能・狂言

NHK
2021年8月10日 午後5:24 公開

室町時代、三代将軍足利義満の時代に成立し、以来650年以上にわたって受け継がれてきました。

舞(まい)と謡(うたい)による格調高い能と、こっけいなセリフや動きで魅せるおおらかな狂言。
雰囲気は異なりますが、どちらも奈良時代に中国から渡来し、流行した「散楽(さんがく)」という物まねや曲芸などを行う大衆芸能などをもとに発展したものです。

半能「石橋 師資十二段之式(しゃっきょう ししじゅうにだんのしき)」 白獅子:関根祥雪(当時 祥六)  (2005年 NHK古典芸能鑑賞会)

 
  
面(おもて)や装束(しょうぞく)を身につけた役者たちによる「舞」と、セリフや歌からなる「謡」。
そして笛、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、太鼓(たいこ)で四拍子(しびょうし)ともいわれる「囃子(はやし)」の三要素からなる歌舞劇です。
神や亡霊、鬼など人ならざるものが登場する演目も多くあります。

面のわずかな角度の違いで人物の感情を表し、きわめて抑制された動きで物語を進行するため、見る側の想像力にゆだねられる部分が多く、たいへん奥深い芸能です。

すべてを理解して見ることはなかなか難しいかもしれませんが、最初は能舞台の荘厳な雰囲気や、華やかな面や装束に注目して、また音楽を楽しむなど、いろいろな見方からはじめてみるのもよいのではないでしょうか。

  

 
能は室町時代、観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)親子により大成されました。

散楽から発展し、ごく短い簡単な劇のような形をとっていた「猿楽(さるがく・申楽とも書く)」に、当時流行していた舞や謡を取り入れた観阿弥、今に伝わる能のスタイルや演目を作った世阿弥。

武将や女性、ときには鬼や神などが仮の姿で現れ、かつての恋や戦い、身の上などを回想する形で前半の物語が展開。
後にその正体を現すというのが、世阿弥が練り上げた能の代表的な形式です。

異界や霊界とこの世とを、何ごとも無いかのようにつなげてしまうことが、能の魅力のひとつかもしれません。

  
 
また、世阿弥の書いた「風姿花伝(ふうしかでん)」という書物は、今でも能楽論書の中で最も有名なものです。
「初心忘るべからず」や「秘すれば花」、「離見(りけん)の見(けん)」という有名な言葉も、世阿弥が記した言葉です。

 
 
ちなみに、足利義満や豊臣秀吉、徳川家康など歴史上の人物も能を好んだことで知られており、「太閤能(たいこうのう)」という豊臣秀吉が自身の生涯を能に仕立てた演目も今に残っています。

徳川家康もみずから能を舞い、江戸幕府の年中行事などに能を取り入れており、江戸時代、能は武家にとっての式楽(儀礼芸能)として、欠かせない教養の一つでした。
 

狂言

狂言「棒縛(ぼうしばり)」 悪さをしないよう縛られた太郎冠者と次郎冠者が、酒を盗み飲みしようとする 次郎冠者・四世茂山千作 太郎冠者・五世茂山千作(当時 千五郎) (2000年 NHK古典芸能鑑賞会)

 
 
能とは対照的に、おおらかな庶民の「笑い」を主に描くセリフ劇。

酒が飲みたいとか、サボりたいばかりに失敗したり、浮気がばれて妻にこらしめられたりといった、今に変わらぬ人間の習性や本質をたくみにとらえ、笑いに昇華しています。

 
 
狂言は能と共に発展してきたため、一緒に演じられることが多いのです。
そのため、狂言単独で演じられる「本狂言(ほんきょうげん)」という形だけでなく、能の演目の途中に入る「間狂言(あいきょうげん)」という形もあります。

 
舞台や体の使い方など能と共通の部分も多くありますが、狂言は面をつけずに素顔で演じることが多いです。

能が歴史上の有名な人物などが登場するのに対し、狂言は日常生活を送るごく普通の人たちが多く登場します。
「大名」が登場しても、ちょっとその辺りの「領主さま」というくらい。

特によく登場するのが「太郎(たろう)冠者(かじゃ)」と呼ばれる召使い役ですが、とぼけていながらもしたたかで、親しみを感じられる狂言の代表的なキャラクターです。