静岡 サッカー 小野伸二選手×野々村芳和チェアマン 対談全文公開【前編】

NHK静岡 サッカー特集班
2022年11月25日 午後6:49 公開

いよいよ日本の戦いが始まったFIFA ワールドカップ 2022。サッカー熱の高い静岡の皆さんにとって、「4年に1回の楽しみ」という方も多いのではないでしょうか。

しかし今、“サッカー王国”と言われた静岡の地位は少しずつ揺らぎ始めています。史上初めてJ1から静岡のチームが消え、静岡出身のワールドカップ日本代表も1人だけとなってしまいました。

そんな中、静岡のサッカーの未来を語り合おうと、今回、元サッカー日本代表・小野伸二選手(沼津市出身)と、Jリーグチェアマン・野々村芳和さん(旧清水市出身)の対談が実現しました。

静岡出身のふたりが語る、サッカー王国復活への提言とは?前編・後編の2回にわたり、対談全文をお届けします。

(11月上旬 NHK放送センターにて収録)    

対談前にあいさつを交わす野々村さん(左)と小野さん(右)

(小野)

こんにちは。

(野々村)

おーい、伸ちゃん。

(小野)

ご無沙汰しています。

(野々村)

ご無沙汰っていう感じでもないでしょう。

野々村さんの現役時代の写真を見る2人(写真右下)

スタジオに飾られた思い出の写真を見ながら、対談がスタート。

(野々村)

ちょっと、見て見て、これ。

(小野)

え?これ、何ですか。

(野々村)

(小野選手の小学生時代の写真を見て)かわいい。

(小野)

これ、1年目ですか。何年目ですか。

(野々村)

1年目か2年目ぐらいじゃないかな。違うかな。

(小野)

これ、1996(年)とかですか。

(野々村)

1996か97(年)か、そんな感じじゃないかな。かわいいな。

(小野)

すごいですね。

小学4年生の頃の小野伸二選手

(野々村)

すごいって、これでしょう。この時、何年生ぐらいなの?

(小野)

いやー、どうですかね。3年生か4年生ぐらいだと思います。そこから始まっているので。

(野々村)

無双していた?

(小野)

どうですかね。まあ、これぐらいのときは。

サッカーのまち・清水

(野々村)

写真を見て、昔すごかったなみたいなことをよく言われるじゃないですか。思い出すこと、何かあります?「静岡はすごかったんだろう」って、よく聞かれるでしょう?

(小野)

何がすごい…。いや、もう歴代の人を見れば、もうそれだけですごいじゃないですか。もちろんカズさんから始まって、ゴンさん、野々さん。

(野々村)

おれ、入れなくていい。

(小野)

ノボリさん(元清水エスパルス・沢登正朗)、ケンタさん(元清水エスパルス・長谷川健太)とかね。

写真左:長谷川健太さん 右:沢登正朗さん

(小野)

あの三羽鳥(がらす)もそうですし。

※三羽がらす…名門・清水東高校サッカー部で活躍した大榎克己さん、長谷川健太さん、堀池巧さん3人のこと

(野々村)

今、思えば、何が違ったと思う?

(小野)

何が違う?でも、地域的に違うじゃないですか、まず。

(野々村)

まあ、ちょっとね。やっぱり清水(市)がすごかった?

(小野)

すごかったなという感じがしますよね。僕らは東部地区で、サッカー不毛地帯と言われている地域で。

(野々村)

同じ静岡(県)ですぐ近くなのにね。

(小野)

はい。僕らはやっぱりその清水にいる選手たち、同級生も含めて、絶対負けたくないなという気持ちでやっていたので。やっぱりそういう自分がこう目指すもの、ライバル的なものというのがずっとあったんじゃないかな。

(野々村)

近くにいたよね。

(小野)

はい。間違いなく。

(野々村)

それを何で知った?

(小野)

対戦して知ることもあれば、選抜チームに入って知ることもあったり。

(野々村)

伸二がちっちゃいころ、選抜チームって何があった?

(小野)

静岡県選抜。

(野々村)

小学校?

(小野)

小学校はないですね、中学校ぐらいから。一応、アンダー12(12歳以下)というカテゴリーの選考会みたいなので、静岡県20名、東海4県の20名ずつ各県から出て。その集まりが小学校6年のときに初めて会ったかなという感じですね。

(野々村)

それで、実際に清水の同い年ぐらいの子たちの実力を知ったみたいな?

(小野)

そうですね。すごかったですね。

野々村)

すごかった?

(小野)

やっぱり個はすごかったですね。それがやっぱりチームになると、やっぱり自分たちの東部地区では、絶対勝てなかったので。いつも清水FCに勝てなかったですし。静岡の清水のチームに勝ちたいという気持ちを持っていつもやっていたかなと。

(野々村)

すぐ近くにライバルがいたみたいな感じ?

