【“早く届けたい”第3作】
去年(2021年)2月、小説『推し、燃ゆ』で芥川賞を受賞した沼津市出身の大学生・宇佐見りんさん。賞の贈呈式で、こう語っていました。
「3作目の原稿は私にとってもっと、一生にとっても大事なものになると思います。本を読んでくださる方々に早く届けたい、その一心です」
あれから1年あまり。「早く届けたい」と語っていた新作『くるまの娘』が発売されました。
図書館への単行本の寄贈などのために生まれ故郷の沼津を訪れた宇佐見さんに、作品に込めた思いを聞きました。(記者・三浦佑一)
【生まれ故郷 沼津で語る新作】
(宇佐見りんさん)
「きょうはよろしくお願いします」
「(沼津は)東京、神奈川にいるよりも、落ち着いて街の感じが楽しめるというか。時間の流れが心地よいというか。早すぎず遅すぎず、自分の心と向き合える場所だなと」
宇佐見さんの母親の実家があるという沼津。幼いころから狩野川花火大会の時期など、折に触れて帰ってきているといいます。
記者:今年は狩野川花火大会やる予定ですからね。
「本当ですか?ずっとコロナでやれてなかったですよね。そこ、うれしい」
記者:また来ますか?
「来ると思います。来ると思います」
宇佐見さんの新作『くるまの娘』。いさかいの絶えない家庭で育つ少女「かんこ」の苦しみを「車」という密室を中心に描きます。
『車に揺られながら、窓につけた頬が冷える。かんこは薄目をあけた。車の外に灯りがあるたび息を殺した。車は人の吐息で満ちている。母の吐いた息、父の吐いた息、弟の吐いた息、かんこ自身の吐き出した息、それらを互いに吸いあって生きている。苦しくないはずはなかった』(宇佐見りん/河出書房新社「くるまの娘」より 以下同)
(宇佐見りんさん)
「(家族の)歴史と重ね合わせて語りたかったので。移動する車だと、動いていない家よりも時間の流れを重ねて書ける。仏教用語で地獄に続く車『火車』というものがあるんですが、そういうものも照らし合わせてみたりとか」
「密閉されている空間で4人とか5人とか、1つに固まって移動するのがおもしろい乗り物だよなと思って。みんなで移動して場を共有しながら、楽しさもあるんだけど、苦しみも同時にあるという感じ」
これまで宇佐見さんが行く機会がなかったという、沼津市の街並みを見下ろせる香貫山。この日、取材班と登りました。
「おー、すごいすごい。ちゃんとこう形が見えますね。川もこうやって。地形がわかっていいな」
「ちっちゃい頃『沼津帰るよ』って言われると、街並みやバーベキュー、沼津の家にあるカラオケの機械、花火大会の思い出とかが一緒に浮かんできましたね。
帰省から戻るのが嫌で『夏休み終わっちゃうな』『おばあちゃんちから離れたくないな』って、わーんって大泣きして。富士山が見えると『富士山だよ』って、あやされていました」
【逃げ場のない 家族関係の痛み】
宇佐見さんはこれまで一貫して、親やきょうだいとの関わり方に悩む同世代の少女の心理を書き続けてきました。
「リアリティを求めるのは大事なので、たぶんそういうものを考えた結果、どんどん(主人公が)自分の同年代の子に近くなっていったんだろうなと」
今回の作品では、家族それぞれの痛みを表現することで、逃げ場のなさを浮かび上がらせます。
『いつも話は食い違い、食い違う徒労感で、最後には皆だまった。そして誰々が悪い誰々のせいだとそれぞれに別のことを記憶して、眠るまで過ごした』
『複雑な被害と加害のせめぎあいに酒がまじるので、認識はどこまでもずれた。家の人間はそれぞれ、傷ついた具体的なせりふを、出来事を、狸のように覚えていて責めたてたり、自分の記憶と他人の記憶をまじらせないように必死で守ったりした』
(宇佐見りんさん)
「人間同士の関わり合いって、たぶん竹を割ったみたいなあっさりさっぱりっていうわけにはいかないところもあって。特に家族となると、例えば2歳の子が『ちょっとお母さんとのこと無理だわ』っていきなり家出したりとかはできないし、親も反抗期だからといっていきなり離れたりとかって…そうなる家庭もあるでしょうけど。すごい長い時間をかけて『あのときはこうだった』『あのときはこうだった』といろんな自分の言い分があって、そういうものが(家族の中では)掘り返せないぐらいに蓄積してくる。誰も第三者として見ている人がいないから、どんどん絡まり合っていくという側面があると思っていて。仮の人間関係ではないので、その複雑さみたいなものも含めて書いたという感じですね」
