家です。1991年に東京大学博士課程を卒業後、1994年から三重大学の助教授に。以来、イルカやクジラの生殖の仕組みなどを主に研究しています。聞けば吉岡さん、国内で最初に成功したイルカの人工授精にも関わったすごい人。しかし、日本において鯨類研究の黎明期に志したイルカやクジラ研究の道のりは、その入り口から壁にぶち当たったといいます。

「私が大学に入ったのは、とにかくイルカという動物について、知りたいと思ったからなんですね。当時、1980年代前半、イルカと会話ができるとか言われていて、21世紀になったらイルカと会話できると言われていた。そういうことをやりたいと思って大学に入ったが、当時、日本の大学にイルカの研究者は誰もいないといっても過言ではない状態。そこで、私は農学部の水産学科に入ったんです。大学の研究としては魚の研究をやり、イルカやクジラの知識は自分なりに収集することしかできなかった。結局、学部4年の卒業論文は『魚の繁殖』についてやったんです」

イルカの繁殖へ

イルカと会話する日を夢見て大学に入ったものの、研究するのは魚類ばかり。当時は、鯨類の授業もインターネットもない時代。吉岡さんは、東京神保町の古本屋で入手した鯨類研究の書籍や水族館でイルカを眺めることしかできなかったそうです。しかし、それでもイルカの研究を諦め切れなかった吉岡さん。イルカ研究のため大学院に進みます。そこで目を付けたのが、学部で学んだ「繁殖の仕組み」でした。

「繁殖にはホルモンが関わる。ホルモンの測定技術は大学4年生の時に学ぶことができたので、それをイルカの研究に応用できないかと考えた。イルカやクジラのホルモンの研究は広い意味では生理学なので、『体の中では何が起きているか』を調べるもの。そんな研究を日本でやっている人はほとんどいなくて、そこにニッチを見いだしたんです」

イルカの繁殖を研究したい。そう熱く語る吉岡さんの思いを受けとめてくれたのが、千葉県にある水族館の鴨川シーワールドだったといいます。実習に行ったこともあり、当時の館長とも付き合いがあった吉岡さん。ホルモン研究に必要不可欠となるイルカの血液を入手し、研究は始まりました。

「水族館と何かやるときには相手にもメリットがないと作業してくれないわけですけど、私の提案は、当時の水族館にとってもメリットあった。私はホルモンの研究をしたい。向こうは人工授精をやりたい。そういう中で『イルカの繁殖』の研究を受け入れてくれたんです」

“反捕鯨運動”で進んだ人工授精

先例となる研究がほとんどない中、基礎的な研究成果を積み上げていった吉岡さん。2003年には、鴨川シーワールドで、国内で初めて人工授精によってイルカの赤ちゃんが誕生しました。しかし、イルカの人工授精がすぐさま国内の水族館に広がることはなかったといいます。

「国内初の人工授精は、当時ニュースにもなったが、その後は全然普及しませんでした。なぜかというと、各地の水族館は、イルカの追い込み漁を行っている場所からイルカを買えばよかったからです。自分で増やす必要がないわけです」

その後も細々と研究を続けていた吉岡さんでしたが、2010年代に入り、大きな転機が訪れます。

「2015年に、大きな出来事があって、イルカの追い込み漁は非人道的だという世界的な批判が起きたのです。『あんな賢いイルカを群れで追い込んで、殺している』と。『そのような漁法で得たイルカを日本の水族館で飼育しているのはけしからん』という批判が起きた」

その年、日本の水族館や動物園が加盟するJAZA=日本動物園水族館協会は、追い込み漁でイルカを入手することを禁止。日本中の水族館で、「イルカの繁殖」が喫緊の課題となったのです。

「各地の水族館は、自分たちの飼育動物でイルカの維持をしなくてはいけなくなった。そうするとしばらく鴨川シーワールド以外誰も気にも止めなかった人工授精が、急に脚光を浴びるようになったのです。各水族館は『これはまずい』となって、トライアルを始めて、今では日本の多くの水族館で、人工授精技術が確立された。30年前は誰もできなかった技術だが、ある段階で急にニーズが生じ、普通の技術になったということです」

きっかけは「わんぱくフリッパー」

「研究は巡り合わせ」と話す吉岡さん。「イルカについて知りたい」と思うようになったきっかけを聞くと、小学生の頃に見た、あるテレビドラマとの出会いについて教えてくれました。

「きっかけは、『わんぱくフリッパー』という1960年代のアメリカのテレビドラマ。一頭の野生のバンドウイルカがいて、海に放し飼いにされているのですよ。野生なんだけど、沿岸警備隊を務める父と2人の息子の3人家族がいて、海で何か事件があると、そのイルカが事件の解決を助ける。怪しい者を見つけると、戻ってきてイルカが吠えるんですよ。『どうしたんだ!?フリッパー』みたいな話になって、親子がフリッパーと事件を解決する。会話はしないけど、親子とイルカとの間でコミュニケーションができていて、そういうシーンにだまされたんです(笑)」

テレビドラマとの出会い、鴨川シーワールドとの出会い、そのほか多くの研究仲間との出会い。いくつもの出会いの積み重ねによって、30余年におよぶ研究を続けられてきたといいます。

イルカの頭蓋骨から見える“多様性”

「MieMu」で開催されている企画展「集まれ!三重のクジラとイルカたち」。ここに、もう一つ不思議な展示が行われています。

ずらりと並んだ頭蓋骨。その数20を超えています。いずれも三重の海岸に打ち上げられたスナメリの死体から採取されたもの。なぜ、同じ種の頭蓋骨を並べているのか。実はこの展示、吉岡さんの発案によるものでした。

「『クジラ』や『イルカ』という名前は知っていても、こんなに違いがあるんだということは知らないと思う。まさに多様性。『全部、同じ骨じゃん』と思う人もいるかもしれないけど、スナメリの骨だけでも、これだけ違う。その違いを見抜いてほしい。鯨類を研究するということは、ヒトについて解き明かすことにつながるんです。同じ哺乳類がどう進化したか、ヒトはどう社会性を獲得したのか。ある種類の生物を理解することは、多様な生物の違いを理解しようとする取り組みでもある。今回は子どもがターゲットだが、そういう違いに気付き『勉強したい!』と感じてくれれば、展示の意味があると思います」

博物館の片隅で出会った不思議な展示からたどり着いたのは、イルカを愛し、クジラに魅せられた“博士”の半生でした。

(鈴木壮一郎)