(小野)

ですね、僕は。

(野々村)清水FCも、小学校3年生から選抜セレクションがあるじゃない。300人が1つの小学校のグラウンドに集まって、その日テストをやって、最後に何十人か選ばれるみたいな。そんな地域って、多分ないだろうね。小学校3年生とか10歳になる前ぐらいから競争みたいな。それ、よかったんじゃないかなと思うんだよね。

(小野)

僕のところ(沼津市)って、そういうのが特になかったんで。僕、小学校3年生からサッカーを始めて、もう大体、優勝・準優勝しかしなかったチームだったので。

(野々村)

地域で?

(小野)

はい。でも、そういう中でも、先輩にいい選手もいましたし。だから、そういう人たちと、小学校4年生のときに6年生の試合に出て、やっぱり違いがすごくて。自分の中で、1歳上は大丈夫なんですけど、2歳上って、やっぱりこんなにも違うんだなというのがすごい体験させてもらって、もっともっと自分はやらなきゃいけないということに気付かされたというのもあるし。

(野々村)

昔、そうやって一学年上とか、二学年上とかの試合に普通に使っていた。俺もそんな記憶があるんだけど。自然にやっていたのかな?

(小野)

わからないです。僕はたまに参加させてもらっていて。1つ上はもうほとんど出ていたんですけど、2つ上というのはなかなか…。小学校4年と6年って、意外にこんなにも差があるんだなというのをすごく感じてやっていましたね。

(野々村)

でも、自分でちょっとイケてるなとは思っていた感じ?

(小野)

いや、自分たちの代だったらもちろん自信を持っていましたけど、やっぱり上になると、こんなにも…というのは、小学校時代は感じましたね。

(野々村)

俺清水にいてやっぱりね、一学年上にもうまい人たちいるじゃん。で、近くで見れるから、1個上、2つ上ぐらいのお兄ちゃんたちをすぐ目標にできるというか。やっぱ一学年、二学年上でうまい人って、格好よく見えるじゃない。

(小野)

そうですね。はい。

(野々村)

その環境はあったかな。

(小野)

僕のところは、駒澤大学の生徒が数名、自分たちの学校に来て教えてくれていたんですよ。やっぱりその選手たちにも負けたくないと思ってやっていましたから。

(野々村)

大学生に?

(小野)

はい。絶対抜いてやろうとか、ボールを取ったらこのユニフォームをあげるよとかって言われて、それで絶対取って、ユニフォームをもらうぞ!と思ってという、がむしゃらさもありました。何か小さいながら、そういうものに立ち向かっていっていたなというのが記憶にありますね。

小野が語る 今の指導は教えすぎ!?

(野々村)

サッカーを教わったかどうかというと、どう?

(小野)

基本的に自分をずっと指導してくれた小学校3年生から6年生まで指導してくれた方はラグビー出身の方で。いろいろ勉強してサッカーを教えてくれていたんですけど、少年団の中にちゃんとサッカーをやって人たちももちろんいたので、そういう人たちのもとでも勉強になりました。

(野々村)

何を教えてくれていた?

(小野)

特に何というの、なくないですか。

(野々村)

ないよね。

(小野)

練習時間がまず週に2回しかなかったので。

(野々村)

そうなの?

(小野)

はい。だから、もうあとは家でリフティングして、壁にボールを蹴って、何かいろいろ工夫してやっていましたね。

(野々村)

俺もさ、教わったこと何があるかなって思い出しても、あんまりないかなと思って。

(小野)

小さいときって、そんなに。確かに。

(野々村)

それが逆によかったのかどうかって、どう?今、小さい子たちは結構いろんなことを教わっちゃっていると思うんだけど。

(小野)

教わっているし、何か毎日やっているじゃないですか。どっかへ行って指導を受けるみたいな。

(野々村)

スクールに行って、チームでやって…?

(小野)

そう、かけ持ち。それがすごいなって。何かそれは逆に言ったら、何か貪欲さとか、もっとサッカーをやりたいという気持ちにならないんじゃないかって、逆に思っちゃうんですよ。そんなに教えてもらうということ自体が。だから、何か自分で、1人でやっているということのほうが、僕は…。

(野々村)

楽しい?

(小野)

楽しかったですし。もちろんそれが、試合になったときは、もう最高に楽しいんです。

(野々村)

試合は嬉しいよな。

(小野)

でも、自分で、1人でやっている時間というのも、僕の中では色々なひらめきだったり、こんなこともやって、こんなこともやってってずっと考えていろんなことをやっていました。

(野々村)

何をやったの?

