(2023年2月3日「NHKニュース たっぷり静岡」放送)
熱海土石流から1年7か月。災害関連死を含め命を奪われた27人の1人が、岐阜県から移住していた当時38歳の女性です。両親は悲しみの中、娘が1人、熱海で努力していたことを知りました。(伊東支局記者 武友優歩)
【5人きょうだいの一番上 心の距離も】
岐阜県大垣市に住む、臼井博彦さん(65)と妻のゆりゑさん(67)です。土石流で長女の直子さん(当時38)を亡くしました。
(臼井博彦さん)
「やっぱり親は子を思うというか、まさか私たちが遺族になるとは思わなかったですね。もっと早くに生前のうちに、いろいろな形で接すればよかったなと思います」
5人のきょうだいで一番年上だった直子さん。厳しく育てた影響からか、以前は親子関係に距離があったといいます。
「直子のことは知らない部分が多い。なかなか本人も素を見せなかった」(博彦さん)
「しっかりしすぎていたのもあるかな」(ゆりゑさん)
「しっかりさせすぎた。そういうふうに育てた。つらかったと思うよ」(博彦さん)
6年前、直子さんは実家を離れ、熱海市の伊豆山地区に移住。当初は、病院で事務の仕事を行っていました。直子さんの熱海での暮らしぶりについて、博彦さんは詳しく知りませんでしたが、移住後に関係が変化したと感じていました。
「実家に帰ってきたときに、熱海で医療関係の仕事についてから人が変わったように角がとれて丸くなったなと感じました。私がしょうが焼きを作ったら『お父さんの意外とおいしい』と言ってくれて。それは頭の隅に残っていますね」(博彦さん)
【突然の別れ リュックを背負ったまま…】
しかし、2021年7月。直子さんが1人で暮らしていたアパートを濁流が襲いました。博彦さんはゆりゑさんと初めて熱海に向かい、安否のわからない直子さんの情報を求め続けましたが、手がかりは得られませんでした。
「なかなか遺体が上がってこないということを聞いて、本当に涙が出ましたね。むなしいというか、悲しいのを通り越えていました」(博彦さん)
およそ2週間後。直子さんは、リュックを背負った状態で、自宅近くで見つかりました。懐中電灯やスリッパ、手袋などの避難用具を持って逃げようとしていたときに、土砂に巻き込まれたとみられています。
「リュックを背負っていた。こたえました。土の中でずっとどういう気持ちやったろうというのは、今でも思い出すと言葉が詰まります。本当に」(博彦さん)
「逃げる準備をしていたんだね」(ゆりゑさん)
「無理やったやろ。あの状況では、出ても出れんかったと思う」(博彦さん)
【初めて知る 熱海での姿】
取材を進めると、直子さんは熱海で前向きに将来を考えていたことがわかりました。市内の薬局で面接を受け、土石流の10日後から働くことが決まっていたのです。
「臼井さんは地元の方ではありませんが、熱海のエリアでずっと長く住んでいきたいという希望はあると話していました。地元の方々に対して地域密着で仕事ができることに、強い気持ちを持っているようでした。これから一緒に働く仲間だと思っていたので、すごく残念というか、悲しい気持ちです」(薬局の採用担当者)
こうした状況を、亡くなってから知ったという博彦さん。
さらに、インタビュー取材をしているときにも、新たな発見がありました。
直子さんの履歴書の記載から、薬局で医薬品を販売するための資格を取得していたことに初めて気づいたのです。
娘が1人、努力していたことを知った博彦さん。涙を浮かべながら、胸の内を明かしました。
「本人がどう思って向こうへ移住して、職場はどういう環境でやっているとか、在りしの姿を後から聞くばっかりで。こんな形で戻って…」(博彦さん)
【娘の面影 今も追いかけて】
博彦さんとゆりゑさんは、直子さんのリュックの中に入っていた遺品の手袋やスリッパを、大切に使い続けています。
「なぜ、娘のことをもっと知ろうとしなかったのか」
博彦さんはいまも、後悔の念にさいなまれています。そして、日々の暮らしの中でふと、直子さんの面影を探してしまうといいます。
「本人の存在感がなくなると余計に心にしみるというか、思い出されますね。言動もそうやし、しぐさもそうやし。今から思えばもっともっと、こちらが愛情を注がなあかんかった。親として申し訳なかった」(博彦さん)
臼井さん夫妻は「自分たちのように親子関係で後悔する人がいないようにしてほしい」との思いから、今回初めてテレビカメラの前でのインタビューに応じてくださいました。
取材を通して、改めて土石流が突然奪ったものの大きさを感じずにはいられませんでした。
【動画】
※動画の途中で土石流の映像が流れます。
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