“生きている限り責任を取らないといけない”
国際刑事裁判所 元幹部が語る
戦争指導者を裁くまでの道のりとは?
いまウクライナでは、戦争犯罪の裁判が始まっています。
ウクライナの検事総長は、戦地や占領地で戦争犯罪を行った疑いのあるロシア側の容疑者600人以上を特定し、およそ80人について訴追の手続きを始めたことを明らかにしました(6月1日現在)。特定された容疑者には、ロシア軍の高官や政治家も含まれています。
戦争犯罪の裁判で課題として挙げられるのが、こうした戦争指導者をどう裁判にかけ罪に問うかということです。
その役割を担う国際組織があります。ICC=国際刑事裁判所です。様々な理由により関係国の国内裁判所で適切な裁判ができない恐れが出てきたときに、捜査訴追を行うことができます。
今回のロシアによるウクライナ侵攻で戦争指導者を裁けるのか。ICCに2018年まで幹部として在籍した野口元郎さんに、その道のりについて聞きました。
【野口元郎さん】
1985年検事任官。東京地検検事、最高検検事、国際司法協力担当大使など歴任。2020年に退官し、現在弁護士(岩田合同法律事務所)。カンボジア・クメール・ルージュ裁判の国連判事、ICC被害者信託基金理事長など国際機関の業務に従事(法務省からの出向又は兼務)。クメール・ルージュ裁判(1970年代のカンボジアで虐殺などにより170万人以上の命を奪ったとされるポル・ポト政権の罪を問う裁判)では、2006年から最高審判事を6年間務めるなど、国際刑事司法の最前線で戦争犯罪と対峙してきた。
―――ICCはどんな罪を裁くのでしょうか?
取り扱う犯罪は集団殺害罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪の4種類だけです。ウクライナ侵攻では、報道されるところから推測するかぎりでは人道に対する犯罪、戦争犯罪が当面の捜査の中心になるでしょう。
報道されている中では、非武装の一般市民(文民)に対する無差別攻撃や、性犯罪、病院・劇場など非軍事目標への攻撃、住民の強制移送などが入ってくると思います。ICCの設立条約であるローマ規程の条文には、どういう行為が戦争犯罪に当たるかについて細かい規程があり、殺人、拷問、強制移送、人質など何十もの行為が列挙されています。
ローマ規程:1998年に締結され現在123カ国が加盟している条約。締約国は、ICCから訴追された者の逮捕・引渡し、証拠収集などに関する要請があった場合、国内法の規定に従って協力する法的義務を負う。
【ICC被害者信託基金理事長としてウガンダを訪問する野口さん(左)】
―――ウクライナ当局とICCが扱う事件は、どのようにすみ分けが行われているのでしょうか?
大前提として、国際刑事裁判所の役割は国家の裁判所の補完的なものであり、これを補完性の原則といいます。国内の刑事裁判システムを使って自分で裁判をするのが原則で、それができない場合にだけICCが補完的に出てきます。
ウクライナ当局は、捕虜になっているロシア兵士が関係する事件から捜査訴追を始めていると思われます。国内にいる相手国の兵士であれば、そのウクライナの現地当局が裁けます。しかし、ウクライナ国内にいない将官や、プーチン大統領を含めた戦争指導者など、ウクライナ当局の手の届かない所は、ICCの役割が期待されるところが大きいです。
今後のプロセスとしては、まずウクライナ国内での証拠収集です。犯罪地で何が起きたか。被害者から見ればどういう被害があったかということに関する証拠収集は、かなり初期の段階からウクライナ国内を中心に広範囲に行われており、既に相当の証拠が当局、国際NGO、その他国際社会の協力を得て集まっているのではないかと思います。
そして、指揮命令系統、いわゆる「コマンドチェーン」と言われる部分の証拠収集です。これは本件で言えばロシア軍の指揮命令系統がどうなっていて、どの行為についてどこまでの責任を問えるかという問題です。一般にはこちらの方が難しいです。
―――「コマンドチェーン」の証拠収集の難しさはどういったところにあるのでしょうか?
