静岡で活動する大学生の語り部がいます。小学生のときに釜石市で被災した自らの経験を若い世代に向けて発信しています。その思いを聞きました。
(キャスター・大窪愛)
【震災経験を静岡で伝えたい】
(高橋奈那さん)
「自分自身で判断して自分の命を自分で守れるようになることが、他の人の命を助けることにもきっとつながっていきます」
今月、小学生を対象に静岡市で防災講座が開かれました。
話しているのは静岡大学2年生の高橋奈那さんです。
岩手県釜石市の出身で小学3年生のとき東日本大震災で被災しました。
自宅や学校は沿岸部から離れていたため津波の被害にはあわなかったものの、自分の知っているまちはあの日を境に一変しました。
(高橋奈那さん)
「地震が起きてまず先生の指示で机の下に隠れたんですけど、机をおさえるのに本当に必死で、揺れが大きくて今にも机がひっくりかえるんじゃないかって」
その後進学した静岡大学では、防災活動を行うサークルに所属しました。
被災経験を伝える語り部として、県内を中心に活動しています。
(高橋奈那さん)
「静岡県でも南海トラフ巨大地震が起こって津波が来るって知っていたので、自分の震災経験を伝えながら静岡で何か防災に対してできることがあればいいなって思いました」
【語り部として感じる課題】
震災から11年。
自分より若く、震災を知らない人が増えているなか、高橋さんたちは「震災を若い世代へ伝える」活動を初めて行うことを決めました。
まず行ったのは、同じように被災経験のある大学生へのインタビューです。
その内容をインターネットで公開し、若い世代に震災を伝えるのが目的です。
この日インタビューに応じたのは、小学生だった当時、釜石市の沿岸部で津波から逃げた女性です。
(津波から避難した女性)
「中学生と手をつないで、避難することになった。逃げている途中あたりで津波がき始めた。そこからみんな、てんでんばらばらって感じですね」
一方、11年という歳月を感じることもあると話します。
(津波から避難した女性)
「記憶があいまいになってきているのが一番思うし、やっぱり知らない世代が増えてきたりとか、新しい施設が建つようになってしまえば、思い起こすことができなくなるような風景になってしまうのかな」
高橋さん自身も感じていた「風化」。
インタビューを通じて、「伝え続ける」ことの重要性を改めて感じたといいます。
(高橋奈那さん)
「語っていく上で、記憶を忘れてしまうことが怖いなって思う部分はあるし、自分の中でそういった面で風化を感じる部分もあるんですけど、でもだからこそ、自分が忘れないために、次の世代だったり、違う地域の方に知ってもらうために、伝承していなきゃいけないなって感じています」
【小学生に伝える“津波”】
「風化」を防ぎたいという思いを胸に、この日小学生を対象にしたワークショップを開きました。
(高橋奈那さん)
「東日本大震災が起きたとき、私は小学校3年生でみんなと同じように小学校に通っていました」
災害時にどう行動するか子どもたちに考えてもらいます。
(高橋奈那さん)
「地震を小さいのでも経験したことある?」
(子ども)
「ない」
(高橋奈那さん)
「そうか、じゃ難しいね」
参加したのは、地震や津波を経験したことがない子どもばかり。
その怖さを子どもでもイメージしやすいように、身近な父親と一時連絡が取れなくなったエピソードを交え、語りかけました。
(高橋奈那さん)
「東日本大震災では、(父親と)突然連絡がとれなくなって、生きているかどうかわからない状況になってすごく不安になりました。(私は)実際に津波のことについて学ぶことはありませんでした。当時と同じように津波を知らない子どもを私は作りたくありません。津波の存在を知っておくことで、もし海の近くにいて、大きな地震がきたら、津波がくるかもしれないから、高いところに逃げる、という判断を自分自身で、できるようになってほしいです」
最後に、一人ひとりに、「災害時、自分がどう行動するか」をまとめてもらいました。
(参加した児童)
「私のおばあちゃんが住んでいるところが海の近くにある家なので、地震が起きたときはすぐおばあちゃんに連絡して高いところに逃げるように、一緒に逃げようと思いました」
「津波の危険は知ってほしいっていっていたんで、しっかり覚えておきたいと思います」
(高橋奈那さん)
「今回の私の経験を聞いて、あそこにいる全員に伝わらなくても、だれか一人にでも心に届いて。まわりの友達だったり、家族に伝えていって、どんどんそこから、震災って津波ってこういうものなんだよって、まわりに広がっていけばいいなって考えています」