(2023年2月6日放送)
「たっぷり静岡」で継続的に取材してきた静岡市立松野小学校5年生、鈴木大斗(やまと)さん。重い障害で肺や心臓の機能が弱く、人工呼吸器を着けています。
おととし4月に小学校の入学が実現して学校生活を楽しんでいましたが、1月に11歳8か月で亡くなりました。その大斗さんの母親が、2月4日に難病患者の団体の会合でオンラインで講演をしました。母親の話から、大斗さんが友達と地域の学校に通った意味を考えます。(記者・三浦佑一)
「こういう機会をいただいて、過去を振り返ることができて、いい時間が持ててよかったなと思っております」
静岡市葵区に住む鈴木巳知代(みちよ)さん。
小学5年生だった長男の大斗さんを、先月17日に亡くしました。
静岡県内で初めてだったとみられる、人工呼吸器を着けながらの小学校への通学のため、大斗さんに付き添い続けた鈴木さん。悲しみの中でも、自分たち親子の経験と、感じた課題を知ってほしいと、亡くなる前から引き受けていた難病患者の団体への講演に、予定通り臨みました。
(鈴木巳知代さん)
「重度の障害がある子でも、学校へ行き、お友達や先生との関わりの中で学ぶことはたくさんあり、大切な経験ができることをお伝えしたいと思います」
NHK静岡は、大斗さんが2歳のころから取材をしていました。医療技術や器具の進歩により、重い障害があっても自宅で暮らして成長している子どもの1人として紹介してきました。
しかし、大斗さんが成長に応じた教育を受けるまでには時間がかかりました。
小学校入学を希望する大斗さんと両親に対し、教育委員会は対応は困難だという回答を繰り返しました。3年生の時までに実現したのは、交流を名目にした一部の授業への参加でした。
事態が動いたのは3年前。交流の中で、現場の教師が大斗くんの意思を感じ取れるようになってきたなどとして、静岡市が入学を認めました。
(静岡市 田辺信宏市長)
「将来を担う子どもたちが、ここからお互いを思いやる気持ちを育てていく大きな力になることを期待して」
ただ、たんの吸引など医療的なケアは学校では対応できないとして、保護者の付き添いが求められました。
(鈴木巳知代さんの講演)
「たくさんの機械を積んで、車いすに寝て、しゃべれない子どもを初めて見た大人は、この子は何も分からない、何もできない子と思い込んでしまう方がほとんどです。人工呼吸器や、(たんを)吸引すること、弱々しく見える体など、触れたら壊れてしまうのではないかと怖がられることが多いです」
「お友達は壁をつくらず接してくれたのが、何よりうれしくて。大好きなお友達と一緒にいるのが最高に居心地よかったんだろうなとも思います」
「縄跳びが好きでした。飛べなくても、リズムに合わせて縄跳びを持って動かしました」
「音楽は大好きなので目がぱっちり開きます。校歌も授業で習う歌もみんなと一緒に口を動かしていました」
「『山の教室』で(静岡市の山間部の)井川に1泊2日で行きました。一番の思い出はキャンプファイヤーです。フォークダンスのジェンカのフィナーレはみんなが火から離れて大斗を囲う輪ができ、『大斗くんファイヤーだぁ』『大斗くんパーティーだ』とみんな笑顔で踊ってくれたのが最高の想い出になりました」
一方で、こうした学校生活は、保護者の犠牲の上に成り立っていたことも率直に語りました。
「まともに睡眠がとれない生活の中、丸一日学校に付き添い、ケアや介助をすることは容易なことではありません」
「私の体の限界が心の限界にもつながり、学校へ行けなくなった時期がありました」
大斗さんの満足げな表情に励まされながら支えたものの、この時間も長くは続かないと感じていたといいます。
「昨年11月27日の運動会が終わったあとに撮った写真です。何度か心臓が止まりそうになる症状があり、この日、参加できたことがうれしいのと、最後の運動会になるだろうなという切ない気持ちが入り混じりながら、家族で写真をと思って、撮った写真です」
この写真を撮って2か月足らず。年明けに2回学校に行ったあと、大斗さんは旅立ちました。
(講演を聴いた人)
「今、特別支援学校で色々な制度が出たというか、整っている環境の中であっても本当に大変だなという感じなのに、普通の学校でやってのけた鈴木さんというのはものすごいなって思って」
「私、いま看護学科(の学生)なんですけど、そういう患者さんが今どんなことができるのか、ちゃんと見つけてあげないといけないんだなって思いました」
鈴木さんは、大斗くんが通学を実現できたことには満足しつつ、障害の有無によって分け隔てられることのない学校教育が当たり前になってほしいと願っています。
(鈴木巳知代さん)
「最期ね、最後の日、亡くなる日。私の腕の中でニコって笑ってくれたんです。それはそういうことかなって。最高のご褒美を私もいただいたかなって思います」
「学校って義務教育ですしね。みんな行けるものと思うじゃないですか。だけどなかなかそこに親の努力がものすごくいるっていうのが現状なので。社会的な支援がやっぱりほしいですね」
【動画】
撮影:木原奏人/音声・照明:三浦暢子
【解説】
(キャスター)
教育って、子どもと先生の関係だけではなくて、子どもの同士の関係性もかけがえのないものですから、大斗さんが学校に通って一緒に学んだことは、本人にも同級生にも、大きな意味があったでしょうね。
(記者)
はい。大斗さんは私の家に遊びに来てくれたこともあって、いろんな思い出があるんですが、ことばは話せなくても、表情やしぐさが豊かで、何が好きで何が嫌か、意思表示がはっきりしていて、会うたびに成長を実感するばかりでした。
今回、学校の子どもたちはショックが大きいということで取材は控えたのですが、先月のお通夜には1年生から6年生までみんなが参列して、メッセージを書いていたのが印象的でした。一緒に通学した日々は、子どもたちの中に残り続けると思います。
(キャスター)
一方で、学校に通うという当たり前のことのために、保護者はつきっきりにならなくてはならないんですね。
(記者)
おととし施行された「医療的ケア児支援法」では、大斗くんのようなケアが必要な子どもも保護者の付き添いなく通学できるよう、学校に看護師の配置などを求めています。しかし人手や予算の不足で、多くの学校で態勢が整っていないのが現状です。
医療の発展で重い障害や難病があっても助かる命が増えています。静岡市の田辺市長は今月、「大斗くんとの思い出が同級生の人間性の育みなったらうれしい」とコメントしましたが、分け隔てのない多様性のある学校の実現には、国や自治体がまだまだ支援を強化する必要があると思います。