(小野)

僕、団地に住んでいたので。団地っていろいろあるんですよ。物置きとかもあれば、入口の上に傘みたいな雨がかからない場所があるので、そこにボールを蹴って、転がってきたのをトラップしたりとか。いろいろ自分でトレーニングを考えてやっていましたね。

小学4年生の頃の小野伸二選手

(野々村)

俺、結構毎日練習だったんで、清水って。多分。

(小野)

本当ですか。へえ。

(野々村)

でも、家で遊んでいたよ。自分でトーナメント表を作って。当時、清水東高校、やっぱり全国大会ですごかったかな。清水東、帝京、韮崎と書いて。

(小野)

1人で?

(野々村)

1人で。でも、まあ、そんな感じだよな。何か最近、よく言われるのが、教わり過ぎてよくないんじゃないかみたいなことを言われたりすることが多いのね。自分と照らし合わせて、どう思うかって。

(小野)

でも、自分が子どもたちに教えるとなったときに、難しいなと思うんですよ。要するにやっぱり自分でやってきたなと思っていたんで、教えるということ自体が難しい。子どもは小さいときというのは、自分でいろんなことを学んで、サッカーが楽しいということだけを教えてもらえばいいんじゃないと、僕は思っていて。細かいことというのは、自分でいろんなことに気付いてやって、「ああ、こういうことなんだ」と気づいたほうが、絶対自分のものになっていくと思うので。確かに教え過ぎというか、何かすごいことを教えているじゃないですか、ドリブルとかも。「それ、見たことある?」みたいな。その試合の中で、「これ、誰がやっていた?」とかというのもあるmpで。確かにそういうものに対しては、否定しているわけじゃないですけど、必要ないのかなと思っちゃったりもするんですけど。

(野々村)

楽しさって、いっぱいサッカーの中にいろいろあって。例えば技術的なボールトラップ止まったとか、いいキックができたとかって、そういう技術的な楽しさと、相手に勝ったとか、相手の何かこう意表を付けたとか、楽しさっていっぱいあったりするじゃない。

(小野)

小学校ぐらいって、僕はもうリフティングの回数ですよね。1回でも多くできたら嬉しくて。すぐ、「また次更新しよう」という。毎日、ボールを蹴っていました。

(野々村)

確かに、確かに。

(小野)

学校でも、10分休み、20分休みってあるじゃないですか。もう僕、全部(外に)行っていましたからね。

(野々村)

俺(学校が)近くだったから、結構ドリブルして行っていたよね。自転車のおばちゃんにボールをぶつけちゃって、すごく怒られた記憶とかある。(苦笑)

(小野)

やんちゃしてそうですものね。

(野々村)

いや、伸ちゃんほどじゃない。

(小野)

いや、いや。

“王国”は本当に崩壊!?静岡サッカーの現在地

(野々村)

“サッカー王国”とかってよく言われて、最近そうじゃないんじゃないかというふうにも言われているじゃない。

(小野)

はい。

(野々村)

昔はサッカー王国、日本の中において静岡はサッカー王国だったということは異論はなし?

(小野)

はい。ないと僕は思っていますけどね。はい。自信もありましたし。

(野々村)

そうだよね。静岡の今で言う代表とかで言うと、みんな集まるじゃない、全国から。静岡弁が標準語になるじゃない。

(小野)

多いですからね、静岡の選手たちが。だから、稲(元日本代表・稲本潤一)とかもそう言いますもん、やっぱり。合宿に行くと、静岡ばっかだから嫌だわとか言って。

(野々村)

そうだよね。じゃあ、何で静岡の人たちがそんな偉そうにするんだって多分、周りの人たちが思うぐらい。何だろうね、あれは自信があったというか、もうプライドが勝手に。

(小野)

別にそんなに偉そうにしてないじゃないですか。僕らは自然にしてるけど、何か周りから見ると、あいつ、堂々としすぎじゃないみたいな感じには見えていたんじゃないかなと思いますけど。僕たちからしたら、自信を持ってそこに乗り込んで行っているわけですから。

(野々村)

何でだろうね。その自信を持てたのは何でなんだ?

(小野)

何でですかね。

(野々村)

実際にうまかったからかな。

(小野)

まあ、うまいかどうかはわからないですけど。負けないという、そういう気持ちは強くあったんじゃないですか。

(野々村)

そうかもね。だから、競争の世界は小さいころからあったし、近くにライバルがいて、「あのお兄ちゃんに勝ちたいな」というのを普通に思えるような。

(小野)

環境でしたね。

(野々村)

そういうことなのかな。

(小野)

ような気がしますけどね、僕は。だって、(静岡以外の)ほかの選手も確かにうまいけど、静岡の今回来てない選手ももっとうまい子いるなとか、あったじゃないですか。

(野々村)

県内にね。うん。

(小野)

そういうのばかりだったという感じがするので。そういう選手たちと戦って、「ああ、自分がもっともっとうまくなりたい」って意識も強くなりましたし。何かもうただ走っているときでも、頭の中で「あいつはもっと走っている」とか思いながら、「俺はもっとやらなきゃ駄目だ」と。「あいつがこれで終わったから、俺はもう少し走ったらあいつよりうまくなる」とか、いろんなことを考えていましたね。とにかく。

(野々村)

うまくないと、(静岡の)サッカー選手じゃないみたいな感じじゃなかった?

