増やすの?減らすの? 国の政策に揺れる酪農家の苦悩

NHK
2023年5月10日 午後5:34 公開

牛乳や乳製品の原料となる「生乳」を生産する酪農家が頭を悩ませています。

これまで大規模化などを進める酪農家に補助金を出してきた国が、今度は乳牛を減らす酪農家に奨励金を出すことを決めたからです。

増やすのか?減らすのか?

「逆方向」の政策に揺れる酪農家を取材しました。

(秋田放送局 須川拓海)

国の後押しを受けて生産拡大

訪ねたのは、秋田県由利本荘市の酪農家、佐藤俊弥さんの牧場です。

目を引いたのは、最新機器の数々。搾乳はレーザーが牛の乳頭を探しあてて自動で行い、首輪に取り付けたセンサーで行動を把握。餌の量や体調、発情の有無などもシステムで一括管理できるようになっています。牛舎では牛が餌を食べやすいように、ロボットが散らばった餌をまとめていました。

佐藤さんは3年前に牛舎を新設し、こうした最新の設備を導入しました。

(酪農家 佐藤俊弥さん)

「ロボットで酪農経営をするなんて思ってもいなかった。牛舎が完成したときは、いよいよ始まるという夢と希望に満ちてわくわくしていた」

牛舎や設備の整備にかかった費用は5億円あまり。それを後押ししたのは、国の「畜産クラスター事業」です。国内でバター不足が叫ばれていたことを背景に、畜産の大規模化や効率化を進めて生産基盤を強化するために8年前に始まりました。飼育する牛を増やした酪農家には補助金が出されます。

佐藤さんも飼育する牛をこれまでの2.5倍の約300頭にまで増やし、補助金を受けました。その結果、生産量は拡大。全国的にも減少傾向だった生乳の生産量が増加に転じました。

乳牛を減らす「逆方向」の政策

しかし、国は去年11月、乳牛を減らすことを促す新たな政策を打ち出しました。ことし3月から9月までに飼育する牛を減らすと、1頭ごとに15万円の奨励金を支払うというものです。生産者団体などからも5万円の奨励金が支払われるため、あわせると1頭あたり20万円が支払われることになります。

この新たな政策について、農林水産省や生産者団体は需要と供給のバランスをとるためだと説明しています。

農林水産省は、新型コロナによって外食が控えられた影響などで牛乳や乳製品の需要が低迷していることから生産を抑制する一時的な措置で、生産者団体の奨励金の制度を支援している立場だとしています。また、これ以上、牛乳などが余ってしまうと、買い取り価格を決める乳業メーカーとの交渉でも不利になってしまうので、今の状況をしのぐためにも生産抑制は必要だとしています。一方で、大規模化、効率化を進めて生産量を増やすという目標は今も変えていないと説明しています。

しかし、現場の酪農家は、生産拡大を促すこれまでの国の政策と矛盾していると感じています。

(佐藤俊弥さん)

「国の目標として『増産しろ』『増産しろ』とかけ声をかけて、それにあわせて大きなお金をかけて投資してきたのに、少しでも情勢が悪くなってくると今度は『牛を減らせ』となる。国や行政は、現場の状況が理解できていないとしか思えない」

1月11日、佐藤さんのもとに地元の農業協同組合から奨励金の詳細がファックスで送られてきました。そこには、奨励金を受け取るには、乳牛を1頭減らすごとに1年間の生産量を7.5トン減らすことが必要だと書かれていました。しかし、佐藤さんの牧場では、7.5トンで90万円あまりの売り上げが見込めます。餌代などのコストを差し引いても、奨励金の20万円では十分ではなく、佐藤さんは牛の数を減らさないことを決めました。

(佐藤俊弥さん)

「生産拡大に向けて投資している自分たちのような酪農家が生産量を落としたら、ますます経営は悪化する。もし牛の数を減らしたとして、次にまた増やそうとなっても次の日に増えるものではない。現場の状況をきちんと把握して、何が必要か考えて早く対応してほしい」

経営継続にも大きな壁

奨励金を受け取らないことを決めた佐藤さん。一方で、このまま経営を続けることも簡単ではありません。円安やロシアによるウクライナ侵攻の影響で、飼料や燃料の価格が高騰しているからです。トウモロコシを使った配合飼料など、1か月にかかる飼料代は1年前より300万円以上も増えています。生産を続けても、赤字が膨らんでいくのが現状です。

さらに、重要な副収入となっていた子牛の販売にも大きな影響が出ています。飼料代高騰の影響もあり、これまでは1頭20万円近くで売れていた子牛が、去年の夏ごろからどんどん値段が下がり、去年12月には畜産市場で1000円でも買い手が見つからず、値段がつかずに連れて帰らざるを得ない牛もいたといいます。

(佐藤俊弥さん)

「これだけコストが上がって収入が減ると、何をどんなに節約しても間に合わない。規模を大きくした分、マイナスの幅も大きくなった。雇っている従業員の生活もあり、経営者としての責任がある。やめるにやめられないし、なんとかしのぐしかないんだけど、もうどうしようもない」。

来年の夏からは、牛舎の新設などのために受けた数億円の融資の返済が待ち受けていますが、今の状況が続くと、持ちこたえられないと打ち明けます。

「大きな声では言えないけれど、このままでは無理。諦めないでやるべきことをやっていればどうにかなるかなと思いたいが、見通しが立たないことがつらい。牛のおかげで自分たちは生活できているので、それをこちらの都合で減らすのではなく、希望を持ってなんとかしのぎたいが…」

酪農家を守るために

専門家は、需要と供給のバランスを保ち、酪農家が安定した収入を得られるようにするためにも、国が生乳を買い入れて調整する仕組みを導入すべきだと指摘しています。

(農業経済学が専門 東京大学大学院 鈴木宣弘教授)

「バターが足りないとなると増産を促して、酪農家が増産したら今度は在庫が増えたので牛を殺してくださいと。目の前の需給バランスが崩れるとそれに対して短期的な視点でいろいろな要請をするというのが政策の特徴で、それに酪農家が振り回されている。政策の結果として今の状況が起きているので、国内の生産は続けた上で、あまった分は国の責任で買い上げて最低限の需給調整をする必要がある。その上で、国内外を問わず生活に困っている人に提供することなどに予算をつけるべきだ」

また、世界的には牛乳や乳製品の需要と供給のバランスがひっ迫しつつあるとして、食料安全保障の観点からも警鐘を鳴らします。

「国内の生産を減らした場合、世界の乳製品の需給がひっ迫すると、乳製品が出回らなくなる可能性がある。牛乳や乳製品は人の命を守る基本的な食料で、酪農家を守ることは、結果として国民の命を守ることにつながる。酪農家の経営を支える対策を早急に打つべきだ」

今回の取材の中で印象に残っているのは、酪農家から聞いた「牛乳は蛇口をひねったらすぐに出てくるわけではないんだ」という話です。乳牛として生乳を搾れるようになるには、子牛を育てた上で妊娠、出産を経る必要があるため、およそ3年かかるといわれています。牛を増やす、減らすなどと人間の都合でそう簡単に調整できるものではないという当たり前のことを改めて感じました。ふだんの生活に欠かせない牛乳や乳製品。酪農家の廃業が進む前に、対策が求められていると思います。

須川拓海

2018年入局。津局を経て、2022年夏に秋田局へ。現在は県政を担当。