クマガジン 映画監督 原一男「水俣曼荼羅への思い」

NHK
2022年8月8日 午後5:37 公開

「公害の原点」と言われる水俣病をテーマにしたドキュメンタリー映画が注目を集めています。
タイトルは「水俣曼荼羅」。
製作したのは、ドキュメンタリーの鬼才として知られる映画監督の原一男さんです。
取材、編集に20年。6時間超えの大作となった今回の作品への思いを聞きました。

(熊本局記者・西村雄介)

ドキュメンタリー映画を作り続けて50年以上となる原一男さん。
戦争責任をテーマにした代表作「ゆきゆきて、神軍」をはじめ、「権力と闘う人たち」にカメラを向け続けてきました。

その原さんが、水俣病の取材を始めたのは2004年。支援者の訴えをきっかけに水俣に通い始め、カメラを回すこと1000時間。取材に15年、編集に5年、あわせて20年をかけて作りあげたのが、上映時間6時間12分に及ぶ大作「水俣曼荼羅」でした。

原一男さん「『実は今の水俣の現地で起こっている事はこういうことなんですよ』と、いろいろ教えてもらい、『そうなんだ、水俣病って全然終わっていなかったんだ』と初めて教えられた。掘り下げていくと、日本という国が持っている闇、矛盾の部分と、水俣病の問題が入り交じって、実に複雑な様相を呈していた。それを整理するのに時間がかかったという実感がある」

水俣を訪れるなかで少しずつ、患者たちと出会っていった原さん。日々の生活に密着し、水俣病の被害の苦しみだけでなく、結婚、恋愛などをめぐる患者たちのさまざまな思いにも触れ、記録しました。

そのなかで、もっとも仲を深めたのが、中学生の時に水俣病を発症した生駒秀夫さんでした。年々、手のしびれやふるえなどがひどくなる中で、自慢の船をなんとか操縦し、手入れをする姿、人なつこいその性格に惹かれていきました。

原一男さん「外から行く人間にとって、水俣の地域社会の中に入っていくには、受け入れてもらわないといけない。そういう意味では、生駒さんが、一番最初に私たちを受け入れてくれて、そこから人間関係が広がっていった。最初に生駒さんと出会ってよかった」

「衝撃だった知事の発言」

長年の取材を通じて見えてきた最大の課題が、患者の認定をめぐる問題でした。

2013年に、最高裁判所が国の定める基準より幅広く被害を認める判断を下しましたが、国と熊本県が基準を改めることはありませんでした。

行政と認定を求める人たちの交渉の様子を記録するなかで、原さんが「衝撃だった」というのが、熊本県の蒲島知事の当時の発言だったといいます。

蒲島知事
「システムの中でしか人は動けない。県は法定受託事務執行者。判断基準は国が示す」

原一男さん「蒲島さんは教授にまで上り詰めた人、学問を重ねた人という雰囲気があり、発言に説得力を持っている。その蒲島さんの台詞の中で最も私たちにズシンときたのは『法定受託事務執行者』という言葉だった」

国から都道府県に業務が委託される「法定受託事務」。患者認定をめぐる判断の責任は、基準を定める国にあるのか、処分を行う県にあるのか。問題から目を逸らし続ける行政の姿勢に対し、声を上げ続ける被害者の姿を映画では伝えています。

認定を求める男性の妻、佐藤スエミさん「国は県に聞かなきゃ何も分からない。県は国に聞かなければどうすることもできないという責任のなすりあいをしている。救済するという心があれば、県でも何でもできるはず」

原一男さん「スエミさんが、最も端的に、行政側と闘う人たちの言葉を投げかけていた。行政という権力機構の頂点にいる人、蒲島知事が『法定受託事務執行者』という言葉を述べたことで、『県庁、地方の役所の考え方、縛りの中で、あの人たちは仕事してるんだ』という事がわかった。『そのシステムを壊さなあかんのだな』ということも

今年、公式確認から66年となった水俣病。
原さんは、今回の映画が、その苦難の歴史と現状に目を向けるきっかけになることを願っています。

原一男さん「映画をみて『よかった』で終わるのではなく、次のアクションを促すようなドキュメンタリーを作りたいし、実際にアクションを起こしてくれる事が作り手にとっての最高の願い。6時間という映画の長さに、『見に行くのがちょっと大変だ』という反応を持つ人が多いですが、『そんなんでいいのかよ』『ちゃんと見なさいよ』って背中を押してあげたい