「なぜ、いま水俣病を伝えるのか?」「どう向き合えばいいのか?」、アナウンサーである私自身の疑問をもとに熊本放送局の若手が立ち上げた「フミダス!ガマダス 水俣病」シリーズ。前回、そうした悩みを、水俣病を伝える語り部の杉本肇さん(61)に相談したなかで、関心をひかれた言葉がありました。
(杉本肇さん)
「僕は、水俣の子どもたちのために語り部をしている」
「水俣の子どもたちのため」とは、どういうことなのだろう。杉本さんから聞いたエピソードをもとに、その意味を探りたいと考えました。
(熊本放送局アナウンサー・佐藤茉那、ディレクター・佐々木駿平)
※第1回の記事「水俣病に若い世代はどう向き合う? フミダス!ガマダス 新シリーズ 水俣病×若者」こちらからご覧いただけます↓↓
第1回の記事 フミダス!ガマダス 新シリーズ「水俣病×若者」
【「知らなかったら教えてあげる」水俣生まれのキャプテンの言葉】
そのエピソードは、杉本さんが学校の先生から聞いたもので、10年あまり前に水俣の小学生たちの野球チームが遠征先で体験した出来事でした。
(杉本さん)
「チームが野球の全国大会で四国に行った時、相手選手から『お前ら、水俣だろ?』みたいなことを言われたらしいんですね。そうしたら、チームのキャプテンが『知らなかったら俺が説明してやるよ』って言って、説明してくれたらしいんですよね。もしかしたら、誰かが、水俣出身ということで、何かばかにされたかもしれないし、でも、それをキャプテンが『水俣病っていうのはこういうことだよ』っていうふうに言った。…まあ、親御さんたちが感動してしまって」
出身地を揶揄された水俣のチームのキャプテンが、相手の選手に落ち着いて水俣病について教えあげたというエピソードでした。
「なぜキャプテンが子どもながらに毅然とした態度をとれたのか」。この疑問の答えを知りたいというのが、今回の取材を始めるきっかけとなりました。
【「うつるの?」にモヤっとした過去】
当時のチームの監督など、つてをたどってキャプテンの行方を追った私。ついに連絡がとれ、10月、水俣市内の野球場で会えることになりました。
出会ったのは、緒方響さん、23歳です。私と同じ世代で、いまは自動車工場で働いています。水俣で生まれ育ち、小学生の頃、地元の野球チームでキャプテンを務めていました。
杉本さんから聞いたエピソードについて、聞いてみると。
(佐藤)
「どんなことを思い出しますか?」
(緒方さん)
「クラブチームの名前に水俣っていう漢字が入っているので、普通にプラカードを見て、水俣病?みたいな視線だったり、ひそひそっていうのが聞こえてきたりはしていました」
杉本さんが話していたエピソードは、10年あまり前、緒方さんが小学6年生のときのこと。しかし、同じような経験は、そのとき以外にもあるといいます。
(佐藤)
「それ以外でも、他県の人から、水俣について言われた経験があるんですか?」
(緒方さん)
「やっぱり『うつるの?』っていうこととか、『今もいるの?』とよく聞かれます。水俣病があるから、一歩引かれる。それがなんかちょっとモヤっとする感じでしたね」
【「水俣病を知らない」に怒らない】
私と同年代の若者も、出身地が水俣というだけで、このような経験をしていることに驚きました。同時に、感情的にならず冷静に、水俣病について説明を尽くしてきたというその姿勢に、「私がもし同じ立場だったら、そのように振る舞えない」と感じました。
なぜ、そのような対応が出来たのかを聞いてみると。
(緒方さん)
「知らないがゆえに聞いてきた人に、『知らないくせに』って怒っても、『いやこっちも知らなかったし』って返ってくるじゃないですか。まあそういう経験もあったので。それをへて、じゃあ、こっちで一旦、受け止めて、整えて、返してあげればいいんじゃないかなと思って」
初めは、言い返したり、取っ組み合いの喧嘩をしたりすることもあったという緒方さん。しかし、経験を重ねながら、「正しいことを伝えたい」という考えが徐々に芽生えたといいます。
【緒方さんの自信の根っこには】
水俣で育った緒方さんは、幼い頃から、資料館を訪れたり、地元に住む水俣病患者の人たちの話を目の前で聞いたりする機会が毎年ありました。
(緒方さん)
「水俣病を実際に患っている方が、車椅子で来られて。言葉もままならないので、隣に通訳さんのような女性の方が立たれて、その方は何て言っているかがわかるから、それを僕たちに教えてくれた」
患者の人たちとの交流、「生の声」でしか得られないこともあると、緒方さんは語ります。
(緒方さん)
「中学校、高校に至るまでに、本当にたくさん学ぶ機会を与えてもらえたので、小さい時から学んでいるっていうのが軸にあって。確かな学びは絶対にあると思います。水俣市民は特に。(伝えられる)自信を持っているんじゃないかなっていうふうに感じます」
【語り部たちが伝える“確かな学び”が支えに】
話を聞くなかで思い出したのは、前回、相談をした水俣病の語り部・杉本肇さんの言葉でした。
(杉本肇さん)
「知ることっていうのは、やはり力になると思う。よそにいって言われることは、『あなた水俣病じゃないの?』って。その時にどう対処するかっていうのは、これは学びだと思う。過去を回想して思い出して語るのは、とてもつらいことだけれども、その中に生きるヒントがあるのではないかなと思います」
辛い体験を思い出し、あえて語り続けた杉本さん。その言葉には、「水俣での学びを糧に、子どもたちが自信を持って生きていってほしい」という思いが込められていました。
(杉本さん)
「やはり水俣の子どもたちがここ水俣に生まれてよかったなっていうような、この水俣で生まれて、いろんなことを学べてよかったなっていうような社会にしていきたいと思うんです」
患者や語り部の杉本さんなどの言葉を受け止めてきた水俣の子どもたち。水俣病を知らない人たちからのどんな言葉にも、緒方さんが自信をもって答えられるのは、“確かな学び”が支えになっていると実感しました。
【水俣で生まれ育ったことを誇りに思う】
10月から、愛知県に移り住み、新たな職場で働き始めることになった緒方さんに、取材の最後、聞いてみたいことがありました。
(佐藤)
「水俣で生まれ育ったことを、どう思いますか?」
(緒方さん)
「悲しい出来事はあったのかもしれないけど、僕はこの街があたたかいなと思いますし、この街だからこそ、こういう考えができるようになったのかなっていう。みんな、おじいちゃんおばあちゃんが多いんですけど、その分優しさにあふれた街。僕は誇りに思います」
【取材後記】
患者や語り部の人たちとの交流を通して、水俣病について学び、自信をつけた緒方さん。杉本さんの「水俣の子どもたちのために語る」という思いが、若い世代に届いていることに、深く感じるものがありました。
無知ゆえに相手を傷つける可能性は誰しもある、だから、教科書だけで知ったつもりにならず、当事者の声、思いを肌で感じながら学ばなければならない。さまざまな問題に通ずる大切な学びを、今回の取材で、私も感じることができました。
今後も、色々な立場の人たちへの取材を通し、「私たちは水俣病とどう向き合えばいいのか」「なぜいま水俣病を伝えるのか?」。シリーズで考えていきたいと思います。
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