「風よ あらしよ」最終回ご視聴ありがとうございました!

柳川強
2022年9月18日 午後11:37 公開

プレミアムドラマ「風よ あらしよ」最終回、ご覧いただき有難うございました。

大正12年(1923)9月、関東大震災の混乱の中で、伊藤野枝(=吉高由里子)と大杉栄(=永山瑛太)は命を奪われました。残された周囲の人物は、その後どのような人生を歩んだのでしょうか?紹介したいと思います。

“源兄ぃ”こと村木源次郎(=玉置玲央)と和田久太郎(=金井勇太)は、翌年大正13年(1924)9月、野枝と大杉を虐殺した当時の戒厳司令官に対して、「その責任を問う」と、襲撃事件を起こします。が、これは暗殺未遂に終わり2人は収監されます。その後、村木は翌年に病死。和田は、無期懲役に処され秋田刑務所に服役。昭和3年に獄中で自殺しました。

“源兄ぃ”と呼ばれていた村木‥‥
「彼ほど優しく親切で人なつっこい人は珍しい。厄介事はたいがい一人で引き受けてやっていた。ただその背後には、誰にも見せない物騒なものを隠し持っていた」と言われています。

和田は“ズボラな久さん”の意味で、「ズボ久」というあだ名で呼ばれていました。無政府主義を伝道する旅に出て、折々に俳句を詠むのが趣味、という男でした。

2人とも、30代の半ばで亡くなりました…。
 

神近市子(=美波)は、葉山での「日陰茶屋事件」の後、殺人未遂罪の実刑判決をうけ2年間を刑務所で過ごします。出獄後は、文筆家・婦人運動家として活動します。評論家の男性と結婚して3人の子どもにも恵まれました。戦後は社会党から出馬して衆議院議員を5期も務め、売春防止法成立などにも尽力しました。昭和56年(1981)93才で亡くなります。
 

堀保子(=山田真歩)は、関東大震災の翌年病気で亡くなりました。大杉が2歳年上の保子に出会ったのは、19才の時。その頃保子は別の男と婚約をしていましたが、保子に惚れていた大杉は、浴衣の裾に火をつけ「結婚してくれないのなら、このまま焼身自殺をする」と、決死の覚悟で保子に求婚したといいます。保子は、その熱意にほだされて大杉と一緒になりました。以降、定収入のない主義者・大杉を、雑誌の編集などをして支え続けました。

神近市子、堀保子の女性2人は、野枝と大杉が虐殺されたのを知った時、何を思ったのでしょうか?
 

渡辺政太郎(=石橋蓮司)は、“渡辺のじいさん” “渡辺のおじさん”と主義者の面々から親しみを込めて呼ばれていました。社会の歪みに目を向け、社会主義者となった渡辺は、子ども好きで「一銭床屋」と称して、自宅の長屋前で子どもの髪を切ってやってたりしていました。その広くない部屋では、社会主義の研究会を開いたりして、様々な主義者が出入りしていました。大杉も村木も和田もここに出入りして付き合いが深くなったのかも知れません。野枝が辻と暮らした家の近くに住んでいて、よく長男一(まこと)の面倒もみていた、といいます。主義者として表立って活動するのではなく、むしろ人々を結びつけ育てた存在でした。大正7年(1918)結核・肺炎で亡くなりました。
 

奥さんのやよ(=山下容莉枝)は、針仕事などで夫の活動を支えた人でした。昭和4年(1929)まで生きました。
 

震災時に憲兵大尉だった甘粕正彦(=音尾琢真)
その後、軍事法廷で大杉栄・伊藤野枝・橘宗一3人への殺害の科で、懲役10年の判決を受けます。が、3年後に仮出所し、その後は満州国の建国に関与する事になり、満州映画協会理事長などになります。昭和20年(1945)日本の敗戦を聞き自死します。55歳でした。未だ謎多き人物です…。
 

これは、静岡県の某所にある「大杉榮之墓」
ここに、大杉栄、伊藤野枝、そして橘宗一の3人が葬られています…伊藤野枝28才、大杉榮は38才、橘宗一6才でした…。

大正時代を疾風のように駆け抜けた人生…皆さんは、どんな事をお感じになりましたか?
 
 

プレミアムドラマ「風よ あらしよ」

【原作】村山由佳【脚本】矢島弘一
【音楽】梶浦由記
【出演】吉高由里子 永山瑛太 松下奈緒 美波 玉置玲央 朝加真由美 
  山下容莉枝 山田真歩 栗田桃子 音尾琢真 石橋蓮司 稲垣吾郎 ほか
【制作統括】岡本幸江【演出】柳川強