若大将、加山雄三さん。ことしで85歳です。高齢を理由に、年内でコンサートやテレビなど人前での歌手活動からの引退を発表しています。
その加山さんが先日、富士宮市で音楽フェスティバルに出演しました。
ステージを降りようとする国民的スター。ゆかりの深い静岡のファンに寄せる思いを聞きました。
(インタビュアー/記者・三浦佑一)
富士山麓の朝霧高原で開かれた音楽フェスティバルに出演した加山雄三さん。
(加山雄三さん 曲中セリフ)
「幸せだなあ!最高の幸せだよ」
おなじみの歌声が響き渡り、会場は一体となりました。
ステージ直後の加山さん。控え室代わりのテントの中で、NHK静岡のインタビューに応じました。
(加山雄三さん)
「よろしくお願いします」
(記者)
本当にすばらしいステージで、世代を超えた一体感がありました。いかがでしたか?
「本当にそう思った?」
はい。
「そんならいいや。ありがとうございますという気持ちでいっぱいいっぱい」
「大体俺の歌って、結構自分の歌だけどさ、みんな知ってるんじゃないの。おじいちゃんおばあちゃんが聴いてたからって、それを聴いて育っているの。子どもに聞かせたりしていればさ。それで共通の気持ちになれたんだと思うんだよ。すごくよかったね。俺は」
富士山麓でのステージはいかがでしたか。
「お天気がよければもっといいとこだよね。俺は晴れ男と言われているからほんと、俺が歌っているときだけ雨がやんでたりしてさ」
「自然バックでやれるというのはさ、ここぐらいしかない。富士山の裾野がいいや、そう思ってさ」
加山さんと静岡のゆかりと言えば、伊豆です。
西伊豆町には、加山さんが相棒のクルーザーを置いていた縁で、楽器や衣装、レコードなどを展示する「加山雄三ミュージアム」がありました。
加山さんが愛した、大田子海岸からの夕日。
町役場の町長室には、加山さんの油絵が飾られています。タイトルは「明日への希望」。
「絵を描いているとき、必ず自分の先のことを考えるじゃん。長い時間がかかるからね。やっぱり明日への希望を持ったまま描いていたんだよ」
「全部どこで描いてどんな絵だったかみんな覚えているからね。思い出が全部あるのよね」
「絵っていうものはね、歌と違って。歌は流れていって、何分間って決まっているじゃん。1回聞いたら終わっちゃう。ところが絵って言うのはじっと見ている。自分の中でひとりでに時間が延びていくんだよ。そこに入っていくことができる」。
西伊豆町の賀茂小学校や下田市の下田高校の校歌も加山さんの作品です。
「作るときはね、歌詞を募集したんだよ。みんなにあのへんの雰囲気を書いてもらって。それを集合して詩を付けるからってやったんだよね。そしたらいい詩ができたんだよな」
(記者)
静岡県民に向けてメッセージをお願いします。
「それはもう、富士山の裾野っていったら、全部思い出あるよ、俺」
「もうきれいなところだから、美しいものを汚さないようにしましょうね。どんなことがあったって、誰が来てもいつ見てもいいなという街並みであってさ、それで自然も生きているなというような、それを維持してもらえたら、それだけで十分です。それが一番、最高です」。
(加山雄三さん ステージMC)
「生きてて良かったと思うよ。だって俺、いくつにだと思う?85歳だよ」。
10曲を披露したステージを降りる前に、加山さんは観客に、みずからの人生観を伝えました。
「1つ教えるから頭の中に入れておいてね。俺いつもそれを考えているんだ。
関心。感動。感謝。
関心、感動、感謝だよ。それを人生の“三かん王”という。それをずっと心に置いて、何事も。いいことがあったときはぜんぶ“おかげさま”で。この3つをいつも心に持っている。そうするとね、とっても幸せになるんだよ!」
(記者)
まだ、ステージでおやりになれるのではと思うのですが。
「いやあ、もう限界だな。あなたもね、85になったら分かるけどさ、なかなか難しいものだよ。だけどよく周りの人が付いてきてくれると思うよ。それがありがたいと思うね。バンドのメンバーもそうだし、聞いてくれる人がいるわけでね。ありがたいと思うけどさ、そう続けられるかどうか。あと何年か分からないけどね」
引き続きレコーディングで音楽を静岡県にも届けてください。
「本当にいい思い出ばっかりだよ。きょうなんかも皆さんの顔を見ているとうれしそうな顔して、いっぱい来てくれて。一生懸命やっただけのかいがあるんだよね。みんな手を振ってくれるしさ。こういうのってやっぱり続いた方がいいんだよな。頑張りたいと思います。どうもありがとうございます」
会場での世代を超えた一体感がすごかったです!まだまだテレビやステージに出ていただきたいですが、ご本人が決めた引き際なのでしょうね。
インタビューを動画でも繰り返しご覧ください!