「今回違うのは、これまであまり描かれてこなかったお父さんの存在。1作目(『かか』)2作目(『推し、燃ゆ』)だとある意味娘の敵のような形だったんですけど、3作目(「くるまの娘」)では、その人なりの行動原理、どの人の行動にも奥行きと根拠みたいなものを書くことによってしか描けないものはあるはずだなと思ったので。そういうものを意識して書けるようになったのは大きな違いかなと思いますね」
「1作目ではお母さんと娘のことにぎゅっと縮めて書いていたし、2作目では『主人公の内面と推し』『主人公から見た推し』という感じだったので、もう全く違う感じに。題材は同じ似たようなものでいて、全然違った小説になっているんじゃないかなと思いますね」
【時代に左右されない作品 目指し】
宇佐見さんは一貫して「家族」をテーマにする一方で、これまでの作品で描いてきたSNSなどの現代的なモチーフは今回扱わず、時代に左右されない作品を目指しました。
「2作目では現代調に挑戦してみようかなという気持ちだったんですよ。ちょっとポップな感じで行こうかなみたいな。SNSを書こうというよりは、今の時代に『推し』について書くんだったら、SNSっていうのはかなりもう重要な要素になってくるので、それを書かないわけには多分いかない。3作目では、そんなに重要な要素としてはSNSが出てこなくて、むしろ密な、直接的な人間関係を描くことに注力しましたね」
記者:時代の風を感じ取って、利用していくみたいな意識は?
「もともとないですね。どちらかと言うと同時代性みたいなのは気にしないタイプです」
記者:10年後でも20年後でも通じるものにしたいと。
「そうですね」
記者:今、本も雑誌も映画もテレビも、コンテンツを消費するスピードがどんどんアップしている。宇佐見さんの作品は、パッと手に取ってパッと読んでほしいわけではない?
「もちろん時代の影響はあると思うんですけど、私自身がそんなに最新の本ばかりを読む人ではなくて。何十年も前の作品に『読む時に新たに出会う』という意識があるので。出版された時に読まなくても、読んだときが新刊を買った状態。そういうふうに読んでもらえたら読まれ方としてはうれしいなあと思うし。『今すぐ今すぐ』っていう焦る感じではないですね。自分が何年後かに読みたいかとか、何年前に読んでも面白いかどうかとかで結構書くので」
【家族と苦しむこと選ぶ心理】
作品では、傷つけ合うのを避けるために家を出るよりも、家族とともに苦しむことを選ぶ主人公の心理もつづっていきます。
『愛情は一方的に注がれるばかりではなかった。助けてくれ愛してくれと手を伸ばされながら、育ってきた』
『愛されなかった人間、傷ついた人間の、そばにいたかった。背負って、ともに地獄を抜け出したかった。そうしたいからもがいている。そうできないから、泣いているのに』
「ゆるゆる続いていく苦しさみたいなものを。明るいだけの話、フィクションで救われても現実では救われない人もいるんだよっていう思いがある。そういうものは自分の作品にはナシにして、現実に即して書いていこうといつも思っていますね。ぐずぐずしたものがあるとしたら、それを絡まりあったまま書く」
「苦しみがあるなら、そこから抜け出したりしてほしいし、みんな無事でありたいよねと。できないかもしれないし、無謀かもしれないけど、そういう祈りは(今回の作品に)込められているんじゃないかなと思います」
【静岡に背中を預けて】
最後に、静岡の人たちに向けてメッセージをもらいました。
「『推し、燃ゆ』の受賞時からいろいろ応援していただいて、静岡の熱と愛に触れて、すごく背中を預けてすごくありがたかったです」
「静岡とか沼津が、自分の中の街として浮かべる景色に近い。子どもとして遊べる時期に沼津に帰っていたのが大きかったと思うので、すごく影響しているんじゃないでしょうか。4作目については、まだ言えないんですけど、明らかに静岡の場所を意識している場面も出てくるはずなので、そちらもお楽しみにという感じですね。よろしくお願いします」
『推し、燃ゆ』の芥川賞受賞は明るいニュースとして県内に広まりましたが、作品は少女の生きづらさや喪失感を描いたものでした。今回の「くるまの娘」では家族間の暴力も描写されています。宇佐見さんは「良くも悪くもさらっと読める小説ではないと思う。自分と対話しながら読むことになる方もいらっしゃると思うので、無理せずゆっくり読んでいただければ」と話していました。
実はインタビューを放送した5月16日が宇佐見さんの誕生日。23歳になったそうです。静岡県ゆかりの若い作家の感性と表現、これからも注目です。