(小野)

静岡でのベースですよね。静岡でサッカーをやっていると言ったら、「こいつ、絶対うまいでしょう」ってなりますもん。

(野々村)

静岡がサッカー王国じゃないというふうに言われているのは、日本全体のレベルが上がったというのはあるんじゃない。

(小野)

そうですね。基本技術がもうしっかりしているじゃないですか、静岡の子たちも含めて。ただ、言っているように、やっぱり個がないというか。みんなが同じような感じになっちゃっているというのは、やっぱり教えられ方がみんな一緒なわけで、やっぱり自分で何かを学んだという形がないから、本当に自分の最大の武器みたいなのが見つかってないのかなというのがやっぱりありましたよね。

(野々村)

止める、蹴るは上手になったけど、この勝負にどう勝つかとか、そこはもう時代かな。だって、伸二が小さいころに、清水と戦うのに普通にやったら勝てないと思うぐらい、その清水のチームは強かったんでしょう?

(小野)

うん。強かったです。

(野々村)

それを勝ちたいから、じゃあ、どうすればいいかみたいなところまで考えるじゃない。

(小野)

考えました。はい。

(野々村)

いいプレーすればいいや、というのとはちょっと違う。

(小野)

そうですね。そこではないですね。小さいときは特にもうとにかく負けず嫌いだったので。

(野々村)

本当、俺、2年生ぐらいかな、0対6で負けた試合があったのね、市内の小学校で。母ちゃんに「きょうはどうだった?」と言われて、0対0だったと嘘ついたの。それ、翌日、新聞に0対6って書いてあって、すごい怒られた。(笑)

(小野)

さすがにそれはバレるでしょう。

(野々村)

そんな小学校の試合、新聞に出ているのかよ。

(小野)

それでもすごいですね、確かに小学校の試合、出ていましたよね。

(野々村)

あと、先生たち(指導者)もいっぱいいたと思うんだよ。サッカーがどのぐらいわかっているかどうかというのは、今も当時もわからないけど、何か熱量が高かったよね。

(小野)

そうですね。間違いない。情熱は半端なかったと思います、指導者の。

(野々村)

それもあるだろうな。サッカーは専門でやっていなかった先生であっても、何か伝えてくれたというか。特に気持ちの部分で。

(小野)

確かにそれはありますね。僕、小学校のときに、(指導者が)ラグビー出身の人だったので、そういう人間的なもの。やっぱり自分たちのチームは市内では強かったので、市外に出て強いところと対戦させて、負ける悔しさというのをすごく体験させられたというか。何度も何度も同じチームで負けて、で、また同じチームとやって、また負けてみたいな。その繰り返しで勝ったときの喜びだとか、「俺がやったぞ!」という自信にもつながる、そういうものも何かいろいろ教えてもらったなというのがすごくありますね。

(野々村)

もちろん才能もあると思うのね。でも、環境も、絶対要因としてあるだろうなと思うんだけど。(よい選手が)出てこなくなったとすると、その要因は何が考えられるか。

(小野)

甘やかされすぎ? 何か競争心がないというか。

(野々村)

それはちょっとね…。

(小野)

絶対にそこがないじゃないですか。通知表も何となくよく聞くんですけど。何か順位を付けたりするようなことを避けようとするものというのは、何かどうなんだろう?って。やっぱり上に行きたいと思っている者からすれば、すごくなぁなぁじゃないですけど、気持ちの面でもっともっといかないんじゃないかと思っちゃたりもするんですけどね。

(野々村)

サッカーにおいてはやっぱり競争があって、個人で言えば、さっきの伸二の話じゃないけど、4年生でも6年生の試合に出るとか、強いチームであっても何か勝てる方法を考えるとか、そういうのがなくなっていったかもしれないね。

(小野)

そうですね。多分、自分で考えるという力がそもそもちょっと落ちているのかなという感じは受けるかもしれないですね。技術的には1人1人、うまいなと思うことはたくさんあるんですけど、何かこういうことをやったら面白いなという子はいないですよね。言われたことだけを本当にやる。まあ、僕もそうだったのかもしれないですけど、でも何かどこかしらプラスαで何かをやっていたなという感じで、自分の中では思っていますもん。究極を突き詰めて何かやっていたような気がしますね、僕自身は。

対談全文公開記事(前編)はここまで。

後編では、サッカー王国静岡復活へのヒントを二人が提言します。

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