1月にNHK静岡放送局で行われた、名作「銀河鉄道の夜」をモチーフにした朗読イベント。静岡県出身の人気声優がメインキャラクターを演じました。
静岡市出身の帆世雄一さん。
焼津市出身の五十嵐雅さん。
それぞれアニメや舞台のほか、若い女性を中心に大人気となっているスマホゲーム「あんさんぶるスターズ!!」や「A3!」で声優をつとめています。
共演も多く、仲のよいお2人。イベントに一緒に出演したNHK静岡の佐藤あゆみアナウンサーによるインタビューを、2回にわたってお伝えします。
【静岡で“ほぐれる”】
(佐藤アナ)「静岡に帰ってきて、いかがですか?」
(帆世雄一さん)「新幹線で熱海ぐらいまで来るとね、もうあと、落ち着くよね」
(五十嵐雅さん)「富士や三島辺りまで来ると、もう」
(帆世さん)「もうもうもう…。本当に不思議なもので、新幹線乗ってある程度たつと、“ほぐれていく”というか。『帰ってきたな』って気持ちに、なんかなるんですよね」
(五十嵐さん)「離れてみると、静岡駅降りたったときに『あー故郷!』みたいな、なるよな?」
(帆世さん)「すべてが輝いて見えますね。竹千代くーん!みたいな」
(佐藤アナ)「ふだん県外でお仕事や生活をされていて、『あー自分、静岡出身だな』と感じることってありますか?」
(帆世さん)「僕は例えば、県外でとろろを食べたいなと思って『とろろご飯あります』とか書いてあって、『あー、とろろあるんだ』って、行くじゃないですか。すると出てきたのがすごい白い。『とろろじゃねーだろ!』って」
(五十嵐さん)「ハハハハ。確かにね。自然薯(じねんじょ)」
(帆世さん)「『僕が思っているとろろじゃない!』って。その時に染みついているんだなっていうか。きのうも僕、実家でとろろ作ってもらいましたもん。帰ってくるからって言ったら、自然薯(じねんじょ)用意してくれて。一緒にすりました」
(五十嵐さん)「いいね」
(五十嵐さん)「どこかでお茶の生産量とか、売上高のランキングが出るじゃないですか。あれはやっぱ気にしますね」
(帆世さん)「そもそも五十嵐さん、東京とかで暮らしていても、結構、静岡弁出ちゃう人なんで」
(五十嵐さん)「あ、出てる出てる。『だもんで』とか、『ほうかほうか』(※「そうかそうか」という意味)とか。
(帆世さん)「よく使っていますね。ほうかほうか」。
【これって静岡だけ?】
(佐藤アナ)「視聴者の方から質問が届いています。いくつか並べました」
(帆世さん)「気になるやつばっかりですね。“これ静岡だけ?”っていうのはどういうことですかね?」
(佐藤アナ)「上京したときに気付いた『あれ?静岡だけだったんだ、これ』って思う…」
(帆世さん)「うす茶糖。全然ないですね」
(五十嵐さん)「うす茶糖?」
(帆世さん)「抹茶にお砂糖入っているような、甘い」
(五十嵐さん)「あー!あれないの?」
(帆世さん)「ないないない。全然見ない。特に夏は冷たくして、おばあちゃんとかが入れてくれたりして」
(五十嵐さん)「いれるいれる。甘くておいしいんだよね。あと『みかん給食』ってありませんでしたか?」
(帆世さん・佐藤アナ)「・・・」
(五十嵐さん)「うわあ、焼津だけ!?土曜日とか防災訓練とかさ、早く帰るとき、みかん給食っていって、みかんジュースもらうの」
(帆世さん)「あれ、みかん給食っていうの?単に防災訓練を頑張ったご褒美だと思っていた」
(五十嵐さん)「あれ『みかん給食』って言ってた」
(帆世さん)「五十嵐界わいだけじゃない?」
(五十嵐さん)「焼津市民の方、どうぞ!」
(帆世さん)「そういう言い方するのかなあ」
【仕事の原点】
(佐藤アナ)「この道(声優・俳優)を目指そうと思ったきっかけは、どんなところにあったのでしょうか?」
(帆世さん)「僕は家業が呉服屋で、ずっと実家を継ぐ継ぐと子どもの頃から言っていたんですけれども。父親が映画が好きで、静岡市内で映画館によく行って見ていて、『映画に出たい!』という気持ちがすごく強くって。映画に出たい。ハリウッド映画に出たいけれども、英語が分からない、どうしよう。でも声優だったら吹き替えができるから、日本語のまま出られるなと。それを高校生ぐらいから思いたってですね」
<↑写真中央が帆世さん>
(五十嵐さん)「僕は小さい頃から大衆演劇によく連れて行かれて、何度も行っているうちに意識はしていたんでしょうね。わからないですけどね。気づいたらこの道に就いていました」
<↑写真中央が五十嵐さん>
(帆世さん)「すごい大物みたいに言うじゃん」
(五十嵐さん)「ワハハハハハ」
【100点は取れない】
(佐藤アナ)「続けていく中で大変さや、やりがいを感じる瞬間には、どういったことがありますか?」
(帆世さん)「セリフっていうのはお芝居じゃないですか。だから常に自分の心が動くので、いろんな体験も出来るし、その時々に100出さなきゃいけないしっていうので。こんなにやりがいがあって、こんなに終わりが見えなくて、ずっと楽しい仕事ってないですね」
(五十嵐さん)「あー、確かにね。100点とれないですからね」
(帆世さん)「自分のその時の100点が、2年ぐらいすると10点になっていたりする」
(五十嵐さん)「わかるわかる!振り返ると『あの頃の自分、甘いな』みたいな」
(五十嵐さん)「僕が最初にファンレターいただいた時に、やっぱりお手紙の力ってすごく助けられまして。『あー、こんなに僕らが届けたかったものが、少しでも届いている!』。なおかつその人の人生、『これがあったからこそ、私、就職できました』とか『めげずに介護をなんとか乗り切れました』とか。もう、その人の人生にここまで関われたんだっていうのが、やっぱりやりがいですね」