海に潜ってアワビなどをとる海女。三重県は海女の数が日本一多く、観光産業にも重要な役割を果たしてきました。こうした中、ことし、県内の海女が50年で8分の1に減ったという衝撃的なデータが公表されました。激減の理由を調べると見えてきた、海の“異変”に迫ります。
(津放送局 鈴村亜希子)
50年で8分の1に減った海女
鳥羽市の海の博物館の調査によると、昭和47年には鳥羽市と志摩市に4124人の海女がいたといいます。
しかしその後、海女の人数は年々減少。平成22年に1000人を切り、973人となりました。ついに去年には514人と、50年前の8分の1まで減ってしまいました。
なぜ海女は減っているのか。調査を行っている海の博物館の平賀大蔵館長は、海の変化が背景にあると言います。
「やはり、アワビとかナマコ、海藻類も含めて海女さんがとるものが著しく減っているというのが大きな要因だと思いますね」
海女「海藻が生えていない」
海産物がとれない…。実際、現地の状況はどうなっているのか。現役の海女を訪ねてみることにしました。
志摩市の御座地区の山下真千代さん(73)、海女歴47年の大ベテランです。
この地区にはおよそ70年前には200人以上の海女がいたとされていますが、現在はわずか5人。
山下さんによると、仕事の大変さもあってか、20~30年ほど前から若い世代の担い手が減ってきたといいます。
「海が豊かなときはさ、漁に出たらふんふ~んって10万円ぐらい稼ぎよったでな、一日で。宝の山やったな」
そう語る山下さんですが、特に4年ほど前から豊かな海が変わってしまったことを感じるといいます。
「全然海藻がないでしょう。今の時期だったら浜にいっぱい打ち上がっているのがない。海藻がないからアワビとかトコブシは全然、もう見ない。痩せ枯れてるの。海女さんはいなくなっていくと思う、この状態が続くと商売としてなりたたへんよって」(山下さん)
海の異変がもたらした「磯焼け」
山下さんが指摘するような、海藻が生えなくなる現象は「磯焼け」と呼ばれます。なぜ「磯焼け」が起きるのか。原因を探るために、三重県水産研究所と三重大学が志摩市の沖で行った調査に同行しました。
三重大学の松田浩一教授は、志摩市の沿岸で、定期的に藻場の様子を調べています。調査が行われたのは2月の半ば。寒さの厳しい時期でしたが、海藻にとっては芽吹きの時期だといいます。
「水温が一番低い時期は海藻が一番元気な時。今の時期になかったら、全然生えてこないいことになる」
そう言って、海に潜った松田教授。結果は厳しいものでした。かつては、さまざまな種類の海藻が生えていたというこの場所。アワビが好む「サガラメ」や「カジメ」などの海藻はほとんど確認できませんでした。
「肝心なアラメとかカジメは全然見られなくて、再生してきていないという感じですね。全体的に芳しくないという感じですね」(松田教授)
松田教授は、魚やウニが海藻を食べ尽くしてしまい、餌がなくなったことからアワビがいなくなったと見ています。
志摩市内の漁港で行われた実験の映像です。
海底に設置された海藻に次々と魚が食いつき、わずか3日で食べ尽くされてしまう様子が捉えられています。
食べているのは、ブダイやアイゴなどの魚。海藻が育ちやすい冬にはもっと暖かい海に生息していましたが、近年はこのあたりでも確認されています。
なぜ、生息域が変わったのか。松田教授は黒潮の流れが大きく変わった「黒潮大蛇行」の影響を指摘します。
「冬場、水温が下がるとそういう魚はより暖かいところに移動していくんですけども、黒潮が大蛇行しているので冬場も水温が下がらないんですね。魚も居着いてしまっているんじゃないかなと思います」
三重県周辺の海水温を示した図です。
左側が大蛇行が始まる前の2016年、黒潮は西から東へほぼまっすぐ流れ、三重県沿岸は 低い水温になっています。右側の図、大蛇行後の去年では黒潮のうねりから分岐した暖かい海流が流れ込み、海水温を押し上げました。こうして暖かい海に住む魚が沿岸に現れるようになったというのです。
松田教授は、黒潮大蛇行が終わったあとに、海藻が豊富な海に再び戻るよう、今ある海藻を少しでも残すことが重要だと指摘します。
「黒潮大蛇行して5年半で、これからずっと続くというわけでもないと思うので。少しでも藻場を残しておいてそこから海藻のタネを出させて、大蛇行が終わった時にすみやかに藻場が回復してくれるのを待つしか今のところしかたがないかな」
「海が豊かになれば海女も戻る」
沿岸を襲った磯焼けに対し、行政などもただ見ていたわけではありません。
志摩市では、漁業者がこうした魚を捕まえて、漁場から取り除く事業をおととしから進めています。
海女たちも対策に乗り出していて、ブダイと同じように海藻を食べ尽くしてしまうウニ「ガンガゼ」の駆除を進めています。
おととしの夏からこれまでに市内で40回以上駆除を行い、8万匹余りを取り除きました。山下さんは、海女が自分たちの海を守るために行動するのは、あたりまえのことだと話しています。
「海が豊かになりさえすれば、ほっといても海女さんは増えてきます。そやでやっぱり自分らの海は、自分らがどれだけでも守らなないかんなと」と山下さんは力強く語っていました。
海女は“文化財”
実は、鳥羽と志摩の海女漁は、国の「重要無形民俗文化財」にもなっている、大切な文化です。海女文化はさらに、数千年前、縄文時代にまでさかのぼるといわれています。
たとえば、鳥羽市内の縄文時代の遺跡からは海に潜らないと採れないアワビが見つかっていて、この頃から潜水漁が行われていたことがうかがえます。
また、弥生時代の遺跡からは岩に張り付いたアワビをとるために使われたとみられる鹿の角で作った道具も見つかっています。
海女の調査を進めてきた海の博物館の平賀館長は次のように話します。
「海女さんたちがとる海の幸が、鳥羽志摩に来る人たちの、食の楽しみを豊かにしてくれるっていうのが1つありますし、海女さんがいることで漁村そのものに活力がわくと思うんですよ。何千年何百年ずっと続いてきた海女漁を、この時代に絶やすことはなんとか食い止めたいと思います。そのためにはいろんな原因究明、努力をみんなで考えていかなきゃいけないと思います」
海女文化を今の時代で途絶えさせないためにも、豊かな海が戻るよう努力するとともに、海女の現状に関心を寄せ続けることも大切だと感じました。