“ウクライナで また家族と過ごしたい”

NHK
2023年1月18日 午後7:26 公開

「家族」と離ればなれになる。二度と会えないかもしれない。

あなたはそんなことを考えたことがありますか。

去年2月24日に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、「家族」という当たり前の形さえも引き裂いてしまいました。

ウクライナに夫を残したまま幼い娘2人と地元に避難した三重県伊賀市の女性も、軍事侵攻後に離ればなれになった家族の再会を待ち望む1人です。

先行きが見通せない中、親子の思いを取材しました。

(津放送局 伊藤憲哉)

お父さんは生きている?

「“お父さんは生きている?”と子どもたちが聞いてきます。この侵攻で、家族の形は変わってしまったかなと思います」

こう話すのは三重県伊賀市にウクライナから避難している浅井絵利香さんです。

去年2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の始まりとともに、浅井さん一家の置かれた状況は一変しました。

その日、浅井さんは、いつものようにウクライナ人の夫、長女・結里愛ちゃん、次女・満里愛ちゃんの家族4人で首都キーウの自宅で就寝していました。

午前5時ごろ。「どーん」という何かが爆発したような音で目が覚めました。窓の外を見ると、ミサイルと強い光、爆発が起きているのが見えました。ついに侵攻が始まったと思ったと言います。いつか侵攻があるかもしれないと思っていた浅井さん。すぐに自宅と繋がっている地下シェルターに家族と一緒に一時、身を寄せました。

侵攻直後は、自宅周辺にロシア軍がいるという情報があったので外に出られない日が続きました。その後、情勢が少し落ち着いたという情報があり、家族で話し合った結果、日本へ避難することを決めました。

夫をウクライナに残したまま、3月4日から寝台列車や飛行機を乗り継ぎ…。

1週間かけてなんとか実家がある伊賀市へ避難しました。

命を最優先に避難。しかし、夫と離ればなれに

ウクライナに残りたかったものの、「命を最優先に」ととった日本への避難という選択。それは、夫と離ればなれになる瞬間でもありました。侵攻が始まってから、ウクライナの成人男性は原則、出国できないからです。

(長女の結里愛ちゃん)
「お父さんを心配しているし、さみしい」

(浅井絵利香さん)
「子どもたちは毎日“おうちに帰りたい。ウクライナに帰りたい。お友達と遊びたい”と言っています。夫に子どもの成長をみてもらえなかったり、すごく不安、ことばにできないような不安が今も私たちにはあります」

翻訳家である夫は、いまはウクライナの自宅で仕事をしています。しかし、侵攻が長引けば招集される可能性は高くなります。浅井さんは、もし招集されたら子どもたちにどう説明すればよいのかわからないと不安を吐露していました。

侵攻の長期化は子育てにも影響

さらに別の問題も。侵攻の長期化で子育ての計画も見直しが迫られています。

浅井さんは、ウクライナで子育てをすることを決めて、おととし(2021年)3月に首都・キーウに家族そろって移住をしました。5歳の長女の結里愛ちゃんは、本来、ことし9月にウクライナの小学校に入学する予定でした。しかし、帰国のメドがたたないなか、入学を1年遅らせることも考え始めています。

(浅井絵利香さん)
「長女は小学校の入学も視野に入れていかないといけない年になっているので、どうしてあげたらいいのかなと」

いつもお父さんも一緒

不安な日々を過ごす浅井さん。そんな中でも、子どもたちにウクライナに戻った気分になってもらいたいと旧暦に従って1月7日に名古屋市で開かれたウクライナのクリスマスイベントに参加しました。

イベントには同じように避難してきたウクライナの人たちなど、およそ100人が集まりました。そこでは平和への願いを込めて、ウクライナの国民的なお守りを作ったり、ウクライナの民謡を元に作曲されクリスマスソングとして知られている曲が披露されたりしました。

ウクライナに帰ったような時間を過ごす中、長女の結里愛ちゃんは絵を描き始めました。

まずはウクライナの民族衣装を着たお母さんを。お母さんの隣には自分を。その隣には3歳の妹を…。

ひとりひとり顔を見ながらスムーズに描いていきます。そのとき、結里愛ちゃんの手が止まりました。
どうしたのだろう、そう思って私は「パパは?」ととっさに聞いてしまいました。結里愛ちゃんは困ったような顔をして、お母さんの服の袖を引っ張りながら「パパ」と小さい声で言いました。
お母さんはスマートフォンの画面に写っているお父さんの写真を見せました。その写真を見ながら結里愛ちゃんはお父さんの絵を描ききりました。

完成したのは、笑顔で集う4人の姿、お父さんもいっしょ。侵攻前は当たり前だった家族の姿でした。

(長女の結里愛ちゃん)
「みんなの絵を描きたかった。お父さんに早く会っていっぱい旅行にいきたい」

浅井さんによりますと、最近のキーウは発電所などのインフラ施設が攻撃を受けて、停電が断続的に発生していて、毎日のようにしていたテレビ電話ができない日が増えているということでした。それを聞いて、恐る恐る結里愛ちゃんに「お父さんは覚えてる?」と聞いてみると、2,3秒の沈黙のあと、困った表情を見せながら「覚えてる」と小さく返答がありました。私はその答えを聞いて少し安心しましたが、それ以上は怖くて聞くことができませんでした。本当はお父さんの顔を覚えていないのではないか、でも覚えていなかったとしても、どう声をかけてよいのかわからない、そんな不安が脳裏をよぎったからです。

ウクライナで家族と過ごしたい

2月24日で軍事侵攻から1年。侵攻は「家族」全員がそろう日常さえ様変わりさせてしまいました。

(浅井絵利香さん)
「私たちも離ればなれで子の成長を見てもらえない、一緒に見られないのもそろそろ終わりにしたいと思っているので、ことし中にはウクライナに帰って家族みんなで過ごしたいと思っています」

一日でも早く家族4人そろって暮らしたい。
浅井さん一家はいまもそんな当たり前の日常が戻ってくることを願い続けています。

(津放送局 伊藤憲哉)