「米中衝突 緊迫する香港情勢」

初回放送日: 2020年6月3日

中国が香港に反体制活動を取り締まる国家安全法制導入を決め、内外に大きな衝撃を与えた。なぜ今強硬手段に出たのか。米中対立にさらに拍車をかける香港問題を考える。

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米中激突 緊迫する香港情勢

先月末、中国の国会、全人代が、香港に反体制活動を取り締まる国家安全法制を導入することを決めた問題は、これまで香港に保障されてきた高度な自治をないがしろにするものではないかと、内外に大きな衝撃を与えています。そこで、米中対立にもさらに拍車をかけることになった緊迫する香港情勢の背景と注目点について考えてみたいと思います。

(VTR:全人代閉幕→香港の抗議デモ)
先月開かれた全人代では、最終日の28日、香港に国家安全法制を導入することを決議しました。賛成2878票に対して、反対はたった1票、棄権6票という圧倒的な多数での採択でした。これに対して香港では、激しい反発の声が上がり、デモ隊が警官隊と衝突する事件も起きました。この衝突で360人以上が逮捕されたと伝えられています。

それでは今回香港に導入されることになった国家安全法制とはどのようなものでしょうか。

ざっくりまとめますと、この法制は、▽香港で、国家の分裂や中央政府の転覆をはかる人たちなどを厳しく取り締まろうとするもので、▽その反体制的な動きを監視するための専門機関を香港に設置することも可能だとされています。法律はこの後、全人代の常務委員会で具体的に定められ、香港の憲法ともいわれる香港基本法の中に付属文書として追加する形で、今年夏にも施行されるとの見方が強まっています。

きょう北京を訪れた香港の林鄭月娥行政長官は、中国政府に対して、香港行政当局としては国家安全法制の整備に全面協力する方針を伝えました。しかし香港の人たちの間には、こうした中国の強引なやり方には問題があると批判する声が沸き起こっています。

そもそも香港では、23年前にイギリスから中国に返還されたときに、「1国2制度」という大原則のもと、返還後も50年間は、香港の人たちの手による高度な自治を維持することが大前提として約束されました。ただ、法制上は、香港基本法の付属文書に、中国の全人代が新たな法律を加えること自体は可能でした。今回の国家安全法制の導入も、その仕組みを突いて行われるわけですが、香港存在の大前提である「高度な自治」を崩壊させかねない法制度を、香港の議会・立法会の頭越しに中国が押し付けるやり方は、許せないというのです。
香港の民主派団体の幹部はきょう午後記者会見を行い、「香港の人権や自由が完全に崩壊してしまう」と訴えました。
一方、アメリカやイギリスなど西側先進諸国の間からも強い反発が起きています。

このうちアメリカのトランプ大統領は、記者会見で▽「中国は1国2制度を、1国1制度に変えた」と非難するとともに、▽これまでアメリカが香港に与えてきた関税や渡航などの優遇措置を撤廃することを表明しました。これに対して中国側は、対抗措置をとる反発し、米中の対立は、ますますエスカレートする様相を深めています。

国際的な金融都市で自由貿易港としても繁栄してきた香港は、中国経済にとってもまさに「金の卵を産む鶏」として特別な恩恵に授かれる場所でした。このため、アメリカが香港への優遇措置を取りやめれば、これまで香港の地位を利用してきた中国企業にとっては、大きな打撃になるとの見方も出ています。
それなのに、習近平政権はなぜ、あえてこの時期に香港に対して強硬な措置に踏み切ったのでしょうか。
その一つとして考えられるのが今年9月に行われる香港の議会、立法会の議員選挙です。