まず、軍隊内部のことですから、なかなか外に洩れてこない。そして戦争犯罪や人道に対する犯罪に該当するような重大な国際法違反の行為を、仮に上層部が命令、または黙認したとしても、それが文書などはっきりした形で残っているとは限らないわけです。
ではどうやって立証していくのか。一つのパターンとして、内部通報者や離反者といった捜査協力者が軍や政府の内部から出てきて、司法取引や身の安全と引き換えに上層部の関与について供述をする、証拠の提供をするといったことで上層部の責任を明らかにしていく場合があります。
今後ウクライナやICCで、上級指導者よりも下のレベルの被疑者についていくつかの裁判が行われていくことが想定されます。旧ユーゴスラビアやルワンダの事件でも、多数の被告人を訴追して判決が蓄積していく中で、被害の様子についても指揮命令系統についても徐々に明らかになり、捜査も絞られてきたということが言えます。そうした判決の蓄積が将来上層部の罪を問う動きの中で大事になってきます。
―――過去の事例で、今回のウクライナ侵攻に関する裁判の参考になりそうなものはありますか?
今回はいわゆる侵略型の戦争です。20世紀後半以降、このような帝国主義時代に行われていたような、ある国が他国に攻め入ってその領土を奪い取ってしまうといった形の戦争はあまり起こらなかったわけです。
最近の顕著な例としては1990年のイラクによるクウェート侵攻ですが、これは数時間で占領に至っていますから、本件のように長引いていません。その時はまだICCもありませんでした。本件はICCにとっても前例のない捜査となると予想されます。
【ウガンダの内戦で亡くなった犠牲者に花を手向ける野口さん】
―――プーチン大統領をはじめ戦争指導者を裁ける可能性は?
ICCは日本の基準に比べると、訴追そのものは比較的簡単に行います。これまでも国家元首クラスの訴追を何件か行っています。身柄を確保しなくても起訴はできますので、その時点で指名手配者のような扱いになるわけです。外国にも行きにくくなるし、それ自体が恥であると考えるかどうかはわかりませんが、国際的な非難・糾弾が直接向けられているという形になるわけです。
ICCは欠席裁判を行わないので、被告人が出頭しない場合は裁判が行えませんが、例えば政権交代など何らかのきっかけで被告人が国内で拘束されたり、外国で身柄を拘束されたのちハーグに移送されたりするといったようなことがあると、裁判が現実味を帯びてきます。
国際刑事裁判の追及の手から逃げおおせるのは簡単なことではありません。例えばクメール・ルージュの犯罪は1975年から79年まで行われました。その後歴史が示す通り、様々な事がありましたが、2006年に特別法廷が活動を開始し、犯行から三十数年たった2012年に最初の上訴審判決が出たわけです。クメール・ルージュが軍事的にも政治的にも完全に無力な存在となったのち、はじめて裁判が可能となって、三十数年後に司法の長い手が及んだということですね。
【カンボジアの特別法廷で判事就任の宣誓文を読み上げる野口さん】
野口さんからのメッセージ
戦争犯罪は重大国際犯罪なので、時効がありません。したがって、被疑者が存命中である限り、訴追の可能性から逃れることはできません。ICCだけに頼るわけではありませんが、国際社会が協力し合って、人類としてそういう犯罪を許さないという姿勢を示すことが大切。処罰されるべき者は、裁かれなければならないのです。あくまでも責任を追及することを実践していくことによって、抑止効果も出てくるでしょうし、被害者に対する正義をもたらすことにもなってくる。こういう犯罪は絶対に許されないというメッセージを国際社会全体として明確に、継続的に発し続け、かつそれに向けた具体的協力を積み重ねていかなければなりません。
(クローズアップ現代ウクライナ取材班ディレクター 秋岡良寛)