実は、去年11月に直接選挙の形で行われた、一つ下の区議会議員選挙では、それまでは3分の2の議席を占めていた親中派が大敗し、民主派勢力が議席の85%を占めるという大逆転になりました。これには習近平政権も相当衝撃を受けたようです。
そこで秋の立法会選挙でも民主派が躍進することを抑え込む狙いがあったのではないかと考えられるのです。
もちろん、立法会の選挙は、すべての議席を有権者の直接投票で選ぶわけではないことから、選挙で民主派が大多数を占めることは考えられません。ただ、全議席を直接選挙で選ぶことを求める人たちが、この夏再び大規模なデモを行い、香港が混乱に陥ることを恐れたのかもしれません。でもそれだけの理由でしょうか。私は、その背景にもう一つ、中国本土の事情もからんでいるのではないかとみています。

習近平国家主席は、7年余り前にトップリーダーになって以来、汚職腐敗の打倒を名目に対抗勢力を次々と失脚させ、「強いリーダー」としてすべての権力を一手に握るようになりました。地球規模の経済圏構想「一帯一路」を打ち出し、国際社会にも中国の影響力を拡大させようとする覇権主義とも受け止められる強気の対外政策を打ち出してきました。
ところが2期目に入り、アメリカにトランプ政権が誕生すると、米中両国の対立構造があらわになり、互いに経済制裁をかけ合う中で、中国の経済成長にもブレーキがかかったのです。

そしてそれに追い打ちをかけたのが、去年冬から猛威を振るった新型コロナウイルスの発生でした。そこで問題になったのが中国の初期対応の遅れです。

最初に武漢で患者が発生してから、都市の封鎖や移動禁止などの感染防止対策が取られるまで1か月半もかかりました。その間に武漢の人口のおよそ半分500万人が中国全土、そして世界各地へと出て行くことになり、世界中に感染が拡散することになったのです。
その後、中国国内で断行された強制的な移動制限や、工場の操業停止など厳しい感染防止対策によって、経済は今年の成長目標を打ち出せないほど悲惨な状況になりました。失業者の数もだいぶ増え、今年3月時点では5人に1人が職を失ったという中国の金融機関の分析も伝えられました。強制的な隔離を受けたり、職を失ったりした人たちの間には、今も相当な不満が蓄積されているといわれています。「強いリーダー」であり続けることで求心力を保ってきた習近平主席の威光も、どこか陰り始めてきたように思えます。

習近平政権に対する国際社会からの風当たりも強まりつつあるといえます。アメリカなど感染拡大が深刻な国々からは、中国の責任を問い、賠償を求める動きも次々に出ています。

これ対して、「自分たちに責任はない」と主張する習近平政権は、このところ「戦う狼」、「戦狼外交」と呼ばれる強気の外交を展開するようになりました。あえて外国との対立を深めることで、国内の不満の目を外にそらし、社会不安を一掃しようとしているのかもしれません。つまり習近平政権の対外強硬姿勢の裏側には、「強いリーダー」としての面目を保ち、求心力を維持するねらいがあるようにも見えるのです。

習近平政権がいまこの時期に、香港に国家安全法制を導入しようとする背景にも、香港で続く抗議活動の火を燃え上がらせれば、経済不安や失業などで不満を募らせる中国本土の人たちに飛び火しかねないとの危機感があるように私には思えます。
【VTR:天安門事件】
実はちょうど31年前の6月3日夜から翌4日朝にかけて起きた天安門事件も、当時北京で拡大したデモを放置すれば、やがて全土に波及し、全国規模の大動乱に発展するとの党指導部の強い危機感が、武力弾圧を決断させたとされています。香港に対する今回の強硬措置も、香港の抗議活動が、中国本土に波及し、全国規模の反政府運動に拡大することを事前に食い止める狙いがあるのかもしれません。

香港の人々が例年この時期に欠かさず続けてきた天安門事件の追悼大会は、今年は新型コロナウイルスを理由に、香港当局から開催を認められませんでした。しかし、香港の人たちがこのままおとなしく引き下がるかどうかはなお不透明です。緊迫化する香港情勢の今後を読み解くには、ますます激しさを増す米中両大国の駆け引きに加え、その背後に横たわる中国本土の政治・経済、そして社会情勢についても併せて注意深く見守ってゆく必要がありそうです。

(加藤 青延 専門解説委員)